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2018年11月11日

プーチンは早期退陣するのか いくつかの不安要因

(これは総合政策研究所発行の「インテリジェンスレポート」11月号に掲載された記事の原稿です)

 プーチンと言うと、既に「在位」14年、その能力、経験、そして権力から、押しも押されもせぬ世界的リーダーだと畏怖されているが、2000年大統領になりたては、その外見が小柄で弱々しく見えることもあり、ロシアの民放テレビはいつも風刺。当局から抗議をくらっていたものだ。因みにその番組のディレクターはその後自殺、局もお取りつぶしにあって国営化されてしまったが。
 確かにこの20年のロシアの歴史を思い返せば、プーチンの業績は偉大に見える。1991年12月にソ連が解体し、16の共和国に分裂した後、本体のロシアは2年で6000%ものハイパー・インフレに見舞われ、その後国債を大発行して偽りの繁栄を築いたが、そのバブルが破裂して、1998年にはデフォルト。企業間取引は物々交換、給料は数カ月も未払いという状況になっていたところにプーチンが登場し、折しも偶然始まった原油価格高騰の恩恵で、現在の大衆消費社会実現を演出した。今では地方都市の市民に至るまで、大規模なショッピング・センターで、ソ連時代には夢見ることさえできなかった西側消費財を自由に買える、そしてスマホで呼べばタクシーは数分でやってくる、バスにもスマホで乗れる、という便利な生活が当たり前になっている。しかしプーチンは、果たしてこの第4期を全うし、ロシア中興の祖として歴史に名を残せるのだろうか。

原油高に支えられたプーチンの「実績」

広いロシアは昔から瓦解含み。自負心が強い者が多いので、協力より相争いがち。13世紀モンゴル軍が押し寄せた時も、ロシアの諸侯はまとまることができずに撃破され、300年にわたるモンゴルの支配を受けた。ソ連崩壊直後にも、地方の知事は地元の利権を抱え込み、中央の言うことを聞かなくなっていたのを、プーチンは知事の一部を中央による指名制に切り替えて地方への抑えを回復しただけでなく、独立志向を示したチェチェン共和国には軍を送って焦土化し、2014年には国際社会の虚を突いてクリミアをウクライナから「取り戻して」いる。1990年代、ロシアの青年達は混乱と困窮をきわめた自分の国を恥と思い、国外への脱出を試む者が多かった。しかし今では、米国の大学で教えて帰って来たばかりのリベラルな青年でさえ、今のモスクワは暮らしやすい、米国みたいにがさがさしていない、と言う。言ってみればプーチンは、エリツィン時代に失われた安定を取り戻し、西側的な消費社会をもたらしてくれたのである。
だがあと50年もたってロシアの歴史を振り返った時、プーチンは如何なる座を占めているだろう。1200年弱のロシア史の上で、ロシアを大きく改革した指導者――イワン雷帝、ピョートル大帝、エカテリーナ大帝、アレクサンドル2世等と並び称せられているだろうか? 筆者には、今のところプーチンにそのような地位を与えることはできない。彼はせいぜいロシアの瓦解を食い止め、原油価格上昇の恩恵を社会にばらまいたが、石油なしにやっていける経済を築けてはいない。
原油価格は彼の大統領就任の2000年の頃から上昇を始め、2008年リーマン金融危機直前までには約5.5倍の1バレル97.6ドル(ブレント原油価格)になっていた。原油輸出収入を国内で膨らませて成長をはかるロシアの経済は、この期間(1999~2008年)に実に8.2倍の経済成長を遂げている。街には高層ビルがいくつも立ち並び、西側並みのスーパーには商品があふれている。
しかし、耐久消費財の多くは輸入品である。プーチンが演出してきた繁栄は、原油価格次第で現れては消える、カゲロウのように空しいものではないか?

