Japan and World Trends [日本語] 日本では自分だけの殻にこもっているのが、一番心地いい。これが個人主義だと、我々は思っています。でも、日本には皆で議論するべきことがまだ沢山あります。そして日本、アジアの将来を、世界中の人々と話し合っていかなければなりません。このブログは、日本語、英語、中国語、ロシア語でディベートができる、世界で唯一のサイトです。世界中のオピニオン・メーカー達との議論をお楽しみください。
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論文

2006年11月25日

「外交官の仕事」(草思社)冒頭より

はじめに―――失われた十五年から再び世界へ

僕が生まれてから五十八年、この間日本が当事者になった戦争はなかった。明治以降、そのような幸運を味わった初めての世代だ。しかも外交官をやっていた三十五年のうちほとんどは、日本の国力が一貫して伸びていった時代である。これもまた、とても稀なことだ。一九八九年、東欧課長をやっていた僕に、訪日したユーゴスラビアの大統領の随員が言ったものだ。「あなたが羨ましい。力が伸びつつある国の外交官をやるのは、さぞかし遣り甲斐があるでしょう」
 ところがその一九八九年、ソ連圏は崩壊し、九十一年にはソ連自体が崩壊して「冷戦」が雲散霧消してしまった時、あるスウェーデンの有力者が僕に冷たく言い放った。「冷戦が終わってみると、世界における日本の居場所がどこにあるのか、自分にはよくわからない」 そして、ボストンに勤務していた九十年代後半ともなると、アメリカの関心が中国にすっかり向いてしまったことが肌に感じられた。世界に吹く風は日本に対してめっきり冷たいものになったし、他ならぬ日本がバブル崩壊ですっかり内に閉じこもってしまった。一連の不祥事件もあって、日本の外交官には冬の時代が訪れた。それでも日本に住んでいると磐石の安定が感じられるが、この失われた数年の間に国際情勢は激変し、日本はその変化からほとんど振り落とされかねない状況になっている。
 今、日本は国内の利権体質、依存体質を克服し、もっとダイナミックで透明な社会を作る方向に乗り出そうとしている。再び世界へ乗り出す時だ。今ならまだ挽回ができる。だが、外交はもう外交官が独占する時代ではない。多くの優秀な人達が国際的に活躍している。外務省と社会とを隔ててきた膜は、そうした浸透圧とでも称すべき圧力に破れてきた感がある。こういう時代には、誇張や中傷や勘繰りを取り去った日本外交の実像をもっと知ってもらいたい。現実を知ることなしに、新しいことの議論はできない。
 この本は、そのような問題意識で書いたものだ。数々の大先輩をさしおいてこのようなことを書くのは恥ずかしかったが、雑誌「草思」にこの一年連載してきたものに東大や早稲田で教えたことを加えて敢えて世に問い、これからの捨石にしていただくことにした。それに向けて著者をいつものように励ましてくれた草思社の加瀬会長にお礼を申し上げたい。

                   平成十七年九月五日 河東哲夫

第一話 大使館とは何をしている(またはしていない)ところなのか?


外交官は異界の住人?

 大使公邸に日本人をよぶと、初めてそうしたところに足を踏み入れた人たちはあっけに取られる。大きな屋敷の天井は金泥で縁取りされ、だだっ広い壁には大きな絵が何枚もかかり、床にはカーペットが敷きつめてある。若い女性の目には、こういう言葉が書いてある。「公邸ってなに? 大使ってだれ? この人達、なんなの? こんな世界があるなんて信じられない。どんな意味があるの?」 中年以上になってくると密かな憤りをぐっと殺した笑顔で、「いいですねえ、大使。こんなところに住んでおられるのですか?」と矢を放ってくる。セレブの生活というわけだ。
だが、大使でもその日常はそれほど華美ではない。豪華な客間は仕事で客をよんだ時くらいしか使わない。管理人がいるわけでもないので、天井のひび割れから浴室の水漏れに至るまで大使がいつも自分で気を配っていなければならない。料理人がいることはいつも羨ましがられるが、その給料の半分以上は大使や総領事が自分で払い、しかもプライベートな食事をいつも作ってもらっているわけではない。料理人の人件費を抑えるためにタイ人の料理人を雇い―――バンコックでは以前から日本料理が盛んで腕のいいタイ人板前が大勢いるからだ―――、意思疎通のため一生懸命タイ語を勉強している大使夫人が何人もいた。
外交官をめぐっては知られていないことが多すぎる。外交官と言えば一昔前は、蝶ネクタイにタキシード、ワイングラス片手に毎晩きざな英語をしゃべっている人、あるいはソファでパイプをくゆらせながら国家の行く末を考えている人と思われ、遠い存在として敬遠されていた。国際化の時代と言われながら、日常何をやるにしても世界とか外国というものは人間の思考から脱落しがちなので、外国のことばかりやっている外交官というのもよくわからない。実際の社会で外交官という人種に出くわすことは珍しく、本当にいるのかどうかもわからない、ましてや毎日どんなことをしているのかに至っては皆目見当もつかない、というのが通り相場だ。
僕自身も、まだ若い頃、自分の子供から「お父さん、毎日どんな仕事やってるの?」と正面きって聞かれ、すっかり答えにつまってしまったことがある。自分の子供に関心を持ってもらえるのは嬉しいことなのでよし説明してやろうと思うのだが、なぜか言葉が出てこない。ちゃんと説明しようとすると三時間くらいはかかってしまう、そこを何とか一言で言おうと思っても「朝出勤すると山のような文書を読んで電話をかけ、会議に出た後には訪ねてくる客に会い、自分でも外に出かけて人と話をしてくるんだ」というような得体の知れない説明が頭の中でもどかしげに空回りするだけなのだ。何も言えない親に子供達はすっかりあきれ、父親は結局面倒がっているんだと思って、あっちへ行ってしまう。こうして外交官は、まず家庭で社会の洗礼を受ける。わかりやすい言葉で自分達の仕事を説明するのがどんなに難しいかを、思い知らされるのだ。

