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政治学

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2010年5月 7日

「政治家と政党に幻滅したあと」へのコメントについて

この記事の表題の下の方に「政治家と政党に幻滅したあと」という記事がありますが、これは現在の日本の政治とマスコミが当座の人気取りに終始しているため、社会と政府の間のパイプが機能しない、どこをどう変えたらいいか、ということを書いたものです。これにはいくつもの貴重なコメントが寄せられていますが、次の「たろ」氏によるものは私の問題意識と類似しているし、詳細でわかりやすいものなので、お許しを得ずにここに転載させていただきます。

「政治家と官僚の関係を、もっと良識的なものにしないといけないと思います。
>>そして、政治への国民の参加意欲を満たし、それがポピュリズムに堕さないよ
うにするにはどうしたらいいか。

ちょっと議論がどうにも膨大すぎて、なかなか書き込みしずらかったのですが、
、、。

「良識」実定化のための憲法ではないでしょうか?これを実現するためには、大
枠でまさに司法の力が必要なのではないでしょうか?現実では国民のほとんどが、
法の力をほとんどといっていいほど認識していませんよね・・・。政治とは法と関
係なく動くものだと思っている・・・。検察と警察の区別すらつかないのが、リア
ルな現実なんですよね・・・。ましてや、憲法の役割なぞ・・・、遠い議論なのか
もしれませんが・・・。

戦後史を通して、憲法の占める役割があまりにも小さすぎ、国としてのガイドラ
インがあまりにも恣意的で、結局どの党も目先の経済利益を追求するという自体に
なり、本質的に自民党も社会党もバラマキ型の再配分政党になるという事態に陥っ
てきました。
それが、消費型経済投資だったことは、不況になって露骨に明らかになってるこ
とでもあります。

格差社会とは馬鹿げた話で、経済的に豊かな時代でもはっきりと格差などあった
のは、東大などの入学者の親が高所得者で占められていたのを見れば火を見るより
明らか・・・。このズボラなお坊ちゃん感覚が、政治家、行政、官僚、挙句にはメ
ディア、教育と連鎖反応し続けてきた戦後でもあると思います。これが現実を直視
できない行政、メディアにまでいたる。

ここでも、憲法規定の「教育の機会均等」が事実上無視され放置されている。鳩
山政権の子供手当ても他国のそれを真似ただけのニュアンスが強く、憲法を意識し
た合理性といった雰囲気はまるでありません。だから、何のための子供手当てなの
かの議論も啓蒙も当然のごとくなおざり・・・。せいぜい、困ってる人助け程度に
しか人々はおもってない。文化が経済を支えていくという構造的問題認識がまった
くといっていいほど無い・・・。

こうした現状では、変わりいく時代の中で、「均等」とは何なのかを問うことが
できない。それが司法の停滞化を生み出して国家体制として日々脆弱になっていく
大きな理由でもあるのではないでしょうか。

日本の法曹界があまりにも受身であって、自分自身の存在をフォロできなくなっ
て、空洞化。そこに大衆が司法を軽視する土台があるように思います。

ドイツの憲法裁判所、五大高等裁判所などは、この点司法の運営として非常に参
考になります。

上記の直視できないものを、見てきた現場の行政サービスの人間も当然いたわけ
ですが、それを政治的良心に翻訳できる機関がまるで無い。現場とキャリアの徹底
した断然は、官僚が日本の現状を鑑みて政策立案するのではなく、あくまでマクロ
を見続けて政策立案することになったのではないでしょうか?

その結果、大衆レベルは旧態然とした社会主義的な再配分によってくわされるだ
けの存在になり、空洞化。日本型福祉が経済縮小で事実上倒産しつつあるのが、現
状。

本来なら、マスコミがこういった問題意識の橋渡しをになわされるのが、自然の
なのかもしれませんが、独占寄り合い所帯に成り下がってまるで機能せず。それ以
前に、1億2千万規模の人口に対して、メディアが極端に寡占すぎる。新聞が数社
、公共放送がたったの1局とは呆れんばかりです。これでは地域ごとの問題の特殊
性も扱えなければ、政治も行政も当然馬鹿になる。

所詮、メディアも上記の再配分によって食わされてるだけの大衆に過ぎなかった
ことが露呈したまでの事なのですが・・・。

仕分けなどで、独立法人=悪のような意識が蔓延していますが、この橋渡しを本
格化させるためにも大規模なシンクタンクや調査機関を作らねばならないのではな
いでしょうか?

 これを憲法のようなもので方向性を規定しないとしないと、民間のPH○研究所
のような意味のわからないイデオロギー集団と化してしまいます。なおかつ政治性
をもったNGOのような存在を認めること。知的言説を背景に、国民の多様化を推し
進めないと日本人の福祉ぼけした社会主義的な意識が変えられないのではないでし
ょうか。

抽象的議論で申し訳ないのですが、良識的であるという経験則を示すものが憲法
である以上、それがほとんど機能していない現状の日本では党派がイデオロギー勢
力争いになるのはやむえない節もあるかと思います。小さな党派乱立を防ぐために
も、大道がまとまらない悪循環を避けるためにも,一定以上の割合を持たない党派
を国会から切るべきなんでしょうけどね。そうしないと、大衆はまるで子供のカー
ドゲームのごとく珍しいカードから珍しいカードを探す一発逆転ゲームを探すハメ
になる。

これを防ぐためにも、憲法による経験の蓄積とミニマムラインの線引きをはっき
りさせないと、政治家の思いつき劇場が永遠と続き、大衆化の暴虐が防げない。

いずれにせよ、この政治的地盤沈下で小党派乱立という戦前のフランスやドイツ
のような事態になってきてますよね。これがひどくなれば、政権の運営もさらに不
安定になるでしょうし、百害あって一理なしの救いようの無い混迷期にはいって行
くのでしょうね。

現状では、今ギリシャが経験してるような国民的敗北経験は必然であると思いま
す。自己顕示欲を病的に肥大化させたでしゃばった人々が黙るにはもはやこれしか
ないのかと・・・。 

ドイツの戦後直後に「沈黙の世代」といわれる人々がいました。これと同じ運命
をたどらねばならない人も日本が変わるには大勢いるのだろうと。

そのときすべての人が吹き零れないように、どうセキュリティや多様性を作って
いくか、それに対してのバックボーンをどう確立するのか、河東さんのおっしゃる
よう大統領制や憲法は極めて重要な案件になってくると思います。

そのことが、結果として戦後一貫して無視され続けてきた大衆、地域って問題に
改めて目を向けることになると思います。

おしゃべり調のまとまりの無い駄文失礼しました! たろ」

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