「レームダック政権」

今のプーチンは既に、「レームダック化」を始めている。彼の任期は2024年までで、憲法はその次の選挙への立候補を禁じている。彼は法律を専攻し、一応法律を守ることを売り物にしているので、2期務めたあとの2008年大統領選挙にも立候補せず、4年間首相を務めてまた、2012年大統領選挙に出ている。2024年には彼も71才。ロシア人男性の平均寿命は2016年で66.5歳である。2024年後、彼が奥の院に退いて実権を振るうにしても、長いことはあるまい――。と考えて、下僚は「プーチン後の自分」のために彼の後継候補にすり寄り、対抗候補の足を引っ張って、国を不安定化させる。
何度も言うが、プーチンはこれで通算4期目で、在任は14年。もはや政策のアイデアは尽きた気味がある。彼は5月初め、2024年までは世界平均以上の経済成長を約束、インフラの建設増強に大きな比重を置いた。貿易黒字をインフラ投資で膨らませて高度成長を演出した中国に倣っているのだが、インフレを年間4%以下に収めることも公約して緊縮財政を敷いている。だからインフラ投資を予算で賄えないので、2024年までに必要な8兆ルーブルを見つけてこないといけない。そこで政府は税制・年金改革を考えた。来年1月から付加価値税(消費税)を現行の18%から20%に引き上げる。そして年金受給開始年齢を男性は65歳、女性は63歳にそれぞれ5年ずつ引き上げるというのである。
男性の平均寿命が66.5歳というロシアでは、年金給付開始年齢の引き上げ措置は市民の怒りを巻き起こしている。中国と比べて自由度の高いロシアのインターネット空間には、「プーチンは疲れている。判断力を失っている」等の書き込みがあふれている。プーチンはこれまで「何かをくれる人」であったからこそ高い支持率を誇ってきた。くれる人から奪う人に変貌すれば、民心は掌をかえすように、プーチンに背を向けかねない

プーチンは果たして6年の任期を務め上げることができるだろうか? それとも誰も彼の言うことを聞かなくなって、国が大混乱に陥る前に、権力を誰かに譲って、早期大統領選をさせるだろうか? エリツィンの場合にはまさにこれが起きた。1996年に再選されたエリツィンはまだ任期を1年余残す1999年12月、突如権力をプーチン首相に譲り、彼を大統領代行として自分は引退してしまったのである。
というわけで、4期目プーチンの権力を脅かし得る要因をいくつか提示してみよう。

不安定化要因1:側近の権力・利権争い

 ロシアは、資金その他の富が政府に集中した国である。民営企業と言っても、日本の明治初期と同じく、実際は要路にコネを持つ者(「寡占資本家=オリガーク」と呼ばれる)が、国営財産を安く請け負った例が多い。上記の「インフラ建設案件」でも、どの案件をどのオリガークが取るかで暗闘が始まっているだろう。そしてレーム・ダック政権では、利権争いは政権後継者をめぐる暗闘と合体しやすい。オリガークAが大統領後継候補Cと結びつき、オリガークBと大統領候補Dの連合と利権・案件を受注を奪い合うという構図である。
 そしてこれに、いわゆる「力の機関」、つまり軍隊、国家親衛隊(国内の治安を司る軍隊)、連邦保安庁(旧KGB)、捜査委員会、検察、警察相互の鞘当て(彼らはほぼ常に、プーチンの寵、そして利権を求めて相争っている)、あるいはそれぞれの部内での派閥闘争が絡むと、事態は国の分裂さえ招きかねない危険な様相を帯びてくる。

