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街角での雑想

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2013年9月12日

團伊玖磨さんの想い出

9月9日の日経、「夕刊文化」欄で、声楽家の佐藤しのぶさんが書いている。文化庁のオペラ研修所で所長の作曲家、團伊玖磨氏を見て、「教科書で見た人だ!」、「生きてる、動いてる」、それが團先生の第一印象だった、と。

これを今は亡き團先生が読んだら、さぞ苦笑いしたことだろう。「生きてる、動いてる」はないでしょう。虫じゃあるまいし、と。

僕が團さんが動いているのを見たのは、外務省の東欧課長として「東欧文化ミッション」なるものに同行した時。彼は、ミッションの団長(副団長は堤清二氏)だった。長身、白髪で貴族的、近寄りがたい人に見えたが、ぼろぼろの飛行機がポーランド、ワルシャワに着いた時、先生は、一刻も早く機内から出ようとする一団を押しとどめ、通路でなぜか訓話をたれた。「皆さん、われわれはこれから世界に名だたる美人国に足を踏み入れようとしているのです」。これだけで、いったい何を訓示したいのかよくわからなかったが、洒脱な氏の性格をうかがわせ、一堂の士気は高まった。

ミッションの最後はハンガリー。ドナウのほとりに立つ、帝国時代からの瀟洒・豪華な議事堂の一室で、團氏は日本政府のミッションの団長として、重々しき挨拶を述べる。役人が書いたものを読み上げているのだ。相方は確かハンガリーの女性の政治家だったと思うが、これも杓子定規の「友好関係は重要で・・・」とか何とか言っている。で、彼女がひとわたりしゃべって、また團氏がしゃべる番になる直前、何やら場の空気がいつもと違う。少し間が空いた。團団長は、官僚的なやり取りのあまりのつまらなさに、ついにたまらず居眠りをしていたのだ。

まあ、別にこれで日本とハンガリーが外交断絶になるわけでもなし、團氏はあとでしきりに恐縮しておられたが、筋書きの書かれた会談の場で居眠りしたくなるのもよくわかる。

で、最後に團先生にお目にかかったのは、確か1998年モスクワ。僕は公使をやっていて、シックな公使邸(昔チャイコフスキーやツルゲーネフも客に来ていたという家)に團一行をお招きした。客間に静かに音楽を流しておいたのだが、團先生は「スクリアビンはいいですね」とさりげなく言う。僕は自分の趣味を認めてもらったようで、うれしかった。

その時、團先生は、モスクワで「夕鶴」の上演をしたのだが、僕は言った。「先生、いいですね、作曲家は。生涯現役で。外交官はそうはいきません」と。
すると彼は嬉しそうに、しかし苦笑いしながら言ったものだ。「河東さん。生涯現役でいる辛さをお察しください」と。ごもっとも。でも、そういう辛さはうらやましい。

それから3年後、休暇で帰国した僕は、立川の方でモノレールに乗っていた。向かい側の座席にいる人が新聞を広げている。なにげなく見ると、「團伊玖磨、蘇州で急死」と大きな活字で一面トップ。衝撃だった。生涯現役だった。作風はエレガントで、薫風漂うような曲の数々を作られた。
文化人がまだテレビでおちょくられることなく、本当に文化人でいられた時代の話し。

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