Japan and World Trends [日本語] 日本では自分だけの殻にこもっているのが、一番心地いい。これが個人主義だと、我々は思っています。でも、日本には皆で議論するべきことがまだ沢山あります。そして日本、アジアの将来を、世界中の人々と話し合っていかなければなりません。このブログは、日本語、英語、中国語、ロシア語でディベートができる、世界で唯一のサイトです。世界中のオピニオン・メーカー達との議論をお楽しみください。
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世界はこう変わる

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2009年11月25日

今に日本にもやってくる?大インフレ――1992年ロシアの場合

これまで僕は、1991年のソ連の崩壊、その後のロシアの大混乱など対岸の火事だ、日本経済はロシアなどのはるか先を行くのだからと思っていたが、そろそろ「冷戦の最大の敗者はソ連と日本だ」(両方とも欧米とは異質で、日本も実は社会主義的だからということ)という、20年前欧米でささやかれていた予言が現実のものになってくる気配がする。

一つの社会は、新しい富を作りだすのをやめ、これまで貯めた富を奪い合うことに終始し始めた途端、崩壊を始める。ソ連はずっと以前から奪い合いに徹していたので、あっという間に崩壊したが、日本は冷戦終結で欧米から特別扱いされなくなってからも20年間も食いつないできた。

だが、国債発行高が国民の貯蓄額に追いつくと、あとはインフレへの道が待っているのみ。そしてハイパー・インフレがどんなに惨めで怖いものか、それは実際に味わってみないとわからない。
僕はたまたまソ連崩壊直後のロシアで数年暮らしていたので、その時の観察を元にして書いた小説(ロシア文学)「遥かなる大地」(熊野洋のペンネーム。草思社刊)から、その惨状を描いた部分をいくつか抜粋していきたい。「イリヤー」というのはこの小説の主人公。ソ連時代末期、民営の新聞を創始した男。自由な社会を渇望し、最後は国民的詩人になって殺される。

ーーー
冬のある日ふと気がつけば,イリヤー の新聞「新しい時代」の金庫はからっぽになっていた。一年間の講読契約の前払い金など,インフレであっという間に紙屑となり,これから一年ただで新聞を届けなければならない羽目に。製紙会社,印刷会社,郵便局は,日に何度もイリヤーに電話をしては,支払いを迫る。

 「何,金がないだと? そんなことは,こちらも同じ。飯の食い上げだ。お前と俺とは長い間やってきたが,もうきれいごとは言ってられない。金,金だ。金がないなら,乞食をしてでも集めてくるんだ!」
カネ この,有無を言わさぬ重い響き。マルクシズムも,偉大な祖国も,ルネッサンスも吹っ飛んで,今や主義も思想もへったくれもなく,ただただ「カネ」の一言ばかり。石油とガスと戦車だけで職場をつくり出し,国民にはろくでもない品物を買えるだけの僅かな現金を与えて,国じゅうの資材,資源は官僚が分けてきたこの社会。一つの寮みたいだった,この社会。お偉方にへつらえば,別荘も自動車も手に入ったこの社会。そこに突然,いつからか,どこからか,現金がわきだして,俺たちの頭,俺たちの心をしびれさせる。

 いったい,カネとは何だ! 今や物は店にあふれ,ベンツもソニーも今日すぐにでも買えるはず。ところが,俺たちにはカネがない! 世の中はがらりと変わり,お偉方は全然違う顔ぶれで,国民は誰に何をどうやって頼んだらいいかわからない。何でも自由だと言われるばかりで,どこでどうやってカネを手に入れたらいいかわからない。自由のために,豊かになるために改革をしたのに,このザマだ。カネは自由だ。自由はカネだ。カネは共産主義社会をたたき壊す。だがまるで,深い森に迷いこんだよう。自由なのに,俺たちにはカネがない。俺の社にもカネがない。ふん,ルネッサンスもへったくれもありゃしない。カネだ。考えていてもしかたない。カネが自由のあかしなら,かき集めてやるぜ。

