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2013年7月24日

国際機関勤務への誘い

僕も昔、日本の大学にいて日本しか知らなかった頃、就活と言っても対象が大企業とか銀行ばかりで、本当に「レパートリー」が狭かったことを覚えている。でも、いったん留学してみると、可能性はどんどん広がってきた。「なんでもいいじゃん」という感じ。で、その一つは国連などの「国際機関」の職員になることだ。

一言で国際機関と言っても、インド人とかイタリア人とか口達者な連中がポストを囲い込んでいることも多く、逞しくならないとやっていけない世界なのだが、それも含めて経験豊かな外務省の元同僚、赤阪氏の講演記録をもらったので、彼の許可を得てここにアップさせてもらった次第。

         
 「国際機関勤務へのお誘い 」(講演は英語)
(Invitation to work for international organizations)

    - フォーリン・プレスセンター理事長(前国連事務次長)、赤阪清隆
立命館アジア太平洋大学、2013年7月19日
はじめに
今日は、このような素晴らしい機会を与えていただいて、大変光栄です。立命館アジア太平洋大学については、たくさんの人たちから、世界に開かれた素晴らしい大学であると聞いておりましたので、こうして訪問させていただいて、大変感激しております。

私は、1971年春に大学を卒業して外務省に入ったわけですが、その後ガット(現WTO―世界貿易機関)、WHO(世界保健機関),OECD(経済協力開発機構),そして国連本部の4つの事務局に出向という形で、合計すると17年も国際機関に勤務しました。この4つとも、素晴らしい仕事場でありました。ガット(現WTO)とWHOはジュネーブのレマン湖のほとり、OECDはパリのブーローニュの森の出口、国連本部はニューヨークと、それぞれ特色豊かで大変魅力的な環境に恵まれています。

今日はなぜ私がこのような国際機関での勤務に魅了されたかをお話しして、皆さんに国際機関へのご関心を高めていただきたいと思います。私の経験が少しでも皆さんの将来にとってご参考になるなら、そして、将来一人でも二人でも国際機関で働く人が増えるなら、これに過ぎる喜びはありません。

国際機関の魅力

私の国際機関勤務の始まりは、ジュネーブのガット事務局でした。それまでジュネーブの日本政府代表部に勤めていて、そこから出向という形でした。P4という比較的低いポストでしたが、総勢400人のこじんまりとした国際機関は、まさに理想的な仕事場でした。

国際機関での仕事は、大きく分けて、ユニセフやUNHCRのようにフィールドの現場で直接に人助けをする仕事と、WTOや国連本部のように、交渉や会議のサポートをして、報告書を書くなどの仕事に分けられます。ガット事務局での仕事は、基本的には加盟国が行う交渉の補佐役というか、裏方でした。会議のための日程調整や資料を作り、そして会議では議長を補佐し、会議が終わったら報告書を作成します。私は当初、非関税障壁部に属し、1年経ったあと新設の貿易政策審査部に配属になりました。と同時に、ウルグアイ・ラウンド交渉の監視機構の事務方も努めました。

会議の報告書作りというのは、骨の折れる仕事でした。1日分の会議の報告となると相当の量になります。ガットでは、当時、基本的に会議での発言のすべてを報告書に載せていました。短いサマリーにした方が楽ではないかと思われるかもしれませんが、実は一字一句会議の発言を報告書にした方がずっと楽なのです。サマリーですと、発言者があとで正確でないとか、話した内容が十分含まれていないなどと文句を言ってくる可能性が高まります。発言のすべてですと、労力はかかりますが、頭脳を働かせなくて済みますし、誰も文句を言いません。

面白い発見もありました。私など、日本語で話している時も、文法上正確でないなと感じるときがいっぱいあります。田中角栄元総理も、聞いている分には良く分かった気がするものの、それをそのまま書き写したら、何を言ってるのかさっぱり分からないといわれました。英語でも同じなのですね。ニュージーランドの代表だったか、英語を母国語にする人の発言を、会議のあとで記録のテープをおこして書き出したら、文法がめちゃくちゃでこちらが手を入れてきれいな英語にしたというようなケースもありました。

一番苦労し、かつ楽しかったのは、貿易政策審査部での仕事でした。新しく出来た部ですからまだ少数で、部長がドイツ人、その下にイギリス人の次長、そしてスタッフはアメリカ人女性、インド人男性、そして私の3名しかいません。秘書も3名でした。まずは米国、豪、モロッコの3カ国の貿易審査のためのペーパー作りに取り掛かることとなりました。当初は、どの国にも必要な基本経済統計の取り方などについて協議し、それから我々3人に一カ国づつ担当国が割り当てられることになりました。「国の割り当ては指示があるまで待て」ということでした。

