Japan and World Trends [日本語] 日本では自分だけの殻にこもっているのが、一番心地いい。これが個人主義だと、我々は思っています。でも、日本には皆で議論するべきことがまだ沢山あります。そして日本、アジアの将来を、世界中の人々と話し合っていかなければなりません。このブログは、日本語、英語、中国語、ロシア語でディベートができる、世界で唯一のサイトです。世界中のオピニオン・メーカー達との議論をお楽しみください。
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世界はこう変わる

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2010年2月12日

中央アジア情勢(09年11月周辺)

11月周辺の中央アジア情勢を簡単にまとめてみた。情報の出所は特に断りがない限り、インターネットで入手したロシア語、英語の記事である。

1.11月の概観
(1)中央アジアの天然ガスをめぐる景色に変化――中国の本格参入、トルクメニスタンの立場の低下、ウズベキスタンからの対露天然ガス輸出がトルクメニスタンを上回る構え
(イ)11月は、中央アジアでは大きな動きが少なかった。しかし12月になると、トルクメニスタンから中国への天然ガス・パイプラインが開通したし、4月以来停止していたロシアへの天然ガス輸出も再開の運びとなった。但し、欧州での天然ガス需要が減少したことを受けて、2010年ロシアの輸入量は09年契約量の約半分に減少、価格も2008年契約価格の半分近く、千立米当たり200ドル以下に下落する。
(ロ)これらを総合すると、一連の変化はトルクメニスタン政府にとって不利に作用したのではないかと思われる。「ロシアが中国に中央アジアの天然ガスを取られた」式の見方が横行しているが、世界全体で天然ガス市況が緩んでいる中で(米国における天然ガス生産が急増していることが主因)、ロシアの地位はもともと低下しつつあるのであり、トルクメニスタンとの関係においてはこれまで割高で引き取ってでも欧州への独占的ガス供給者の地位を維持しようとしてきた政策を止め、損失を限定しようとしたものと言えよう。結局は、欧州への直接の搬出路を持たないトルクメニスタンがいちばん割を食い、ロシア、中国双方に対するバーゲニング・パワーを大きく低下させたのである。
(ハ)そしてこれまではせいぜい自給に向けられていたウズベキスタンの石油・天然ガスの生産が増えて、来年あたりは対露輸出量でトルクメニスタンを凌ぐ勢いになった。ウズベキスタンは、ロシア資本も大々的に入れてこの数年、エネルギー資源の新規開発に励んできたのである。
(ニ)こうして、天然ガスをめぐる中央アジアとロシアの関係に、大きな変化が起ころうとしている。報道によれば(Stoletie.ru, Shustov)、ガスプロムは2010年、中央アジアからの天然ガス輸入を半減させることを画策している。2008年には中央アジアから661億立米輸入したのを、2009~11年には330~340億立米、2012年には379億立米程度で収めようというのである。2010年、トルクメニスタンからは、2007~08年平均の4分の1にしかならない105億立米の輸入のみでとどめる(注:ロシアは最大300億立米を輸入することをトルクメニスタンに約束したが、この「最大」にトリックが隠れているのかもしれない)。他方ロシアは、ウズベキスタンから2012年に145億立米の輸入を予定しているので、トルクメニスタンからの輸入を超えることになる。

