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世界はこう変わる

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2010年11月 3日

9月のロシア 「ソ連」的なるものの復活と長期停滞への予感

「ロシア人」は違う人種に?
今回つくづく思ったが、ロシアは昔とは完全に違う国になってしまった、ロシア人もまるで違う新しい人種になってしまったようだ。ソ連は厳しい国だと思われていたが、人間は親切で温かった。人が良かった。それが今ではいらつき、他人には無関心、エゴむきだしといった風情なのだ。

「ソ連」の回帰
1991年ソ連が崩壊してから、早や20年。あのドラマチックな時代も歴史になった。だがロシア社会も変わりはしたが、ソ連末期にゴヴォルーヒン監督が映画「こんな生き方ではだめだ」で描いたような無責任、無気力な光景は、今でも方々に転がっている。商店の行列こそはもうなくなったが。地下鉄はソ連時代のまま。新しい車両もたまには見るが、それは加速はいやに速くとも音だけはそれほど静かになっていない。

ロシアは改革不能の文明なのか? いや、若い世代になれば違うのか? 今までの世代には、自律というものがない。自由化・民主化をすると、それは「何でもあり」の世界だということになってしまう。だからその代案は管理社会に戻ることしかない。市民道徳に基づいて自由な社会を自律的に成り立たせていくことなどできない。ある外交官が市内のアパートを借りようとしたとき、大家は「ロシア人に貸すと何をされるかわからない。外国人相手の方がいい」と言って、喜んで貸してくれたそうだ。

この20年、市場経済化だ、改革だということで、ロシアも頑張ったし、西側・日本も支援してきた。流通・サービス業では市場経済はもう十分成立しただろう。だが、肝心の製造業が一向に伸びて来ない。ビジネス・スクールの学生に製造業をやれと言うとすぐ、「政府の優遇措置は何か?」と言いだす。

ラジオに出演したら、WTOにロシアが入るメリットは何かと聞いてきた。僕が、外国がロシアに直接投資をしやすくなる、問題が起きたらWTOに提訴できるから、と言うと、なぜ外国からの投資が必要なのか、ロシアの国内産業をまもることの方が大事だ、石油依存ではロシアはもたないと言う者もいるが、原油価格はこれからも高値で推移するだろうから大丈夫だと反論してくる。そう思うなら勝手にするがよかろう。

そして経済近代化のような、企業自身、従業員自身が動かなければできない課題を政府の命令で片付けようとする。命令と管理至上主義なのだ。つい150年前までは国民の95%以上が農奴であったロシアでは、「従業員にやる気を出させる経営」などという発想は通じない。全ては御上次第、御上がすべてを知っていて、御上が国民の衣食住を保証する。

ロシア人は昔から想像力があって、技術にしてもアイデアは豊富なのだが、製品の仕上げが悪い。要するに生産作業にあたる者たちが、自分の仕事と思っていないので(彼らは給料の高いところへ簡単に移動する)仕上げもいい加減なのだ。

そしてロシアでは、大企業の多くはまだ実質的に国営で、経済の多くが国に属している。だから上から改革しろ、技術革新しろと言われるとすぐ、「では政府は技術革新のために何をしてくれるのですか? 融資をどのくらいくれるのですか?」ということになる。革新とは企業の自立、市場経済の確立であるべきなのに、それを政府の助けがないと実現できないという基本的矛盾がある
だから彼らが日本のことを聞いてくるとき、「(・・・についての)日本政府の政策はどのようになっていますか? 国家的構想(英語で言えばnational idea)はどのようになっていますか?」と言うのだ。何をどう革新するかは、日本では企業の勝手だ。National ideaだなんて、けたくそ悪い。

メドベジェフ大統領のブレインと言われるユルゲンスは最近、「ロシアを変えるためには、ロシアの国民を入れ替えないと無理だ」と発言して反発をくらったらしい。彼自身が純粋なロシア系ではないことも、反発をくらった原因だ。国民が改革に反対することはどの国でもあることだが、ロシアの場合、国民の側からの抵抗は本当に強い。新しいもの、知らないものを拒否するのだ。あるタクシー運転手は言った。「プーチンは盗んでいる。石油とかガス、国中のものを売り払って」と。大衆の感覚はこんなものだ。

幼稚園に子供をやっている親の話を聞くと、最近では「プーチンのような柔道家になりたい」という歌をみんなで唄わされている由。かつて自分たちが子供の頃、幼稚園でレーニンをたたえる歌を唄わされた過去を思い出し、ぞっとしたのだそうだ。ソ連時代の、指導者にすり寄るあの奴隷根性は、ソ連崩壊後の混乱の20年間にも生き延びていて、この頃再び社会の前面に出てきたのだ。

というわけで、今のモスクワにはどこか停滞感・窒息感が漂う。具体例で言えば、与党「統一」(政党と言っても、実際は公務員等、社会の利権を握る者たちが属する翼賛会なのだ)に属する者たちが、あたかも昔の共産党員のようにあらゆる組織に触手をのばし、学長でも学部長でもおいしいポストを次から次へと侵食している。それはあたかも、ソ連崩壊以来じっと機会をうかがってきた旧エリートがゾンビのように復活し、増殖してきたことを意味する。下からのイニシャティブ、若い力というものが発揮できない社会になってきた。

こんなことでは、ロシアはいったいどうなるのだろう?

ロシアのインテリのなかには、世界全体に危機を感じている者もいる。世界金融危機、中国台頭などの世界情勢急変のなかで、不安な気持ちを抱いているのだ。ある友人は、最近のドイツの反イスラム運動などにファッショの臭いをかぎ、恐怖感を覚えると言っていた。

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