 どの国が割り当てられるかはそれからの仕事の量と厳しさを左右します。昼休みの休憩中、自信家のアメリカ人女性が、彼女は米国、インド人はオーストラリア、私はモロッコで決まりなどというものだから、「そうか彼らに英語力で劣る僕などは一番小さい国か」と観念して、モロッコの勉強でもするかという気になっていました。
 そして、発表の日がやってきました。部長から、私が米国、インド人はオーストラリア、アメリカ人はモロッコを担当するとの指示でした。アメリカ人のべそをかいた顔が忘れられません。私は大国を与えられて緊張しました。米国の貿易政策全部を一人で纏め上げなければならないのですから、これは大変なことになったと思いました。それからの半年は、死に物狂いでした。米国代表部からも必要な参考書類などが大きな段ボール箱でどさっと届きました。

 その年の秋に私のボスのドイツ人部長と一緒にワシントンに行って、貿易代表部(USTR)や国務省などと協議しました。事前に200問からの質問を送ってありました。貿易代表部のカッツ代表補が、我々との協議中に私のボスに、「米国を担当するのはこの日本人でよいが、まさかこの日本人を来年の日本の貿易審査の担当にはしまいな」と脅かしとも取れる口調で質問しました。わがボスは、「担当者を誰にするかはまだ決めていないが、日本語の書類も読める必要があろう」と突っ張ねました。そして、米国の審査が終わると、「キヨ、お前が日本を担当せよ」との指示が私におりてきました。

ここら辺から、この国際機関で働くことの面白さというか、心意気を感じるようになりました。米国のペーパーでは当時問題になっていた301条やスーパー301条問題などについて、相当厳しい評価をしました。当時、このペーパー案は、最終段階でダンケル事務局長のところでの幹部会議にかけられたのですが、米国については初めての審査ということもあって、批判的な部分がバッサリと削られました。審査が終わったあと、ファイナンシャル・タイムズだったと思いますが、「GATT Missed the Chance」という社説を載せました。米国批判が生ぬるくて、せっかくの機会を逃したというわけです。悔しくてならず、それから2年後の第2回目の米国の審査では、もっと厳しい評価を入れました。事務局長の警戒もその時分には大分緩んでいましたから、削られるところも少なく、部長と一緒に溜飲を下げました。

ガット事務局で4年間勤務したわけですが、そこで感じた国際機関の魅力というのは強烈でした。何よりも、実力主義で、一生懸命によい仕事をすればそれを高く評価してくれる幹部がいました。それと、ガットは自由貿易という理想を追い求めるところでありますから、その理想主義を自分の仕事に反映できる楽しさがありました。米国であれ日本であれ、その貿易政策に問題があればそれを鋭く指摘して、改善を求めることに少なからぬ喜びを感じました。

さらに、私は、密かに自分の仕事は日本のためにもなっているという自負心がありました。例えば、米国の保護主義的な貿易政策を批判したのもそうですし、また、日本の貿易政策に関するペーパーでは、コメの問題についてなぜ日本が特別な事情を主張するかについても詳しく書きました。

さらに仕事環境が理想的でした。オフィスの前にはレマン湖が広がり、その先にはモンブランも見えるという環境もさることながら、1年の初めにその年の仕事の計画が大体立って、イースター休み1週間、夏休み4週間、クリスマス休み2週間などという休暇も事前に計画できるのは大きな魅力でした。

国際機関で働く日本人の現状

ここら辺で、国連に働く日本人職員の数を見てみましょう。その数は、極端に少ない状況が現在も続いています。
2010年末の国連統計によれば、国連事務局、ユニセフや国連環境計画などのファンズ&プログラム、それにWHOなどの専門機関を合わせた国連組織全体の専門職員数(秘書、タイピスト、運転手などの一般職を除く)は、約3万人(正確には29,891人)でした。このうち日本人は、786人、すなわち国連全体の専門職員の2.6%でしかありませんでした。外務省の調べでは、2011年、2012年時点で765人となっていますが、両者の違いは誤差の範囲と考えていいと思います。

専門機関とファンズ&プログラムを除いた国連事務局だけに限った場合、2011年6月末時点での専門職員は12,214名で、その内日本人は1.7%の208名でした。また、専門職員以外の一般職員、平和維持ミッションのフィールド・サービス職員の間にも、日本人はごく僅かしかいません。

国連事務局の専門職員をランク別で見ると、2011年6月末段階で、事務次長(USG)は29名、事務次長補(ASG)は23名、D2(部長クラス)は67名、D1(課長クラス)が207名います。 これら幹部クラスの人数は、日本が11名(その後ASGが一人減って現在は10名)なのに対し、米国はその4倍近くの数を誇り、仏、英、ロシア、独ともに日本よりも断然多くいます。しかもこの数字は、地理的地位を持った幹部に限っていますから、実際の数字の格差は、もっと大きいはずです。

地理的地位を持つ職員とは、国連通常予算で支弁され、1年以上の任期を持つ職員であり、通訳、翻訳などの言語職員は除かれます。2011年6月現在、12,214人の専門職員のうち、地理的地位を持つ職員数は、2,049人に限られます。他は、PKO予算、PKOサポートアカウント予算などで人件費が支弁される職員です。