(2)ウズベキスタン、「中央アジア電力網」から離脱
 (イ)12月1日には、ウズベキスタンが中央アジア電力網から離脱した。ソ連時代から存在するこの電力網を使って、中央アジア5カ国はピーク時の電力の相互融通などを行っていたのだが、実際には電力不足に悩むタジキスタン、キルギスが無通告で消費を急増させ、隣国で停電を起こすなどの例が絶えなかったことが、ウズベキスタン離脱の背景にある。
今回ウズベキスタンの措置も、11月9日タジキスタンのヌレク水力発電所で事故が起き、中央アジア電力網からの取電を急増させたため、ウズベクからの送電を止めざるを得なくなったことがきっかけとなったようだ。トルクメニスタンは2003年既に離脱しているそうだし、カザフスタンも離脱を検討しているようだ。
 (ロ)タジクはこれまで、南部で水力発電した電力をウズベク領経由で北部の工業地帯に送っていた。今、国内を直接送電できるよう、中国が送電線を建設中である。
(ハ)ウズベキスタン、カザフスタンが電力網から抜けると、キルギス、タジキスタン両国が電力不足に陥る。これを救うためには、世銀、ADBが提唱する、中央アジア・南アジア千メガワット構想(CASA)(キルギス、タジクの両国は水力資源が豊かなので、両国における水力発電を強化して、アフガニスタン、パキスタンにもその電力を輸出する)が有効だが、キルギス、タジクの両国におけるダム建設には、灌漑水を必要とする下流の農業国ウズベキスタン、カザフスタンが抵抗している。
日本は、中央アジアの団結を高めるようなインフラ案件にODAを出すことをその政策としているが、このように中央アジア諸国間に遠心力が作用している間はいろいろ難しい。

(3)中央アジアにおけるインターネット人口
中央アジアでももちろん、インターネットは使える。筆者がウズベキスタンに在勤していた頃は、回線が超のろくて閉口したし、ニュース・サイトはよく閉鎖の憂き目にあっていた。ソ連時代の頭でいる当局者にしてみれば、国民が情報に自由にアクセスできることなど、「とても考えられない」ことだったのだろう。でも今は、Eメールで自由にやり取りができる。
Vesti.uzというサイトがInternet World Statisticsを引用して報ずるところによると、中央アジアにおけるインターネット利用人口が500万人を超えた由。そのうちウズベクが247万人、カザフが230万人、キルギスが85万人、タジクが60万人、トルクメンが7.5万人で、普及度ではキルギス15.6%、カザフ14.9%、ウズベク8.9%となるのだそうだ。ちなみに、ロシアは4500万人強、32%の数字だそうで、実感と合う。ロシアではSNS、YouTube、ブログをはじめ、一般市民レベルでのインターネット感覚は日本と同じ、あるいはもっと進んでいる。

(4)死んだのか生きているのか、テロリストのユルダーシェフ
前月のメモでも書いたが、「ウズベキスタン・イスラム解放戦線」(IMU)の指導者ユルダーシェフはパキスタンで最近政府軍に殺されたはずなのだが、IMUのスポークスマンはそれを否定したし、11月末にはユルダーシェフの演説録音がカタールのマスコミにEメールで届いたのだそうだ。そんなことすると、どこのコンピューターから送ったかすぐ足がつくが。ヤクザの跡目相続と同じで、親分にやたら死なれてもらっては困るものらしい。

(5)上海協力機構事務局長交代
2010年1月には上海協力機構の事務局(上海という名がついているのに、事務局はなぜか北京にある)長が代わる。任期通りの交代である。これまでの事務局長は前在京カザフスタン大使のボラット・ヌルガリエフ氏で日本も話をしやすかったが、新任の事務局長はキルギスの元外相Muratbek Imanaliev氏。
彼は1956年フルンゼ生まれで、モスクワ大学のアジア・アフリカ学科を中国語専攻で卒業した。キルギスの「アメリカ大学」で教授を務めたこともあり、英語ができる模様。93~96年には在中国大使、1996~97年には大統領府国際部長、1991~92年及び1997~02年には外相、2009年1~10月には大統領補佐官を務めており、経歴に不足はない。

