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日本歴史

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2016年6月12日

かぐや姫はペルシャの御姫様か 山辺皇女はペルシャ人か

「『かぐや姫』誕生の謎」(孫崎紀子著)という本を読んだ。高名な孫崎享大使の夫人である。
まとめて言うと、「かぐや姫」とは、往時ササン朝ペルシャの滅亡を受けて日本に流れてきた王女こそが「かぐや姫」として歴史物語に残されることになったのだ、この物語を作ったのは菅原道真の孫、文時だ、ということである。かぐや姫が難題を与えて散々愚弄した貴族たちは、彼の祖父、菅原道真を迫害した連中なのだそうだ。かぐや姫というのは面白い作品で、昔話とか言い伝えに基づくものではなく、創作の匂い紛々だから、そうかもしれない。

飛鳥にある奇妙な石の遺構群は以前からペルシャ文明との関連が指摘されていたし、ペルシャ王族渡来の話しは他でも見たことがある。ヒミコの墓ではないかとされる箸墓はその発音から言って「パルシ」、つまりペルシャのことで、ペルシャの王女の墓ではないかとか、聖徳太子の母はペルシャ人だとか、夢は多い。

そして僕が秘かに練るプロットは、686年讒言で殺された大津皇子、あるいはその妃、山辺皇女にペルシャ王族の血が流れていたというもの。大津皇子については、当時の文献で「体格や容姿が逞しく、寛大。幼い頃から学問を好み、書物をよく読み、その知識は深く、見事な文章を書いた。成人してからは、武芸を好み、巧みに剣を扱った。その人柄は、自由気ままで、規則にこだわらず、皇子でありながら謙虚な態度をとり、人士を厚く遇した。このため、大津皇子の人柄を慕う、多くの人々の信望を集めた」(ウィキペディアより)とあるし、山辺皇女については、大津皇子の死を見届けると「髪を振り乱して裸足で走り、殉死した。それを見た者は皆嘆き悲しんだ」とある。彼女がペルシャの王女だったら、ロマンチックではないか。
でも、本当にそれらはうまくつながるのか。年号を並べてみよう。

574-622年 聖徳太子在世(推定)
646年 蘇我家征伐と大化の改新
651年 ササン朝ペルシャ滅亡
655-661年 ペルシャの文物に入れ込んだ斉明天皇在位期間
663年 白村江の戦い
686年 大津皇子死去

以上から言えることは、聖徳太子の母親がペルシャ人であったとしても、それはササン朝ペルシャの滅亡とは関係ないということ。そして大津皇子が日本人離れした容貌を持っていたというのは、ペルシャの血が入っていても不思議ではない。因みに同皇子は天武天皇の子で、天武天皇は斉明天皇の子。大津皇子の母は天智天皇皇女の大田皇女なのだが、天智天皇も斉明天皇の子。そして山辺皇女も天智天皇の娘なのだそうで、ここらあたりは同族結婚が目立つのである。

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