Japan and World Trends [日本語] 日本では自分だけの殻にこもっているのが、一番心地いい。これが個人主義だと、我々は思っています。でも、日本には皆で議論するべきことがまだ沢山あります。そして日本、アジアの将来を、世界中の人々と話し合っていかなければなりません。このブログは、日本語、英語、中国語、ロシア語でディベートができる、世界で唯一のサイトです。世界中のオピニオン・メーカー達との議論をお楽しみください。
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世界はこう変わる

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2008年5月 9日

ウズベキスタンが変えるユーラシアのバランス(タシケントの会議に出席して)

中央アジア(ウズベキスタン、カザフスタン、キルギス、タジキスタン、トルクメニスタン)は人口合わせて5,000万人そこそこなのだが、ここを押さえてきたソ連が崩壊してからは、ロシア、中国、米国、EUなどが政治的影響力や、この地域に豊かな石油(カザフスタン)、天然ガス(トルクメニスタン)、ウラン(カザフスタン、そして多分他の国でも)の輸入を競う地域となっている。
そして、タリバンが再び勢力を拡大し始めたアフガニスタンはこのうち3カ国(タジキスタン、ウズベキスタン、トルクメニスタン)と国境を接していて、安全保障上の懸念要因となっている。

9月11日集団テロ事件直後から、ウズベキスタンを先頭に(ハナバードというソ連時代からの大空軍基地を米軍に貸した)米国への協力姿勢を強めた。トルクメニスタンは永世中立国を標榜しているが、トルコやドイツからアフガニスタンへ飛ぶ米軍飛行機の上空通過を許容したのである。

だが中央アジア諸国は、西側のNPOが、「民主化」の波の中でグルジア、ウクライナ等の旧政権を倒していくのに警戒心を高めた。ウズベキスタンは特に、ハナバード基地を提供しているのに米国が思ったほど経済援助をしてくれないのに切れ始めていた。ロシアを見ると、石油景気で沸き、小金を貯めているように見える。

折りしも05年5月、ウズベキスタン東部のアンディジャンに「テロ勢力」が攻め込んだ際、ウズベク政府は一般市民にも発砲して多数の死傷者を出した。以前からウズベキスタンにおける人権問題に敏感だった欧米は、ウズベク政府にきつく出る。独自の調査団派遣を主張したのである。

カリモフ大統領はアンディジャン事件直後、北京、モスクワを訪問し、自分への支持を確保した。同時にそれまでわりと等閑視していたロシアを「戦略パートナー」に指名し(それまで指名されていたのは米国と日本だけ)、遂には安全保障条約まで結ぶとほぼ同時に、米軍に対してハナバード基地からの完全撤退を要求したのである。そして、米国のNPOはほとんど追放してしまう。ウズベキスタンの外交政策は180度方向を変えたように見えた。

それが今、少し潮流がまた変わってきた。カリモフ大統領はプーチン大統領が憲法通り2期で辞任してしまったことに驚き、残念がった(そういうふうに彼の面前で言ったことが報道されている)。と言うのも、彼は昨年12月、3期目に選ばれたばかりなのである。かつて保守的なホネッカー東独書記長が、ペレストロイカを標榜して対西側融和路線を突っ走るゴルバチョフ書記長から受けたと同様な圧力を感じたとしても不思議はない。

その頃からだ。ウズベキスタンの対米関係に動意が感じられるようになったのは。まず米国の中近東方面司令官だったファロン将軍が1月末にウズベクを訪問してカリモフ大統領に会う。そして4月にはカリモフ大統領はブカレストのNATO首脳会議に飛んで(ロシアと同じくNATOのパートナー国だから不思議ではない)、米軍の対アフガン物資を自国領土を通過して輸送することを認めると演説した。

そこで内外のマスコミは、ウズベキスタンの外交路線が再び180度展開して、今度は親米に変わった、と報道し始めたのだ。

で、僕は4月末、タシケントで開かれた「中央アジアの安全保障と発展に関する国際会議」(政府レベルではなく、学者、専門家が集まったもの)に出てきたのだが、そこでウズベキスタンが180度変わったと思ったかと言うと、ことはそう単純ではない。ウズベキスタンもそれほど単純ではなくなった。複眼的外交を始めたと言うか

そして議論はものすごく率直だった。僕が大使として在勤していたのは2002-2004年だが、その頃この手の会議というのは公式論、テキスト読み上げのオンパレードで、いつも別の読み物を持っていったものだ。今回もそのつもりだったが、実際はフル・パワーで会議に専念することになった。面白かったし、日本人として発言する機会は逃さないようにしていたのだ。

この国では何かが少しづつ変わっている。何か少し明るく、少し自由になったような。目立たないが、亀が這うようなスピードで世代交代が起こりつつあるような感じがする。この国の輸出収入の3分の1以上を占める綿花の国際価格がこのところ高値にはりついていること、石油ブームに沸くロシア、カザフスタンに出稼ぎに行っている仲間からGDP10分の1相当の仕送りがあることから、経済が好調であることも背景にあるのだろうが、同じ感触はウズベキスタンの友人ももらしていた。希望的観測だろうか?