(6)集団安全保障条約機構(CSTO)をめぐる動き(10月メモの追補)
(イ)10月2日から16日にかけカザフスタンで行われたCSTOの「即応展開軍」演習には、アルメニアが105人、キルギスが86人、タジクが3人、ベラルーシが2名(オブザーバー)、ロシア、カザフが1500人づつの兵員を参加させた。
 ウズベキスタンのカリモフ大統領は6月のCSTO首脳会議で、「即応展開軍は外部からの脅威に対してのみ用いることとするべし。即応展開軍のうち外国の兵力は、自国には常駐しないこととするべし」との条件を付するよう求めたが容れられず、結局即応展開軍創設意図文書には署名するも、右軍自体には加わらないこととした。筋が取っている。
(ロ)CSTOは相変わらずNATOと同じ背丈に背伸びしたがって、「痲薬取り締まり等の問題での協力をNATOに申し入れた」(ボルジュジャ事務局長)。だがNATOはCSTOを無視する姿勢を改めておらず、ボルジュジャ事務局長によれば「返事がない。こちらももうせっつくのはやめた」ということの由。

(7)ロシア・ベラルーシ・カザフスタン関税同盟発足へ(2010年1月)
 これまで延々と準備が進んできたロシア・ベラルーシ・カザフスタン関税同盟が、2010年1月にスタートする運びとなった。2011年央からは3国間の税関を撤去する。こうした国々は関税同盟のようなものを華々しくスタートさせても、裏口、例外、腐敗とあらゆるものがよってたかって合意をあってなきがごときのものにしがちである。だから筆者もこの関税同盟をこれまで真剣には調べてこなかった。加盟国のマスコミでも今やっと同盟発足のプラス・マイナスについての議論が始まったところだ。
ロシアにとっては昔のソ連を一部だけでもまた寄せ集めたことになり、その点プラスなのだろうが、ベラルーシ、カザフスタンにとってのメリットは何なのだろう? ロシアの港に入荷するカザフスタン向け物資は、ロシアの税関が関税徴収を代行するのだろうが、そのカネは果たしてちゃんと徴収され、ちゃんとカザフ側へ送金されるのだろうか?
 そして報道によれば、統一関税率の92%はロシアの関税率を採用したもので、カザフのより高いのだそうだ。このためカザフ人は、高くなる外国製品よりロシア製品を好むようになるという仕掛けなのだそうだ。例えば自動車について言えば、カザフはこれまで10%の輸入関税しか課していないが、ロシアは30~35%をかけている。

(8)「NIS清算銀行」発足?
ソ連の時代、東欧、モンゴル諸国は「コメコン」というぱっとしない経済組織にからめとられていた。口の悪い者は「不用品交換組織」などと呼んでいたのだが、このコメコンには「清算銀行」というのがあった。ECUのような計算単位「振替ルーブル」で、各国の間の貿易勘定を清算していたのである。
報道を見ていたら、15年前、NISにもこの清算銀行に似たNIS Interstate Bankが作られたのだそうだ。だがここは域内決済の1.5%しか扱っていない(08年220億ルーブル)。しかもドルを仲介して、決済をしているそうだ。
従ってNIS諸国間の決済のほとんどは現在、西側の銀行を通じてドルかユーロの仲介で、1~2日かかって行われている。手数料は西側に落ちてしまう。
だから、NIS Interstate Bankを強化し、加盟国の通貨で直接決済ができるようにしたい、という声があるが、夢物語に過ぎない。

2.ウズベキスタン
(1)――EUは、アフガニスタン治安強化のために対ウズベキスタン制裁を解除?
10月27日にEUがウズベキスタンへの制裁を解除し、兵器を供与できるようにしたことは、10月情勢のメモに既に書いたが、なぜ兵器の供与が可能になったのかの意味について一つの憶測が出ている。それは、アフガニスタン北部にタリバンが浸透しないようウズベキスタンに戦わせるための兵器だ、いや、アフガニスタン北部に多数居住するウズベク族住民が自衛するための兵器だ、等々。そして、ドイツはアフガン北部のクンドゥースに軍を駐留させているので、その安全強化のためにも、EUの先頭に立って今回の制裁解除を実現した、というのだ。
 あり得ないことではないが、ドイツはこれまでもEUの中では一貫して中央アジアでは最も積極的だった。18世紀のロシア帝国、エカテリーナ大帝時代、彼女の故郷ドイツ方面からロシアのヴォルガ河沿岸に多数の農民が入植したのが、スターリンによって中央アジアに放逐され、ソ連崩壊後ドイツ本国に大量に帰還した。従ってEU諸国の中でドイツは最も根を張った人脈を中央アジアに有しているし、9月11日事件以降はウズベクのテルメス空港をクンドゥースへの物資補給中継基地として、軍人を駐留させているのである。

