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世界はこう変わる

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2007年10月29日

ロシア諜報機関の内紛? 2

10月17日 モスクワでのサッカー試合でロシアは英国に勝ち、その瞬間要人ボックスではズプコフ首相とイワノフ第一副首相(双方とも大統領候補として張り合っているはずなのだが)がひしと抱き合ったという。街は一晩中大騒ぎ。警官も青年達と一緒になって騒いでいたらしい。
91年ソ連が崩壊して以来、屈辱の16年を過ごしてきたロシア。優秀なサッカー選手も海外に流出していたのが、今回何と強豪英国に勝ったのだ。スパイ事件でずっと対立してきた、あの小憎い英国に。気持ちはわかる。

だが石油ブームで表面的には繁栄し、来年3月の大統領選に向け当局のシナリオ通りにものごとが粛々と動いているかに見えるロシアでは、今2つの不安定要因が頭をもたげている。一つは高まるインフレ、そして経常黒字の減少と対外借り入れへの依存度増加、政治面ではこれから述べる諜報機関内部に伝えられる内紛だ。
 
後者については既に10月15日付け「ロシア政局にも乱れ――諜報機関の仲間争い」として書いたのだが、その後報道で明らかになったことを書いておく。いずれにしても、大統領権力移行を前に、これまでプーチン大統領の権力基盤だった「チェキスト」の間で勢力争いが起きていることは確かで、これもズプコフ首相が突然登場したことの背景にあったのかもしれない。


1.「アンドロポフ・チルドレン」であるプーチン政権(07,10 RFE・RL   Brian Whitmore)
○アンドロポフと言えば、1982年ブレジネフの死後、84年2月までの短期間、共産党書記長を務めたKGBの親玉だ。アンドロポフはすっかりたがの緩んだソ連の社会規律を締めなおそうとした。昼間仕事をさぼって映画でも見ていると突然電気がついて警察が乗り込み、身分証明書を調べて、さぼっている者の勤務先に通報をしたのだ。惜しくも腎臓病などで死去したが、そのまま統治を続けていれば、ソ連は今でも存在していただろう。
そして現在のプーチン政権の主要な人物たちは、まさにアンドロポフがKGB議長をしていた70年代にKGBに入ったのである。彼らは、中国の道をめざす。つまり共産党権力を維持したまま、三権分立も認めない。西側には自己の立場を強く主張するのだ。

○だからプーチン大統領は00年、就任早々の頃、アンドロポフの自宅があったモスクワの建物の壁に「ここにアンドロポフ書記長が住んでいた」ということを記念する銅版を張り付けさせた。かつて撤去されていたのを復活したのだそうだ。
そして04年6月にはサンクト・ペテルブルク近郊のペトロザヴォツクにアンドロポフの銅像を作った。生誕90周年ということで。

2.なぜ「チェキスト」(諜報関係者・出身者)が争っているのか?
○ところがそのアンドロポフ・チルドレンたちは、来年3月の大統領選を前にしてプーチンの抑えが弱くなると、内紛を始めたようだ。このブログで既に書いたように、10月2日、国家保安庁(FSB)は9月に新設された捜査委員会とともに、連邦麻薬取引監視庁のBulbov部長(諜報出身で少将の肩書き)が出張から帰ってきたところを、その3人の部下とともにモスクワのドモジェドヴォ空港で逮捕した。The Moscow Timesによれば、もう少しで撃ちあいになるところだったらしい。

○連邦麻薬取引監視庁(FSKN)は03年に設立された。当時、国税庁から人員、機材を取り上げ、今では4万人の職員がいるというからはんぱじゃない。FSKNは麻薬取引だけでなく、経済犯罪全般を見ていた。
いやそれ以上の任務は、KGBの後身FSB等を監視することだったらしい。06年春、Tri kita事件(Tri Kitaという家具チェーンやFSBの倉庫を使って、中国から密輸入が行われたという件)でFSB幹部数名が摘発されたことは、FSKNの「業績」だったらしい。
そして、テレビなどに出たがるので有名だったウスチノフ検事総長が06年夏、突然更迭され法相という無害のポストに鞍替えになったのも、FSKNの仕業らしい。なんでも、ウスチノフがセーチン大統領府副長官に(因みに二人の子供は夫婦だ)「自分がプーチンの後継者になるんだ」と言ったのを盗聴し、プーチン大統領に報告したとか。

