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世界はこう変わる

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2013年7月21日

あのロシアが今ちょっと・・・

ロシアはこの1年、経済は石油依存の停滞、政治は保守化というレールを突き進んできた。最近発表された世銀のデータでは、ロシアはGDPで実に世界の第5位に躍進し(米、中、インド、日本の次で、ドイツを抜いた。但し購買力平価で測定した場合の話しで、IMFのドル・ベースでの統計では世界8位だが)、ヨーロッパ最大の自動車市場にも近くなるだろうという、浮いた話もある。
その一方、ロシアの学生たちの多くは国営企業への就職を志向する。そして彼らは、国営企業の多くでは能力を発揮するより、処世術の方が重要であることをよく知っていて、ニヒルな気持ちでただ単位だけとっている。

単純化して言えば、ロシア社会は閉塞しているのだ。まるで19世紀末、チェーホフの「桜の園」が描くロシア社会にそっくりで、そのうちまた革命があって、金持ちが殺され、その富がばらまかれるのはいいが、経済はその後停滞してしまうーーこの国は、そういう不毛のサイクルの繰り返しに陥ったのかと思っていたのだが・・・

ロシアはこの数日で、少しドラマチックになってきた。もしかすると、ペレストロイカ末期エリツィンが台頭した頃のような、歴史のうねりが始まるのかもしれない。様々の偶発的事件も重なって、事態がコントロールを外れ、大衆の感情、そして欲望がこれに重なってうねり始めると、もう誰にも止められない。その先には希望が待っているのかもしれないし、1992年のように破滅が待っているのかもしれない。

まさにその1992年、中国では鄧小平が外資優遇政策を打ち出して、その後の急発展の出発点としたのだが、今のロシアにそれができれば、自分も救える、そしてEU経済をも救うことができるだろう。それができなければ、ロシアは不毛のサイクルを繰り返す、世界でも珍しい国になる。

スノーデンとG20、そしてソチ・オリンピック

 プーチン政権にとっての想定外の要因は、香港から飛び込んだ。米国のマンモス電波傍聴機関NSAに私企業から派遣されて働いていたスノーデンという男が、「NSAは同盟国に対して諜報活動をし、米国内でも国民のプライバシーを侵す傍聴をしていることを世界に告げるため」、ハワイから香港に逃げ、そこから多分Wikileaksあたりの支援でモスクワ経由で南米あたりへ亡命しようとしたところ、モスクワの空港から出られなくなってしまったのだ。米国の旅券が無効扱いになったので、移動ができなくなったという説明なのだが、多分米当局がねじこんでモスクワに止めているのだろう。彼は今、ロシアに一時亡命を認めてもらい、正式の受入国を探そうとしているが、よほどうまくやらないと、途中飛行機が強制着陸させられて、逮捕の上、米国に引き渡しという憂き目を見るだろう。

もしかすると米ロの当局は出来レースをやっているのかもしれないが、シリア問題やイラン問題でロシアから邪魔をされてきた米国内では、ロシアがスノーデンを米国に引き渡さないことにキレて、制裁措置を呼びかける向きも出ている。
サウス・キャロライナ州のリンゼイ・グラハム上院議員(共和党)が典型例で、彼は9月初めモスクワでの米ロ首脳会談をキャンセルすること、その直後9月5~6日サンクト・ペテルブルクで開かれるG20首脳会議をロシア以外の場所で開くこと、そして来年2月ソチでの冬季オリンピックをボイコットすることを呼びかけている。

G20首脳会議、ソチ・オリンピックとも、プーチン大統領がその威信をかけているものだ。二つとも駄目にされたら、時代は冷戦に逆戻りし、経済を近代化したいというプーチンの切望は叶わぬものとなるだろう(国内の締め付け強化には便利かもしれないが)。

ナヴァールヌイは第2のエリツィンになるか?

こうなると、ロシアの情勢は9月上旬、めっきり緊迫度を高めることになる。というのは、9月5~6日がG20首脳会議、8日が統一地方選で、大きな政治的意味を持つモスクワ市長選も行われるからだ。

なぜ緊迫するかと言うと、G20首脳会議の前には、ロシア当局も地方選における反政府的な候補をえげつなく弾圧することはしにくくなる、その中でモスクワ市長選ではソビャーニン現市長(次期大統領―当局系の―の可能性さえささやかれている)が、反政府の急先鋒、ナヴァールヌイ候補に再選を脅かされ、1980年代末にエリツィンが台頭した時とほぼ同じ、自由熱に浮かされた状態が大都市に広がっていく可能性があるからだ。ナヴァールヌイが上告すれば、最高裁が再び有罪判決をして彼の選挙を妨害することも理論的には可能なのだが、それは政府に対する抗議運動の火に油を注ぐことになりかねない。

ナヴァールヌイhttp://ru.wikipedia.org/wiki/%D0%9D%D0%B0%D0%B2%D0%B0%D0%BB%D1%8C%D0%BD%D1%8B%D0%B9,_%D0%90%D0%BB%D0%B5%D0%BA%D1%81%D0%B5%D0%B9_%D0%90%D0%BD%D0%B0%D1%82%D0%BE%D0%BB%D1%8C%D0%B5%D0%B2%D0%B8%D1%87は弁護士で、数年前から当局の腐敗を糾弾するブログを主宰して人気ブロガーとなり、2011年12月~3月盛んだった反政府運動の中で主要人物の一人にのし上がった。演説下手で具体的なビジョンもないので、政治指導者としては盛り上がっていなかったのだが、数年前モスクワ近くのキーロフ州の酒造企業民営化案件でアドバイスをした際、数千万円だかを横領したとの容疑をかけられ、同地の裁判所から18日、5年の禁固刑の判決を受けた。