(2)ロシアは、ウズベクでの西側の動きに警戒的
 こうした欧米日の動きに、ロシアの一部は警戒の念を表明している。11月11日、ロシアの独立新聞はVictoria Panfilovaの論文を掲載,「EU、米、日はウズベクとの関係を再び強化することによって、ロシアに忠実でない第2の政治力センター(第1はカザフスタン)を中央アジアに作ろうとしている」と論じた。
ロシア戦略研究所のクルトフは、「ウズベクは、選択肢を増やしている。同国は、アンガルスクでロシアとカザフが計画しているウラン加工プラント建設プロジェクトに加わらないことを決めたが、ウランの件では日本をパートナーに選んだのだろう」とコメントしている。
日本の中央アジア政策は、日本国内でより、ロシア国内でよほど注目されているようだ。

3.カザフスタン
(1)対外借り入れ再開の構え
石油輸出のおかげでこの10年、GDPを6倍(1998年221億ドル、08年1298億ドル)にしたカザフスタンは、ロシア経済の風見鶏のような性格を持っている。ロシア経済の変化は、カザフスタンでまずその先ぶれがあることが多い。
シベリアに隣接するカザフスタン北部は工業地帯であるが(インド人のミッタルもカラガンダの製鉄所を所有している)、その技術基盤はソ連時代からのものである。従ってカザフスタンは、製造業が弱体な中でエネルギー資源輸出に過度の依存をしている面で、ロシア経済と酷似しているのである。
実際、サブプライム危機の余波がロシアに及んだのは08年9月だったが、カザフスタンはその1年前から欧州での起債、借り入れに困難をきたしていたのである。そのため、銀行はこれまでの借り入れ返済ができなくなっただけでなく、国内の消費・建設・不動産にカネを回せなくなったため、カザフ経済は07年秋には一気にしぼんでしまったのである。
だが原油価格が回復してきたのを背景に、カザフスタン政府は対外借り入れ再開の旗を振り始めた(「新世代」誌)。今回は、その点でロシアと時期を同じくしている。まず政府が5億ドルくらい借りて、民間へのベンチマークを設定するのだそうだ。現在民間銀行の対外債務は、破綻したBTA銀行、Alliance銀行を除外しても310億ドル以上あるそうで、道は遠い。
政府はイスラム債スクークの発行も検討し、民間がこれに続くように期待している。マレーシアなどが、中央アジアでも重みを持ってくるだろう(既にウズベキスタンなどで直接投資を行っている)。
なおカザフスタン政府は、国民には国債MAOKAMを売り出しているのだそうだ。

(2)カザフスタンの石油
「Expert Kazakhstan」誌第45号に掲載されたS.スミルノフ論文によると、石油ガス部門(注:不正確な定義だが)はカザフスタンのGDPの21%、輸出では64%を稼いでいるのだそうだ(98年にはそれぞれ、10%と32%だった)。石油生産量が増えた上に、輸出価格が天井知らずだったのだから、GDPが10年間で6倍になって不思議はない。
カザフスタンの石油部門についてはウィンブルドン現象が指摘され、これまで欧米系の企業に抑えられてきたが、最近数年、国営のカズムナイガス等が石油企業の株取得に努めている。また中国の石油・ガス企業がカザフスタンのエネルギー企業の株取得を強めていることも、最近の特徴である。カザフスタンの原油は主として黒海方面に積み出されるため、日本への輸入には向いておらず、JOGMEGがカシャガン油田開発に参加している程度である。

