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世界はこう変わる

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2024年2月12日

近代の価値観=「自由・民主主義・市場経済・国民国家」の相対化と、今後

 ――河東の近刊に寄せて

 ヨーロッパの白人が今のような個人主義を確立し、それをベースに18世紀以降、「近代文明」を作り上げた過程。これを中国やイスラム地域と比較しながら検証する長い、長い本を書いていることは、何度も申し上げてきましたが、それがほぼ完成して、5月頃には藤原書店から刊行される予定になっています。そのあとがき部分をここに、前宣伝で掲載しておきます。

エピローグ――そしてこれから

 ちょうどいい時に居合わせたものだと思う。時代が、十六世紀西欧の大航海時代と同じような変わり目にある今、というこの時に何か参考になるようなことを後世に残すことができるからだ。

 この本は「進歩」、そして「近代」が西欧で起きた過程を解剖したものだ。「近代」とは一般に、自由=リベラリズムと民主主義の実現だとされている。筆者は一九八〇年代の西欧をつぶさに見たが、その頃の西欧は発展の頂点にあり、自由と民主主義のショー・ウィンドーのように見えたものだ。

ところがその西欧では今、製造業のかなりの部分が海外に流出したことで、中産階級が疲弊。彼らは自由よりパンを求め、自分たちの要求を過激右派と称される諸勢力を通じて実現しようとしている。これは民主主義そのものなのだが、社会の富を差配する支配層にとっては、(彼らにとっての)民主主義の否定、多数の暴力、つまりファシズムに見える。今の西欧、そして米国では、自由と民主主義が敵対関係に陥っているのだ。

 「自由」は、他者への依存度が小さな者、つまりかなりの収入・財産・地位を持つ者しか享受できないものである。産業革命で中産階級が生起した時代には、人々は投票権・参政権という新たな権利を得た。つまり権利=自由と民主主義が同時にやってきたので、両者が敵対関係を内包しているとは気がつかなかった。

しかし今の先進諸国は、多数の雇用をもたらす製造業の衰退、つまり「産業革命の逆回し」とも言える時代にある。持たざる者が増え、彼等は強制手段を使ってでも自分達への分配を増やすよう求めるようになっている。「近代」はなし崩しに崩れてきているのである。

西欧がそのようであれば、従来の白人優越主義はもう根拠を失った。白人だけが高い教育・意識水準と個人主義、豊かな生活水準を享受することができる状況は、絶対的なものではないことが明白になったからだ。

この本が示しているように、西欧、特に英国の経済発展は、英国の人間が白人だから実現したわけではない。黒人奴隷の搾取、インド経済の搾取などの帝国主義的要因もあったが、王室から独立した事業家が多かった等、英国に固有の社会的諸要因があったことで可能になったものである。後者の社会的諸要因を欠いたフランスやスペインでは、同じ白人でも自律的な経済発展はあまり見られなかった。そして日本人は、白人でなくとも自律的な経済発展を実現できる――明治維新後の七十年間で日本は近代的な経済を立ち上げている――ことを世界に示した。

資本、技術、まともな労働力、そして企業家精神の発揮が可能な社会であれば、世界のどの国、地域でも経済発展を実現し、自由と民主主義の基盤を作ることができるのである。

「人間らしい生活」がユニバーサルな価値観

しかし「民主主義」という言葉は、以前の輝き、説得力を失っている。繰り返しになるが、製造業を失い格差が広がった先進諸国の大衆は、支配層の富を奪い自分達の取り分を多くするために、「民主主義」を利用する。それは非常に合理的なことだが、米国でトランプを支持する人間達の一部は自分の主張を暴力で通そうとする。支配層は彼らを抑えるために、「民主主義の擁護」を訴える。ネオコンと呼ばれる連中――「米国は世界に民主主義を広める使命、特権を持つ」と主張する人たち――は、民主主義を広めるためと称してイラクに武力侵入する。侵入の後には、民主主義どころか、利権・統治構造を破壊された後の混乱しか残らない。