「外交」とは競争と貸し借りの世界
 
 外交とか外交官とか言われると日本人の多くは身構える。外交官の語学力や持っている知識、ノウハウをあまり軽く見られても困るが、だからと言ってあまり身構えられても困ってしまう。上向きでも下向きでもなく、対等の視線で見てもらえばいい。平たく言えば、国際社会で国としてうまくやっていくことが外交で、そのことばかりやっている公務員を外交官と呼ぶのだと思っていただきたい。
外交とは国際社会で国としてうまくやっていくことだと簡単に言ったが、それは毎日垣根越しに挨拶するだけの近所つきあいとは違う。弱肉強食の世界である。「外交」の定義については万巻の書が書けるだろうが、もう少し詳しく言えば、日本の利益や主張をできるだけ世界で貫いていける基盤を作ることだと、思う。国連安保理の常任理事国になるための外交努力はずいぶん報道されているが、そんな大きな問題でなくとも、どんな国との間にも何かはいつも起こるわけで、その芽を事前につんだり事後処理をしたりする外交活動は日々行われている。
外国で大使をやっているとひしひしと感ずるのだが、外交は任地国政府とどのくらい良い関係を持っているかの競争でもある。そうでなければ、自分の国の要求や願望を聞き入れてもらうことも難しいからだ。開発途上国なら日本はODAという手段を持っているから、他の大使が羨むほど任地国政府の要人達もすぐ会ってくれる。先進国になると競争はもっときつくなる。そこでは、国際政治・経済、そして文化における日本の地位、実績や、首脳間の関係がものを言うが、外交官の働きもまた重要である。米国でさえ第三国で見ていると、大使館の活動が低調になったり、大使の端境期が長すぎたりするとその地位がどんどん沈んでいくのが目に見える。
外交官の力は、持っている人脈のレベルと数で決まる。任国との実務関係を進める上では大したことをしていなくても、口八丁手八丁だけで世を渡っていく第三国外交官もいる。彼らは外交団の中での仲間を増やし、外交団の遠足でもあると幹事役をかってでたりして、任国の政府にも一目置かれるようになるのだ。こういう手合いは蔭で悪口を言うのに長けているから、気をつけなければならない。
どこの国でも難しいのは、首脳やその側近と親しい関係を作ることだ。日本でも、総理や官房長官と親しい関係にある外国大使はほとんどいないだろう。ひとつの国の外交官と会うと、別の国の外交官からアポの要請があった時に断りづらく時間を取られて仕方ないから、どこの国の首脳部も外交官との付き合いはできるだけ絞っている。だが、こうした要人の個人的な友人を探して仲良くなれば、いつかは要人に非公式に会うことができるかもしれない。人脈は数を増やすことで、そのレベルを上げていくことができる。
こうして要人の間で日本というものをはっきり意識させたら、次はベースをもっと広げていく。政府の各省レベルでの交流が大きくなるように、経済交流や文化交流が活発になるように、任地国のマスコミに「日本」が頻繁に登場するように、そうすることによって任地国の国民全体が日本に好感を持ち、そのことがその国の政府や首脳に親日的な政策を取らせるように――――これも外交官の仕事だ。外交官は国と国の関係を拡大させるエンジニア、またはプロデューサ-だと言っていい。
任国で確固たる地位を築くと、第三国政府からも何か頼んでくるかもしれない。例えばソ連が崩壊した後、中央アジアでのロシアの力は大きく後退したが、それでもなけなしの軍事力、経済力を総動員して地位を維持している。だからこそ、アメリカも中央アジアではロシアに一目おいて、テロとの闘争などではロシアに話を持ちかけるのだ。外交というのは、こうした国と国の間の貸し借りの関係でもある。ロシアはその点、コストをかけずに貸しを作ることに長けた外交の老舗でもある。

日本の大使館では何をやっているのか、いないのか?

では、日本の大使館では実際にどんなことをやっているのか。二〇〇五年現在、日本は計百八十九の大使館、代表部、そしての総領事館を持ち、およそ三千二百人の公務員がここで勤務している。その中には外務省以外から派遣されてきているいわば臨時の外交官や、館内の事務だけに従事していわゆる外交的な仕事はしないスタッフも多い。総領事館って何ですかとよく聞かれるが、日本人が多数住んでいたり、その国の世論形成を左右する大きな地方都市がある場合に置かれるものだ。中央政府との交渉をする権限を持たない他は、その仕事は大使館と大差ない。そしてニューヨークでは国連、パリではOECDとユネスコ、ブラッセルではEU委員会、ジュネーブ、ウィーンではそこに置かれている国連諸機関・WTO等、モントリオールでは国際民間航空機関を相手とする日本の代表部が置かれていて、それぞれのトップは大使である。

「大使館」、Embassyというと、そのヨーロッパ風の名前からして―――もともとの発生はヨーロッパなのだから―――何かとてもエキゾチックなものと思われがちだ。だが、大使館とは役所のひとつである。それ以上でもそれ以下でもない。それはまず、外国で日本を代表する機関で、政府と政府の間の交渉を司る。政府に関係のない案件は、大使館を通ずる必要はない。何から何まで官がコントロールすることは、現在の国際交流の規模から言ってもう不可能だし、民主主義・市場経済の国であればするべきことでもない。
殆どの大使館、総領事館は政務、経済、領事、広報、文化交流、警備、会計、通信といった部、あるいは班に分かれている。大使館のうちいくつかには、防衛庁から出向した武官が働く防衛班を持っているところもある。小さな館では一人でこうした任務のいくつかを兼務しているが、仕事の多い大きな館では班毎に数人の参事官、書記官、理事官が配置されている。班長は小さな館では書記官、大きな館では公使クラスが普通だ。ついでに言っておくと、大使館での序列は大使、公使、参事官、書記官、理事官の順番になっていて、臨時職員として専門調査員、派遣員がいる。
 