 かくて,社長のイリヤーは慣れない金策に走り回る。つてを頼って新興銀行,探偵会社,そして怪しげな結婚相談所,頭を下げては広告取りの毎日。ある日ふとイリヤーは,思い立つ。そうだ,アメリカ大使館のジョー,イタリア大使館のジョバンニ,皆以前,この俺から「情報」をうやうやしく聞きだしたあの連中に,アメリカ特集,イタリア特集を持ちかけるんだ。三千ドルももらえれば,一日分の発行料は浮くだろう。
 だが,どこへ行っても,イリヤーは冷たいあしらいを食う。まるで乞食に出会ったように,「え,うちから金を? とんでもない。そんな金があったらば,テレビ・コマーシャルの方がはるかにましさ」,「イリューシャ,すまないが来るのが少し遅かった。わが国の特集は,もうイズヴェスチヤの方で準備中」
 イリヤーの中古のジグリは毎日,水の混じったガソリンにむせながら,喧騒の街モスクワを行く。この一年,成り金や役人がBMW,ヴォルヴォ,ベンツ,トヨタにフォードのリムジンをやたら手に入れ,モスクワの道路は無法地帯になったかのよう。マフィアの情婦が細身の煙草片手に,白いスポ ツカ を飛ばしていくかと思えば,駆け出しのチンピラが慣れぬハンドルに死に物狂いでしがみつき,みすぼらしいジグリで神風運転。信号が赤になっても,みなわれ先に交差点へと突っこむ。
今ここで進んでおかなきゃ,
他の奴らに割りこまれるだけ,横から目を血走らせ,警笛鳴らして突っこんできたとて,ふん,動いてやるものか。今の世じゃ,一歩でも先に進んでおくことが,生き残る術なのさ 、というわけだった。交差点からあふれ出る車は洪水のよう,歩道を我が物顔に流れていく。

 だが,チャンスは混乱の中にあり。自由の美酒を味わった獣たちは,乱痴気騒ぎをくり広げる。猛り狂う牛たちは,いつにもまして角突きあわせ,そこらじゅう嗅ぎまわる豚どもは,四つ足突きだし転げまわって自分の汚物に全身まみれ,鶏までが身のほど忘れ,空にむかって雄々しく羽ばたく。
 「コケコッコウ。俺でも,空を飛べるんだ。誰に劣ることがあるものか!」
ああイリヤー,こんなザマなら,その昔,北風に路面を雪が低くはう,サド-ヴォエ環状線を,ジ-プ,トラック,そしてタイヤの減ったヴォルガだけが,滑りながら走ってた,あの「停滞の時代」がなつかしい。モスクワ・・・おまえは何と変わったことか。

モスクワよ,モスクワよ。そこではかつて,
    わが青春の喜びと苦みを,燃える心で抱きしめたもの。
    そこではかつて,海原の嵐のごとく,わが情熱が波うったもの。
    モスクワよ,おまえは揺りかご。わが追憶と,愛と野望の。
    ああ,今となっては萎れた想い,実らずについえた野望も幾多。
     モスクワよ,おまえと俺は別れてから久しいが,
    俺はおまえの落とし子さ ああ,懐かしきわがモスクワよ!
                     (イヴァン・コズロフ 一八三〇年)

モスクワ―― 昔ならあまたの教会の尖塔が金色に輝く信仰の街が,今ではあまたのキオスクが泥だらけの歩道に金色に輝く,ビジネスの街,カネの街と化す。キオスクで売るものは,酒に煙草に化粧品,靴に時計に毛皮のコ ト,そしてポルノのビデオまで。それに裏にまわれば,ひそひそ声で麻薬も売るのさ。
金属製のキオスクのなかでは,世をすねた目を光らせる若者が革ジャンパ の背中を丸め,東洋の歌舞伎とやらの隈取りに似たアイシャド ,サクランボのような口紅つけた女どもが仏頂面をのぞかせて,キオスクにぶら下がるスピーカーからは,エキゾチックなメロディーが自棄になったかのように,荒れた巷に流れ出る。おいここは,アラブ,それともギリシアかね? 路上では,キュー バから石油の代わりに手にいれたバナナが山と積まれ,埃の中の人ごみは,ベドウィンやラクダこそいないけど,まるでアラブのバザール。

「信用」という言葉なぞ糞と同じ,だました方が勝ちの世界。
 新人類,いや,新種のケダモノがモスクワを闊歩する。こいつらは,何から何までひっくり返った世の中で,親からも社会からも構われず,歴史のなかで使い捨てられていく,「失われた世代」。主義や権威,大人の社会に唾はきかけて,信ずるものは,金にセックス,BMW,憧れの職業は,「ビジネスマン」に売春婦。車に乗れば,開け放した窓からロックをがんがん響かせながら,ガムを噛み々々,となりの外車をのぞきこむ。動物のような鈍い目に,無遠慮な好奇心をのぞかせながら。