この地理的地位を持つ約2千人を対象に、各国の予算分担率、人口などを基礎に、衡平な地理的配分の原則を適用して、望ましい国別職員数が定められています。日本は望ましい職員の範囲が下限で202人、上限で273人なのに対し、2012年6月末現在、そのようなポストに見合う邦人職員数はわずか60名しかおりません。邦人職員数は現在の4倍の数になって本来望ましい姿になるということです。望ましい数に比べて、職員数がこんなに極端に少ない国はほかにありません。

国連とその関連機関のヘッドを見てみましょう。米国(世銀、ユニセフ、WFPなど)やフランス(IMFなど)などは、数多くの国連専門機関やファンズ・プログラムの長のポストをしっかり保持しており、なかなか手放しません。

日本も、1990年代中ごろには、WHO(世界保健機構)事務局長に中嶋宏、UNHCR(国連難民高等弁務官)に緒方貞子、国連本部の事務次長に明石康の3氏を擁して、日本人の顔が国際場裏で目立つ時期がありました。しかし、ユネスコの松浦事務局長が2009年に退任したあと、2年余り国連の専門機関や基金などの国連ファミリーのヘッドに日本人は誰もいなくなり、ようやく2012年から、国際海事機関(IMO)に関水康司事務局長が就任して、ひとつ取り戻したところです。

なお、国連に直接属していないIAEA(天野之弥事務局長)や地球環境ファシリテイーGEF(石井菜穂子CEO)、アジア開発銀行(中尾武彦総裁)などの国際機関に日本人トップがいますが、それでも全体としてはまだまだ少ないと言わざるを得ません。

国連平和維持活動(PKO)は、目下ハイチや南スーダンなど世界の14箇所で展開されていますが、その代表を務める事務総長特別代表に、日本人は今誰もいません。日本からは、かつて明石康(カンボジア、ボスニア)、長谷川祐弘(東チモール)両氏が事務総長特別代表を務めましたが、2006年9月以降日本人が一人もいない状況が続いています。
トップから一番低いランクの国連職員まで、これほどの過少代表問題を抱えている国はほかにありません。日本は、国連のために、米国に次いで2番目に多い分担金を負担しているのに、この体たらくはどうしたことでしょうか。しかもこれは今に始まったことでなく、何十年も前から問題視されていたことなのです。

国際機関に日本人がいることの重要性

では、国際機関に日本人が少ないと何が問題なのかを検討してみましょう。
トップの場合は明瞭です。バン国連事務総長が韓国のイメージアップに貢献している度合いは絶大なものがあります。国際機関のトップの顔は、おのずとその人の出身国のイメージとダブります。ですから、日本人トップは、日の丸の旗を背負った広告塔とも言えます。緒方貞子氏がUNHCRで活躍されたことで、世界の難民問題への日本の貢献振りが各国から一段と理解されましたし、松浦晃一郎氏が事務局長だったユネスコについても同様です。明石康氏は国連事務総長特別代表としてカンボジアとボスニアで活躍されましたし、WHOの事務局長だった故中嶋宏氏も、いろいろと批判はありましたが、それでも、ポリオやらい病などの感染症の撲滅、たばこ対策、途上国支援などのために数多くの功績を残されました。

国際機関のトップが日本人の場合のメリットとして、スピーチをする際などことあるごとに、日本の政策や経験、伝統や習慣などへの言及によって、日本への理解を深められる利点があります。また、日本主催の会議への出席、困難な事案がでた際に日本の事情への配慮、日本からの訪問者との面談など、有形無形のメリットが得られます。私も、国連ではバン事務総長から韓国のことを随分と学びました。韓国では、ラブレターへの返事をもらうためには、1回であきらめてはダメで、少なくとも10回くらい出せということなどがその例です。

トップだけではありません。国際機関に日本人職員がいることによって、様々なメリットが得られます。まず、国際機関からの情報がよりスムーズに届くとのメリットがあります。無論、国際公務員は中立でなくてはいけないし、どの国からも指示を得てはならず、仕事上の守秘義務もありますが、各国の外交官との情報交換までも禁じられているわけではありません。日本の外交官やジャーナリストにとっても、国際機関の日本人職員からの方が他国の職員からよりも情報を入手しやすいのは当然でしょう。

今年の春に国際オリンピック委員会の理事会がレスリングを競技から除外する勧告を行ったあと、読売新聞は社説で、「組織の中核に人材を送り込まなければ、日本の利益を運営に反映させるのは困難だ。正確な情報を入手するのも難しいだろう」と書きました。この理事会には日本人は一人も含まれていなかったからです。これと同じことが、他の国際機関や国連自体についても言えます。組織の幹部に日本人がいなくては、日本は意思決定過程に加われず、情報も十分に入らないまま、その決定を黙って受けるしかありません。

