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世界はこう変わる

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2010年10月29日

中央アジアとNIS情勢メモ--6~7月周辺

6~7月周辺の中央アジアとNIS諸国の情勢をまとめてみた。主として露語、英語の公開情報に基づく。

1.中央アジアをめぐる国際環境
(1)米ロ協調の継続

○米ロ協調関係は続いている。5月28日コメルサント紙によれば、ジョージ・クロル米国務長官補佐官(中央アジア担当)はキルギス訪問直後の27日訪ロして、カラーシン外務次官及びルシャイロ(元内相。キルギス問題についての大統領特別代表)と会い、「キルギスは安定していた。キルギスでロシアと競うつもりはない。その他、ロシア領を回避するガス・パイプラインを作るつもりもない」と述べた由。因みにこのクロルはモスクワにも勤務したことのある落ち着いた切れ者で、7月、在ウズベキスタン大使に指名されている。
 
○6月中旬、一時危機的様相を強めたキルギス南部での騒動についても、6月25日訪米したメドベジェフ大統領は米国と協力してビシュケクの臨時政府を助けて行くことを明らかにした。但しメドベジェフ大統領が「必要な時にはCSTO首脳会議を開く。米国にはこのことをわかってほしい。キルギスはロシアの戦略的パートナーなのだ」と公言したのに対して、オバマ大統領は「この件は一国の旗の下でなく、国際社会として対処していきたい」と述べ、若干の齟齬を見せたのではあるが。

○「リセット」の下、ロシア人の対米感情は好転しており、VTsIOMの5月1日調査では、米国について好い意見を持つ者が59%になった(昨年は46%)。悪い、非常に悪いは98年以来最低の27%になっている。グルジア戦直後の08年9月は65%だった。これはまた、この種世論調査の政治性も表していて、対米深層心理はそれほどめまぐるしく変わっていないと思われる(すなわち愛憎半ば。憧れが実は強い)。

○7月初旬、クリントン国務長官はウクライナ、アゼルバイジャン、アルメニア、グルジアを初めて公式訪問、最後にポーランドも訪問した。これら諸国のうちウクライナ、グルジアはブッシュ政権がNATO加盟を強引に進め、ロシアの反発をよんでいたものであるが、今回歴訪においてクリントン国務長官はロシアを過度に刺激する言辞は避け、「リセット」路線を実行して見せた。

○なお米は5月23日ポーランド(ロシア領のカリーニングラードから60KMのMorag基地に)にパトリオットの中隊を駐留させた。ポーランドに米兵が初めて常駐(100~150名)を開始したことになる。彼らは、ドイツの基地との間でローテーションをする。これはポーランドがブッシュ政権からMDを受け入れるにあたって、ロシアからの先制攻撃に対抗するため配備を求めていたのがやっと実現したものである。パトリオットは攻撃兵器ではないので、ロシアはさして反発していない。

○また7月上旬ポーランドを訪問したクリントン国務長官は、09年9月にオバマ大統領が表明していたポーランドへのSM-3(敵ミサイルを撃ち落とすミサイル)配備を確定したが、これはブッシュ時代ロシアが反対していたMDより射程がはるかに短く、ロシアにとって脅威となるものではない。7月6日タス通信を見ても、外務省ネステレンコ報道官はおざなりの反発しか示していない。

○新START条約(米ロ戦略核兵器削減)の米上院での批准作業は、共和党の抵抗により遅れており、上院外交委は採決を夏休み明けにまで延期した。中間選挙がらみとなってくるので、これの早期批准は難しくなったと思われる。

(2)OSCE
7月16~17日、カザフスタンのアルマトイでOSCE(欧州安全保障協力会議)の外相会合が開かれた。この結果、10月29~30日のあたり、カザフスタンの首都アスタナで11年ぶりのOSCE首脳会議が開かれる可能性が高まっている。本年はカザフスタンがOSCEの議長国であることから、同国は首脳会議開催への下工作を昨年から進めてきた。
ロシアはこれに積極的に乗り、「ユーラシアの安全保障についてのメドベジェフ構想」を実現する場にするべく、種々提案を行っている。

メドベジェフ構想は、ユーラシア大陸の安全を確保するため、米国まで含めた国連小型版を作り、これの常任理事国でものごとを決めようとするものである。これはNATOの役割を矮小化し、ユーラシアの政治情勢についてロシアに拒否権を与える効果を持つ。
もっとも10月末では米国は中間選挙直前ではあるし、オバマ大統領は来ないだろう。日本もオブザーバーかゲストとして総理あるいは外相が招待されることになるだろうが、今の内政状況では出席も難しかろう。