(3)その他の話題
 ナザルバエフ大統領は艶福家で正妻Saraの他に知っている女性が多数いる、という報道があった。タイガー・ウッズが自分から注意をそらすために流したガセネタか? でも旧約聖書とコーランの双方で始祖扱いされているアブラハムも、正妻Saraの他に何人も面倒を見ていたというから問題はあるまい。
 別の話だが、ロシアでメドベジェフ大統領の下、組織犯罪対策が強化されているため、カザフスタン当局はロシアから暴力団の本部が移転してくることを心配し始めたそうだ。実際に、彼らの入国が増えているのだそうで。

4.キルギス
(1)内政
11月には議会解散のうわさが出たが、何事もなかった。
他方、バキーエフ大統領の同族支配が強まっている。同時に反政府の人物が暗殺等危害を受ける例が増えているため、12月には米国議会で非難の声が高まった。
バキーエフ大統領の弟Zhanyshと息子の一人Maratは、キルギスの秘密警察を握っている。もう1人の息子マクシムは国内の企業活動、投資を全てコントロール下に置けるポストについた。アカーエフ前大統領の場合も、同じようなプロセスから、利権争いが発生し、誰もアカーエフ本人を助けなくなって崩壊した由。

(2)ロシア、カザフからの送金(出稼ぎ者からの)減少
第1次産業、第2次産業ともに弱いキルギスでは、ロシア、カザフスタンへの出稼ぎ者から送ってくる金は、GDP(2008年で50億ドル、IMF)の半分近くに相当する重要なものである。だがロシア、カザフ両国とも経済困難にあるため、09年1~9月の送金額は約13億ドルで(当局が把握した部分のみ)、昨年同期より47%減少している。

5.タジキスタン
(1)90年代タジク内乱解決は、アフガニスタンの参考になる?
Foreign Affairs誌11月号は、テキサス大学のジョージ・ガブリリスの「アフガン解決の見本はタジクだ」とする論文を掲載した。
タジキスタンはソ連崩壊後の利権争いが原因で全国を巻き込む内乱となったのだが(それを鎮めるための国連監視団に加わった秋野豊政務官が殺されている)、内乱疲れが見えてきた頃3年間、イラン、ロシア、ウズベクを中心とした交渉が8回も行われ、反乱側にも政府での要職を与えることで停戦が成立した。地方有力者達はソ連時代にも地元の利権を差配し、内乱時代には野戦司令官になっていたのだが、彼らにも公職が与えられた。アフガンへ逃げた6千名の過激派は、タジクに駐留するロシアの第201師団と国境警備隊が防いだ。
確かに全体の方向としては、タジキスタンの内乱収拾は現在のアフガニスタンに参考になる。但し、アフガニスタンの場合、外部のアル・カイーダ勢力の扱いが問題なのであって、90年代のタジク情勢とは基本的に異なる。またアフガニスタンのパシュトゥン族を政府に入れることで鎮撫しようとする試みは何度も行われてきたが、パシュトゥンは一つにまとまらないので、彼らを相手に交渉することはおそらく不可能に近いという問題がある。

(2)浸透する中国の経済援助
6月の上海協力機構首脳会議で、中国は中央アジアに100億ドルの救済融資を行うことを明らかにしたが、タジキスタン政府はこのうち30億ドル程度でダム等を作ってもらうべく画策中である。11月中旬、ドシャンベでは中国との投資フォーラムが開かれている。報道によれば、融資は中国の6の銀行から与えられており、電力、道路等地域インフラ建設がその重点である。
タジク投資・資産委員会によればタジクへの直接投資額は7.6億ドルだが、うち10%は中国からのもの。09年1~9月、中国との貿易は対前年比42.9%増え、4.5億ドルに達した(全貿易の17.8%)。
2005年、中国は中央アジア諸国に9億ドルの輸出信用を供与すると表明したが、タジクはこのうち6億ドルを使い、Lolazor-Hatlon高圧線、南北高圧線、ドシャンベ-ハナク自動車道修理・建設、Shar-Sharトンネル建設を実現した。これらは中国の建設企業、中国人労務者、中国の資材によるもので、中国が外国で公共投資を行っているようなものだ。
2009年6月、タジクは中国と4の協定に署名し、10億ドル以上で工業、電力、運輸、通信面での案件を手掛けることになった。こうして中国はこの5年で20億ドルの融資をタジクに約束、この面でロシアを抜いた。