さらに、日本の考え方を国際機関の政策や文書に反映できるとのメリットがあります。日本の事情を十分踏まえた日本人職員が作成する会議文書やプロジェクト案と、日本人でない場合とを比較すれば、その差は明らかです。先ほど申しましたように、私は、ガット(今のWTO)事務局勤務時代に、日本の貿易政策審査のための事務局ペーパーの中で、日本の農業の事情、特にコメの果たす伝統的、文化的な役割にも多くのスペースを割きました。あれは日本人の私だから出来たと思いますし、国際機関職員冥利に尽きる思いがしました。

日本の国際的なイニシアチブを効果的に進めることができるメリットもあります。これまで日本政府がイニシアチブをとってきた、たとえばTICAD(アフリカ開発東京国際会議)や人間の安全保障に関する国連の様々な活動は、国連事務局内の日本人職員に支えられてきた部分も多いのです。財務省や経済産業省も、OECDへの同省出向者を活用して、自らが進めたい国際的なプロジェクトをOECDのものとして上手に展開してきました。日本のODAが東南アジアの経済発展に貢献したという事実は、日本政府が手前味噌で自慢するよりは、OECDが評価したほうがずっと客観性と説得力を持ちます。また、途上国の金融市場の改善などは、日本だけのイニシアチブより、OECDなど国際機関のイニシアチブとなったほうが、ずっと国際的な理解や協力が得られやすくなります。

 さらに、長期的には国際機関のマネジメントや仕事の文化にも影響を与えることも出来ると思います。これまではどこの国際機関もその職員の構成などから、西洋文化の影響を大きく受けてきました。それは時に、チームワークや職員間の連帯よりも個人の自由を優先する文化を生んで、個人主義がはびこってきました。日本人が増えれば、組織全体の利益への貢献、職員間の調和の取れた体制作りなどの重要性が理解されるでしょうし、また、誠実性、責任感、自己規律、整理整頓、チームワークなど、日本人の持つ文化的特徴の良い部分を国際機関の文化に反映させられ気がします。

日本人職員が少ないのはなぜか  

では、なぜ日本人職員の数がどこの国際機関でもこんなに少ないのでしょうか。需要側だけでなく、供給サイドの日本側にも原因があると思います。優秀な日本人の応募者の数が少ないのです。

大卒の学生を同時期、一斉に採用する日本の雇用慣行とちがって、国際機関では空いたポストを公募によって埋める採用の仕方が基本です。資格要件として、「修士号あるいはそれ相当」の学位が必要なこと、「英語又はフランス語に堪能なこと」、それと、長年の実務経験が要求されることが通常です。日本の大学を卒業したあと民間企業などに勤めていて、この資格要件を充たす人は、すでに課長や部長といった相当の地位についているでしょうから、そこをやめて応募するというのは困難なことは容易に理解できます。

第2の問題として、国際機関での任用は、当初は1年または2年の任期つき契約であり、より良い条件のポストを狙うとすれば、飛び石式に、新しい空席ポストを見つけて動くしかありません。じっと石にかじりつくように、同じ職場にいて、真面目に働いていれば人事部が評価してくれて、年とともに昇進するというような世界ではありません。そういう意味では、国際機関に働く場合、将来の昇進について相当のリスクを覚悟しなくてはなりません。弱肉強食の世界であるわけです。
第3の問題として、国際機関向きの人物の養成不足もあります。各国政府の拠出によって、国際機関に若者を派遣し、一定期間(日本の場合2年間)経験をつんだ後、国際機関で正規職員となることを目指すJPO制度がありますが、日本の毎年の派遣者数は以前の50名前後から現在は30名前後へと減少しています。現役の邦人職員のうち4割強はJPO経験者ですので、JPO派遣枠の減少の与える影響は少なくありません。

さらに、日本政府全体として、国際機関の幹部やトップを狙う長期的な戦略が欠如しています。確かに、これまでのところ、日本人が常時占めるポストとして、アジア開発銀行の総裁やIMFや世銀の幹部ポスト、OECDの4事務次長ポストのひとつなどはあります。しかし、国連機関のトップとなると、どの機関に、いつ、どのような候補者を立てるかという長期展望がありません。たまたまよい候補者が出たから、急いで支援策が決まるという、場当たり的な対応でこれまでやってきました。

又、これは全く個人的感想ですが、日本人の若者にはガッツが足りない人が多すぎます。おとなしくて品行方正ですが、講義中眠る人が多いし、質問しても手を挙げる人は少なく、意見があっても積極的に話そうとしない。早朝に横断歩道で、車が右からも左からも全然来ないのに、赤信号だからといってじっと立っているような人が多すぎます。これでは国際機関のポストをめぐる苛烈な競争には勝てません。

今年6月8日付けの読売新聞によると、全国の高校2年生と大学3年生412人を対象としたアンケートでは、「今からグローバル化のための教育を受けても自分は間に合わない」と感じている割合は、高校生で50%、大学生で55%という結果だったようです。「将来、グローバルに活躍したい」という大学生は3割、高校生も4割にとどまり、内向き志向や語学力への自信のなさがうかがわれる、と報じています。

このような事情があって、日本人の国際機関トップや職員の数が少ないまま今日に至っているわけですが、ここら辺で、私自身の経験からして、国際機関で働くのはいいことずくめでもないこともお話ししておきたいと思います。