で、今回の会議、わりと大事だと思うので、感想を列記する。
因みに、こういう会議に出てみると、日本が政治的に本当に軽視されていることを痛感させられる。こういう会議にはいつも決まったような顔ぶれの各国専門家たちが出ていて、国際世論を形成していく。日本は、国際会議に出て時宜を得た発言のできる人材をプールし、どの会議にも必ず誰かは出ているようにするべきだ。

1.ウズベクへのエンゲージメント政策
(1)本件会議主催者はウズベクのNGOであるFoundation of Regional Policy及びCenter for Political Studies、OSCEウズベク事務所、USAID及び米国のNGOであるInstitute for New Democraciesであった。
これに明らかなように、本件会議はアンディジャン事件後疎遠になっていた米国がウズベキスタンの政治シーンに再登場したことを印象付けるものであった。最近、マスコミ上ではカリモフ大統領が再び「親米」の方向に外交の振り子を180度回転させたかのように言い立てる向きがあるが、本件会議に参加していたウズベクの旧友が小生に言ったように、「ソ連崩壊後新しいスポンサーを必死で探してきたウズベキスタンは、1人で何でもやってくれるスポンサーなどこの世にいないことを学び取り、本件会議が示すように、国益に基づく現実的な外交をしようとしているのだ」と評する方が正しいだろう。

(2)従って会議の内容自体よりも、①かかる会議にUSAIDが資金を出し、2日間の会議中後ろの座席に米国大使が座って熱心にメモを取っていたこと、②OSCEが共催者の1人として前面に出ていたこと、また③ウズベクがアフガニスタンの安定確保に関してNATOとの協力を強化しようとしていることにロシア、中国の代表が何も異議を唱えないばかりか(もともと下記「6+2」に米国が入っていたためもあろう)、上海協力機構や集団安全保障条約機構を前面に出そうとしなかったこと、の3点が小生の関心をひいた。なお米国専門家の一人は、アフガニスタンについての「NATO・ウズベク評議会」を設置することを提案したが、これは無視されて終わった。

2.顔ぶれ
本件会議はいわゆるセカンド・トラックの会議であり、政府関係者は(アフガニスタンの大統領安全保障問題副補佐官を除き)出席しなかった。中央アジアの他の国からの参加は少なく、アフガニスタン、ロシア、米国、インド、パキスタン、ドイツ、中国、トルコ、カナダ、イラン等の参加が目立った。

3.ウズベキスタンはアフガニスタンをテーマに、東西双方の協力を得る
(1)本件会議は、アフガニスタン情勢の安定化をテーマとしてロシア、中国のみならず、西側までをもウズベクのために糾合する、ことを目的として開かれた感がある。
アフガニスタン情勢は、ウズベキスタン(のみならずタジキスタン、トルクメニスタンにとっても)にとって、安全保障上の最大の懸念要因である。ウズベクの対アフガン国境は短く、アム河で隔てられているが、アフガニスタンをテロ勢力が制圧すればウズベク国内のイスラム過激派を支援してテロを煽るだろうからである。タリバン政権時代の1999年には実際、ウズベクでテロ事件が起きている。
ウズベクはアンディジャン事件以降、米国によるレジーム・チェンジを警戒してロシア・中国に傾斜していたが、ロシアはアフガニスタンには兵力を派遣できない(1979年以来のアフガニスタン侵攻のトラウマから、再度の出兵については母親を初めとする世論の納得を到底獲得できないためであろう)ため、アフガニスタンの安定化についてはウズベクとしても西側の力に期待せざるを得ない。 
05年、米軍をハナバード基地から追い出した後も、ドイツ軍にはテルメス空港の使用を認め続け、また本年になってからは米国がロシア、ウズベク経由の鉄道で非殺傷物資をアフガニスタンに運搬すること、及びテルメス経由のドイツ機で軍人及び非殺傷物資をアフガニスタンに運搬することを許可したのは、そのためである。

