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政治学

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2015年8月28日

戦後70周年の総括 イデオロギーより現実を見据えて

(以下は、8月18日発売のNewsweek日本版に掲載されたものの原稿です)
 
戦後七十周年をめぐる一連の動きも、総理談話で一段落した。ちょうど国会での安保法制審議と重なって、反米、親米、反中、親中、嫌韓、親韓、その他もろもろ、戦前から尾を引くどろどろした情念が、超国家主義者、自民党、旧社会党、共産党、革命主義者たちの間で様々に入り混じり、一般大衆の健全な反戦感情を通奏低音に、複雑な騒ぎを繰り広げた。世界、そして歴史を見渡して、民主主義国において戦争の片がかくも長くついていない例は珍しい。第二次世界大戦にからんでは、恨みを呑んだままの者、あるいは自分の思いを遂げることができなかった者が多く、その不満は政治や経済が荒れるとすぐ頭を持ち上げるということなのだ

今回は、二〇一五年より数年前、つまり民主党野田政権末期から日中、日韓関係が悪化、そのために先方で反日の動きが強くなり、それが日本のマスコミに大きく報道されて、日本国内世論、特に保守層の一部に中韓への反発、そして戦前の超国家主義へのノスタルジアをかき立てた。また一九九一年のバブル崩壊と並行して米国が日本叩き、ナンバー二つぶしの動きに露骨に出てきて以来、反米機運は次第に高まっていたのだが―高度成長の時代には、対米輸出で稼ぐことで夢中だった―、米国が尖閣領有権問題で日本の肩を持たなかったこと、そしてTPPで米国の利益を強引に推進してきたことで表面化し、二〇一五年になると「日本は戦争で悪いことはしていない」、「極東軍事裁判は不当だ」という声がまた出てきた。そして2015年には安保関連法改正で、「アメリカのする戦争に引きずり出される」ことへの警戒心が高まっている。

好い加減だった総括

このような状況が起きるのは、いくつかの事について「総括」が行われていないことによる。まず日米戦争の原因については、上述のように「日本は悪いことをしていなかったのに」という気持ちが根強くあり、原爆を日本人に落とされたこと、終戦後の「極東国際軍事裁判」で勝者の論理に基づく裁判をされたことへの恨みがある。
だがこれらの問題は、法的には一九五一年のサンフランシスコ講和条約でけりがつけられている。四十九ヶ国もが署名したこの条約を修正するのは難しいし、そんなことをすれば中国は日本との平和友好条約(一九七八年)、韓国は基本条約(一九六五年)の改正を求めてきて収拾がつかなくなる。米国でも、原爆や極東裁判のことを声高に言ったとたん、旧軍人を中心とする猛然たる反発を表面に引き出し、その火に中国ロビーや韓国ロビーが油を注いで、これも手がつけられなくなる。日本は戦前さながら、孤立してしまうのである。

だから戦争中、そして直後の米国の行為の行き過ぎについては、米国人の理解と同情を求める運動を静かに続け、米国人自身による反省の気運が起るようにするのが一番効果的なのだ。例えば米国議会は一九九三年、ハワイ併合(一八九八年)に至る過程が違法だったと認め、公式に謝罪する両院合同決議を採択しているし 、太平洋戦争の際に在米日系人を強制収容したことについて レーガン大統領は一九八八年、日系人への補償を定めた法律に署名し、「国を代表して謝罪」するとともに、生存者一人当たり二万ドルの損害賠償を行っている。いずれも、当事者が的を絞って着実な運動を続けた結果である。

次に総括されていないものは、戦争についての日本国内での責任問題である。これについては、戦前から権力奪取を狙って弾圧され、戦後も米占領軍に抑え込まれたマルクス主義左翼の連中の間に最も強いわだかまりが見られる。「天皇を頂点とする日本のエリートが米国に従属することによって権力を保持した」というのが彼らの言い分なのだが、それ自体は事実に近い。戦争前後の政府要人の手記や記録を見ると、共産主義者が日本政府に浸透してきていること、そして彼らに権力を奪取されかねないことへの恐怖心、警戒心が強く見られる。ポツダム宣言受諾に当たって、日本のエリートが「国体の維持」を強く条件としたのも、その根底には日本でのマルクス主義革命を防ぎたいという気持ちがあったのだろう。