政務班の仕事は館によって異なる。僕がいた在ロシア大使館では、日露二国間政治関係の交渉、ロシア内政・外交の情報収集・分析を主にやっていたが、在米大使館の政務班は日米安保条約担当に加え、米国の内外政を数人でフォローしている。日米は、北朝鮮とかイラクとかイランとかミャンマー等については単なる情勢分析を越えて政策の中味に立ち入った調整を必要とすることが多く、人手がいるのだ。彼ら参事官、書記官クラスは時差のため、本省のアジア局とか欧州局とか中近東局からの早朝の電話でたたき起こされることも珍しくない。
 「日露関係やロシアの内政・外交を担当している」と言っても、なにやら抽象的に聞こえるだろう。これはもちろん日露関係を「担当」している書記官があれやこれやの案件についての決定権を持っているという意味ではない。日露関係にかかわるあらゆる事務や連絡をこなさなければならないという意味だ。日本は連絡を重んずる社会で、連絡を怠ったがために後で「俺は聞いていない」の一言で案件を邪魔され、困り抜くことがある。
だから担当官は「ホウレンソウ」(報告、連絡、相談のこと)を大切にせよ、と言われている。上司にはうるさいと思われるくらい報告をしておかないと、あいつは何もやっていないと思われたりするし、報告さえしておけば問題が起きた時に責任を一人で背負い込まずにすむ。自分一人では解決できないと思ったら、ことがにっちもさっちもいかないようになる前に、上司や大使を担ぎ出して交渉のランクを上げるのだ。僕も若い頃、「担当」の意味を大きく取り過ぎて、上司にも関係省庁にも諮らず一人で「決定」をしてしまい、上司が収拾に走り回ったことがある。
 担当官は大使や公使や班長に同行して会談に出席し、その内容を正確に記録し本省への報告電報にまとめて館内の決済を取り、大使が相手国政府要人を訪問したり食事に招待したりする時には参考資料を作って、それを事前に説明する。予定される会談相手が国内でどういう立場にあって、どういうことを質問すれば面白い情報が取れるかということや、相手の担当分野でどういうことが日本との間で懸案になっていて今何を相手に言わなければならないか、というようなことを大使や幹部に説明するのだ。もちろん、およそのことは大使の頭の中に入っているし、幹部によっては担当官以上に事情を知っていることもあるが、備忘録代わりに説明しておくのである。
重要な案件で大使が任国の要人と会う時には、大使が何を言うかということを本省と事前に調整しておかなければならない。案件によっては大使の一言一句が重要な意味を持ち、相手国内や日本国内で大騒ぎになることがあるからだ。この調整は電話ですませる場合もあるが、責任を明確にしておくには文書、つまり公電のやりとりをする。公電にする時には決裁を取らねばならないから、限られた時間の中で書記官達が飛び回ることになる。
交渉ごとなどで東京から出張者が来る時に、担当官は空港への出迎え―――空港からの車の中で事前説明もできるし、盗聴に気をつけながらも打ち合わせができる―――、館員と出張者の会議のアレンジ、その記録、出張者と相手国政府の会談のアレンジ、それへの同席と通訳・記録取り、それを公電にして館内の決済を取り、夜遅く発電されるまで見届けなければならない。そして常日頃から自分のランクでの相手国政府官僚やその他各界の連中と会食したりして人脈を作り、また個人教師を雇ったりして外国語の能力を更に磨いていくこと等々、限りがない。
 そして情報収集とか分析はマスコミ、学者、商社などとの競争が熾烈である。昼、夜、のべつまくなしに任国の人と会っていても、重要な出来事を事前に察知できないこともある―――クーデターの企てなどになると、おいそれとしゃべってくれる者などはいない―――。せめて任国の報道ぐらいフォローしようと思っても、何しろ今述べたような忙しさだから、いくらテレビをつけ放しにし通信社のティッカーが四六時中ニュースを吐き出し続けてはいても、担当官がたまたま席にいないために出足が遅れることもある。自分がモスクワにいた時は、かなり細かいニュースまでポケベルに文字で出てくるサービスがあったのでずいぶん助かったが、これはあるロシア企業の幹部用の内部サービスを使わせてもらっていたので、この企業が当局につぶされてからは困ることになった。しかしそれでも大使館の集める情報は質量とも最高のものであるはずなのだ。

経済班の仕事は国によってまちまちだ。一昔前の在米国大使館の経済班は貿易摩擦への対応で忙殺されていたし、在ロシア大使館の経済班は、日本の外務省やその他省庁がロシアとの間で進めている、原子力潜水艦解体などの協力案件や漁業問題で忙しい。開発途上国にある日本大使館の経済班は、ODA案件を進めるだけで手一杯のところが多い。経済班には外務省以外の経済諸官庁からの出向者も多く、以前は東京での権限争いが在外に持ち込まれることも多かった。経済班の仕事はこのように実務案件が中心になるので、経済情勢のフォローは二の次になりやすい。また、IMFや世界銀行など国際金融機関との交渉も含め金融問題は、財務省が大使館とは別個に独立してやっている。