(3)ロシア、タジクのウランに再び乗り出す?
ソ連時代、タジキスタンはウラン鉱石の主要な産地だった。第二の都市ホジェント(ソ連時代のレニナバード)にはロシアからの鉄道が入っているが、これはウラン鉱石運搬に使われていた。中央アジア諸国はウランの宝庫と目されるが、地質資料等はソ連時代に集められたまま、地元ではなくモスクワに眠っている。
11月、ロスアトムはタジクでのウラン新規開発を支援する用意がある旨表明した。新規ウラン鉱床はパミール高原、東部のRasht、西部のヒサル州にあるものと思われているが、近寄りにくく調査もされていない。

6.トルクメニスタン
(1)ロシアへの天然ガス輸出再開――しかしトルクメニスタンの収入激減
4月以来止まっているロシアへの天然ガス輸出の再開は、トルクメニスタンにとって11月の最大の課題だったろう。11月29日、ベルディムハメドフ大統領は訪ロして、モスクワ北の保養地ザビードヴォでメドベジェフ大統領と会談(これは最高度のもてなしを示す)したが、それでも輸出価格について合意に達することはできなかった。ガスプロムのミルレル会長はトルクメニスタンについては匙を投げ、「政府レベルで話し合ってほしい」ということを確か9月に言っている。
トルクメニスタンの首脳にとっては、ガスプロムは独立した会社なのだというような説明は意味を持たず、重要事は相手国の最高首脳と話し合わないとだめだと思いこんでいるのだろう。ソ連時代、中央と地方の間の経済問題は最後は共産党トップの調整に持ち込まれた構図が今でも残っている。
その後12月22日、アシハバードを訪問したメドベジェフ大統領は、ベルディムハメドフ大統領と本件についてやっと合意に達した。2010年1月にロシアは輸入を再開、年間最大300億立米を引き取ることとし(ここは表面上、トルクメニスタンへの譲歩)、1月の価格は千立米195ドルとする由(インターファックス)。2009年は500億立米をロシアに輸出する契約になっており、価格は300ドル前後と推定されていたから、トルクメニスタンの収入は激減し、もともとロシアへのあて馬として引き込んだ中国に対する依存度が高まってしまう。トルクメニスタンはロシアの足元を見過ぎ、世界における天然ガス需要地図変化の速さに追いつけずに割を食った。

(2)トルクメニスタンの民主化?
欧米諸国はこの数年、トルクメニスタンの天然ガスが欲しいこともあって、「ベルディムハメドフ政権はニヤゾフ前政権に比べて『民主化』を進めている」と囃してきた。だがトルクメニスタンは最近、なぜか外国の私立大学への留学を突如禁じたりして、その体質にあまり変化がないことが露わになりつつある。
それでも、欧米諸国はトルクメニスタンへの批判的姿勢は取るまい。天然ガスが欲しいだけでなく、アフガニスタンでの作戦にはトルクメニスタンの協力も必要だからだ(米国、NATOの軍用機がトルクメニスタンの上空を通過することが多い)。例えば、米国は静かに(トルクメニスタンは永世中立国だから)トルクメニスタンの国境硝所の設備改善を支援しているとの報道があった。対イラン国境方面は2006年、対アフガン国境は07年、対ウズベク国境は09年に(09,10)改修された由。これは、アフガニスタンの麻薬がトルクメニスタンに流入するのを防ぐ意味合いもある。


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