ここでの問題は、ならばマルクス主義左翼の政策、つまり日米同盟廃棄と、分配至上主義の経済政策が、日本の安全保障と繁栄に本当につながるのかということなのである。日米同盟については後で論ずることとして、社会主義経済政策について言うと、一九九一年ソ連崩壊の背景にあった経済の行き詰まりの原因をしっかり噛みしめてみるべきだ、ということが言える。筆者はソ連に長年勤務したからよく知っているが、当時世界第二の超大国ソ連の友人は、外国人と見ると米国製のジーンズや日本製のテレビを融通してもらうべく群がってきたのである。企業の利益は政府が全部吸い取り、兵器や輸出用の石油の生産、そして食品価格補助金や年金など社会政策に回してしまったソ連の経済は、自立成長力を失った。輸出できる資源のない日本で同じことをやったら、結果はもっとひどいことになる。つまり、日本のマルクス主義左翼が「エリートを対米従属から引き剥がし無力化して」政権につくことを考えているのだったら、ドイツの社会民主党のように「使える」経済政策を備えてからにして欲しい、ということである。

もう一つ、最近唖然とするのは、「米国没落、中国興隆」という大袈裟な議論に乗せられたか、福澤諭吉の議論「脱亜入欧」を百五十年後の今になって覆し、「欧米の価値観は日本に合わない」云々と唱える動きが何と若い世代に見られることである 。「欧米の価値観は合わない」というのは、汚い既得権益を守るのに汲々としている旧社会主義諸国やアラブのエリートが言っていることなのだが、彼らはそう言う裏では自らの子弟を欧米に留学させ、横領した資金を欧米の銀行に作った隠し口座に送金しているのである。欧米の価値観、つまり自由・民主主義・人権等は、そうした彼らの権力基盤を崩すが故に、敵視の対象とされているのである。

日本の場合、工業化を達成して格差の小さな中流社会を確立できたので、自由、民主主義、人権等は「欧米の」価値観ではなく、既に自分達の権利を守る自分達の価値観になっているのである。もし日本の以前の価値観を参考にすると言うのだったら、戦前僅か十年内外しか幅を利かさなかった軍国国家主義ではなく、中世からの農村共同体の仲間意識、あるいは侍階級に見られた社会や国全体に対する責任意識など、より長い伝統を持つものの方にして欲しい

現実からずれた国際情勢認識

安全保障については、上記のように過去の総括が不十分であるばかりか、日本をめぐる国際情勢の認識が現実に見合ったものになっていないという問題がある。米国、中国、ロシアは言うに及ばず、韓国についてもマスコミなどが作りだした虚像をもとに議論を組み立てがちなので、現実性・実現性の乏しい、時には有害なものになる。

中でも、米国と日米同盟が持つ意味は、好き嫌いから離れてしっかり見つめる必要がある。日本を含む東アジア諸国は、実質的には今でも米国を最大の輸出市場としており(例えば日本は中国に部品、機械を輸出して、組み立てた最終製品の多くを米国に輸出している)、アジアに展開する米軍は中国の一方的な拡張を牽制している。そして米国にとっても、アジアとの貿易はEUとのそれとほぼ同等の重要性を持っている。だから図が示すように、米国は実はアジア最大のメンバーだし、米国内のアジア系人種のプレゼンスも大きくなっているので、今さら「アジアのことはアジアで」と叫ぶのは意味がない。「アジアのことはアジアで」というのはかつて、白人の植民地主義と戦う理想に燃えたアジア諸国のインテリが共有した純な気持ちだったが、その後、日本主導の大東亜共栄圏構想、そして今は中国を頂点に置いた「国際的家父長制」を推進するために悪用されているのである。

次に、日米同盟の意味、つまりこの同盟は東アジアで戦争が起きるのを抑止するために不可欠なものになっていることを認識するべきである。韓国に駐留する国連軍(主力は米軍)の本部は日本にあり、日本を主要な基地とする米海軍、空軍、海兵隊は、中国、北朝鮮によるものを含め、アジアにおける武力紛争のエスカレーションを抑止する。
よく日米同盟をやめて「欧州と同じ集団安保体制」を作ればよいという意見があるが、これは実効性を欠く。例えば一九二三年、米国は英国に日英同盟を失効させ、「ワシントン体制」と呼ばれる一種の集団安全保障体制(中国の領土保全、列強の機会均等を狙ったもの)を作ったが、一九二九年の米国大恐慌、一九三一年の満州事変で日本が独断専行を強め、それから僅か六年後の一九三七年には日華事変、十年後の一九四一年には(注:初版には「八年後の一九三九年」と誤って記載したのを、8月31日に訂正したもの)日米戦争に至っている。集団安全保障体制は、無責任体制に容易に転ずるのである。更に、欧州のEUは集団安全保障機構ではない。EUFOR(欧州連合部隊)やEUROFOR(欧州即応部隊)が作られてはいるが、殆ど紙の上の存在である。NATOも兵力の主力は米軍であり、ボスニアとかコソヴォなど欧州域内の紛争についてさえも米軍の介入がないと収拾できなかった。