国際機関の憂鬱

さて、私は、1991年末にジュネーブのガット事務局から東京に帰った後、2年足らずで、またジュネーブに舞い戻りました。WHOの中嶋事務局長の政策顧問として、彼を支える役目を仰せつかりました。

WHOでの仕事もいろいろと楽しいことや充実感を感じるようなことは多々ありました。特に、パレスチナ支援や、緊急人道支援、ポリオなどの感染症対策では、自分たちの仕事が実際に人の役に立っていることが肌身に感じられて、仕事の充足感はありました。

しかし、WHO本部に私が赴任した1993年夏は、中嶋事務局長が再選された直後でしたが、その再選選挙をめぐって先進国の批判が渦巻いているときでした。中嶋事務局長は、個人的には大変魅力のある、博識の人でしたが、こと人事やマネジメントの面では、欧米諸国から手ひどい批判を受けました。国連機関の場合は先進国と途上国の双方が加盟国ですので、事務局長はどちらからも大変なプレッシャーを受けます。自分の国の人物や、知り合いを幹部や職員に採用してくれというわけです。中嶋事務局長は、このプレッシャーに弱かったのです。

私には、WHO勤務になって、びっくりすることだらけでした。まず、職員の数が当時6千人くらいいたでしょうか、400人のガットと違って大変大きな組織でした。また、これもガットと違って、開発途上国の職員が多数いました。各国の保健大臣が集まるWHO総会のときなど、中嶋事務局長と会談する多くの保健大臣は、必ずと言っていいほど、自分あるいは知人、場合によっては夫人、子供などのためにWHO本部あるいは地方支部でのポストを求めるのです。その結果、もと保健大臣や政府高官だったという人物などが顧問などの資格で、あまり仕事はしないのに高給をもらっていました。

こうした慣行は当時のWHOに限りません。UNESCOでもそうであったと松浦元事務局長が本に書かれています。松浦元事務局長は数年かかって荒療治をされ、またWHOでも随分と改善を見ました。むろん優秀な職員も多数いましたが、そういう人ばかりでなかったのは憂鬱の種でありました。私にとっては、公正な人事政策の重要性を肝に銘じる良い勉強になりました。この経験は、後でOECDや国連本部での仕事の際に役に立ちました。

2つ目の憂鬱の種は、理想を追求しているはずの国連職員の身の処し方が、必ずしも高潔、清廉潔白ばかりとはいえない事実でした。これは人間の性向として仕方がないのかもしれません。若いときには、理想に燃えて開発途上国の現場に飛んでいっても、その後結婚して、子供が出来、自分の家を買ったりすると、ジュネーブや、パリ、ニューヨーク、ウイーンといった快適な場所を動きたくなくなってしまうのです。そして高級車に乗り、長い休暇を楽しみ、多くのレセプションに出てシャンペンを飲みながら、貧困撲滅の話しをするようになるのです。私は、自分も含めて、こういう人たちを自嘲気味に「シャンペン・デベロプメンタリスト」と呼んでいました。

OECD勤務時代にこういうこともありました。OECD主催で、セネガルの首都ダカールから少し離れたリゾート地で農業開発に関する国際会議を開催した時です。リゾート地ですから、きれいな海岸を前に、ぴかぴかの快適なホテルで、豪勢な料理とワインをはさんだ会議でした。会議自体は有意義なものでしたが、セネガルの農業大臣はやってきませんでした。会議が終わった後、ダカールに戻ってその大臣に会ったら、彼は、「あんなリゾート地での会議には自分は出ないことにしているんだ。農業や貧困撲滅を議論するなら、貧しい地方の学校の教室を使えばいい」ということでした。まさに正論で、ぎゃふんといわされた思いがしました。

長年同じような仕事をしていると、国際機関の職員といえども、青雲の志とか、ビジョンとか、使命(ミッション)が薄れてしまうのかなと思うことがよくありました。OECDや国連では、立派な報告書を書き終わったら、さあこれで自分の仕事は終わりみたいなところがあります。それからあと、誰がその報告書を読むか、それをどう使って、実際の政策にどう反映させるかなどは、お構い無しというのが頻繁に見られます。報告書が売れなくても、読まれなくても、自分の給料には何ら響きませんから。これは、いずれの国のお役人をとっても同じことが言えるのでしょうが。

国連では、バン事務総長が、ニューヨークなどの本部とアフリカなどでのオペレーション現場との間を職員が交互に異動するモビリテイーを高めようとしてきました。しかし、これには、現場の職員はもろ手を挙げて賛成なのですが、快適な生活を楽しんでいる本部の職員の多くは大反対でした。日本や韓国の外交官は、上司から次のポストはアフリカだと言われればそれに従うしかないわけですが、国連の場合は、自分が空いたポストに応募しない限り今いるポストを追われることはありません。それで、バン事務総長は、途上国勤務の経験がないと昇進ができないようにしようとしたのですが、本部職員の抵抗はものすごく私がいるときには実現しませんでした。