それにOSCE首脳会議を開くとなれば、欧州で山積している諸問題、つまりCFE(通常戦力削減交渉)、グルジアの南オセチア・アプハジアに駐留しているロシア軍の撤退問題、モルドヴァ共和国の沿ドニエストル地区に駐留しているロシア軍の撤退問題、アルメニアとアゼルバイジャンの間の領土問題等々、こじれにこじれた問題について、全員の顔を立てるもっともらしい文書を採択せねばならない。カザフスタン外務省のお手並み拝見というところだ。

(3)上海協力機構(SCO)
○SCOは6月11日ウズベキスタンのタシケントで、年間最大のイベント、首脳会議を開いた。市の中心部ではこの会議のためにナイト・クラブをつぶして、豪壮な国際会議場が作られた。今年のSCOは、同時にキルギス南部で多数が死亡する騒乱事件が起きたし、国連でのイラン制裁決議を受けてアフマディネジャド・イラン大統領の扱いをどうするか(昨年上海での首脳会議では賑々しく招かれて話題を独占した)など難問ばかりだったが、議長国ウズベキスタンはさしてほころびを見せることもなく、SCOへの新加盟手続きを定めた文書を採択する等、首尾よく終えたものと評価されている。

○5月22日のSCO外相会合で、新規加盟手続きについての協定、および一般手続きについての協定(もっといろいろな手続きを速くしようというもので、無駄な会議を嫌うカリモフ・ウズベキスタン大統領の肝いりと言われる)につき合意が成立していた。ロシアはSCOを拡大することに賛成だが(中国の影響力を薄めてしまいたいのであろう)、中国はインドなどが入ってくることに警戒的である由。また中央アジア諸国も、彼ら自身の重要性が薄まってしまうという懸念を持っている由。

○首脳会議は、加盟国の拡大方針などを揚げた「タシケント宣言」を採択。インド、パキスタンやアフガニスタンなどが加盟交渉を始める見込みである。新規加盟の条件として、すべてのSCO加盟国と外交関係を持っていることや、既にSCOの準加盟国や参加招待国であることなどが規定された。また、国連の制裁を受けていないことも加盟の条件とされたため(コメンルサント紙によれば中国、ロシアがその方向で動いたとされる)、イランのアハマディネジャド大統領は首脳会議を欠席した。但しモタキ外相は出席したとの報道がある。

○経済分野でメドベージェフ大統領は、SCO域内での経済開発に投資する基金の設立を検討する方針を示した。これは、中央アジア域内での経済協力で台頭する中国を牽制するものとして興味深い。

○6月11日付ロシア独立新聞によれば、拡大会合にはカルザイ・アフガニスタン大統領、ベルディムハメドフ・トルクメニスタン大統領がゲストとして出席。メドベジェフ大統領の提案でアフガニスタン痲薬問題も話し合われたが、これにはボルジュジャCSTO事務局長、ASEAN事務局次長、クリシュナ・インド外相も出席したらしい。
また6月11日付KMニュースは、アフガニスタンをめぐる討論には、ウズベキスタンの斡旋で米国代表も加わった旨報じている。6月10日付コメルサント紙及び5月24日ロシア・「ニュースの時」紙によれば、ウズベキスタンは米国を本件首脳会議全体にオブザーバーとして招待するべく運動したが、中ロの反対(中国はロシアを前面に立てた)で通らなかったものらしい。

○今回首脳会議でのキルギスの扱いは微妙だった。中央アジア諸国はバキーエフ前政権に同情的なわけではないが、4月の政変劇の背後にロシアの意向があったことを疑っているものらしく、選挙の洗礼も受けていないキルギス臨時政府首脳がこの首脳会議に同格の者として出席することを好まなかったのだろう。結果として、キルギスからはカザクバエフ外相代行が出席してオシュ情勢を説明したにとどまり、首脳の集合写真にも顔を出さなかった。
会議文書においては、キルギスについて加盟国は内政不干渉の原則で臨むが、6月下旬に予定される国民投票で速く政権の合法性を確立してほしいとの要望が表明されている。オシュで多数が殺される騒乱事件が起きている最中の文書としては隔靴掻痒の感があるが、内政干渉を好まない中央アジア諸国の気持ちを反映したものだろう。

(4)CSTO (集団安全保障条約機構)
4月のキルギス政変、及び5月、6月と激化したキルギス南部での騒動はCSTOの鼎の軽重を問うものとなり、CSTOは当面その試練を乗り切ることに失敗している。もともとCSTOは独自の軍を持たないうえに、軍を編成してもそれを加盟国の領土で展開することは難しい。NATOと同じくCSTOの決定も全会一致方式のようなので、一国でも反対すると何もできなくなる。