日米同盟をやめた場合、日本には完全自主防衛、あるいは日中同盟ぐらいしか道はなくなる。しかし完全自主防衛は、いざという場合、米国による攻撃にすら備えることを意味して無理であり、中国は同盟相手としての信頼度が低い。対米従属にならないよう、日本自身の役割を高めつつ、抑止力としての日米同盟を確保していくのが、最も現実性のある行き方だろう。日米同盟と言えば、かつては日本が米国の戦争に引き込まれるのを心配する種であったが、日本が攻撃を受ける可能性が現実のものとなった今、不可欠の抑止力となっている。例えば、中国は沖縄や南西諸島への支配権に関心を示しつつあるが、南西諸島は台湾に至近の距離の遠方まで伸びている。中国が無謀な動に出るのを抑止するためには、米軍の加勢が必要なのである。

日本には、「中韓と和解して、EUのような結合体をアジアに作る」という思想も連綿としてある。しかし、「中韓と和解」というのは当面不可能である。と言うのは、個人の間の関係と違って、一つの国の中には様々の思惑や意見が渦巻いているので、たとえ首脳同士が「和解」してもそれはすぐひっくり返るからである。第二次大戦後の独仏関係が「和解」の典型例として挙げられるが、中国、韓国は戦後のフランスやドイツとは違う。彼らは、最近になって初めて手に入れた経済力に合わせてアジアでの序列を変え、日本を下位に置きたいのであり、その格好の手段として日本をめぐる歴史問題を手放したりはしないからである。それに中国では、日本を破ったのは共産党軍だということになっていて(日本は米軍に敗北したのだし、大陸では国民党軍を主たる相手としていたのだが)、そのことが党幹部の腐敗から国民の目をそらすための恰好の楯として使われている。そして江沢民一派は、習近平指導部から腐敗で追い詰められると、対日関係で問題を起こして習近平を牽制しようとする、とはよく指摘されることである。つまり、日中関係は政治的に利用されており、道義的な議論では解決しないのである

韓国は経済・社会的な発展で、市民の権利意識が高まり、それがNGO(韓国で非常に盛んである)にも支えられて日本に対する種々の補償・謝罪要求となっている。それらNGOにとって反日は格好の活動対象なので、一つの問題が解決してもかならず次の問題を持ち出すだろう。韓国のマスコミは反日の声を批判することはできず(たしなめると世論の反発を買う)、マスコミが反日キャンペーンをすると政府、大統領はその方向で動かざるを得ない。このような構造があるので、一九九八年の金大中大統領来日や二〇〇二年のワールド・カップ共同開催で盛り上がった日韓関係も、また反日・嫌韓の合唱になってしまったのである。このような状況では、日本としてコストをかけて無理に中韓との「和解」を求めるより、競争しながらも相戦わないという「共存」の関係を求めていくだけで十分だろう。そして北朝鮮との関係を樹立することも、中国、韓国に対しては牽制要因となる。

これからやるべきことは・・・

筆者は戦後世代で、「戦争」をめぐる実感はない。白人優位と言われる米国で勤務した時は社会の多民族化をひしひしと感じたし、ソ連に長年勤務する間、社会主義・専制主義の政治、経済が結局は機能しないことをこの目で見ている。国家主義にせよ、反米にせよ親米にせよ、社会主義経済にせよ、思い入れ、思い込み、イデオロギーで議論する気は全くない。

イデオロギーはAとZの両極端に分かれやすいが、両者の間には多数のグラデーションがある。国家は国民の安全と暮らしを守ってくれるものとして重要だが、そのために国民の生命や所得を無節操に浪費する権限は持たない。日米同盟も、隷属から対等まで広いスペクトルがある。政治とか外交は、情勢をよく見極めて、AやZやLやQの要素を組み合わせ、最適の解法(十九世紀英国の思想家ジェレミー・ベンサムはそれを「最大多数の最大幸福」という言葉で表現した)を処方することを任務とする。