 1992年、ソ連崩壊後のロシアで国営企業民営化が始まると、大統領・政府と議会は一気に対立の度を高めた。国営資産の切り売りというのは、多額のカネが動くもので、議員にとっては是非クビをつっこんでおきたい件なのに、政府が一方的、かつ急速に民営化を進めてしまったからだ。ハスブラートフ議長に率いられた議会は反政府の度合いを強め、ルツコイ副大統領を自陣営に引き込んで1992年9月には議会の建物に立てこもり、議会を解散しようとするエリツィン大統領に抵抗の姿勢を示した。そして保守派の一将軍が部隊を率いて、全国のプロパガンダを司る国営テレビ局を武力制圧、テレビ放送が一時消える混乱の中、エリツィンは軍をなんとか説得し、議会を戦車で砲撃させて事態を鎮圧したのである。
今のヴャチェスラフ・ヴォロージン下院議長は2016年8月、その野心を危険視されて大統領府第一副長官の要職から下院議長に「左遷」されたと目されているが、彼は事実、昔から上司失脚を尻目に自分は昇進を遂げてきた人物だ。今回も密かに「力の機関」のいずれかをたらしこみ、機会をうかがっている可能性がある。国家親衛隊のヴィクトル・ゾロトフ司令官あたり、その超保守的体質からボロージンと合うかもしれない。
 プーチンは全国を抑えるために、諜報機関の機構、人員を活用している。広いロシアでは、独自の全国連絡網を有し、統制が取れた人員を擁する諜報機関は、ソ連共産党なき今は、統治の道具として唯一無二の存在なのである。しかしこの諜報機関はいくつかに分かれており、それらに割拠したプーチンの側近が2007年後半には勢力争いを表面化させたことがある。
 これら側近は配置転換され、機構も再編されて、今では仲間割れが起きにくくなっている。しかし軍、連邦保安庁、国家親衛隊、捜査委員会、検察、警察、税関等は、権限の重なる部分も多く、権限争いが権力闘争を激化させる可能性は残っている。

不安定化要因2:カネの切れ目が権力の切れ目――石油依存の経済の弱み

 ロシアは、その広い国土と多数の国民を、上からの力で治めてきた。大衆は19世紀半ばまで農奴としてすべての権利を奪われており、領主=貴族たちは彼らの生活を良くすることよりも、彼らを搾取するだけで愧じるところがなかった。
その構造は今でも残っている。エリートと呼ばれるごく少数の者達は、大衆を蒙昧な民として扱っている。彼らは国の富を独占しているが、これを開発し、改善し、付加価値を上げていくことには長けていない。企業の長はそれを望むかもしれないが、中間幹部の大多数は企業への忠誠心を欠き、企業の長をさしおいて自分の利益実現に励みがち、一般労働者、社員は企業を良くすることが自分達の利益につながると思えないので、働かない。
そして経済はロシア語でkhozhaistvoと呼ばれることがあるが、この単語は「家政」、「家計」にも通じ、政治指導者が自ら手掛けるべきものではないと、潜在的に思われている。つまりロシアでは、経済は軽視されており、富は力で奪い、仲間で分け合うべきもの、重商主義・帝国主義の時代そのままなのである。

しかし面白いことに、この経済軽視のロシアのエリート達は、他ならぬ経済の悪化が起こす大衆の叛乱で、無惨な復讐を受けてきた。17世紀ステンカ・ラージン、18世紀プガチョーフが率いた農民の叛乱は国土を広く支配し、領主=貴族たちを残酷に殺傷したし、1917年のロシア帝国崩壊、革命も、経済悪化による大衆の不満を背景としている。
そして近くは、1980年代後半、原油価格の低落で経済危機に陥ったソ連では、エリツィンが今のトランプに似て、大衆の不満を煽ってロシア共和国大統領に選出されると、ゴルバチョフを追い出すためにソ連邦を解体してしまったのである。しかしそのエリツィンも、国家による経済統制を一時に解除したために、6000%ものハイパー・インフレを起こし、その後国債バブルで経済を引き上げるもそのバブルが崩壊して1998年にはデフォルトのやむなきに至り、2000年末には任期途中の退陣に追い込まれている。