もう一つの憂鬱の種は、これもWHOで嫌というほど思い知らされた国際機関職員の限界です。幹部ともなると外交官のように特権免除が与えられているのですが、あくまでも加盟国が主人で、国際機関職員は「サーバント」です。どんなことがあってもメンバー国にはたてつけません。WHOでは、中嶋事務局長がアフリカ人を馬鹿にしたといってアフリカの加盟国が大騒ぎをしたことがありました。中嶋事務局長は、非公式の会合で、アフリカの職員はジュネーブの生活になかなか適応が出来ず、英語を書くのに苦労するから、職員数が増えないといったのが彼らの癇に障ったのです。WHO総会で彼の辞任を要求する動きにまで発展して、冷や汗をかきました。54カ国ものアフリカ諸国が数を頼んで騒いだらえらいことになるという教訓を得ました。

私の国連勤務中は、アルメニアとトルコとの間の20世紀初頭に虐殺があったかどうかをめぐる問題や、イスラエルとアラブ諸国との間の確執で、こっちを立てればあっちが立たない、あっちを立てればこっちがというというデイレンマに翻弄されました。国際機関で長年勤務すると、退職したあとも面白い文章が書けないと言われます。右にも左にも遠慮する癖が残っているので、面白くもない官僚的な文章になってしまうようです。

そのほか、憂鬱の種としては、過度な個人主義も挙げられます。みんな自分の権利や既得権のことになると目の色を変えます。特に昇進をめぐっての自己主張、自分の能力への過度な自信には辟易することもありました。それでも、これは国際機関では、当たり前。このような環境で長年働くと相当タフな人間になることは確かです。ですから、久しぶりに日本へ帰ってきて、先ほど言いましたように、若者のガッツのなさに腹の立てることの多い毎日です。グローバル人材の育成が叫ばれる日本ですが、国際機関で活躍できるような人を育てるのは並大抵ではないと思います。赤ん坊か小学生ぐらいの時から、個性を磨き自分の意見を持たせる教育が必要かなと思います。

どうすれば国際機関にもっと日本人を増やせられるか

極端に少ない国際機関の日本人職員をどうしたらもっと増やせることが出来るでしょうか。先ほど、供給サイドの問題があると申しましたが、これは日本側で対応策を考える必要があります。
まず、国際機関の長のポストですが、これは空席になっても向こうから日本に振り当てられるということはまずありません。そのポストに、日本から有力候補を送り込み、多くの場合は選挙で、他の場合は根回しで勝ち取るしかありません。特に国連専門機関の場合は、選挙に勝てばトップを得られるわけですから、日本が候補者を出すか出さないかの問題です。

国連には、現在15の専門機関が存在します。一番古いのが1865年設立の国際電気通信連合(ITU)で、そのほか、世界気象機関(WMO),万国郵便連合(UPU),国際労働機関(ILO),世銀(IBRD),国際通貨基金(IMF),国連食糧農業機関(FAO),国連教育科学文化機関(ユネスコ)、国際民間航空機関(ICAO),世界保健機関(WHO),国際海事機関(IMO),世界知的所有権機関(WIPO),国際農業開発基金(IFAD),国連工業開発機関(UNIDO),世界観光機関(UNWTO)で、それぞれの事務局長は選挙で選ばれます。

専門機関のトップは選挙で選ばれます、日本もこれまでいくつかのポストを選挙で争って獲得してきました。WHOの中嶋宏、ITUの内海義雄、ユネスコの松浦晃一郎、IMOの関水康司の四人で、現在は関水氏一人だけが現役です。将来日本はどの専門機関のヘッドを狙えばいいでしょうか。過去にトップを占めたWHO、ITU,ユネスコを再度狙うのも一案です。「また日本か」という反応は当然ありえますが、米国は、ユニセフ、WFP、世銀のポストを放しませんし、フランスはIMFの長を何度も輩出しています。このほか、WMO(現在仏出身者)、WIPO(現在豪出身者)なども日本が狙う余地はあります。

準専門機関というべき国連傘下の自治機関に国際原子力機関(IAEA)があり、現在このトップは、選挙で選ばれた外務省出身の天野之弥氏です。また国連機関ではありませんが、密接な協力関係にある機関として世界貿易機関(WTO)及び経済協力開発機構(OECD)があります。WTOの次期事務局長は、ブラジル出身者に決まりましたが、OECDには、2006年日本が事務総長候補者を出した経緯があり、将来も当然狙っていい機関です。

専門機関のほかに、ファンズ&プログラムと呼ばれる国連総会が設置した機関が数多くあります。国連児童基金(ユニセフ)、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR),国連人権高等弁務官事務所(OHCHR),世界食糧計画(WFP),国連貿易開発会議(UNCTAD),国連開発計画(UNDP),国連人口基金(UNFPA),国連薬物統制計画(UNODC),国連環境計画(UNEP),などです。また、その他の国連機関として、国連プロジェクトサービス機関(UNOPS)、国連大学(UNU),国連エイズ合同計画(UNAIDS)などがあり、その長のランクは、ほとんどが事務次長クラスです。