その日の夜、モスクワなど数都市ではこれに抗議する集会が無許可で開かれ(ロシアではSNSを使って、集会やデモを組織している)、「恥を知れ!」「自由を!」「プーチンは泥棒!」などの叫びが響いた。モスクワでは集会がクレムリンの壁の下で開かれ、その横の通りでは自家用車が警笛を一斉に鳴らして、集会に賛意を表明して通って行った。暴力沙汰はなかったが、当局はこの夜約200名を検挙している。そして、事態が拡大するのを当局が恐れたためかどうか、19日検察側の申し立てでナヴァールヌイは特別に仮釈放され、モスクワ市長選に参加することとなった。これは異例のことで、クレムリンが何をどう考えたのかについては、様々な憶測がとびかっている。但し、上告審で有罪が確定すると、選挙には出られないそうだ。

20日、キーロフからモスクワに列車で帰還したナヴァールヌイは、まるで1917年、レーニンが亡命先のスイスからペテルブルクのフィンランド駅に降り立った時を髣髴させるように、数百名の支持者に囲まれて力強いスピーチをしたhttp://navalny.livejournal.com/。リベラル系のインターネットTV「雨」にはインタビューもして、これは僕も昨日自宅で簡単に見ることができたので、ロシア全土でも見ることができただろう(ロシア人の半分以上はインターネットを使っている)。2012年当時に比べると、彼もだいぶ自信がついて、ブログだけではなく、口先でも大衆を動かすすべを修得した感がある。彼のモスクワ市長選選挙事務所にはボランティアの運動員も増えて、これから大化けする可能性もある。

前記のように、すっかり逼塞してきたロシアだが、めっきり保守化した当局が、ナヴァールヌイへの実刑という「やり過ぎ」をしたことで、しばらく静まっていた抗議の声に火をつけてしまったのである。もっとも、ロシアは既に夏季休暇の季節で、街に人はあまりいないので、地方選挙を前にした8月末にならないと事態は盛り上がってこないかもしれないが。

でも僕は、1989年あたりの熱病(「自由」、「改革」を象徴するエリツィンをめぐって)に浮かされたようなモスクワを思い出す(その頃は東京から出張しただけだが)。ものすごく懐かしい。ロマンがあったあの頃。「自由」とか「民主主義」という言葉が今のように泥にまみれず、空に光り輝いていたあの頃。僕は熊野洋の筆名で、「遥かなる大地」という大河小説の舞台にしたものだ。

あの頃エリツィンはまさにモスクワの市長(当時の正式名称は共産党モスクワ第一書記)で、その遠山の金さんみたいな勧善懲悪の勤務ぶりは市民の大人気を博していたのが、共産党保守派の機嫌をそこねて、屈辱的な左遷をされる。

その後のエリツィンは、「ゴルバチョフの改革は手ぬるい。共産党を解体してその特権を分配すれば全てうまくいく」という幻想を大衆に吹き込み、1989年3月の人民代議員選挙、1991年6月ロシア共和国大統領選挙を勝ちあがって、権力の核となっていったのだ。ペレストロイカが周辺共和国の独立要求を強めてしまったのを見たゴルバチョフは、1990年以降は保守化して、独立運動を力で抑圧さえし始める。リベラルなインテリもエリツィンの下に集結し、「エリツィン! エリツィン!」という連呼がデモや集会でこだまするようになった。

ナヴァールヌイは、エリツィンのようになれるだろうか? 難しいかもしれない。彼への支持はインテリの間だけにとどまり、大衆からはむしろ反感を買う可能性があるからだ。エリツィンを支持して経済大混乱に投げ込まれ、塗炭の苦しみをなめた大衆は、「自由」、「民主」、「市場経済」、「改革」の4語を忌み嫌う。ナヴァールヌイは、大衆の好きなウォトカの匂い(エリツィンの匂い)より、この4語の匂いが紛々とする男なのである。

こういう時、ロシアではテロが起きやすい。1998年8月のデフォルト(対外債務支払い停止)で大混乱に陥ったロシアでは1年後の99年9月、モスクワなどでアパートが建物ごと爆破されて倒壊する事件が数件起き、当局はこれを直ちにチェチェンのテロリストの仕業だと看破してチェチェン戦争を始めた。その指揮を執ったプーチン首相(当時)の人気はうなぎ上りとなり、その年12月エリツィン大統領から権力の「禅譲」を受けるのである。

2006年7月には、南部のベスランというところの小学校がテロリストによって占拠され、これを解放しようとしたロシア官憲との争いの中で約400名もの人間(学童を含めて)が殺される悲劇が起きた。ロシア当局はこの直後、知事を地元の選挙で選ぶのではなく、大統領が指名する制度を復活させる等、一連の保守化措置を取ることで、テロ後の混乱を防いだのである。今回もテロが起きれば、締め付けの方向に当局は動くであろう。

だが、そういうことをすれば、西側との関係はおかしくなる。ソチ・オリンピックも、来年6月ソチで予定するG8先進国首脳会議も開けなくなるか、ボイコットされるかもしれない。テロが起きるのは防げないとしても、G20首脳会議が終わって間もなくであれば、オリンピック開催までに収拾することができるかもしれないが。

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