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世界はこう変わる

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2007年02月17日

知られざる世界の一大中心ーヴァチカン

ヴァチカンは言うまでもなく、カトリック教会総本山のことです。
西ローマ帝国が一応滅んだ時、その行政機構と文化はカトリック教会にそのかなりが引き継がれました。西ローマと現在の西欧は、だから完全に断絶していないどころか、教会とローマ法という二つの大きな背骨を共有しているのだと思います。
さてそのヴァチカンに私の友人が大使として着任し、私信を送ってきたのですが、それがヴァチカンというものの今日的重要性をよく説明しているものと思いますので、彼の許しを得て以下のように掲載することとします。                                              河東哲夫


                 ヴァチカンに着任して                                            上野景文

早いもので、ローマ法王ベネディクト16世に信任状を捧呈して3ヶ月近くが経ちました。この3ヶ月の間に、バチカンは「多様な顔」を持ち、仲々奥が深いというか懐深い処のようだと感じ始めているところです。以下、その観点から、ご報告します。

 信任状捧呈のあと、約15分間法王と2人っきりで会見をしました。その際、法王より「朝鮮半島の非核化のために引き続き日本がイニシアチブをとることを期待します。」との発言がありましたが、驚いたのは、翌日になると、欧州、中南米、北米、アジア等世界中のメディアがその点を取り上げたことです。この体験を通じて、「法王(バチカン)の発信力」のすごさを実感しました。この「法王の発信力」を十分念頭におきながら、バチカンとの付き合い方を考えてゆく必要がある、と感じた次第です。

 ところで、かねてより私は、日本のような多神教的風土と、欧米のような一神教的風土との間の、本質的な違いに着目しなければ、本当の意味の相互理解は進まないと考え、時折論考を発表、昨秋には「現代日本文明論(神を呑み込んだカミガミの物語)」(第三企画)を上梓しました。しかし、この1-2ヶ月について云えば、私の時間は殆んど「外交問題」にとられてしまっており、「宗教対話」は後回しになっております。

 そもそも論になりますが、法王(庁)には、「カトリック教会の総本山」としての「顔」と、(宗教問題以外の)国際問題、すなわち、平和、人権、貧困、環境などの問題につき目を光らせる「国際的なお目付役」としての「顔」との、2つの「顔」があります。

 日本の大使にとって大切なのは、後者の「顔」の方です。バチカン(法王庁)は、一応国家ということになっていますが、国民もいなければ、軍隊もない。会社もなければ、産業もない。勿論資源もありません。ですから、宗教上の事項を別とすれば、日本、フランス、韓国といった「国民国家」につきものの「国益」というものがありません。つまり、法王は、「国益」にしばられず、大所高所に立って、国際問題につき発言できる立場にあります。法王庁関係者は、そのような法王の立場を「道徳的権威(moral authority)」と呼んでいますが、私なりに意訳すれば、「国際社会の黄門様」ということになります。この正月に法王は私共大使をバチカン宮殿に集めて、「外交演説」をしましたが、中東、アフリカ、スリランカ、バルカン等における紛争の終結から、貧困問題、開発問題、貿易問題、移民問題、弱者保護問題、更には温暖化問題に至るまで、何と40余の国際問題につき、改善・解決を訴えました。

 更に、組織面から見ても、法王庁は、各国出身者の寄せ集めですから、「国家」というより「国際機関」と表現した方が、実態をズバリ表わすことになります。法王はさしずめ国際機関の事務総長です。某国大使の言葉を借りれば、法王は世界でも屈指の「コミュニケーター」であり、「オピニオン・メーカー」ということです。

 更に付け加えれば、11億人のカトリック教徒、世界中に拡がるカトリック組織からあがってくる情報の質の高さも、バチカンの特色と云われています。

 以上述べたところからお気づきと思いますが、バチカンに駐在する外交官は、経済交渉もなければ、邦人保護の話もないということもあり、各国とも、世界で最も規模の小さな大使館を置いています。ところが、来ている大使は、元首相(ポーランド)がいたり、大統領のアミーゴ(米国、イラン)がいたり、高名な学者(セルビア、クロアチア)がいるなど、仲々の「役者」がそろっており、かれらとの付き合いを深めることも、味わい深いようです。

 最後に、日本の国内で関心を喚起しそうな話題を紹介しておきましょう。まず、滋賀県安土町関係者が、400年以上前に織田信長が法王に贈った安土城の全貌を描いた屏風を探すべく、目下当地で奮闘しています。もし探り当てることが出来たら、快挙(ヒット)と云えるでしょう。それから、法王が(江戸時代初期に処刑された)何と188人もの殉教者を顕彰(正式には「列福」という)する方向で決意を固めつつあるようです。188人の中には、遠藤周作の「王国への道」に登場するペドロ岐部、天正の使節としてローマに派遣された四少年の一人である中浦ジュリアンも入っています。「福者」に列せられると、次には「聖者」ないし「聖人」(セイント)に列せられる可能性が生まれますから、「すごい話」なのです。歴史好きの人達の心を虜にすること必定のトピックですが、これらについては別の機会にお話しましょう。

    (2007.02.07記)

コメント

投稿者: 勝又 俊介 | 2007年02月18日 13:25

バチカンに赴任された上野様の文章、大変興味深く拝見させていただきました。
大使館の規模などには関係なく、そこに赴任される方々の「志」や「アンテナ」によって、仕事はいくらでも広がり、そして、国際社会へと与えるインパクトも大きくなっていくのだろうと思います。経済交渉や邦人保護の話がなかったとしても、バチカンにおいては、それ以外の部分で、より一層シビアなお役目が山積していらっしゃることでしょうし。
安土城の屏風の話、まさに歴史のロマンですね。織田信長をはじめ、こうした時代に生きた人々は、海の向こうの事情など、現代に比べたら何万分の一、何十万分の一の情報量しかなかったはずですが、そのわずかな情報を「読み込む力」は、現代の我々の何万倍、何十万倍もあったかもしれませんね。
「海の向こうの情報」がこれだけ溢れていながらも、それらの情報を自分のなかでしっかりと噛み砕けているかどうか、自省の念にかられます。

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