これらファンズ&プログラムの長の大方は、選挙でなく、国連事務総長の指名に基づき国連総会が任命するか、あるいは彼が直接任命します。基本的に事務総長の選任ということなので、空席となった場合は、多くの国連加盟国から候補者が事務総長のところに通報されます。事務総長の選任手続きに透明性がないとのメデイアなどによる批判もあり、最近、事務総長は、まず候補者を公募し、加盟国から出された候補者を事務局幹部によって絞り込ませ、その上で、最終候補者数人を直接面接するようになりました。

このファンズ&プログラムの中で、これまで日本人がトップになったのは、UNHCRの緒方貞子氏しかいません。日本が今後候補者を出しうる機関としては、現在先進国出身者が占めている国連難民高等弁務官事務所(UNHCR),国連開発計画(UNDP)、国連薬物統制計画(UNODC),国連環境計画(UNEP),国連人間居住センター(HABITAT)といったところでしょう。このような機関のトップを獲得するためには、国際的に相当名の知れた有力候補を出す必要があります。そして政府が強力にその後押しをすることが不可欠です。

事務総長(SG)以下の、副事務総長(DSG)、事務次長(USG)、事務次長補(ASG)は、いずれも政治的任命ポストで、事務総長の任命で決まります。その下の、D2(部長クラス)以下、D1(課長クラス)、P5からP1までの職員の採用手続きは公募を原則としています。

政治的任命ポストの採用手続きは、かなり不透明です。主要加盟国間のバランス、地域バランス、男女バランスなどが考慮されるからです。事務総長のところに国連加盟国から適当な候補が推薦されたあと、副事務総長や官房長によって数人の候補に絞られて、最終的には事務総長による面接を経て決まります。加盟国から事務総長への働きかけは相当強引なものがあるようです。

私の場合も、OECD,国連の両事務次長のポストは政治的任命ポストで、日本政府の推薦と強力なサポートを受けました。それぞれの事務総長との個別面接を経たのち、任命されました。
次に、非政治的なポストの職員ですが、国連の場合、最も低いP1およびP2のうち、国連通常予算で人件費が支弁されるポストの場合は、ヤング・プロフェッショナルズ・プログラム(YPP)という、32歳以下の若者を対象とした国連の競争試験によって採用されます。

さらに、外務省が実施しているJPO派遣制度の試験に合格して、国際機関にP2レベルで派遣される道があります。JPOは、35歳以下の若者を対象に、毎年30人近くを派遣しています。

そのレベル以上、すなわち、P3、P4、P5,D1,D2のポストは、すべて公募です。すなわち、これらは、退職や離職によって既存のポストに空席ができる見通しになった際に、原則として空席ができる少なくとも6ヶ月前までにそのポストを公募に出します。それに国連内外から応募した通常100人を超える候補者の中から、まず人事部と相談して書類審査を行い、10人前後の有力な候補者を選び出します。そして、その選ばれた候補者を複数の面接官から構成される面接パネルが直接ないしは電話で面接し、最終候補者を選ぶわけです。

国際機関の日本人職員、幹部を大きく増やすためには、長期的にはこのような若い職員の数を増やすのが一番重要です。このため、日本のJPO派遣者の数を現行の30人前後から、倍増以上にすべきと思います。そしてこのような若い職員の昇進を機会があるごとに政府が後押しすることが求められます。
さらに、日本の外務省や財務省、農林水産省、厚生労働省などが、職員を国際機関に出向の形で派遣しており、そのうちの幾人かはそのまま国際機関に残る道を選んでいます。このような出向者の数を増やすというのも一案です。

8、結論

今日は国際機関で働くことの憂鬱な面もお話ししましたが、客観的に見てもプラス面のほうがはるかに多いと思います。私自身、国際機関で働く魅力と憂鬱を相殺させると、断然、魅力のほうが多く残りました。仕事の充実感を求めるなら、国連で働いて失望することはないでしょう。理想に燃えた若者にとって、これほどすばらしい仕事環境は他に見つけにくいだろうと思います。
 
紛争地に赴いて平和を維持し、貧しい人を助け、女性と子供を差別と暴力から救う、赤ん坊にポリオのワクチンを与え、子供にマラリアにかからないように蚊帳を与え、飢えに苦しまないように学校給食を配る -国連や他の国際機関には、このようなやりがいのある仕事が一杯あります。世界の首脳などを集めて大きな会議を組織するというのも、エキサイテイングな仕事です。

このような国際機関の魅力を日本の若者にもっと知ってもらう努力も必要でしょう。大学でも、もっと国際機関への就職を奨励するようなコースや情報がほしいものです。国際機関で働くために、学生諸君がやるべきことは、まず語学と、将来何をやりたいかを決めることです。国連の様々な組織は、安全保障、政務、PKO, 開発、人道支援、難民支援、環境、保健、IT, 法律、広報、統計など、とてつもなく広い分野にまたがっています。人の役に立ちたい、貧しい人や困っている人を助けたい、難問にチャレンジしたいという強い気持ちがあれば、ふさわしい仕事場は見つかるはずです。