領事班は外国で暮らしていたり、外国に出かけていく日本人にもっとも関係の深いところだ。大使や総領事が相手の国とどんなにうまい駆け引きをやっても、どんなにたびたびテレビに出て任国での人気を博していても、領事班の窓口での対応が悪ければ、そこの大使や総領事の評判は直ちに地に落ちてしまう。領事は四六時中、週末にテニスをしている時もアラート態勢で、邦人の乗った観光バスが事故に会って死傷者が出たりすれば、取るものもとりあえず現場に駆けつけ、地元の官憲との折衝や大使館との連絡に当たる。地元で暮らしている日本人に子供ができれば出生登録を受付け、旅券をなくした日本人がいれば再発行をする。外国では、日本人もその外国の法律に従うのだが、日本人としての国内手続きは大使館や総領事館があたかも市役所のように受け付ける。日本に行く外国人がビザをもらうのも、この領事班である。とは言っても、外務省の在外定員は三千二百人ぐらいしかいないから、領事班も日本人は一人しかいないような大使館も多い。緊急時にはもちろん他の館員も動員するのだが、それでも手が回らない時がある。

広報、文化交流の仕事については、後でまとめて話をしたい。防衛班というのは、自衛隊の佐官クラスが書記官あるいは参事官として勤務している。これは一般に「武官」と呼ばれていて、他の大使館では軍人が勤務している。軍人というのは命を張る職業だという誇りから仲間意識も強く、殆ど連夜のごとくお互いに招待しあっては親交を深め、情報を集めている。戦前、日本の武官は大使館からの独立性を強め、ベルリンでは別個の事務所を構えて日独枢軸協定を準備したのだが、自衛隊から来ている現代の武官は他国と同じく大使館の枠内で働いている。
国際テロが盛んになるのに応じて、日本の在外公館にも警備班が置かれるようになった。他のG8の場合、在外公館の警備は軍隊がやっているが、日本の場合そのスタッフは外務省、警察、法務、防衛庁などとまちまちである。人数が少ないから、実際の警備は任国官憲にそのかなりの部分を任さざるを得ず―――公館の警備はその国の政府の義務である―――、緊急時の在留邦人との連絡態勢作り、邦人へのテロ・安全情報の流布、館内警備体制の立案や避難訓練の実施などを主任務とせざるを得ない。

会計班は大使館の財布を預かっている。大使館の会計はいくつもの通貨が入り乱れること、殆どの資金はその都度本省に稟請して送ってもらっていること、金額の小さな案件が多数あること、本省への報告事項が多いことなどから煩瑣をきわめ、目立たない割りには責任も負担も大きな仕事だ。どの国で勤務しても、週末に大使館で出くわすことが多かったのは会計の人達だ。もっとも、会計の責任は総領事や公使あるいは参事官が折半する態勢になっていて、彼らは小切手の一枚一枚、領収証の一枚一枚まで目を通さなければならない。。
通信班は本省や第三国にある日本大使館との連絡を担当している。今は少々の僻地にいても電子メールで日本とのやり取りが簡単にできるようになったが、本省との間の公式文書のやり取りは今でも「電信」とか「電報」と呼ばれていて、通信班で扱っている。高度の暗号をかけるから簡単にメールでは送れないし、集中的に管理して通し番号をつけておかないと仕事に差し支えるから、こうしている。交渉が行われてその報告電報が出来上がるのが夜中になると、通信班も夜まで残っているし、週末に突発事件が起きたりすると電信を打ったり受けたりするために大使館に呼び出される。

ここまで読まれておわかりになったように、一口に外交官と言ってもその仕事は様々で、その日常も様々である。だが政務とか経済になってくると、その幹部の日常はほぼ「読む、書く、話す、聞く、考える、会議をする、会食をする」といった言葉でくくることができるだろう。未知の国に赴任する前後には、その国の歴史から現在の政治・経済・社会情勢に至るまでそれこそ本屋の棚にある本を全部漁るような気構えで勉強する。勉強すると言っても、人数に余裕のない外務省では、欧米の外務省のように赴任前に数ヶ月もの充電・研修期間をもらうことはできない。赴任直前まで仕事、挨拶回り、送別会があり、赴任直後は歓迎会が目白押し、仕事は最初からフル回転だ。
大使館幹部ともなれば、赴任直前には任国との懸案事項や大使館の人事、会計などについて詳しい説明を受けるし、着任すると部下からまたやっている仕事の説明を受ける。そして仕事の相手となる人達や他の国の大使館で同じ仕事をしている人達を脱兎の勢いで訪問し始めるのだ。まだ馴れないうちから、日本や任国の関係者からの来訪は引きも切らないし、大使であれば現地のマスコミからインタビューしたいという要望が舞い込んでくるだろう。毎日、山のような日本の新聞、現地の新聞、外務省の公電から必要な情報を選び出して頭に入れる。そして週末ともなると、日本文化の展覧会とかコンサートがあって挨拶をしなければならない。アメリカの総領事の場合、管轄する範囲が広いから、地方の町の美術館で挨拶するために片道四、五時間もかかって結局週末の一日がつぶれてしまうことが多い。
そして日本からの来客や出張者には、それなりの世話をしなければならない。昔のソ連のような国だと、言葉のできない者が一人でホテルの朝食を取るだけでも大変だったから、担当官は朝から付き合っていたものだ。

