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2012年3月17日

インドはカーストがあるから発展できない? インド旅行から

「インドはカーストがあるから発展できない」?
――ドイツのギルド、アメリカの職能別労働組合との違い――

日本人はインドというとすぐ、「ああ、あそこはカーストがひどいですからね」と言って手を振り、そのままインドのことを忘れてしまう。それは、ものごとを上からの目線で決めつけて、インドというチャンスをみすみす逃しているのだ。最下層のカースト出身者が大統領になったこともあることを、これらの人は知っているのだろうか?

外国の企業がインドに進出した場合、カーストは確かに問題だ。たとえて言えばコピー取りとかワードの打ち込みとか仕事毎に、どのカーストの者がやるべきかが厳格に決まっているので(4000から5000もの職種について、それぞれのカーストが決まっているという)、日本の企業なら一人の社員でできるのことに何人もの社員を雇わざるを得ない。また低いカーストの者を高いカースト者の上司にでも任命しようものなら、組織が動かなくなる――つまり生産性が低くなる。こうなると、能力に応じた人材配置ができず、道路工事などでも建設機械をおいそれと導入できない。カーストを尊重して人力に頼らざるを得ない作業が多いからで、そうするとできた道路の質は悪くなる。

イギリスの支配は、いくつかの点でインドを後れた社会のまま固定してしまった面もある。例えば国勢調査が行われるようになってから、カーストが明文化、固定化されてしまったのだそうだ。そしてイギリス人は、実際に使われていた慣習法よりヒンズー法、イスラム法に重点を置くことにより、カースト上位の「バラモン」による支配をかえって強化してしまったとも言われる。社会の現実を見ることなしに、西欧の概念に(表面だけ)似たものを現地で探し、その重要性を過度に評価するという、ヨーロッパ人の悪癖は当時からあったのだ。

経済近代化と民主主義がカーストを相対的なものとする

経済が発展するにつれ、カーストは徐々に相対化しつつある。都市では、隣家がどんなカーストに属するのかわからなくなっているというし、子息をオックスフォードあたりに留学させ、帰国後はITや金融など以前はなかった職種につかせれば、カーストは意味を失うのだそうだ。バンガロールで操業している日本のソフト企業の社長から話を聞いたが、インド人の雇用にあたってはカーストに注意を払っていないそうだ。

そして既に書いたように、下層カーストは人口の半数を超えるので、民主主義のインドにおいては最大の政治勢力だ。下層カーストの者たちが作った大政党というのはないようだが、上層カーストの者たちが作った政党は、下層カーストの票を求め、彼らへの優遇措置を充実させてきた。政府(公務員)、国立大学、あるいは民間企業で、一定の数のポストを下層カーストの者に与えるよう、憲法、法律で定める等である。

こうしてみるとカーストは、「簡単な問題ではなく、これから長く残るだろう」(ある日本人の言葉)にしても、外国企業の対インド投資を断念させるほどの問題ではないだろう。アメリカでも、例えばハリウッドではカメラマン、化粧、大道具制作等々無数の職種についてそれぞれの労組があって、職種間の協業を妨げるので撮影費用が増える。ヨーロッパでも近世までギルドがあって、余所者は厳格に排除された。

カーストも、もとは征服民族が被征服民族を支配するための手段であったのだろうが、今では差別のための手段と言うよりは、個々のカーストの利益を守るギルド的な性格を持ってきたと言えるのではないか? それならばものもやりようで、清掃、例えばコピー取り専門のカースト出身者を揃えた派遣企業を作ってもらい、そこから派遣社員として雇っていけば、企業も柔軟・機敏な人事政策ができる。リストラも機敏にできるだろう。カーストの近代化である。

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