 ある日,中古のジグリが故障して,イリヤーが地下鉄に乗れば,泥とゴミの散らばった,コンクリ-トの通路には,グミリョ-フ,ブロツキ-のこれまでの発禁本,そしてポルノの「スピドインフォ」が一緒くたに山積みされて,そのわきでは,戦闘機作りのエンジニアくずれとおぼしき中年男が,日曜大工の本を売る。そのとなりには,疲れた顔の女が乳房にすいつく赤ん坊二人をかかえてたたずみ,そのまたわきでは,片足の父親が弾くアコ-デオンに合わせ,きれいな娘が天使のように澄んだ声で歌をうたう。野獣のようなすさまじい顔をした若者二人が,「金,買います」と書きなぐった紙をかかげ,通路にすわってサンドイッチにかぶりつく。
 地下道の商売も,一平米で,月何千ル-ブルの免許制。ほら,そこで,小さなイコンにろうそくを供え,教会への寄進を求める老婆は,買い物袋や,キャンデ-や,亡き夫のものとおぼしい長靴を売る老婆は,ちゃんと免許をもらっているのか? だがそのわきを警官が,誰にともなくつぶやいて通りすぎていく。
 「ばあちゃんは,パクれない。母親を,ロシアをパクるわけにはいかんじゃないか」
地下鉄のなかでは,労務者風の男がイリヤーに,すれ違いざま憎悪の目,ドスのきいた声を浴びせる。
 「くたばれ,この,ブルジョア野郎め」

ただ背広を着ているだけで,この憎悪。革命時代じゃあるまいし。この俺が,他ならぬこの俺がブルジョアだと。いや,こいつから見れば,俺などヒッピーを装っただけ,悪質なブルジョアそのものかもしれん。レーニンは昔,言った。「ブルジョアこそが全ての悪の根源だ」。そこで,奴らはブルジョアどもをたたき殺し,皆で一緒に貧しくなってみた。だが,しばらくたって見てみりゃ,党がそのブルジョアになってるじゃないか! すわとばかりに,共産党をたたいてみたが,暮らしは悪くなるばかり。そこで,奴らは叫びだす。悪いのは,いったい誰だ! どこのどいつが,くすねているのだ!

 奴らには,自由などどうでもいい。俺にとっては,何よりも欲しい。何よりも,自由が欲しい。だが奴らには,資本主義でも社会主義でもどうでもいい。ただ,パンが欲しいんだ。そして,この世にあるもの全てをわれ先にと奪いあい,優れたもの,美しいもの全てを,自分の水準にまで引き下げねば,気がすまない。おい,どうしたらいい。どうしたらいいんだ! どうして,こんなに(ヨーロッパと)違うんだ! 

 無限の暗い闇のなか,轟音発して突き進む地下鉄の窓の自分を見ながら,イリヤーは考える。金策のこと,リューバ(妻)のこと,オーロラ(愛人、KGBのスパイ)のこと,ユーリヤ(娘)と孫のこと。「あなたは,私たちの仲間ではありません!」 あのプラハの夜の集会で,付き添いのヤンがイリヤーに放った,つき刺さるような言葉がなぜか脳裏によみがえる。「あなたは,私たちの仲間ではありません!」
仲間ではありません,か。俺が,俺たちがこんなにがんばってるのに。自由になろうとして,他人も自由にしてやろうとして,人間らしい暮らしをしようとして。それなのに,おお,ロシア! 俺たちは,ヨーロッパには受け入れてもらえないのか。仲間だと思ってもらえないのか。ルネッサンス,ルネッサンスの本家,文明と自由の本家に。地下道が明るく輝き,香水,靴,洋服のブティックがしゃれた姿をならべる,あの憧れの地に。
 だが待て,イリヤ 。雪の降る街角で,イェゴール伯父に寄りそって,革命記念日の戦車が進んでいくのを見ていた小さい頃。あの時の,胸の高鳴り,高揚を,おまえは覚えているだろう。そして夏,パトカーの先導で,粗末なバスを連ねては林間学校に行った時。あの時の幸せを,おまえは覚えているだろう。社会の胸にしっかり抱かれているんだという,あの気持ちを。
 そうだ,あの「停滞の時代」も今となっては懐かしい。俺たちのあこがれる西側の社会も,実は何もかも平凡で欺瞞だらけ,プチブル的な幸せと偽善のうえに築かれた,虚しい進歩。「成功」のため,恋愛も,信仰も,家族もすべて適度,適当に,金儲け,仕事,仕事で駆けずりまわって,ただ一生あくせくしているばかりよ。
 俺たちのロシアは遅れてる。俺たちのロシアは混乱してる。だが,西側の自由は,石の建物に囲まれた,偽善の自由だ。俺たちの自由は大地の上にある。狂気と不条理に彩られてはいるものの,男らしく戦う自由がここにはあるんだ。人が生きようとする欲望が,なんで醜いことがあるものか。それは,むしろ神聖なもの。発展すりゃ,世の中は退屈なものになる。その時にこの時代をふり返ってみりゃ,人間性で光り輝いて見えるだろうて。
イリヤー,何をとまどっている? かまわん。突っ走るんだ


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