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街角での雑想

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2016年9月 3日

ウズベキスタンのカリモフ大統領逝去がもたらすもの

ウズベキスタンのカリモフ大統領が亡くなった。独裁者だとか、裏金を差配しているとか、いろいろ言われたが、僕は2002年から2年間、大使としてそばから見ていて、随分大変な仕事だな、よくやっているなと思ったものだ。
彼の生涯の目的はただ一つ、それはソ連崩壊と言うぼたもちで独立したウズベキスタンを、立派な国に育てることだった。そして離婚一回。前妻との間にできたただ一人の息子とはほとんど縁を切り、後妻との間にできた長女グリナーラは大統領になる野心を公言し、ビジネス利権を漁ったがために自宅幽閉。部下からそれを建議されて、あえて認めざるを得なかった時の父としての気持ちは察するに余りある。

気骨のある男だった。2001年集団テロの後、米軍がアフガニスタンに入り込んでくると、拠点として自国領内のハナバード空軍基地を提供(プーチン大統領の了承も事前に取った)。これで米国の対ウズベキスタン経済援助は急増し、当時No.1だった日本をあっと言う間に抜いたのだが、カリモフ大統領はそれで満足しなかった。もっと資金を引き出そうとして米国に拒否され、同時に米国のNGO、NPO諸団体が国内で「民主化」、その実カリモフ体制破壊の運動を強化するや、ロシアへの傾斜を再び強めて、米国NGO、NPOをほぼ軒並み国内からたたき出してしまった。そしてその前に、ハナバード空軍基地の米軍に「御引取を願って」いるのだ―米軍は僅か数ヶ月で完全撤退した。

彼は、日本がウズベキスタンにODAを供与して、インフラを建設したり、農業機械、教育器具を大量に寄贈することに本当に感謝しており、ある時僕をたった一人、オフィスに呼んだ。ウズベキスタンが米国から距離をおこうとしている今でも、日本と言う頼りになる友人がいる、ということを国内に示したかったのだ。だから、僕がいくともうテレビ・カメラが待ち構えていて、その前で大統領とツー・ショット。それはその10分後の夜のトップ・ニュースになったのだから、ウズベクの国営テレビの視聴率は低いのだ。

と言うのは半分冗談なのだが、僕がその時、「大統領、日本は支援もしますが、ウズベキスタンも人権問題で・・・」西側の非難を浴びないように、もうちょっと何かしたらどうですかと言いかけた時、その「人権」という言葉で場の雰囲気は暗転し、大統領はぷいと去っていってしまったのだ。

もっとも、僕の思ったとおり、何が起るでもなし、日本とウズベキスタンの関係はしごく良好に経過していったのだが、その後半年して、僕が日本の外相に同行して大統領を訪れたことがある。それは、僕の離任数日前。会談を終えて外相を入口まで送ってきた大統領の前で、僕はメモ用紙を落としてしまった。苦笑いして拾おうとしたところに、さっと身をかがめて紙を拾い、僕に渡してくれたのがカリモフ大統領。冷酷な独裁者と言われた男が外国大使のメモを身をかがめて拾うのだ。
僕はそこに彼の人間性を見た。彼はやはり日本のことを評価していたし、僕の働きぶりも評価してくれていたのだ、と思った。だからその後ずっと、カリモフ大統領やウズベキスタンの悪口を言ったことがない。

カリモフ大統領の葬儀委員長はミルジヨエフ首相。多分、後継含みなのだろう。彼はカリモフ大統領と同じタジク系。ということは、タジク系の多い南部のサマルカンド地方の「クラン」を支持基盤とする。もっともこの頃では、テクノクラートが育っていて、地域「クラン」の意味合いもずいぶん薄れたが。彼は既に10年以上首相をやっているが、財政・金融・工業は大統領後継候補としてのライバル、アジモフ第一副首相の領分なので、自分は農業に集中してやってきた。

カリモフ大統領と同じく、冷酷な強権政治家だと悪口を言われるが、中央アジアは強権をふるわないと治まらない。会って話してみると、ミルジヨエフという人はオープンで賢く、豪胆でもある。2002年塩川財務大臣に同行してサマルカンドに行ったことがあるが、その時の当地の知事がミルジヨエフ。タシケントから塩爺に同行してきたのがアジモフ。ウズベクでは客人を踊りでもてなすが、ミルジヨエフとアジモフが揃って踊る輪に塩爺が阿波踊りの乗りで加わっていったのを思い出す。ミルジヨエフとアジモフは同年輩で、若い頃から親しいのだ。

そのウズベキスタンがカリモフ大統領の死でどうなるか? それは6日発売のNewsweek誌に書いたので、そちらをご覧いただきたい。
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(この本の終章はウズベキスタン抒情です)


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