従って、ロシアの政治家にとっては、経済を良くすることが至上の課題なのである。ところが、「原油依存からの脱却」という掛け声は勇ましいが、なかなか実現できていないのが現実である。2018年現在も、原油価格が再び高騰し、原油生産も記録的水準に達しているために、国家がエネルギー資源採掘・輸出から得る税収は、2017年に歳入全体の40%にまで下がっていたのが、46%に上昇している。
兵器、原発機器、乗用車生産等は伸びているが、消費財の多くを輸入品に依存する体質は直っていない。米国も消費財の多くを輸入に依存しているが、生産技術は最高レベルの水準を維持しているし、輸入している電子デバイスの多くは米国企業が設計して外国で組立てたものである。ロシアは「本当に」輸入しており、将来原油が世界で必要とされなくなった場合には、逃げ道がない。
ロシアの製造業、サービス業がなかなか十分育たない理由については1冊の本が書けるが、基本的にはソ連時代に国家が強すぎ、その強い規制、そして融資等における国営企業優遇が民営企業の発展を妨げていること、国営企業でさえその規模が不十分で、新技術開発のための資金を欠くこと、ソ連時代、企業が硬直した計画で動かされてきたため、自由市場で自発的な運営をするマインドが今でも欠如していること、もっと具体的に言えばマインドとスキルと企業に対する忠誠心を兼ね備えた中間管理職の人材がほぼ皆無であることがある。
ロシアの経済は2008年のリーマン恐慌のあおりを受けたが――原油価格が急落したためである――、2010年以来の原油価格回復でそれは盛り返した。2014年のクリミア併合で西側の制裁を食らうと同時に原油価格の急落にも見舞われ(ある程度、米政府が原油価格下げを起こした面がある)、再びマイナス成長の憂き目にあったが、2017年にはプラス成長を回復、2018年上半期には製造業も対前年同期比6%強の成長を示す等、好調にある。しかし昨年は4%を割ったインフレがいつぶり返すかわからないし、現在の原油価格上昇が折角盛り上がりつつあった経済構造改革の熱をまた冷ましてしまうことになるだろう。
1996年、経済・社会大混乱の記憶も新しい中行われた大統領選では、共産党のジュガーノフ候補が現職のエリツィンを実際の票数では上回っていたとの観測もある。経済こそは、主婦の叛乱にも似て、権力を底から揺り動かす最大の要因である。

不安定化要因3:「民主主義を求める市民」が権力を覆す?

 欧米の学界、マスコミはいつも幻想を持っている。「ロシアや北朝鮮のような専制主義の社会では、自由と民主主義を求める市民、特に青年達がいつかは騒ぎだして政権を倒すだろう」と。幻想を持つだけではない。米国は年間約100億円の予算で、「世界に民主主義を広める」民間団体を助けてきた。National Endowment for Democracyを通じて助成金を受け取るHuman Rights Watch、あるいは共和・民主両党の傘下にある民主主義普及団体は世界諸国で活動。野党勢力に政治運動のノウハウを伝授するとともに、資金も供与して、ジョージアやウクライナなどで選挙での不正を追及しては政権を倒す「レジーム・チェンジ」を演出してきた。ロシアでも2011年12月の議会選挙直後、反プーチンの集会が全国で自然発生的に盛り上がり――Facebook等SNSで呼びかけが行われた――モスクワではクレムリンの至近距離に10万以上もの市民が集まって気勢を上げる、革命一歩手前の状況となった。