こうして、「民主主義」という言葉は、魅力と説得力を失った。社会が分裂しているから、「自由と民主主義を守れ」と言われても、「誰の自由?」、「誰のための民主主義?」と聞いてみたくなる。「民主主義」という言葉は、偽善的に響くようになってしまったのである。
では、この世の中で正しいものは何もなく、ただ欲と偏見と傲慢が支配するジャングルが続くのか? 歴史は、そして人間は進歩しないものなのか? 
そうでもないだろう。中世西欧と比べると、現代の西欧は「進歩」していると思う。人は簡単に死刑にされないし、少し外出すれば、食品、日用品はすぐ買える。普通の所得で、文化やスポーツを楽しむことができる。「人間らしい生活」――精神・物質の両面で――のできる人が大多数で、いいなと思う。
日本社会もそうだ。「日本人は集団主義的で 個 が確立していない」とよく言われるし、筆者もそう考えてきたのだが、最近世界で活躍する若いアスリートや音楽家達を見ていると、いい意味での個人主義と、自分の属する組織・社会への配慮のベストミックスが見られる。「個人主義」、「リベラリズム」、「民主主義」等、ismやcracyで終わるしかつめらしい、ある時には独善的な言葉は彼らにはどうでもよくて、ただ「人間らしい」のだ。
「自由・民主主義」という翻訳調、かつ上から目線の言葉遣いでなく、「人間らしい生活」ができる人を増やすこと、これが進歩なのだ、ということではないだろうか。こう言えば、今「グローバル・サウス」と総称され、西側諸国の掲げる「自由・民主主義」という標語に反発する、途上諸国・旧社会主義諸国の人々にも共感を持ってもらえるだろう。

新たな大航海時代を迎えて

 とは言え、世界には暴力と格差と憎しみ合いの地域が広く残る。途上国、旧社会主義諸国では小さな経済を少人数の利権者がしっかり押さえて、専制支配を続ける。外国が援助や直接投資で助けて経済を向上させても、専制支配はなかなか直らない。こうした国々に対しては、人々が人間らしい生活ができるよう経済交流を進める一方、それが武力に転化して対外拡張をはかることがないよう抑える、という難しい対応を続けるしかない。

これは歴史を進める中で、後ろの方、後れた方を振り向いての対応なのだが、歴史の先、進歩の先にも大きな問題が転がっている。それは、先進諸国では「人間らしい」という言葉の「人間」そのものの内容が変わろうとしている、ということだ。AIの進歩は多くの働き口をロボットなどで代替し、これらの人たちは社会保障で生きることとなる。その人たちの一部分は何かで努力する意欲を失い、動物的な存在に落ち、同じような人間を再生産していくことになるかもしれない。  

一方、AIを動かす人々は、独善的なプログラムで経済・社会を動かそうとして、社会から「人間らしさ」を奪ってしまうかもしれない。宇宙への進出も、人間を変えていくだろう。宇宙への進出は、十六世紀の西欧「大航海時代」と同様、コロンブスのような山師的な事業家を生むだろうが、将来、宇宙で長期間、あるいは定住する人間達がどのような変容を遂げていくかは、面白い問題だ。筆者は定住したくないが。

今、地球温暖化をきっかけに、資源の限界、成長の限界を説く人々もいる。しかし世界には、まだ人間らしい生活ができない人間が何億人もいる。成長は必要だ。宇宙には無限のエネルギーがある。再生可能エネルギー源など序の口。核融合の活用など、投資・成長と環境対策を両立させることは十分可能だ。

ところで、この本の冒頭で指摘したように、地球では少なくとも五回、生命の絶滅に近い状況が起きている。人類もいつかは絶滅に近い目にあうことだろう。それまでは何とか、つまらない意地の張り合いはやめ、人間らしい生活をしていきたいものだ。この本がいくつかの思い込みを解き、意地の張り合いを減らすことにつながればと思う。
                  二〇二四年一月七日
                      河東哲夫

(この本、まだタイトル決まっていませんので、ご注文いただけません)

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