6月、キルギスの臨時政府はCSTOに軍派遣を頼んで駄目とわかると、今度はロシアに軍の派遣を要請している(断られた)。また6月14日付www.24.Kgによれば、臨時政府はロシアに援軍を頼む前、米国に支援を頼んだものらしい。これは軍隊派遣が無理ならせめてデモ隊鎮圧用のゴム弾丸の供与を求めたものだったが、これも米国に断られた。

○5月7日モスクワで、CSTOの非公式首脳会議が開かれたのだが、その事前の4月25日、ベラルーシのルカシェンコ大統領は記者会見を行い、「CSTO首脳会議にはキルギス問題を議題に含めるべし。加盟国で違憲なクーデターがあったというのに、これを議論せず黙っているのか? 議論しないなら自分は出ない」との趣旨を述べた。しかも彼は会議にバキーエフ前大統領(4月カザフスタンに逃げたが、カザフ国内で反発が強まったこともあって、ベラルーシに匿われている)の書簡を持参したが、そこには「CSTOはキルギスに軍隊を送り、自分を権力に戻せ」との趣旨が書かれていた(Jamestown)。

○中央アジア諸国は、このようなルカシェンコの言動を批判することはしなかった。その結果、CSTO内部の議論は割れたらしく、共同声明では(5月9日付RIA-Novosti通信)「キルギスの権力交代は、憲法に則るものではなかった。臨時政府は更なる不安定化を防止せよ。しかしこれは、キルギスの内政問題だ」という精神分裂的な文言になっている。

○なおオトゥンバエヴァ・キルギス臨時政府首班はこのサミットには出なかったが、5月9日モスクワでの第2次大戦勝利記念日の行事には参加して、メドベージェフ、プーチン、ナザルバエフと会っている。

○6月中旬、キルギス南部の騒動が再び激化するが、CSTOは14日にモスクワで臨時会合を行い、キルギスには物資援助だけで十分との結論に達した。ボルジュジャ事務局長はメドベジェフ大統領に対して、「キルギス政府は、十分の兵力を持っています。但しヘリコプター等が足りません」との報告をした由(6月15日ベードモスチ紙)。

(5)NIS・関税同盟
ロシア、カザフスタン、ベラルーシの関税同盟については、5月末首相会談をベラルーシがドタキャンしたことで7月1日正式発足が危ぶまれていたが、そこは瀬戸際外交の名手ベラルーシ、6月30日には議会が関税同盟を批准、7月1日にはみごと駆け込みで関税同盟発足に加わってしまった。
もっとも、こういうことではいつも言葉が先行する旧社会主義国達のこと。実際の関税率をめぐって抗争は続くだろうし、ロシア極東の港湾においても早や、税関でのトラブル、作業の遅れが頻発している由。

(6)ウクライナ
旧ソ連圏におけるロシアの地歩を最も左右するのは、フランスなみの領土と人口を有するウクライナなのだが、この国は2月の大統領選挙で勝利したヤヌコヴィチが東西・等距離外交を標榜したにもかかわらず、最近では対ロ接近が目立つ。もっともこの国はEUへの輸出に依存している他、世界金融危機後の不況克服のためのIMF融資を切実に必要としていることもあって、EU加盟という目標を下ろしてはいない。また5月18日付Bloombergによれば、ユーロ債発行をJPモルガン、モルガンスタンレー、VTBキャピタルに委託している由。それに4月末プーチン首相がガスプロムとウクライナのナフトガスの合併を示唆、再びウクライナのガス利権への野心を示したのに対し、ウクライナ側は言を左右にしてごまかしている。
なお本年のウクライナ・ロシア間貿易は350~400億ドル程度になるものと予想されている。以下、最近のウクライナ・ロシア関係でめぼしいできごとを列挙しておく。

①メドベジェフ大統領のウクライナ公式訪問(5月18日ロシア・ベードモスチ紙)
メドベジェフ大統領のウクライナ公式訪問が終わった。04年合意されていた国境条約の詳細化として、デマ-ケーション部分の協定に署名した。これはウクライナの対EU無査証取り決めのための前提条件である(隣国と未決の国境問題を持たないこと)。
但し5月17日付インターファックスによれば、両国間の未解決の問題としては、○ヤルタ灯台等黒海沿岸施設のロシア側への返還、○HenicheskのMars-75無線航行案内施設の帰属、○ロシア黒海艦隊要員のウクライナへの出入国手続きとウクライナ内の移動許可が残っている由。

