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日本安全保障

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2015年9月24日

安全保障関連法案の行き着くところ

(これは法案が採択される前の15日付Newsweekに掲載されたものです)

 安全保障関連法案審議も山場になった。法案を読んだのか読んでいないのか知らないが、反対デモに杖を片手、大挙して出かけていく団塊世代の同輩たちを見ると、一九七〇年頃の大学紛争、反安保闘争をあの埃っぽい熱気、そして催涙ガスの臭いとともに懐かしく思い出す。一九六〇年、一九七〇年の反安保闘争、二〇一三年の機密保護法案反対、いずれも野党が大衆の反戦、反米機運を掻き立て、政権奪取の種にしようとしたものだが、一旦条約や法律が通るとあっという間に鎮まり、しかも対米依存が深まったり、言論が抑圧されたりすることもなかったものだ。今回もそうなるだろうか。

反対論の誤謬

安保関連法案に反対する人たちは、「そんなこと聞いてない。国民の理解が進んでいない。議論が尽くされていない。だから今採決するのは強引過ぎる」と言う。しかしこの件は他ならぬ民主党、野田政権も進めようとしていて、報道は多かった。この法案のプラス・マイナスについては、インターネットなどに情報があふれている。それでもそんなものなど読んでいる時間がない人たちを代弁して、国会での審議が行われている。それが代議制民主主義なのだが、議会制、そして政党制の性(さが)として、重要な問題になればなるほど冷静、客観的に議論するより、政権を倒すためのレッテル貼り、揚げ足取り、難癖の応酬に堕してしまう、そして国民はその単純化されたレッテルを信じ込んで声をあげる、ということが起きる。
例えば、「これは戦争をするための法律だ」というレッテルがあるが、政府の狙いは、中国に尖閣列島などで「しかける」気を起こさせないよう抑止力を向上させておく、つまり日米同盟を確固たるものにする、そのためには、日本を守ろうとする米軍が攻撃されようとしている時には自衛隊が助太刀をする、集団的自衛権を行使できるようにしておく、というところにある。つまり「戦争をする」のではなく、「戦争をしかけられないようにする」ための法律なのである。ところが、中国の脅威を国会であからさまに言えないものだから、政府の説明はわかりにくいものになってしまう。中国を不要に刺激するのを避けようとしているのだが、事実を淡々と、しかし率直に説明すればいいではないか。

法案反対勢力が言う、「この法律は徴兵制につながる」という論点も、気の早い話である。日本はこれまでも海外の国連PKOに自衛隊を派遣しているが、徴兵は必要になっていない。戦前のように大軍を派遣するわけではないので徴兵は必要ないし、一年や二年の訓練しか受けていない兵隊は使いものにならない。肝心の米国や中国でも徴兵制はないのである。

テレビなど見ていると、「アーミテージ元国務次官補やジョゼフ・ナイ教授達は以前、集団的自衛権の行使を日本に求めていた。だから今度の法案は米国に指示されて作ったものだ。日本ではなく米国の利益に奉仕するものだ」という論点を打ち出しているものがあるが、これもおかしい。日本が集団的自衛権を行使するのを米国が望んでいるのは確かだが、米国にも希望を表明する権利がある。その希望に日本が応じたのは、抑止力を確かなものにするため、日本を守るという米国の約束を確かなものにしておくにはせめて集団的自衛権の行使くらいは絶対必要だと思ったから、つまり自分自身の利益のためなのである。

それに、米国の言うことに従うのはおかしいと言う人たちが、憲法九条を盾にするのは、自己撞着ではないか。戦後の憲法作成過程は十分明らかになっているわけではないが、九条の原案は米占領当局が作った、そしてその狙いは日本が再び米国の脅威になるのを防ぐために日本を「武装解除」しておくことにあった、このことは否定できないからである。

「米国は世界中で戦争をしかけている。そんな戦争に巻き込まれたくない。今のままがいい」という意見はわかる。今回の法案のままでは、自衛隊が世界のどこにでも行くことができることになるのも認める。しかし、「今のまま」、つまり日本を守る米軍に助太刀してはならない、米軍はそれでも日本を防衛する義務がある、というのは甘え、占領状態の継続と同じではないか。それこそ対米依存も極まれりということで、依存するだけではいつでも捨てられてしまうのである。米国の中では、「日米安保関係において日本は応分のことをしていない。そのような日本が、中国などと勝手に対立して起こす戦争に引き込まれたくない」という、全く逆の立場からの声があるのを知っているだろうか?

法案修正の必要性

 今回の法案は、同盟条約を結んでいる米国を相手に集団的自衛権の行使を可能にすることがその動機であった。ところが実際の法案は、「我が国と密接な関係にある他国」等、集団的自衛権行使の対象を大きく広げている。在外邦人保護のためにも、自衛隊を派遣できるようになる(もちろん派遣する側の国の政府、上空を通過する国の政府の同意を必要とする)。在外邦人保護には賛成だが、それ以外、例えば中東の危機に自衛隊を派遣するようなことには慎重たるべきである。

だから筆者は、採決の前にこれらの点が修正されるのだろうと思っていたのだが、民主党はそれでは政局にならない、原案のまま自民党が強行採決したという形を作って政局にしたいということなのだろう、修正案を提案すべしとの党内の動きをつぶしてしまった。野田政権が集団的自衛権解禁の方向で検討を始めていたことには頬かむりをしてである。そして、修正案作成の動きを見せた維新の会は、途中で分裂してしまった。このあたりが、ものごとの是非より、まず政権奪取ありきの政党政治の性なのである。

ではどうなるか。自民党が、みすみす廃案にすることはあるまい。廃案にして安倍総理が退陣するという敗北主義シナリオより、参院では否決されたとみなして衆院に持ち込み、出席議員の三分の二の支持を得て法案成立、そして総理は紛糾の責任を取る形で後身に総裁の座を譲る、新総裁・総理は経済対策を前面に立てて総選挙に打って出る、というシナリオの方が蓋然性は高い。選挙への準備のできていない野党は崩れ、自民党が消去法で勝つという寸法である。

いずれにしても、米中関係が緊張激化の方向に向かっているし、中国の安定自体があやしくなっている、そして米国の利上げや中国経済の停滞で世界経済が大荒れに突入しようという今、また衆院、参院間でねじれが生じて政権が一年毎に代わるという悪夢だけは繰り返してほしくない。

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