Japan and World Trends [日本語] 前外交官が世界情勢についてコメントします。主な対象地域は東アジア、中央アジア、米国、ロシアです。種々の古い思い込みは、それが不必要な紛争につながることがないよう矯正されなければなりません。このブログはそんな思いから個人として始めたもので、外部の資金は受けていません。
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河東哲夫(かわとうあきお)

少年期

昭和22年10月14日、東京生まれ。
武蔵野市の中島飛行機付属病院の瓦礫あとに作られた集合住宅育ち。住宅地の隣は米軍軍属のマンション群。
小学は野原の脇の公立でのびのびと、中学・高校は私立武蔵で水泳、ブラスバンド。

「自ら調べ自ら考える、海外に雄飛する、東西文化の融合に努める」という武蔵建学三理想などなんとも思っていなかったが、後に自ら実践。

社会学研究を志して東京大学文学部に入るも学問的アプローチを嫌い、本能的な嗅覚で教養学科国際関係論に移転。その後終生にわたる外国との関わり。

青年期

1960年代後半の学生騒動の中、社会主義に関心を持ち、「比較体制論」に手を出して卒論とする。仲間の真似で外交官試験を受け運良く通り、人生変わる。

ハーバード大学2年、モスクワ大学1年の留学。ハーバードでは1日200ページの「原書」を読まされ、以後終生にわたって勉強癖。「ソ連研究」を専門とする。
モスクワ大学ではデンマークから留学していた現在の妻をみつけ、プーシキン、チェーホフの作品研究に没頭。以前からの文学希求を満足させる。

万国遍歴と仕事

その後、外国勤務はソ連・ロシア3回、計11年、西独ボン、スウェーデン、ボストン総領事、在ロシア大使館公使、在ウズベキスタン・タジキスタン大使。
国内勤務では世界経済、情報、ベトナム、東欧、文化交流を担当。内閣出向時には、日本国内政治も勉強。

→現代の政治、経済、社会を文明史の視点も入れて、日本語、英語、ロシア語3カ国語で縦横に論ずる能力を取得。何ごとであれ歴史と他国の例を縦横に調べてから物を言う、「縦と横」の思考法。

基本的な価値観は自由、個人主義、中産階級の堅実性。

自由な立場で世界へものを言う

2004年9月、在ウズベキスタン大使の職を辞して日本政策投資銀行設備投資研究所上席主任研究員となり、評論活動への足場を確保。
中国が台頭する中、500年に及んだ白人の世界支配が終わる大変動に日本が処していくための方向を探る。

2005年、自分のブログ「Japan and World Trends」を立ち上げ、日本語、英語、ロシア語、そして現在学習中の中国語で世界の友人達に発信を開始。国と国の間における誤解や思い込みから紛争が生ずることを防ぐことを目的とする。

著作

ブレジネフ・ソ連共産党書記長全盛期、彼の死、アンドロポフからゴルバチョフへの移行期、クーデター、ソ連崩壊、エリツィン登場、議会砲撃、プーチン登場と、現代ソ連・ロシア史の節目の全てにモスクワで勤務していた、おそらく世界唯一の外交官。その知見をバックに、80年代からソ連専門家として論壇に登場。

ソ連の社会と経済につき3冊の著作(「ソ連社会は変わるか」、「ソ連の試練」〔右2冊はいずれも嵯峨冽の筆名でサイマル出版会より〕、「ロシアにかける橋」〔本名、サイマル出版会〕)を刊行。
その後2002年、「現代のドクトル・ジバゴ」とロシアのマスコミに評された、ソ連崩壊をバックにロシア人の運命を描いた大河小説「遙かなる大地」(熊野洋の筆名。ヴァグリウス社と草思社)をロシアと日本で出版、二葉亭四迷以来のロシア文学への借りを少しは返す。

2004年、「意味の解体する世界へ」(草思社)を出版。ロシア、アメリカ、西欧、ウズベキスタンでの生活寸景を随筆風に描きつつ、19世紀にできた「国民国家」が経済のグローバル化、移民の波に解体しつつある中、教養やリベラリズム等、これまで日本人が求めてきた価値観も崩壊の危機にあることを説く。

2005年、「外交官の仕事」(草思社)を出版。外交官の仕事が社会の目には見えないものになっていることから、一面的な批判、暴露が通りやすくなっている現状を正そうとしたもの。また、世界がダイナミックに変化していく中で、日本外交にもより主体的、より創造的なアプローチが求められていることも指摘。