他にアゾフ海境界とケルチ海峡の境界の2つの問題が残っているはずである。ケルチ海峡では03年、ロシアがクラスノダルとウクライナの島Tuzlaの間に堤を築き始めて戦争寸前にまで至ったが、クチマ大統領とプーチン大統領が話し合い、陸上合意ができるまで棚上げすることとしていた経緯がある。
だから今回ウクライナ野党は、政府が陸上境界についての署名と引き換えにケルチで譲ったのではないかと疑っている由。ウクライナ外務省は「ケルチ海峡におけるロシア船の航行を妨げない」との声明を出している。

②FSB要員のロシア黒海艦隊(BSF)への再配備
5月19日オデッサで、ウクライナ諜報庁SBUのホロシュコフスキー議長とロシア国家保安庁FSBのボルトニコフ議長が、FSB要員のロシア黒海艦隊(BSF)への再配備を認める合意に署名した。FSBは以前、ウクライナ国内で反政府・反NATO分子を支援したため、追い出されていたもの。

③6月中旬ウクライナ政府は、ロシアから20億ドルの融資を受けた。但し7月上旬にはIMFによる149億ドルの追加融資が決まっている。

④ロシア資本の進出(6月30日付Russia Profile)
ヤヌコヴィチの向露路線はロシア資本の進出を招き、ヤヌコヴィチの有力支持者の利益を害し始めた。例えばウクライナの大実業家アフメトフが韓国のPOSCOと共に買収しようとしていたザポロージェ製鉄は、ロシアのVEBの融資を受けた覆面会社に買収された。最近リークされたラヴロフ・ロシア外相署名の文書では、「ウクライナをロシアの経済圏に深く引き込む」との文言があったため、ヤヌコヴィチは困惑している。

⑤(6月Jamestown)
3月18に来訪したメドベジェフ大統領は、ウクライナがCSTOにも入ることを促したが、リョーヴォチキン大統領府長官が6月9日付ウクライナ・プラウダ紙で「それはない」と公言し、フルイシチェンコ外相もそれを確認した。さらに、NISについても今の客員的地位からフルメンバーになるのを急がない、と述べた。

⑥6月1日、ヤヌコヴィチ大統領は議会に外交政策重点法案を送付。EU加盟、ロシア、NISとの戦略的パートナーシップを重点事項とした。NATO加盟は目標から降ろされEU加盟のみが残った。

⑦7月10日、ヤヌコヴィチはヤルタにNISの6首脳を非公式に招待した。9日が彼の60歳の誕生日だったことに因む。共同声明では運輸・観光等のインフラ建設面での協力、FTA条約締結を推進することをうたった。また2011年4月にはキエフでチェルノブリイリ25周年に囚む国際会議を行うことも合意された。これまでNISに後ろ向きだったウクライナにしては、前向きの外交である。

2.中央アジア情勢
(1)ウズベキスタン

ウズベキスタンは隣接のキルギスでの騒乱、キルギス南部から数10万にのぼる難民の流入という試練にあったが、キルギスにCSTO軍が派遣されることに陰に陽に抵抗し、キルギスをめぐって国際武力紛争が生起するのを防ぐことに成功した。また前記のごとく、難しい情勢の中にあって上海協力機構首脳会議を成功させている。
その外交はかつてのように右顧左眄せず、ロシア、米国、中国などの間でうまくバランスを取っている。経済は世界金融危機にもそれほど影響されず、基本的に好調に推移している。但し市場においては、現金紙幣の不足が顕著であるようだ。以下、この期間における主な報道を列挙する。

①6月11日キルギス南部での騒乱再発に際し、ウズベク外務省は12日に声明を発表し、「事態に真剣な憂慮。騒乱は組織的かつ挑発的であり、何者かが民族対決を起こそうとしている。理性的対応に期待する」との趣旨を明らかにした。カリモフ大統領は6月11日上海協力機構の場で、「アフガニスタンにせよ、キルギスにせよ、国内問題なのだ。この言葉に全ては尽きている。理性的対応を呼びかける」と述べている。
なお6月初旬、キルギス領内のウズベク飛び地ソフで、ウズベク系住民が周辺のキルギス系住民と牧草地使用をめぐって争いを起こした際、ウズベク政府は装甲車と空挺団を派遣したが、短期間で引きあげている。

