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経営学

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2018年8月14日

日本の ムラ社会 の歴史的転換期

日本の社会の構成原理はいくつか変遷を経てきた。朝鮮半島から米作文明を携えた弥生人がやってきて以来、米という驚異の生産性(一粒が100-200粒になる)を備えた作物は余剰の富を生み出し、それをベースに日本では飛鳥時代から、土豪が強い力を持つ社会が形成された。それは中国にならって律令国家、つまり中央集権制が形の上では整備された後も変わらず、地方末端の役人「郡司」は中央から任命されるよりも、土豪が代々襲名した例が多い。

そして農民は、当初は家父長制の大家族が多かったようだが、それが分解して口分田や荘園に農奴的存在として縛り付けられていったようだ。自営農民が集住して自治的性格の強いムラ(惣村)を形成するようになったのは、室町時代のことだ。それは、荘園の所有者が鎌倉時代末期以降、転々とし、その権利が曖昧なものになったのと反比例して、実際に農地を耕す農民の権利・自治権が増大したことによるものだろう。

この自営農が集住して村を形成し、名主を核に一種の共同体を営んでいくことは、江戸時代を通じて行われ、明治時代の工業化以降は、この村の構成原理が大企業に持ち込まれているようだ。日本社会の構成原理を論じたものとして古典の地位を持つ「文明としてのイエ社会」(公文俊平、佐藤誠三郎、村上泰亮、1979年)は、閉鎖的な利益集団が疑似「イエ」の原理に従って組織体を営んでいく姿を活写している。

現在の日本の企業、あるいは省庁等の公的組織を見ると、いずれもこうした「イエ」さながら、閉鎖的で自己完結的、外部とのオープンなシナジーを嫌う。製造業は部品企業を下請け系列化して抱え込み、厳しい条件に従わせようとする。これでは、外国企業を買収しても、シナジー効果を発揮できない。外国人の幹部、あるいは途中採用の社員の幹部への登用等が必要だ。

(ここからは、21日講談社の「現代ビジネス」に掲載された記事から借用)
従って、トランプ関税のせいで生じた中国経済のつまずきは、日本にとって即チャンスということにはならない。もともとプラザ合意後の円高で、低賃金の中国で生産して世界に輸出するモデルを開発した日本の製造業にとっては、米国の対中関税引き上げは、日本製品への関税引き上げに等しい。日本企業は、対米輸出の基地をどうするか、中国から第三国に移すか、日本に戻すか、あるいは米国内に移転するかの選択に迫られる。

日本は、米に迫って斬り捨てられた点では、中国よりはるかに老舗。プラザ合意での製造業の空洞化、1986年日米半導体協定での半導体産業の没落、米国企業によるアウトソーシング方式採用による日本の電機・電子産業の没落と、モグラたたきのモグラのように首を出すたび叩かれて、今度は残った自動車輸出まで最後の一撃を受けようかという時。中国が米国にやられて喜んでいる場合ではない。米国に叩かれて、対策に窮している点では、中国と同一線に並んでいるのだ。

トランプ米国――今の情勢では二期8年はやるものと覚悟する必要がある――とは提携を強めて生き残る術を探るしかあるまい。日本人は英語ができないので、米国の第51州になるのは無理、せいぜい自由貿易協定を結ぶくらいだろう。必需品を輸入できるだけの外貨を輸出で稼ぎながら――それは高級車、先端技術部品、特殊機械類で――、成長は国内のサービス産業中心にはかっていく。
 
(日本に活力を取り戻す法)

トランプは自身の再選のため、米国経済の建て直しに注力する。北朝鮮やロシアなどの敵対国とは、不必要な対立を減らすことで、米国への脅威を減らす。そして同盟国には、経済でも安全保障でも米国への依存度を減らすことを強く求めるのだ。戦後、米国主導のグローバル自由貿易体制を享受し、輸出、そして日本の政府・公営企業の需要に強く依存して生きてきた日本企業は企業のあり方も含めて新たな境地を切り開いていかないと、東は米国、西は韓国・中国そしてドイツの企業にどんどん押しこめられ、窒息してしまう。それなのに日本企業の多くは、世界を見つめて新たな方向を見極める力、そしてそれにカネとヒトを集中する体制が欠けている。

日本の企業が「選択と集中」ができないことは、多くの人に指摘され、その原因も事業部間の対立等、いろいろと議論されている。しかし現場の話しを聞いてみると、どうも一番重要な要因が明るみに出されていないようだ。それは、日本の大企業の多くに見られる、「社内の人脈・権力構造に波風を立てないこと」への固陋なまでの配慮ぶりだ。どういうことかと言うと、日本の企業は営業部、財務部、総務部、あるいは開発、製造、営業のように、いくつかの「組」あるいは「流」に分かれている。社員はいずれかの組に入社から退職まで属して、出世の階段を昇っていく。ほぼ定期的、数年ごとに、各組のトップが社長の座についていくが、それはもう何年も前から決まっている。

こうなると、社員にとって最も重要なのは、20年先の社の運命よりも、自分の組のトップに立っている者の力を維持し、何年か先には「予定通り」社長の座に押し上げることになる。そうしてこそ、自分自身の出世も確保できるのだ。そして自分の組のトップが社長を務めている間は、とにかく「大過なく勤め上げる」ことが最重要。いちかばちかリスクの高い投資案件は、失敗すれば責任を負わされるので、判断を先送りにしがちだ。どんなに儲かっている部門でも、それが傍流ならば、本体の命を細々とでも長らえさせるために売り払って愧じない。

どの国のどの企業でも、それなりの硬直要因を抱えているだろう。しかし日本の場合は、ひどすぎる。社長の一存では社を大きく変えられないから、太平洋戦争と同様、有無を言わさず総崩れにならないと、変わるまい。とは言え、新しい芽はいくつか出ている。ニトリ、アイリスオーヤマ、プリファードネットワークス、家電のシリウス、こうした新しいビジネス・モデルを持つ企業に、今多くの面で曲がり角にある地銀、都銀が長期融資を用立てて行けば、戦後の活気の再現も夢ではない。

日本の大企業のいくつかが曲がり角にある中、外資系企業に就職する若者が増えているが、その企業の本体の幹部になれる者は稀である。大多数は中途半端な人材(日本の有名大学は出ていても、海外では使い物にならない)として扱われ、逼塞した環境で足の引っ張り合いに終始する者も多いと聞く。日本人は頑張らないと、二流、三流となった日本市場だけ相手にしながら、外国人に顎で使われるだけの「現地社員」に堕してしまうだろう。

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