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世界文明

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2017年8月26日

パラダイムの変化1 「自由・民主主義」、「経済発展・進歩」、「日米同盟」は賞味期限?

(これは、23日「まぐまぐ」社から発行したメルマガ「文明の万華鏡」の冒頭です。全文にご関心の向きは、http://www.japan-world-trends.com/ja/subscribe.phpで購読の手続きをお願いします)

先号でも書いたが、近代の主流であった価値観の数々は、今虫干しが必要になっている。「自由」とか「民主主義」という言葉が何の反省もなく金科玉条のように用いられているが、故事来歴を知るべきだ。

これまで欧米諸国は、自分達(つまり白人のことなのだが)しか自由と民主主義を実現していないと思い込み、他の諸国を上から目線で見てきたが、彼らの自由と民主主義を支えた17世紀以来の経済成長は、アイルランドやアジア・アフリカ諸民族を搾取して実現されたものである上、大衆にまで自由と民主主義が浸透していたとは到底言えないのである。

そして今、欧米社会の自由と民主主義は虫食い状態、後退の兆しを示している。米国は「イラクには大量破壊兵器がある」と嘘を言って武力侵攻し、「民主主義を中東に広める」のだとうそぶいたが、現地ではイラク人住民に対する残酷な拷問を展開する等、米国社会の劣化を見せつけたし(いや、リンチの伝統は連綿としてあるのだが)、中東には民主主義の代わりに大混乱が広がって、数百万人規模の難民が生じた。そしてこれら難民はEU諸国に乱入して、現地社会と激しい対立を起こし、自由と民主主義という美しい言葉は結局、一部の恵まれた者達のものでしかないことを証明したのである。

そして米国では今、トランプがプア・ホワイト(興味深いのは、かつて英国に搾取されて米国に移住してきたアイルランド系の人達の末裔が多いことだ)優遇の発言を繰り返すことで、「自由」と「民主主義」の息の根を止めようとしている。自由と民主主義は欧米白人、しかもその一部の恵まれた者だけが奉ずる宗教のようなもので、他の人種には合わず、時代の流れとともに消え去っていくのだろうか?

そうではないと、僕は思う。もともと人間の多くは自由を欲する。権力には従順だと言われているロシア人も、権力以外の者に「お前は何々だから駄目なのだ。もっとこうすればいいだろう」と上から目線で言われるとものすごく怒る――まあ当たり前だが。黒沢明の「七人の侍」は、戦国時代の荒れた世情の中、村が総出で自分の権利、治安を守る話だ。ゲルマン系の白人になってくると、自由への志向は非常に強く、ローマ帝国の軍は野蛮でも果敢なゲリラ戦を展開するゲルマン人のために師団を全滅させられたりしている。タキトゥスの「ゲルマーニア」によれば、ゲルマン人の集落は合議制で、女性の地位も高かったというし、中世初期に英国を占領、支配するようになったノルマン人(ヴァイキングの末裔)は、王と臣下の関係が仲間のようだったと伝えられる。

民主主義も同じこと。権威主義の権化のような中央アジア・中近東地域でも、地域全体にわたる重要なことがらは、まるで議会のような長老会議によって決せられてきた。貴族が寄生・支配していたロシアの村も、侍が寄生・支配していた江戸時代の日本の村も、村の内部のことは村の寄り合いで決めていた。平等性が強く、少数者の意見が尊重されたのである。

今、欧米の白人が上から目線で言う「自由」と「民主主義」は、これら自然発生的なものに人為的な化粧を施している。17世紀西欧で経済成長が進行した結果、それなりの所得を持ち、国の中の資源配分=政策に対して意見を表明したがる者の数が増えてくると、自由と民主主義は彼らの掲げる旗印となり、思想的にも洗練されていく。「自由」は英国のジョン・ロックが定式化したし(米国憲法制定の際には、彼の名前が頻繁に言及された)、民主主義は制度としては英国議会が200年程すったもんだして今の形を醸成し(その間、与野党は国王も巻き込んで利権闘争に泥仕合を繰り広げるなど、いろいろあった)、思想としてはジェレミー・ベンサムの「最大多数の最大幸福」とか、ジャン・ジャック・ルソーの社会契約論とか、シャルル・ド・モンテスキューの三権分立論などによって理屈づけられ、飾り立てられてきたのである。

重要なことは、これらの理念が欧米を発展させたと言うより、欧米の経済成長と社会の深化が、これらの理念を必要なものとしたのであって、欧米白人が思い込んでいるように、「優れた理念を発明したから、欧米は発展した」のではない、ということである。そして19世紀の産業革命深化で中産階級なるものが生じてくると、彼らも選挙での一票を与えられ、自由と民主主義の共同体の一員だと言い渡されたのである。

中産階級も、生活が良い間は、「自由と民主主義」を支持してきた。しかし現在のような「産業革命逆回り」、つまり工業が海外に流出し、中産階級が縮小してくる時代には、「自由と民主主義」どころではなくなり、もう少しましな職と、「強い指導者が、国内の悪者、海外の悪い国家を退治する」ことを、求めるようになる

日本は、明治維新の結果、文明開化、富国強兵の一環として自由、民主主義の思想を輸入し、敗戦後、米国流のやり方でそれを一層強化したのだが、本来の日本人の思考形式にはそぐわない。日本人は個人としてより、集まりの中で生きる人達だから、その意味では非常に民主的なのだが、それは英米の民主主義とは違う。後者の方は、異質な者の間で、論戦の末採決をとり、多数を取った者がすべてを取る。日本人は、コンセンサスを形成しようとする。

一方、「だから日本人は白人とは違うのだ。自由、民主主義のようなバタ臭いやり方は捨てろ、本来の国体に戻れ」という人達がいるが、それは僕には理解できない。というのは、世界のどの国にも「本来の国体」などはなく、国家の在り方は歴史とともに変化していくのが実体だからだ。日本も、平安時代の貴族支配か、それ以後の武家支配か、明治維新、忘れられていた天皇を突然担ぎ出し、薩摩・長州による権力奪取の隠れ蓑とするとか、その天皇の権威を独占して強権政治を敷いた軍部とか、どのことを「国体」と言うのか?

そんな、過去の思想と言うか、過去の情緒を重箱の隅を掘じくるようにして、ああでもない、こうでもないと言い争いをしているよりは、現代の日本社会はどうなっているのか、日本人は何を望んでいるのかを丹念に調査して、それに見合った制度、思想を作っていけばいいではないか。

僕は自分がそうだから言うのだが、多くの人間は自由でありたいと思っていると思う。そして自分の知らないところで増減税が決められたり、領土問題の処理が決められたり、そういうことでは困る。つまり民主的な統治をしてもらいたい。だから、自由と民主主義が欧米諸国でどれだけ色あせてこようが――その主因は経済運営がうまくいっていないからなのだが――、日本が旗を下す必要は毛頭ない。自分のために、自由と民主主義の旗を立てる。「旗を立てる」と言うと、いい気になってやり過ぎる人がいるから、旗ではなく、シャツにワッペンを縫い付けておくくらいの感覚でやっていく。
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