 しかし、いずれの場合にも、「自由と民主主義を望む市民」が勝つことはなかった。ジョージアやウクライナでは、民衆の力を利用して政権についた野党勢力は、利権漁りと内部闘争に終始して民衆を顧みることはなかったのである。筆者はこういう国々に外交官として勤務して経験したのだが、レセプションなどでは、いつもカネづるを探している現地の人間達が民主主義活動家を標榜して近寄ってくる。大使館に資金を求めて訪れる者も多い。こうした者の多くは、民主主義のことより自分のことだけ考えているものである。
ロシアでも同じである。中央アジアに比べれば、自由・民主主義を純粋に求める者の数ははるかに多いが、彼らの主張もそれぞれに分かれており、これを一本化する指導者は現れていない。
社会の各層を分析してみよう。まず大衆と言われる人達だが、皮肉な言い方をすれば、彼らは基本的に「言論の自由」を享受している。酒場や自宅でプーチンをどんなにこきおろそうと、波及力、組織力を持っていないので、放置されている。それに、彼らは別に、投票権とか言論の自由など、「洗練された」自由、民主主義を求めているわけではない。いやむしろ、「自由」、「民主主義」という言葉に、彼らは敵意を示す。と言うのは、1990年代の初め、他ならぬ「自由」と「民主主義」を叫ぶ西側の留学帰りの青白いインテリどもが、国を6000%のハイパー・インフレに投げ込み、大衆を何カ月も給料無しで生きて行かなければならない状況に追い込んだからである。ロシアの大衆は、もう言葉にだまされない。日々の「パン」があれば、あとは好きなように生きていく才覚を持っている。

次に地方公務員、学校教師、企業の係長クラスの「知識労働者階級」がいる。彼らは自由とか民主主義を、言葉で考えることのできる人達だし、一般大衆よりは周囲を自分の意見に染める力を持っている。しかしこうした層が強い反政府勢力になることは考えにくい。と言うのは、彼らの殆どは政府から賃金を得ているからである。すべてのものが国営・公営であったソ連時代の名残りで、今でも学校はもちろん、目ぼしい企業のほとんどは国営、あるいは実質的に国営で、そこに働く者は全労働力人口の3分の1を占めている、とプーチンが言ったことがある。家族も含めればその数は膨大で、この有様では「広範な知識階級が改革を求めて立ち上がる」ということにはなり得ない。

生活に染まっていない青年はどうか? ソ連の時代も、青年は西側の自由と民主主義を愛し、これをソ連に定着させてくれるかもしれない勢力として、西側の期待を担っていた。それはある程度真実だったし、ソ連末期の若手インテリほどリベラルで、かつ高い知的水準を兼ね備えた存在を筆者は知らない。今では彼らはほぼ例外なく、愛国主義に転じたか、あるいは権力や金力に封じ込められて逼塞しているが。
現在の青年はどうか? 2017年春、メドベジェフ首相等、政府要人の特権濫用が大きく問題化した際には、街頭での反政府集会が頻発したが、そこには20歳以下の青少年たちの参加も多く見られて、内外のリベラル勢力の期待を集めた。15歳程度の青少年が、学校教師の空々しい愛国主義授業を盗み撮りしてはYouTubeにアップして揶揄する例も相次いだ。
しかし、今では彼らの存在は見えない。当時から、青少年の意見は様々に分かれており、決して西側流のリベラリズムが主流であったわけではない。世論調査を見ると、彼らの不満は民主主義の欠如よりも、指導部の腐敗、そして愛国主義教育のような締め付けに向けられており、今の体制を倒すことは志向していない。今の青年にとっては、「生まれた時から今までプーチンが大統領」ということで、プーチンはあたかも空気の如く、あることが基本前提、彼に反対することは、まるで空中の窒素の存在に反対するのと同じような感覚なのかもしれない。

マスコミはどうか? 一部の新聞・雑誌が主導した、ゴルバチョフのグラースノスチ、あるいはペレストロイカのような変革の時代は再来するだろうか? 今の状況では望みは薄い。主要テレビ局は国有化され、その報道ぶりは規制されている。新聞・雑誌はソ連時代に比べて発行部数を大きく減らしているし、政府助成金に依存したり、安手の商業主義に染まったりで、ソ連時代末期のように世論を主導する力は全く持っていない。
「自由」と「民主主義」のスローガンがロシア政情を揺らす時は、過去のものとなった。1990年代の疾風怒濤の時を経たロシアは、「パンとサーカス」で大衆を手なずけようとする、気だるい停滞期にあると言っていいだろう。