以上が日本人スタッフのことなのだが、在外公館の場合、現地人職員という重要な存在を忘れてはならない。これは秘書とか運転手だけではなく、アドバイザーとかスピーチライターのような職まで含んでいる。二、三年で交代していく日本人の館員とは違って、現地人職員というのは長期間勤務する。二十年も大使の秘書を務めれば、緊急時の飛行機の座席の手配から地元で最も優秀な医者とのアポまで顔がきくことになる。日本人の館員が交代する時、その人脈を新任者に紹介していくのも現地人職員である。交替するとき、ならば企業と同じで、優秀な現地人を日本大使にしてしまえばいいという人が当然出てくるだろうが、国益を守ることが仕事の外交では、日本大使は日本人、アメリカ大使はアメリカ人でなければ、例えば日米の利益が相克した時に、アメリカ人がワシントンで日本大使を務め、アメリカ政府とつばぜり合いの口論をするという場面も想定しにくい。アメリカ人では、肝心の日本本国での人脈に限界があるだろう。それにいくらスーパー秘書がいいと言っても、それは日本大使の秘書だからそれだけ顔がきくのだということを忘れてはならない。
アメリカやロシアの場合、機密管理のためか現地人職員は殆ど使っていない。だからアメリカの大使館の人数はどこでも、日本の大使館の大体十倍だ。アメリカ人は殆どが英語をしゃべるから外国でも何とか暮らしていけるだろうが、日本の場合は英語をしゃべる人員を確保するだけで大変だし、そうした人達は運転や秘書の仕事はしたがらないだろう。だから、現地人職員を重用している大使館は他の国にも多い。

国によっては、大使館や総領事館に加えてJICA(国際協力機構)や国際交流基金の事務所ないしセンターが置かれているところもある。この二つの機関は以前は外務省の監督下にある特殊法人だったが、二〇〇三年には独立行政法人に衣替えした。独立という名はついたが、前者は円借款以外のODAの執行、後者は文化交流を任務とする非営利団体で、予算は外務省を通じて出ている。双方とも外交と切っても切り離せない機能を担当しているところなので、在外でも大使館との間では密接な情報交換と仕事の調整が行われている。大使にとっては、これら公的機関との間で良好な関係を保っておくことも重要な仕事となる。

「外交官」というのは永遠の職業か?

世の中に、いつまでも続くものはない。僕もこの目でソ連という超大国の崩壊をつぶさに見た。外交という機能は人間が生存する限り永遠に存在していくだろうが、今のように国内には外務省、在外には大使館があり、そこには大使や大使館員がいて国と国の関係の司祭のようにふるまっている、というあり方は、十五世紀の北イタリアで都市国家の間に常駐の外交使節が置かれるようになった時に発している。十六世紀西欧に絶対主義が成立し、権力が国王の下に一本化されるようになると、常駐施設の交換はヨーロッパ全体に広まった。その頃の国際関係は国王と国王の間の関係くらいの意味あいしかなく、大使は国王の名代として相手国宮廷の動向を探り、時には攪乱し、総じて相手国の国王に取り入るのが仕事だったが、議会の役割が高まるにつれ政府も整備されて、大使も外務省の一員、官僚としての性格を強めたのだろう。今では先進国の外交官の殆どはもはや貴族出身ではなく、試験で採用される普通の市民である。
 だから現在の外交官制度は、西欧でできた「国民国家」の装置の一つだ。それより昔は常駐の外交使節はなくて、遣隋使や遣唐使のような使節の派遣が普通だった。この頃の使節というのは命がけで、君主から預かってきた手紙を相手の君主に恭しく渡した途端、相手の顔色がみるみる変わり有無を言わさず処刑されてしまうという例も数多い。中国の元朝が鎌倉に派遣した使節は、斬首されている。
 外交の形態の一つに、漢王朝から匈奴に送られた王昭君や今川氏の下に送られた幼時の徳川家康のような縁組みや人質もあったが、近代外交が始まってからもしばらく、常駐大使は時としてつらい仕打ちにあっていたらしい。ものの本をひもとくと、十七世紀ロシアのピョートル大帝は豪放な性格で、二メートル以上に及ぶその長身で外国の大使を威圧し辱めては臣下と笑い転げていた(■)という。
 時代はそれから百年下がったアメリカ独立戦争の頃、かのワシントンが、「フランクリン君、もう二年何も報告してこないが、パリでちゃんとやっているのかね」と部下に聞いたとかいう話がある。かのフランクリンは雷の発見だけでなく、独立前夜のアメリカの代表としてフランスでの世論工作に努めていたはずなのだが、通信事情も定かでない当時としては、大使というものは鉄砲玉の如く一度手元を離れれば消えてしまうものだったのかもしれない。
 それから更に二百年たち、大使に対する本国からのコントロールもずっと強いものになったが、外交官というものの基本的な機能はあまり変わっていない。だが経済関係が一国家がコントロールできる規模を超えてしまった今日、ITが発達した今日、外交というものは少なくとも、西欧の貴族的なスタイルからアメリカ式のビジネス・ライクで官僚的なものに変わってきたとは言えるだろう。