○すっかりFSKNとその長チェルケーソフに鼻を明かされたFSBとその長パトルシェフは、仲の良いセーチン副長官、ヴィクトル・イワノフ大統領府副長官等と組んで、チェルケーソフへのリベンジを始めた。
8月にサンクト・ペテルブルクの暴力団タンボフ一家の長Barsukovが突然逮捕されたことは既にこのブログで書いたが、港湾、パイプライン利権を握っていたこのバルスコフという人物は、Viktor Zolotov大統領警護局長と以前から親しいらしく(事実だとすればもう「三文オペラ」の世界で)、この警護局長はチェルケソフ系人脈であると報じられている。
9月初めには、聞きなれない「捜査委員会」なるものが設立され、チェルケーソフに近かった検察はその捜査・告発権限を奪われた。そしてその捜査委員会の長になったBastrykinはパトルシェフのFSBと組み、チェルケーソフの右腕Bulbovを逮捕したのだ(と報道記事は言っている)。

○チェルケーソフは旗色が悪くなっていた。だから異例のことに、彼は新聞「コメルサント」に内紛を暴露し、「チェキストは争ってはならない。このような争いでは、誰も勝者になれないだろう」と書いたのだ。
それがまた異例なことに、今度はプーチン大統領が10月19日付けの「コメルサント」に談話を載せ、「汚い下着は公衆の面前で干すものではない。内紛があると言うのなら、その本人は身奇麗でなければならない。内紛などないし、チェルケーソフの公開書簡も読んでいない」と述べたのだ。

○Bulbov逮捕の1週間後の8日、プーチンはFSBを視察した。これでプーチンがFSBの肩を持ったかというとそうでもないらしい。10月20日には大統領令で、「国家非合法薬物撲滅委員会」なるものが突然作られ、チェルケーソフが長に任命されたのだ。
メディアは、「プーチン大統領はチェルケーソフ、パトルシェフの両勢力を張り合わせておくことを望む。一方だけになってしまうと、プーチンはそれに依存してしまうから」と論評している。
だが、この「国家非合法薬物撲滅委員会」なるもの、それでもどうも素性がわからない。大体チェルケーソフの連邦麻薬取引監視庁は存続しているのか、チェルケーソフはまだ後者の長なのかどうかもわからない。「国家非合法薬物撲滅委員会」なるものはこれまで地方毎にあり、知事の下に2ヶ月に1度は担当者達が集まっていたそうで、チェルケーソフはこれを「調整」することになる。だが、この委員会が大統領直属なのか、事務所がどこにあるのか、誰も知らないのだ。

○10月29日には、外国人向け英字紙「The Moscow Times」にStaff Writer、Francesca Mereuなる女性が(本当にいるのかね、この人)、この件につき非常に詳しい「取材」の結果を報じている。これも異例のことで、もしかすれば当局側が煙幕を張っているのかもしれない。これによれば、今回の事件は二つの諜報機関の間の「ビジネス上の縄張り争い」に過ぎなかった、ということにされている。
つまりパトルシェフ・グループもチェルケソフ・グループもそれぞれが縄張りにしている税関があって、そこを自分の息のかかった商社が中国製品を積んで通るときには無関税扱いとし、あとでキックバックをもらっている、大体Bulbovがドモジェドヴォ空港で逮捕される数日前には彼の自宅をFSBが家宅捜索しようとして、警護のFSKNの係官と数時間「撃ち合った」ということらしいから、本当だったら穏やかではない。映画みたいだ。

○「チェキスト」は国を思う気持ちでは一致していても、最近めっきり権力を増大させ現業部門を統括するようになったため、どうしても利害が対立することがあるのだそうだ。どうも、どこかの国の省庁間対立を思い出してしまう。
報道では、セーチン大統領府副長官(ロス・ネフチ石油公社を兼務)とヤクーニン鉄道公社会長は、石油を鉄道、パイプラインのいずれで運ぶかについて争っていることになっているのだが、そのセーチンと争っているはずのチェルケーソフはこれまでトランスネフチ(パイプラインを統括する会社)社長を務めていたワインストックと利害を通じて結ばれていたというのだから、頭がこんがらかってしまう。

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