最近、日本の若者が海外に出たがらなくなったと言われます。確かに留学生の数は減っていますし、企業に入っても海外勤務を希望する人が少なくなっているようです。いろんな事情があるのでしょうが、これでは日本がこれからもっと必要となるグローバル人材が育たないのではないかと心配になります。

若い人には、食わず嫌いで海外に出ないのではなく、リスクを覚悟でも海外に出てもらいたいと思います。海外で学んだり働いたりすると、人が大きく変わると言います。内向きな人がアグレッシブなくらいに外向的になります。私自身、大阪の片田舎に生まれて、若いときは内気で大変な恥ずかしがりやでした。美人の女性との前や人前で話すとなるとすぐに顔が真っ赤になるので、高校自分は「タコ」というあだ名を頂戴しました。しかし、その後海外で学び、国際機関などでいろんな国の人々と一緒に仕事をして、随分と度胸がついた気がします。 

去る5月に安倍総理が発表した成長戦略第2弾はグローバル人材育成のための施策が含まれています。世界に勝てる人材を育てるためにも、海外留学生を倍増するとの計画も検討されています。このような機運の高まりを受けて、国際機関で働きたいと思うような若者の裾野が広がることを期待したいと思います。若い日本人の国際職員の数がもっと増えれば、近い将来その中から国際機関のトップや幹部を狙える人もたくさん出てくるでしょう。

私自身は、4つもの国際機関で働く機会を得て、非常に幸せな人生を送ることが出来たことを感謝しています。それだけに、皆さんのような若い人たちに、国際機関で働く喜びを味わっていただきたいと切に願います。そのために、私が少しでもお役に立てることがあれば喜んでお手伝いしたいと思います。面接の受け方などについても、模擬面接を含め喜んで手伝わせていただきます。確かに、国際機関で働くためには様々な難関があります。忍耐も必要です。しかし、私の経験でしかと申しあげられることは、若いうちに強い意志と夢を育てておけば、必ずや道は開けるということです。皆さんの今後のご活躍と、将来のご発展を祈りつつ、私の話を終わらせていただきます。(了)

コメント

投稿者: 中沢賢治 | 2013年7月26日 15:24

赤阪様の講演録を読ませていただきました。最新の国連機関の様子が良くわかり、とても参考になりました。わたし自身が国連職員をめざして外務省のアソシエート・エキスパートに応募したのはもう20数年前になります。その頃は国際機関で活躍されている方から情報を得る機会も方法も限られていて苦労しました。このように詳細な情報を読ませていただいたのは久しぶりですが、もっと短い経験談ならウェブ・サイト上で簡単に見つかる時代となり隔世の感があります。国際機関に関する情報が公式なものだけでなく、本音ベースのものも入手しやすくなり、国際社会に参加し、経験してみたいと思う人々にとっては「傾向と対策」を検討しやすい時代となりました。また日本から国際機関をめざす若い人々の語学力についても、留学経験についてもこの4半世紀で大きく様変わりしたという印象を持っています。それでもまったく変わっていないと思うことが一つあります。80年代の終わりでも、2013年の今でも国際機関を目指すことが悲壮感のようなものを伴うことです。UNIDOとEBRDという2つの機関でのわたしの経験から「国際機関での仕事には多くの魅力もあり、憂うべき点もある」という点に同感ですが、国際機関の多数派である各国の出身者が、一つの選択肢として国際機関にやってきて、数年後には良いところも悪いところも経験して、自国であれ海外であれ次の仕事に移っていくのに比べると、日本からの国際機関志望者の場合「清水の舞台から飛び降りる」が如きの覚悟を強いられる点は昔のままのような気がします。「国際機関をめざす」ということが片道切符で旅を始めることである状態が続く限り、日本人職員の数が大きく増える時代というのはまだまだ来ないだろうと思っています。

投稿者: 河東哲夫 | 2013年7月29日 22:56

中沢さん。そうですよね。日本の親元から派遣されるのでなく、裸一貫で片道切符で飛び込むのとは、全然違います。
でも、その「親元」がどういうものかを知らない世代が出てきているのかも。

投稿者: Anonymous | 2013年9月29日 22:04

財政援助がかかる


私は56歳です、私は障害者で引退し、唯一の生活のない財源や家族を持っていない...私と彼は統合失調症と治療に苦しんでいるために面倒を弟はCAP IIですが、私の弟のために積極的なを使用して発作を持っており、すべてを取り服や街を残したい..とにかく....最低賃金は稼いだと家賃を支払ったので、私は、それの世話をしない財源を持っていない...私は私と彼のために家を買うためにお金を持っているのが大好きだ...私はブラジルに住んでいる....だからあなたの助けに頼る...私のバンコ·イタウSA BANKは...
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投稿者: ThomasEt | 2014年10月31日 20:32

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