外交官七変化

 僕が勤めていたウズベキスタンには、イスラム大学というのがあった。ここは別にイスラム教の僧侶を養成しているうところではなく、イスラム教を含めた諸宗教についての正しい知識を持った役人やジャーナリストを養成するのが目的の大学なのだが、僕はここで七十人くらいの学生を前に、「外交とは何か」というテーマで講演をしたことがある。
 「みなさん、外交官というものは、多様な能力を備えていなければなりません。外交官はまず官僚、役人ですから、うまく文書を起案しあらゆる手続きを瑕疵なく進めることができなければなりませんが、それだけでは小役人になってしまいます。外交官は国益がどこにあるか、世界がどの方向に動いているかを見定めて、国家が進んでいくべき方向を国民に、国会に、国の首脳に提案することができる能力を備えていなければなりません。
 その際日本や外国での世論の動向,諸利害の絡み合いの様子、内政の動向も踏まえなければ、何を提言しても机上の空論になってしまうので、外交官は政治的な勘も持っていなければなりません。国際情勢を正確に分析するためには、外交官はエコノミスト、軍事アナリストの能力も備えなければなりません。
現代の世界で経済は、政治と密接な関係をもって動きます。例えばEUの中央銀行が市場介入金利を0,5%引き下げた場合、それがEU域内諸国間のバランス、アメリカとの政治・経済関係にどんな影響を及ぼすかまで瞬時に見渡せる能力を皆さんは備えなければいけないのです。軍事にしても、戦闘においては例えば大砲の口径の違いが大きな意味を持つこともあり、そうした細かい事柄にオタクにならずにバランスをもって配慮できる知識が必要なのです。
 外交官は日本や任国の世論動向にいつも気をつけていなければなりません。そのために心理学、社会学を詳しく勉強する必要はないにしても、抑えるツボは心得ていなければならず、また任国の歴史や文化についての知識はいい加減なものであってはなりません。
 ああ、それに日本のオピニオン、日本のイメージをテレビなどで発信できるコミュニケーターとしての能力と人柄も磨くんですよ。文化交流をやるにしても、どんな出し物をやれば任国で最も効果が高いかを考え、その場合日本からどういう文化人にきてもらえば一番いいかを判断し、どの会場でどういうマスコミを引っ張り込んでということを演出する、そういったプロモーター的な能力も外交官は必要とされるのですぞ。つまり外交官はユニバーサルな能力を持った人間であるべきなのです」
 ここまで言ったら、最初は目を輝かせて聞いていた学生達もさすがにゲンナリとした顔をした。もちろん自分は理想論を言ったので、これだけの能力をしかも語学力も含めて一身に備えている外交官は世界でも数人しかいないだろう。どの国の外務省も、それぞれの分野に秀でた者の分業で、こうした広い範囲の仕事をこなしている。 
 よくITの時代には外交官はいらない、テレビ会議や電子メールでものごとは片づけられるとか、交通が便利になった現代では問題が起こるたびに首脳が飛んでいって首脳外交で片づければいいんだとかいうようなことが言われているが、実際にはそれは無理だ。首脳にはすべての問題についてそんなことをしている時間はないし、事前の交渉で落としどころを探らずに首脳と首脳がいきなり会ってもし喧嘩別れしたりすれば、その国との関係をもとに戻すために、よけいな譲歩をせざるを得ないことになったりする。
 電子メールは便利で、東京にいても外国の知人に電話したりメールで瞬時に交信できる。でも、だから外交官はいらないのだと言ったら、それは短略的な議論だろう。ある国の人脈を首脳から主要政治家、大臣,次官、局長、事務官、財界,学界、マスコミ、文化界に至るまで全てツボを抑えている人が日本に何人いるというのか。いたとしてもその人は、日本政府の権限あるポストに座っているというのか? そこはやはり、現地に常駐してほぼ毎日任地各界の人達と親交を積み上げている大使館、総領事館の任務だろう。それに現地にいればその国の世論、ものの考え方もよくわかり、問題が起こりそうな時には事前にキャッチしやすい。ITといっても、日本の若者が友人と携帯で四六時中連絡を取り合っているように、人脈に取って代わるというよりは、人脈をいっそう強くするのに使われる一つの手段に過ぎない。本当に必要な情報や友情は、生きた人間同士が付き合う中からしか手に入らないのだ。

 「大使」の仕事は面白いか?

外交官をやっていて一番やりがいがあったと思う瞬間は、首脳や外相の訪問などを契機に日本と任国の関係が大きく前進し、日本外交の手持ちのカードを豊かにすることができた、と実感する時だ。そこに至るまでには大使や館員による情報取り、そしてそれに基づいての日本政府への提言、懸案を解決するための任国内での根回し・広報と交渉といった労力が払われているからだ。
他方、気苦労もまた多い。特に大使になると、日本が侮られることがあってはならない、他国との競争で遅れを取ることがあってはならない、在留邦人や日本人出張者・観光客に対して粗相があってはならない、館内の人間関係、会計で問題を生じさせてはならない、という責任感が四六時中、両肩を押さえつけてくる職務でもある。そして外交官冥利に尽きる瞬間はいつもあるわけではなく、そうなると仕事は創造というより労働に近くなってくる。
特に大使になると仕事の多くは部下がやるので、セレモニーでの挨拶とか訪問客の接遇とか儀礼的な仕事が多くなってくる。日本の組織はトップ・ダウン、つまり上意下達よりもボトム・アップの原則で動くことが多い。大使館でも大使でいるより、参事官とか書記官でいる方が自分のアイデアを実現しやすいという皮肉なことが起こりがちだ。担当分野では、彼らは大使の塩「非現実的な」夢をサボタージュして、自分のアイデアを実現することもできるからだ。しかも小さな公館では、研修を終わったばかりの若手の訓練が公使とか大使の肩にかかってくるから、たまったものではない。
これではまるで、レストランのマスター、宿屋の主人、旅行代理店の支店長を一身に兼ねたようなものではないかと、自らを嘲笑することもある。それに、大使が休暇でいなくても、大使館の日々の業務には問題がない。ドイツの大使にそのことを言ったらば、彼は「そりゃね、大使というのはお互いに食事に招待し合うためにいるんだよ」と言って片目をつぶって見せた。
だが、僕がウズベキスタンで勤務していた二〇〇三年の頃、アメリカ大使が五ヵ月空席になったことがある。アメリカでは大使任命は議会の承認を得ることになっているが、悪いことに他の政争案件との取引材料にされてしまい、なかなか承認が得られなかったのだ。この間、アメリカからウズベキスタンには多数の要人がやってきて、大使館はこれをうまくさばいていた。だがこの間、アメリカが干渉したせいでグルジアのシェヴァルナゼ政権が転覆したと思い込んだウズベク政府は、それまでの対米傾斜路線を修正し、旧宗主国ロシアの懐に帰る姿勢を見せ始めたのだ。この間アメリカ大使がいれば、ウズベキスタンの上層部が対米警戒心をあれほどまでに強めることはなかっただろう。大事な時にはやはり大使が必要だ。臨時代理大使がいると言っても、首脳部に会うのは無理だ。なぜかというと、外交では国の格、威信が重要だから、相手がアメリカだからと言って、その公使クラスに首脳がおめおめ会えば、その国の格付けを自ら下げてしまうからなのだ。