②6月11日上海協力機構首脳会議においてカリモフ大統領は、メドベジェフ大統領を空港で迎えた。これは最高度の儀礼であり、当初プーチンに比べてメドベジェフを軽く扱い、それ故にロシア側の反発を招いていたウズベキスタンも、少なくとも表面的にはメドベジェフ政権との関係を確固たるものとした。
だがカリモフ大統領は同時に、中国の胡国家主席との間で、年間100億立米までの天然ガスを中国に輸出する基本的合意に署名している。中国が自費でガス田を開発し、ウズベクに料金を払う条件である。
ウズベクは年間650億立米の天然ガスを生産し、09年にはロシアに対して154億立米と最大の天然ガス輸出国となっている。ウズベクはロシアへの輸出を倍増したがっていたが、ガスプロムがガス・パイプラインの輸送力を拡張しないので中国を当て馬としたのである。2012年にはロシアへの天然ガス輸出協定の期限が切れるという事情もあろう。もっとも、これで中国向け輸出が確定したわけでもない。

③7月1日ロシアのRIA-Novostiが報ずるところによると、キルギス南部からの難民はウズベクから全て帰国した。これをめぐっては、アムネスティ・インターナショナルが難民のキルギスへの強制送還をやめるよう呼び掛けたり、かつてカリモフ大統領の転覆をはかったこともある野党ビルリク党が、「キルギスのウズベク人に、軍を持った自治を呼び掛け」たりしており、キルギス南部のウズベク系住民がウズベク本国にとって持つ、複雑な政治的背景が垣間見える。

(2)カザフスタン
欧州市場での借り入れが困難となって生じた2007年夏以来のカザフスタン不況は、ようやく底を打とうとしている。その契機となったのは、世界石油価格の上昇である。4月21日付Literによれば、第1四半期のGDPは実質6.5%成長した。鉱(工)業の11.5%増が大きい。対外債務累積額は半分になった。
他方、コインの裏側として07年以来のインフレも復活し、第1四半期は年率8%となった。4月現在、砂糖は対前年比34%、コーヒーは14%、乳製品は5.5%上昇している(www.centrasia.ru)。

石油輸出収入の一部を将来のために保存しておく「国民基金」は285億テンゲになり、昨年100億使う前にあった273億を上回った(5月13日付Liter)。
内政面で大きな変化はない。外政面では4月のキルギス暴動、それに続くバキーエフ前大統領の亡命受け入れと短期間でのベラルーシへの引き渡しを首尾よく終え、今年最大の外交課題であるOSCE首脳会議開催に向かって邁進しようとしている。以下、いくつかの主要なできごとを列挙する。

①5月13日付APによれば、カザフ議会は憲法を修正してナザルバエフ大統領に終生訴追免除権(現職中の罪に対して)を与える法案を採択した。これは、彼に「国のリーダー」号を贈り、重要な内外政を引退後も差配する権利を与えるものの由。
ナザルバエフは東洋風の美徳からか、あるいは自分を雲の上に祭り上げようとする動きを察知したか、この法律に署名しようとしなかったが、6月21日には自動成立した由。
そして7月初め、ナザルバエフの70歳誕生日に合わせるかのようにアスタナで欧州経済共同体首脳会議を開き、そこでは「国のリーダー」Elbasを自分の名前にかぶせた(7月6日モスコフスキー・コムソモーレツ紙)。

この法律成立により、大統領を辞めても政策に関与し、かつ現役時代の行為で告訴されることなく、家族の財産も守られることとなる。一部では、引退への準備との観測も現れている。7月4日のイタールタス通信によれば、ナザルバエフは「健康が許し、国民の支持がある限り、自分は大統領でいる」と述べた由だが、わざわざこのような発言をするということは、ナザルバエフも後継問題があることを意識しているということだ。

②旧聞に属するが、3月プーチン首相はマシモフ・カザフスタン首相との会談で、「両国間貿易は08年の200億ドルから09年、130億ドルに減った(うち91億がロシアの輸出)」と述べている。カザフスタンは、ロシアへの電力輸出を強化する構えである。(Jamestown)

③5月20日付kazinformによれば、政府は2020年までにアクタウ付近に第1号原発を建設する計画を明らかにした。日本勢も当然、関心を示していることだろう。

④6月3日、「カスエナジー」協会のクリバエフ会長は、「石油生産が近く倍増する。テンギス、カシャガン、カラチャガナク油田の増産と稼働のおかげで、これまでの8千万トン/年が1.5億トン/年になる」と述べた(Khabar)。

