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2011年1月 1日

丹波地方紀行記

11月秋の一日、兵庫は丹波の篠山(ささやま)に行ってきた。丹後とか丹波とか聞くと、小さい頃読んだ山椒大夫の連想もむくむくともりあがり、何か山懐に抱かれたたいへんな秘境であるかのような意識があったので、一度紅葉見物がてら行ってみようと思ったのだ。(地図はを御参照ください)

なぜ神秘な秘境と思ったかというと、出雲にあったと言われる大国主の王国と、奈良は三輪にあったという大物主の王国とは源を同じくするという見方があって(西からやってきて熊野に上陸したあと北上してきた神武天皇の軍勢に屈服した)、それが事実ならば、このあたりはまさに出雲と近畿を結び付けるものではないかという予感があったのかもしれない。

だが現地に行って得た結論は散文的で―――景観は埼玉県西部を思わせるが、流石に長い歴史が感じられる、という程度の平凡なもの――、でも温泉にゆっくり浸かってゴルフでもするにはいいかなと思う。
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その歴史を言うと、このあたりは京都から山陰へ出る交通の要衝であったばかりでなく、京都の食糧基地の一つでもあったようだ。丹波地方にはいくつかのかなり大きな盆地があって(そのうち一つは太古は湖か海で、恐竜の住むところだったらしく、今でも恐竜の骨が出るそうだ)、そこでとれるコメや野菜は保津川を通って京都へと運ばれていった。
RIMG0409.JPG (篠山城から見た盆地)

保津川は嵐山に出ると、桂川となって京都の町を流れ、それに沿って南下すると、今度は淀川に至る(このあたり、奈良は水利が悪く、汚水を流し出すのにすら差し支えたと言われるのに比べると、京都ははるかに水に恵まれている。それでも安全保障上の配慮からか、首都を海岸に立地することを避けている)。もっともその盆地などより、京都から奈良・飛鳥に向かって広がる平野は比べ物にならないほど大きいので、古来からこちらの方が大和朝廷の拠点になったのも不思議ではない。

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(嵐山)
保津川は京都と亀岡の間が渓谷になっていて(今ではトロッコ電車が岸辺を走り、紅葉の時期にはこれで保津川をさかのぼった後、川船下りをするのが最高の観光コースになっている)、江戸時代以前は物流に使えなかったのが、江戸初期前後の朱印船で儲けた京都の豪商角倉(本名は吉田)了以が広げる工事をして初めて使えるようになった。彼は京都市内の高瀬川(森鴎外の「高瀬船」の舞台になっている)も整備し、これを南下すると伏見の川港で淀川に出られるようにした。
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(高瀬川――だと思う)

丹波地方は古来から豊かであったらしく、早くから豪族が存在したらしい。そして平安時代になると皇室領、公家領、社寺領も増える(だから侍の所領はなかなか増えなかったという)。でまあその後、南北朝やら応仁の乱やらですったもんだの取り合いの末(そこらへんの経緯はhttp://www2.harimaya.com/sengoku/html/hatano_k.html)に詳しい)、波多野氏がこのあたりに支配権を確立した。だが波多野家は織田信長に征服されて(直接には明智光秀)、波多野三兄弟は安土城で磔の刑に処せられたという。
江戸時代、このあたりは山陰への交通の要衝だったから、盆地の中央、篠山に立派な城が築かれて、代々譜代の大名がその領主に任ぜられた。今でも篠山には、江戸時代からの商家が軒を連ねる旧市街が残り、その規模は全国でも有数だ。
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(篠山の旧市街)

篠山は大阪駅から約1時間、東京で言えば八王子に相当する距離にあって、大阪の通勤圏になり得る。おそらくバブル期に開発されたのであろうゴルフ・コースもいくつかあって、開発の手は入っているのだが、僕の行った時客は少なかった。

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