華やかなる疲労―――外交官同士のつきあい

在外の仕事の中で一番大事なのは、任国政府・市民との付き合い、そして本国政府との連絡や在留邦人そして日本からの客の世話だが、第三国の外交官、つまりいわゆる「外交団」との付き合いも無視できない。外交官の質もさまざまで、明らかにコネで大使になったと思われる者もおれば、西側の新聞で読んだことを鵜呑みにして任国政府を断罪することを何とも思わないスノッブもいる。会話を突然さえぎってぜんぜん関係ないことを言い出す者もおれば、自分の国の言葉しかできない「外交官」もいる。
先進国の大使は役人だが、旧社会主義国や開発途上国の多くの大使はまったく違う論理で生きている。彼らにとっては、大使のポストはあらゆるコネを動員して苦心の末に手に入れたもので、生活と権威のすべてを左右するものなのだ。首脳がデモで倒された国の大使が青くなっていたことを思い出す。こうした連中はだから、西側の大使が交代する時にもその「政治的な背景」をあれこれと分析し、とんでもない結論を出したりする。
だが、国の評判がじわじわと形作られるのは、こうした人達の世界においてなのだ。日本がいわれのない批判を受ければ間髪をいれずに説明しておくことが必要だが、なかには自分と違う意見ははなから受け付けない者も多い。そうした者が多いと見て取ったら、それにあえて抵抗するのは逆効果で、むしろそうした連中と親しく付き合い、心象を良くしておくことが一番効果的なのだ。
外交団との付き合いこそは、外交官の仕事の中でも最もきついもののひとつだ。お互いに口論を避けようとするから、話題は当たり障りのないものになる。その退屈なことと言ったら。任国の悪口は外交官共通の悪癖なのだろうが、これも仲間の意見の受け売りだったり、その国の言葉ができないゆえの思い込みだったりして、一向に面白くない。
そうは言っても、政治は力だ。そして民主政治での力は数である。外交団のつきあいでも、親しい大使が多いほど、仕事はやりやすくなる。この点、日本は外交団においてそれほど有利な立場にはない。アメリカやヨーロッパの外交官はNATOとかEUをベースにした集まりが定期的にあって、そこで情報を交換し立場もすり合わせている。G7やG8をベースにした集まりが行われている国もあるが、それもない所では日本の外交官は「地盤」に苦しむ。G8の大使を自分ばかりが頻繁に呼び集めることも奇異な感じを与えるし、アジア諸国も欧米に傾いている日本よりは中国を好む傾向が目立ってきている。開発途上国では、主要なドナー国の大使や国際金融機関の所長を集めたフォーラムを作ることも、ひとつのやり方だろう。

華やかなる過食―――外交とは会食のことと見つけたり

外交官というのは、人脈屋のようなものでもある。任国の首脳から市民のレベルまで多数の階層を相手とし、日本についての誤解を正したり、日本の相方との交流を取り持ったりして両国関係を進めていく。そして、人脈を作る上で絶対必要なのが会食なのだ。外交官は大使から書記官に至るまで、新しい国に着任すれば相手国政府の相方、宗教界、経済界、マスコミ、文化界などの有力者を訪問し、次に食事に招待し、時には家族ぐるみつき合ったりして親交を築いていく。大使であれば、一年に二回くらいは大きなレセプションをし、週に三回くらいはどこか別のレセプションや夕食会によばれて出て行く。はしごすることも珍しくない。
こう書くと、あああのシャンデリア煌き、シャンペン・グラスの触れ合うシンデレラの世界かと思われるかもしれないが、実際は日本で毎晩無数に開かれているレセプションと変わらないし、わりと俗な面もあるのだ。どこかの国のレセプションに行ったとする。始まって三十分も経った頃、その国の大使が晴れ晴れとした顔で壇上に立ち、彼にとっていかにも一世一代という挨拶を長々と、しかも通訳つきで始める。じっと黙って杯を手に持ったまま、悪くすると十五分や二十分もそのままの姿勢で立っていると足が棒になってくる。やっと挨拶が終わったので会場を回り始めると、顔を覚えていても名前を覚えていない人に何人も行き当たる。新任早々だと、顔と名前が一致しないことが多い。ああこの人は何大臣だったっけ、どこの国の大使だったっけなどという思いを相手に気取られないようにしながら話題を搾り出す苦しさ。
ふと気がつくと、僕に挨拶したくてうずうずしているような目が横からこちらをうかがっている。ああ、これは募金集めだと職業的な勘が働くから、何気なく反対側の方へ去る。旧ソ連圏では日本大使がレセプションで誰と親しく話していたかは、誰かがじっと見ていて、記録に保存しているだろう。
レセプションというのも、華やかに見えてその実、暗礁だらけの海を航海していくような危険に満ちている。レセプションではしゃべるだけであまり食べないから、「公邸」に帰って食べることになる。僕はダイエットをしていたから、こういう時はニンジン一本とか納豆ひとつとかですませていた。単身赴任の大使が夜一人、台所でニンジンの皮をむいている姿には我ながらすさまじいものがあっただろう。
総領事とか大使になれば、立派な公邸を使うことになるし、料理人の給料も半分だけだが公費で出る。公邸が広いからメードもいる。「さぞかしいい御生活で」と何度も言われたが、こちらは気が気でない。できるだけ沢山公邸で会食をしなければ、立派な公邸を持っている意味がなくなるからだ。だから、大統領補佐官や大臣、議員クラスから始まって、外交団、実業家、文化人、学者、日本からの出張者、日本の青年海外協力隊員などを相手に、週五回くらいは公邸を使うことを目標にしていた。相手が日本の官僚や個人的な友人である場合には、費用は私費で出すのである。
任国の事情に通じた人達から秘密の情報を聞き出すにも、公邸は便利だ。特に旧ソ連圏では、相手は秘密警察に盗聴されるのを極度に恐れていて、レストランに呼んでもありきたりの話しかしない。外国大使の公邸ならば隠しマイクは除去されていると思っているので―――ということは、彼らは西側では自分達の大使館や公邸を徹底的に点検しているということだ―――わりと安心して話してくれる。苦労して会食をアレンジしても、旧ソ連圏や中近東ではドタキャン、遅刻は日常茶飯事だ。そのたびにこちらは苦心して作った着席表をあれこれ変える羽目になる。
週に三、四回もの会食を計画するのは、それだけでも大変なことだ。一人ずつよぶならそれほど頭を使うこともないが、人脈を広げるためにたくさんの人数をよぼうとすると、誰と誰は友人で誰と誰は仲が悪いからよばない方がいいとか、この人は会話を独占しがちだから別の機会によぼうとか、この人とこの人を同席させると議論が白熱して面白いのではないかとか、この人は最近任国政府からにらまれているから一人だけでよんだ方がいいだろうとか、いろいろ考えるのだ。電話をかけて誘うのは秘書がやってくれるからいいが、そうでなければ会食をアレンジするだけで外交官の時間はつぶれてしまうだろう。電話事情が悪い国が多い上に、相手がつかまらなかったり、主客の都合が悪いために相客全部に連絡し直さなければならないようなことがしょっちゅう起こるからだ。