⑤6月13日のkazinformによれば、タシケントでの上海協力機構首脳会議への出席を終えた中国、胡錦涛国家主席が来訪、原子力平和利用協定締結及び2本目の天然ガス・パイプライン敷設につき合意した。
これに合わせてカザフスタンの原子力公社は、広東の原発公社と契約、年末までに650トンの濃縮ウランを提供することとした。中国は既に49%を出資して合弁Semizbai-U社を設立しており、Irkol鉱山から年間750トンの供給が可能である由。また2009年、中国はカザフから約2000トンのウランを購入したとの報道もある。(www.profinance.kz)
ここらへん、ウラン鉱石と濃縮ウランの数字が入り乱れているようだし、ウラン濃縮をどこで行っているのか不明でもある。だがいずれにしても中国は、カザフスタンのウラン市場に本格的に参入しているということだ。

⑥7月1日にはカザフスタンを通り抜ける、中国-欧州横断道路整備が着工された。サンクト・ペテルブルク、モスクワ、ニジニ・ノブゴロド、カザン、オレンブルクとロシアの主要都市、アルマトイ、ウルムチを結ぶ8445km中、2787kmがカザフ領を通る。ほとんどは既にある道路を補修するものである。(www.centrasia.ru)

⑦同じく7月1日、ナザルバエフ大統領は、「2015年までに年間70トンの金を採掘できるようになっているかもしれない。そうなれば、カザフスタンは世界有数の金生産国になる」と述べた由(www.centrasia.ru)。

(3)キルギス
キルギスでは南部のオシュを中心に6月11日、騒乱が再び激化し、数十万のウズベク系住民が一時ウズベク領に避難した。この騒乱はキルギス族とウズベク族の間の民族対立が噴出したものと言われているが、背景には麻薬(アフガニスタンからタジキスタンを経てロシアへ流れるルートを差配)を中心とする同地の利権を臨時政府がバキーエフ前大統領一派の手から奪う途上、現地のウズベク系新旧マフィアの間で代理抗争が生じたと思われること、またバキーエフ前大統領(南部出身)が再起を期して外部勢力も雇い、民族抗争の装いでの騒乱を起こさせた可能性が高いことがある。

この騒乱をめぐっては、臨時政府が一時ロシア軍の出動を求めるなど、国際紛争化の可能性もあったが、ロシア軍出動についてはロシア国内で反対の声があること(泥沼化する)、対米関係に配慮したこと、そしてウズベキスタンが強硬に反対していたことから、国内問題として収まった。おそらくバキーエフ一派(7人の兄弟がいる。息子のマクシムはロンドンに亡命して、ロシアの反政府実業家ベレゾフスキーと行動を共にしている)に対して諸方から圧力がかけられただろうし、6月27日の国民投票で信任を得た新しい政府が誕生したことも功を奏したものであろう。7月上旬にはウズベク系住民も避難先のウズベクから全員、帰国したと伝えられる。

ロシアも米国もキルギスに本格関与を避ける中、6月27日の国民投票に大きな望みがかけられていたが、これは予想外の高い投票率を得て、新憲法を承認した。
だが10月10日には総選挙が予定されていることから、新政府からは重要閣僚が相次いで辞任して選挙活動に専念(新憲法では、大臣になれるのは議員のみとされている)、その一方では4月にできた臨時政府14名の閣僚が「立法会議」と名を変えて実質的に残存(憲法には規定されていない組織)、新憲法では禁じられている「布告」まがいのものを頻発しては国政を混乱させている由(7月20日付ベールイ・パルス)。
臨時政府の重要閣僚達はいずれも地方ボス、利権ボスであり、バキーエフ政権が私利をはかる形で民営化した企業を、今度は私利をはかる形で再国営化しつつある。4月の騒動以来、再国営化のために発せられた臨時政府布告は6月中旬で既に18を数える由(6月22日付、24.Kg)。

このような体質を持つ臨時政府は、5月末には早くも内紛を露呈した。アタムバエフ第一副首相が特別記者会見で、サリエフ財務相を公権濫用として非難、ベクナザロフ副首相についても「検察を私物化」しているとして非難して、泥試合となったのだ。
なお4月騒乱直後には、大統領選挙が本年秋に行われることとなっていたが、5月末南部で騒乱が起きた際、臨時政府は大統領選挙を1年延期して2011年10月に行うと発表した。これは少人数の指導者の間の談合で決まり、オトゥンバエヴァは2011年12月までの間をかなり本格的な大統領として過ごすこととなったのだが、2011年の大統領選挙には出馬できないこととされた。もっともここらへん、法的な裏付けのある話ではないので、これからどうなるかはわからない。