そのような観点から、戦後七十周年と関連する一つの問題について議論したい。それは、筆者が外交官を三十五年間やってひしひしと感じていたこと、日本がいつまでも敗戦国、対米従属国扱いされているのはたまらないなという思いのことである。ODAにしろ何にしろ、日本が途上国のために何をやっても、「日本は米国に従属している。ODAも米国に言われたからやっているか、日本企業の利益のためにやっているのだろう。先進国面をしているが、国内は封建時代からの権威主義・集団主義の異質な社会なのだ」という観点から無視されるか、捻じ曲がった報道をされる。日本のことを殊更に過小評価しておいて、「日本は世界のために何もしていない」という批判をしたりする。米国外交官からは上から目線、途上国の外交官からは羨望と軽侮の混ざったまなざし――こういうのに三十五年間も抵抗、反論、説明していれば嫌気がさすというものだ。

そういう意味で、安倍総理の言う「戦後レジームからの脱却」という言葉はすんなり胸に落ちる。しかしそれは、戦前の超国家主義に戻ることではない。既に述べたが、戦前日本は「大正デモクラシー」の流れにあり、エリートを育てた旧制高校で支配的だったのはリベラリズムである。「戦後レジームからの脱却」は前向きなもの、工業化を成し遂げた豊かな社会に見合ったものでないといけない。

そして世界に日本を見直させるためには、何よりも経済力を再建することである。GDPの額とかそういうことではなく、国際化に耐えうる企業人の育成、技術開発力の向上、企業経営モデルの変革などによって、経済の成長力、耐久力、生産性を高めていくのである。

そのうえで、日米同盟における日本の役割をもっと高め、それによって対米従属から少しでも脱却するのだ。例えば、日本を守っている米軍が襲われそうになった時に、自衛隊がその場で敵を叩くことぐらいできるようにしておかないと(それが集団自衛権であろうと個別自衛権の行使であろうと、どちらでも構わない)、対米依存からは抜け出せないだろう。

こうやって経済と安保の基盤をしっかりと据え、ODAなどで途上国の発展を助けた上で世界について発言していけば、日本の意見はもっと尊重されるだろう。発言するべき問題は多々ある。民主主義社会では政党が国民の声を結集し、他の政党と切磋琢磨することで統治の質を上げていくと言われるが、日本や米国での政党間の争いは切磋琢磨というような健全なものではなく、揚げ足取り、泥仕合、妨害合戦に堕している。先進国はガバナンスの危機にある。

経済の面では、一九七一年ニクソン大統領がドルの価値を金から切り離して以来、純粋な「紙の通貨」になってしまったドルを、どうやって国際通貨として使いまわしていくか、あるいはそれに代わるビット・マネーのようなものを追求するかという、根本的な問題がある。

また冷戦後の世界で米国が図抜けた地位を獲得したのに悪乗りして、いくつかのNGO等が途上国のレジーム・チェンジを野放図に煽り、そのあげく民主化どころか混乱の淵にいくつもの国を投げ込んだことは是正してもらいたい。そして、多国籍企業の第三国での行動(贈賄、あるいは企業合併)についても、米国や中国などの経済大国が国内法を適用して罰金を徴したり、合併を妨害する等の「法の域外適用」を行うことは、OECDや国連などで議論、整理した上で新たな国際法としてガイドラインを設定してもらいたい。経済のグローバル化は基本的には世界諸国の利益になるが、米国や中国だけが一方的に大きな利益を収める場であってはならないのである。

リーマン・ショック以来、世界は「米国没落、中国台頭」の声一色で染められていたが、今やトレンドは逆転しつつある。BRICS諸国では成長を阻む構造的な問題が露わになっている一方、先進国はリーマン・ショックの後始末を何とか終えて、数百年に一度とも言える技術革新の時代に突入しようとしている。人工頭脳の高度化や遺伝子操作、脳波捕捉の発達は、世界の文明を変える力を持っている。

そうした中で、日本は来年G7先進国首脳会議の議長国、開催国となる。普通、議長国は全員合意のかっこうをつけることに汲々とするので、大したイニシャティブは取らないものなのだが、今の日本の場合、少々予算の裏付けを欠いても大見得を切ってもらいたい。
こうやって、戦後八十周年ではもう少し、恨みつらみを脱却した議論ができるといいと思う。
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コメント

投稿者: 高月 瞭 | 2015年8月29日 09:11

この論文を読んでつくずく感じるのは安倍首相の戦後70周年談話であり、米上院下院合同会議における安倍首相の演説がいかに素晴らしい内容であったことです。
反省すべきは過不足なく論じていたし、お互いの過ちについて後に引くなという言葉も発していました。
ただ、中国の反日はかの国との利害関係で恣意的に行われていることは理解できます。しかし韓国の「反日」は最早「国是」となってしまい、わが国としては、その出鱈目さを国際的に発信していかなければならないと思います。外務省には大いに反省してもらわねばなりません。日韓関係は日本とすれば悪化しようとしまいと放置しておけば良いと思います。

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