濫用できない特権

外交官の地位は、「外交関係に関するウィーン条約」によって国際的に規定されている。その基本は、外交官の身体・財産に対して任国官憲は強制執行権を持たない、ということである(■)。これは、外交使節が任国の国王によって簡単に打ち首にされたり、脅迫されたりした古い時代の教訓に基づくもので、日本語で言う「特権」ではない。現にアメリカとか西ヨーロッパでは民主主義が徹底していて、外交官が特別扱いされることは殆どない。アメリカの地方に行けば、参事官とか総領事とか言っても、警官には何のことかわからないことが多い。その点、権威主義的な旧ソ連圏では、外交官もあたかも昔の共産党幹部のごとく「特権階級」の中に入っていて、空港のパスコントロールには今でも「外交官専用」というブースがある。もっとも今では有名無実になっていて、表示は無視されているが。
外交官は公用車を使い放題なのだろう、と皆思っているらしい。だから政治家でも役人でも学者でも、外国に来るとすぐ「大使館から車を出してもらう」ことを期待する。だが僕は総領事になるまでは、ドイツでもモスクワでもスウェーデンでも自家用車を自分で運転して人に会いに―――もちろん仕事のことで―――出かけるのが普通だった。大使館の公用車は数が少ないからだ。その自家用車はもちろん、自分の給料で買う。大使になっても、週末の私用はもちろん自家用車ですました。
外交官生活で一番面倒なのは引越しだ。若い頃はまだ未知の外国で暮らすことに胸躍らせて荷造りをしたものだが、歳をとるにつれて荷造り、荷ほどきがだんだんきつくなってくる。外務省の場合個人主義が徹底しているから、大使になっても館員が荷造りを手伝うようなことはしない。引越し会社にさせてもいいが、そうすると本やCDを一つ一つ梱包するような無駄をするので、全部をまかせることはできない。年取った大使夫妻が連日連夜の送別会や歓迎会の合間にふーふー言いながら、荷造り、荷解きをしているのだ。
外交官をやっていると、任国の友人達がいろいろなことを頼んでくる。先進国ではそのようなことは稀だが、旧社会主義国や開発途上国では日常茶飯だ。やれ、親戚の子弟を日本の国費で留学生としてよんでくれとか、やれ、地元の大学の日本語科に自分の息子を入れてくれとか、やれ、任国の(!)企業に就職口を見つけてくれとか、やれ、自分の書いた小説を日本で出版してくれとか、にぎやかなことだ。外交官をやっていて一番疲れるのはこうした頼みごとの処理、特にどうしようもない案件を断る時なのだ。特権濫用に対する罪の意識がない社会、むしろこちらが特権を濫用することを期待して寄ってくる社会で、なぜ助けられないかを説明することは本当に難しい。「助けないということは、俺はお前の友人ではないということなのだな」というのが、彼らの顔に書いてあるメッセージなのだ。
そんなこと何でもやってやれ、と言う人がいるかもしれない。だが、事はそんなに簡単ではない。日本への国費留学生は公開募集、試験、面接と厳しいプロセスを経て選ばれている。大使だからと言って、横からお偉方の子弟を押し込んだりすれば、一生懸命公平に選んでいる担当官のやる気を萎えさせたり、「そのお偉方の子弟の日本での勉強ぶりがいい加減だ、お前のところの大使館の選考は信用できないから、来年は採用人数を減らす」というお達しが東京からやってきたりする羽目になるのが落ちだ。大使のやることは館員、現地人の館員、全員がよく見ているから、大使がまず公平、廉潔でないと示しがつかない。

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