不安定化要因4:国内分裂の危険性

 ロシアはもともと、モスクワ公国という都市国家に過ぎなかった。これがモンゴル帝国の統治地域の一部を奪取するとともに、北方のシベリア地域を武力と奸計で数百年にわたって征服、1860年にやっとウラジオストック周辺の沿海地方までを中国の清朝から奪取したのがロシア帝国である。従ってロシア人は東方では植民者であり、今でも地元の少数民族が作る自治共和国・州等はタタールスタン、ヤクート・サハ、ブリャーチヤ等、多数存在する。多数の人種、民族が混住する米国と異なり、ロシアは人種・民族が集住する地域間の「縫い目」が未だに強く感じられる帝国的多民族国家――その多くは民族語をロシア語とともに公用語としており、民族語での教育も行っている――なのである。

そして肝心のロシア人も、いざ事あれば自ら分裂して一向に愧じない。ロシア革命直後の血で血を洗う内戦はもちろん、ソ連崩壊直後の混乱の時も、ウラル地方では1918年の「シベリア共和国」に言及しつつ、強い自治権を標榜していた。

 経済がいい時には、これら地方は中央に従う。税金の多くが中央に集中するようになっているため、モスクワ等ごく少数の自治体を除いては、中央からの補助金なしには地方行政ができないからである。しかし、上述のように、ロシアには「縫い目」が無数に通っている。経済が悪くなってくると、カネの切れ目が縁の切れ目で、地方は独立を標榜しやすい。1994年のチェチェン独立戦争がその極端な例である。現在チェチェンはカディロフ首長がプーチンに忠誠を誓っているが、後者の代わり目には強い自己主張を示して、ロシア情勢を不安定化させかねない。チェチェンだけでなく、ダゲスタンでも地元クランの間の争いが絶えず、中央はこれを抑えることができずにいる。

 民族主義的主張でロシアを大きく揺るがす潜在力を持っているのは、タタールスタンだろう。これは穏健イスラムの国で、首都カザンはかつてはイスラムの一つの知的中心地であった。そして政治地理的に重要なことは、ここはロシアの東西南北の交通のハブであり、ここが独立するとシベリア鉄道は実質的に分断される。そして同時にタタールスタンは中央アジアの実質的な一部で、昔からロシアから中央アジアへの物流のハブであったのである。
ただ現在のタタールスタンは、ルスタム・ミンニハノフ大統領(クレムリンは「大統領」の呼称停止を働きかけている)の下に穏健・合理的な政策を進めており、不穏な動きは示していない。コーカサス地方からイスラム原理主義分子の流入が見られることのみが、不安要因である。

 危機の時、モスクワは国家の境界領域をトカゲの尻尾のように切り離して愧じることがない。1917年、革命直後のボリシェヴィキ政権は、自分の権力を保持するためにドイツと単独講和をはかろうとして、ウクライナ、バルト諸国等を放棄する拠に出た。また1918年、日米のシベリア出兵に当たっては、極東のハバロフスク・沿海地方等を独立させ、「極東共和国」と自称させることで、日米の圧力をもろに受けることを避けた。ロシアと言えば、「一度手に入れたものは金輪際放さない」ということになっているが、時と場合によるのである。

不安定要因5:「外敵」

 9世紀、ロシアはバルト海と黒海を結ぶ水系(ドニエプル等)のほとりに、いくつかの商業都市国家として誕生した。その商権、そして都市国家の統治はヴァリャーグ人、つまりスカンジナヴィアのヴァイキングに握られていたと見られている。このヴァリャーグの諸侯は粗末な舟に蜂蜜(煙を発しない高級蝋燭の原料として珍重された)、毛皮等を満載してビザンチン帝国の首都コンスタンチノープルへと南下していったのだが、その両岸は遊牧・騎馬の「蛮族」の支配するところで、ヴァリャーグの諸侯とは死闘を繰り広げている。その様は、「イーゴリ侯軍記」などとして、ロシア人が学校で学ぶものとなっており、「国境の向こうの蛮族」に対する恐怖心はロシア人の心に染みついている。