10月の総選挙にしても、各ボスが「所有」する主要政党は資金のみならず暴力装置も備えつつあるので、武力騒動が起きる可能性がある(6月10日付AKIプレス)。
以下主な出来事を列挙しておく。

①5月19日 南部のジャララバードで「民族騒動」が発生した。20日付コメルサント紙によると、「キルギス人」たちが集まってウズベク人の実業家バトゥイロフの批判を始め、彼が建てたキルギス・ウズベク民族友好大学に7000名が行進、別途5000名が市庁舎に押し掛けた。一連の騒ぎで3名が死亡したが、イサコフ国防相代行が駆け付けて、騒ぎは収まった。

南部での騒動につき6月12日付ferghana.ruは次のように報じている。
○バキーエフ大統領は南部の利権を手中に収めており、弟のアフマトが暴力団のMirsidikov(通称「黒いアイベク」)の助けで痲薬流通を差配していた。アフガニスタンからタジキスタン、キルギスを経てロシアのオムスク、ペルミへと流れて行く麻薬は、年間2万kg(ママ)とも言われる。前記のとおり5月19日、「キルギス人」に狙われたウズベク人実業家バトゥイロフは、アカーエフ時代この地方の利権を握っていた人物であり、現在は臨時政府の意を体している模様。

○6月11日のタシケントでの上海首脳会議を前に、「キルギス南部で何か起きる」とのうわさが強まったが、6日夜「黒いアイベク」が暗殺され、アサーノフ知事は「これでバキーエフ派は犯罪分子による後方支援を失った」と評した。(それでも11日、騒動は起きた)

○バキーエフ一派は、南部で騒動を起こしてCSTO軍導入を実現し、これに乗って権力の座に復帰したいのである。

他方6月11日付RIA-Novostiによれば、「黒いアイベク」は臨時政府系のアサーノフ知事代行を追放しようとして、前記ウズベク人の有力者バトゥイロフから抵抗を受けた由。つまりウズベク系が2派に分かれ、一方はバキーエフ、他方は臨時政府の利益を代弁して対立したことが基本的背景にあり、「キルギス人による襲撃」や「民族対立」というのは仕組まれたものなのかもしれない。

②6月2日、トルコのダヴトグル外相はカザフスタンのアスタナを訪問した。6月27日キルギスでの国民投票後の共同アクションプランをカザフスタンと作成するためであった。
トルコ政府はオシュ、ジャララバードへトルコ系住民(90年代ウズベク側フェルガナで騒動があった際、トルコ系住民メスヘティ人が襲撃を受けている)避難用の飛行機を派遣、特使をキルギス臨時政府に派遣してトルコ政府の関心を示した。
これまで対中東外交を活発化させてきたダヴトグル外相は野党から、「中東にかまけて、同胞のいる中央アジアを見過ごした。」との非難を受けていることが、このような行動の背景にあろう(Jamestown)。

③6月7日、臨時政府の大統領府長官(日本の官房長官に相当)Edil・バイサーロフが辞任した。政党を樹立する意向の由(8日付AP)。彼は、「教育もない犯罪者(複数形)が政府にいる」と公言した。

④6月11日、「オシュでキルギス人とウズベク系の若者グループが衝突し、41人が死亡」との報道があり、臨時政府は南部各地で非常事態を宣言、治安部隊を派遣した。同日タシケントで開かれていた上海協力機構首脳会議はこの事態に懸念を示し、治安確保を全面支援することで一致、憲法改正を問う6月27日の国民投票に監視団を派遣することを決めた。

⑤6月11日~13日にかけてオトゥンバエヴァ臨時政府首班はメドベジェフ大統領及びプーチン首相に電話、書簡でCSTO軍かロシア軍の援軍派遣を要請した。

⑥騒動のさなかの6月12日、諜報庁第一副長官にAk-Shumkarの党首で米国に亡命していたことのあるBaibolov Kubatbekが任命された由(ベールイ・パルス)。報道の通りであれば、ロシアの諜報機関にとってはほとんど敵対行為に映るであろう。

⑦6月13日、メドベジェフ大統領はナザルバエフ大統領、ついでカリモフ大統領とキルギス情勢について電話会談を行った。
同日ロシアは、ウリヤノフスクの31空挺団(CSTO早期展開軍用に指定してあった)大隊をビシュケク近郊のカント基地へ送った。空挺団のカントへの派遣は、4月騒動以降2回目となる。しかし14日モスクワで開かれたCSTOの緊急会合では前記のごとく、キルギスに直接介入せず、キルギス政府軍を物資で助けるラインが決定された。
同日、キルギス臨時政府はジャララバードに特殊部隊を派遣した。

