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2015年12月30日

自著 ロシア皆伝 数の間違い そしてもう一つ

(これは2015年12月30日アップした一文に、さらにもう一つ修正事項を付け加え、2016年1月10日アップし直したものです)

1・千島列島の数

拙著「ロシア皆伝」(イースト新書)は幸い好評を得ていますが、尊敬する先輩に一カ所、不正確な記述を指摘されたので、ここに公告しておきます。

277頁に「樺太は何回かその運命を変える。一八七五年の「樺太千島交換条約」では、樺太はロシア領、得撫(ウルップ)島から占守(シュムシュ)島までの千島二十二島は日本領になり、一九〇五年日露戦争で日本が樺太南半分を占領した後は、ここも日本領となった。後に一九五一年のサン・フランシスコ平和条約で、日本は樺太南部と千島の「権利、権原及び請求権」を放棄したが、放棄してどこが領有するのかは決まっていない。そもそも、ソ連はこの条約に署名もしていないのである。北方領土はもちろん、千島二十二島、南樺太の領有も、国際法的に確定しておらず、将来結ばれるべき日ロ平和条約で明確に規定されるべきものなのだ。」との箇所があります。

問題はここで2回繰り返している「千島二十二島」であります。これは数え違いであり、それぞれ十八島が正しい数字です。これは、サンフランシスコ平和条約で日本が放棄した「千島列島」に北方領土は含まれているか否かという議論にかかわるものです。

この点について日本政府は、1956年2月11日の第24回衆議院外務委員会における森下外務政務次官の答弁で統一見解を示していますので(1951年10月19日の衆院特別委員会にて西村熊雄条約局長が、「南千島[国後、択捉]は[サン・フランシスコ平和条約で放棄した]千島に含まれている」と答弁したために生じた混乱を整理したもの)、それをここに掲げておきます。

因みに「ロシア皆伝」は別に外務省の認可を得たものではなく、著者の私の個人的見解を書き並べたものですが、北方領土問題については政府の立場から逸脱するつもりもありませんし、必要性も感じていません。


―――それでは今の南千島の問題のそういう誤解を解くために、ここにはっきりと一つ声明をいたします。

(1) この南千島、すなわち国後、択捉の両島は常に日本の領土であったもので、この点についてかつていささかも疑念を差しはさまれたことがなく、返還は当然であること。御承知のように国後、択捉両島が日本領土であることは、1855年、安政元年下田条約において、ただいまお述べになったように調印された日本国とロシア国通好条約によって露国からも確認されており、自来両島に対しましては何ら領土的変更が加えられることなく終戦時に至っております。1875年、明治8年の樺太・千島交換条約においても、両島は交換の対象たる千島として取り扱われなかったのであります。
 サン・フランシスコ平和条約はソ連が参加しているものではないが、右平和条約にいう千島列島の中にも両島は含まれていないというのが政府の見解であります。同会議において吉田全権は択捉、国後両島につき特に言及を行ない、千島列島及び南樺太の地域は、日本が侵略によって略取したものだとするソ連全権の主張に反論を加えた後、日本開国の当時、千島南部の二島すなわち択捉、国後両島が日本領であることについては、帝政ロシアも何ら異議を差しはまなかったと特に指摘しておるのであります。また連合国はこの今次戦争について領土の不拡大方針を掲げていたこと、また大西洋憲章、カイロ宣言、ヤルタ協定、ポツダム宣言はすべて過去において日本が暴力により略取した領土を返還せしめるという趣旨であり、日本国民は連合国が自国の領土的拡大を求めているものでないことを信じて疑わない。日本の固有の領土たる南千島をソ連が自国領土であると主張することは、日本国民一人として納得し得ないところであります。

(2) この南千島は日本人の生業に欠くべからざる島であることも、これを伝えなければなりません。国後、択捉両島は北海道に接近しており、沿岸漁業の獲得高から申しましても、戦前千島列島の年10万トンに対し、この国後、択捉両島のみで年15万トンに達していた事実等でも明らかなとおり、両島は日本国民の日々の平和な生活を続けてきておったものであります。
 ここにこれをかたく声明をいたす次第でございます。 ―――

2.もう一つ、日本人のシベリア抑留に対するエリツィン大統領の謝罪について
283頁に、エリツィン大統領が1993年10月来日した際、国会でスピーチして謝罪したと書きましたが、これは細川総理との会談の場、そして晩餐会の場と取り違えたものです。ご迷惑をおかけしました。お詫びします。

                                             以上:河東哲夫

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