その恐怖心は13世紀のドイツ騎士団来襲、ほぼ同時期のモンゴル軍来襲とその後300年間にわたるモンゴルによる支配、17世紀初頭のポーランド軍によるモスクワ占領、1812年のナポレオン軍によるモスクワ占領、ロシア革命直後の日米欧諸国によるシベリア等への干渉、第2次世界大戦でのドイツ軍の侵攻、そして戦後の米国、中国との対立等によって、一層強化されている。米国とは核戦争瀬戸際の恐怖を味わったし、中国とは国境をめぐって死傷者の出る戦闘(1969年のダマンスキー島事件等)まで繰り広げているのである。「外敵」に対する恐怖は、ロシア人の心に染みついていると言っていいだろう。同じつながった地面の向こうから敵がやってくるという恐怖心は、海で囲まれた日本人には決して理解できないものだろう。

 ソ連崩壊と冷戦の終結で、西側からの脅威は消滅した。元々これは、「敵」を「友人」と名付けてしまえば氷解する性質のものであったし、同時に、ソ連崩壊でロシアが無力化したため、西側がロシアを恐れなくなった、敵扱いしなくなったという、ロシアにとってみればある意味情けない側面も持っていた。ロシアは、「オウン・ゴール」で大国であることを止めたのである。
 しかし西側は、かさにかかって、ロシアを押し込める挙に出てきた。エリツィン時代末期から、ロシアの抵抗を無視してNATOを旧ソ連圏諸国に拡大、2004年にはソ連の一部そのものであったバルト諸国にもNATOを拡大することで、ロシアの顔に完全に泥を塗った。そして米国は、諜報機関出身で、諜報機関を力の基盤とするプーチンを当初から警戒、ロシアの民主化団体への支援を強めた。当時ジョージア(2003年)やウクライナ(2004年)での「レジーム・チェンジ」を目撃したロシア指導層は、ロシア国内で「レジーム・チェンジ」を仕掛けられるのを極度に恐れるようになった。自分の歴史、自分の経済力に鑑みて、ロシアのエリートには自信がないのである。

1904年、日ロ戦争前後には日本がロシアの革命勢力を支援(明石大佐の工作)。ロシア国内の破壊活動を強化させ、1905年のロシア第一革命を導いている。そして1917年には、ロシアを戦線から離脱させることを狙ったドイツが、革命家レーニンを支援。彼を「封印列車」で亡命先のスイスからロシアに送り込むと、半年後には革命を成就させてしまう。「米国CIAによるレジーム・チェンジの試み」をロシア指導部が恐れるのももっともだし、またそれ故に彼らも2016年米国大統領選に干渉しても構わないと考えたのであろう。
しかし実際のところ、欧米諸国による「レジーム・チェンジ」支援を、ロシア指導部が過度に警戒する必要はない。というのは、上述のように「リベラル」、「自由」、「民主主義」は今のロシアでは大衆に敵視されているため、大衆運動として盛り上がらないからである。エリツィンのようにカリスマを持った指導者が、今の反政府活動家の中には見当たらないことも、当局にとっての安心材料である。
それよりも怖いのは、「反ロシア」で凝り固まった米国議会が、法外な制裁をロシアに課してくることだろう。今のようにロシアに石油・天然ガス探鉱・掘削の先進技術を与えない、資金を与えないことでも十分、ロシア経済の将来を害するのだが、それ以上にもし、米議会がロシア企業にドル利用を禁じる――米国の銀行がロシア企業と取引するのを禁止すればいいのである――ならば、ロシア企業は、いやロシア全体が世界貿易から締め出されるだろう。
ロシアを囲む環はじわじわと絞められつつある。プーチンは、早期退陣で詰め腹を切らされることになるかもしれない。
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