⑧6月14日中国はオシュに特別機を派遣、中国人を撤退させたが、何人かは不明(lenta.ru)。
キルギスには新疆地方で作られた消費物資が大量に流れ込み、中央アジア、ロシアへの中継基地として多くの収入をあげている。キルギスは新疆にとって随一の貿易相手であるのだが、中国人や新疆のウィグル人はキルギスで親近感を持たれていないようだ。4月の騒乱でも中国人所有の商店が焼き討ちにあっている。

⑨6月16日、米国政府はキルギス騒動に対して3200万ドルの緊急人道支援を公表、18日にはブレーク国務次官補、マイク・Posner人権問題担当次官補がウズベク・キルギス国境地帯を視察、アンディジャンで記者会見し、短期間で11万人の難民を受け入れたウズベク政府を賞賛、キルギス騒動に対する国際調査を要求した。

⑩6月24日、キルギス諜報庁長官が記者会見して、11日の騒乱(6月22日現在214名死亡。2137名負傷)はバキーエフ一味の仕業であることを説明した。彼によれば、「オシュ事件ではバキーエフ一味がイスラム解放戦線、イスラム聖戦連盟をけしかけた」、「4月ドバイでマクシム・バキーエフ(バキーエフ前大統領の息子)はイスラム解放戦線代表と会った。5月初めにはアフガニスタンでタリバンやタジキスタンの反政府派も加わって、オシュで騒動を起こすことを決定、バキーエフ一味は資金提供を約束した」由。

6月27日国民投票が行われ、投票率72.3%で成立した。憲法改正を支持する者が90.56%、反対は8.06%であった。(エーホ)。

⑫6月30日ビシケク上空に、UFOが現れた由(ロシアのコムソモリスカヤ・プラウダ紙)。キルギスなら何が起きても不思議でない。

⑬7月20日、アルマトイでのOSCE外相会議は、キルギス南部に52名のOSCE警察部隊を送ることを決定した。人員はこれから、OSCE加盟国で募集する。(ロシアの「ニュースの時」紙)

(4)タジキスタン
目立った動きなし。

①6月25日 米国大使ケン・グロスは、「ドシャンベから45kmの近郊に反テロ、麻薬取締訓練センターを千万ドルで建設する。アフガン撤退に伴う5000万ドルの対中央アジア支援プログラム(国防省予算)の一環である」と述べた。(Jamestown)

②7月5日 ドシャンベで欧州経済共同体首脳会議があり、タジキスタンに共同体の金融危機救済基金から7000万ドルが支給されることが決まった由(www.centrasia.ru)。

(5)トルクメニスタン
5月24日にヨロタン・天然ガス田からカスピ海沿岸までの東西を結ぶパイプラインの起工式があった他は、大きな動きはなく、主要な報道を列挙する。

①Lenta.ruが報道するところでは、首都アシハバードの発掘で、このあたりは紀元前6千年代から恒常的に居住者がいた世界最古の都市の1つで、ダマスカス、イエリホン、ビブル、シドン等と並ぶ存在であることが判明した由。但し現代のアシハバードは、近代以降建てられたものである。

②5月26日、ベルディムハメドフ大統領はインドを初めて公式訪問、アフガニスタン、パキスタン領を通って天然ガスをインドに輸出する話をしたが、これは当面実現が不可能である。

③5月31日、前記のヨロタン天然ガス田からの東西パイプラインが着工された。APによれば年間300億立米の運送が可能で、2015年6月に稼働予定の由。しかしカスピ海岸まで運んだあとどうするのか? 欧州に供給しようと思えばカスピ海底にパイプラインを通すか、ロシア領を経由して運ぶしかない。前者はアゼルバイジャンと海底境界線で対立があるため不可能であり、後者はガスの世界市況が下がっているためロシアがパイプラインの増設に後ろ向きである。

④6月26日、かつて ニヤゾフ前大統領が廃止した中等職業教育校が復活された。

⑤6月26日 ホジャムイラドフ検事総長は、「健康問題のため」として一時解任され、第一副総長ハッルイエフが代行することとなった。不自然な動きである。

⑥7月6日のモスクワ・タイムスによれば、トルクメニスタン当局は「トルクメン、ロシアの二重国籍者は、どちらかの旅券を捨てるまで国外へ出さない」との方針を明らかにし、現地のロシア系住民の間で不安を巻き起こしている由。            (了)

コメント

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投稿者: XRumerTest | 2015年3月23日 03:37

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投稿者: KlarrissaSl | 2016年9月10日 20:52

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