4.カリモフ大統領の「6+3」提案
(1)4月初め、ブカレストでのNATO首脳会議にはカリモフ大統領もパートナー国首脳として招待され、短時間の演説も行った。
その中で同大統領は、ウズベク領を通ってアフガニスタンへの米軍物資運搬を許す旨明らかにすると同時に、アフガニスタン情勢安定化を議論するため1999年、ウズベクが音頭を取って立ち上げた「6+2」会合(ウズベキスタン、タジキスタン、トルクメニスタン、イラン、パキスタン、中国、ロシア、米国)を再活性化するとともに、NATO代表を加えて「6+3」会合とすることを提案した。

(2)本件会議は上記「6+3」提案より以前から準備されていたものであるが、右提案後ウズベク側主催者は本件提案の議論を主要テーマとしてきた。

(3)小生は、日本は中央アジアの安全保障に直接貢献できる国ではないにせよ、私心のない経済大国として地域のバランス・オブ・パワー維持に貢献できること、またアフガニスタン復興においては非常に大きな貢献を行っていることをウズベク側に認識してもらうべく、本件会議に参加したものである。
右諸点は、小生のプレゼンテーション(末尾)で述べたが、カリモフ大統領の「6+3」提案議論の際、「日本やインドのようにアフガニスタン安定化に大きな貢献を行っているのに、本件提案で考慮されていない国々がある」と発言したところ、インド代表等からサポートの発言が相次いだ。会議末尾に発表された記事資料においても、「『6+3』はオープンなものである」とのセンテンスが入っていて、良かったと思う。
とにかく発言しないと、プレゼンスは確保できない。

5.率直な議論
小生が大使をしていた時代のウズベクにおいては、この種国際会議はテキストの読み上げに終始する退屈極まりないものが多かった。しかし今回会議における議論は率直を極め(質疑応答の時間が十分に取られたため)、特に米国とロシアの専門家の間における言葉のやり取りは非常にきついものがあった。

米側は中央アジアにおけるロシアの「覇権主義的意図とやり方」を非難して、ロシアを回避する石油・ガス・パイプライン建設を擁護するかと思えば、ロシア側は「アメリカによる一極支配」を声高に批判した。
ロシア専門家にはソ連崩壊以来、西側に無視されてきたという暗い、鬱屈した思いがうかがえ、攻撃的であった。休憩の場で1名は小生に対し、「日本は国際政治の場で差別されている。国際政治の道端にいつもいる」と述べる有様だった。

子供じみた「パワー・ポリティクス」は、中央アジアではもう不必要だ。中央アジア諸国は独立しているのであり、これを強化していくことで日本と中央アジア諸国の利益は完全に一致しているのである。

6・インド・日本の立場の類似性
インドから参加した専門家の女性は、「上海協力機構(SCO)は国際組織としての法的枠組みに欠ける。アンディジャン事件にも十分な対処をできなかった。」とか「集団安全保障条約機構はロシアの司令下にある体制である」等の歯切れのいい発言を行った。
休憩の場で小生から、「インドは上海協力機構に加盟申請を出しているのではなかったのか?」と質してみたところ、「『請われれば加盟する』という立場なのです。インドがSCOに入ることはないでしょう」という答えであった。おそらくインドとしては、SCOについても中国に対する複雑な思いがあるのであろう。
ついでに言っておくと、「アメリカがSCOに加盟申請をしたことがある」という思い込みが世界に広まっているが、これは嘘かデマだ。アメリカ政府関係者に確かめてみればすぐわかる。彼らは断られたから隠しているわけではない。

以下が小生のプレゼンテーション。アフガニスタン安定化に日本が果たしている役割を強調するとともに、中央アジアのStatus quo維持、アフガニスタンの安定化への各国の積極的取り組みを確認するため、上海協力機構〔その本質は「中央アジア+ロシア&中国」のようなものだろう〕、「中央アジア+日本」、「中央アジア+EU」、「中央アジア+米国」のような既存の集まりを一堂に糾合した会議を開け、というのが趣旨
1975年のCSCE会議を意識しているため、OSCEからの参加者も喜んでいた)

Japan’s call for a Central Asian version of CSCE
---The platform “Central Asia plus Japan”
and Japan’s role in stabilization of Afghanistan
April 2008
Akio Kawato

In a sheer contrast to the general understanding Japan today can send its troops abroad---, but only in limited cases. The International Peace Cooperation Law adopted in 1992, effectively changing the interpretation of the Constitution, stipulated that Japan could send its Self-Defense Forces abroad for UN related activities, though they are not allowed to use weapons other than for self-defense purposes.
Thus, the planes of Japanese Air Self-Defense Force provide transportation to the personnel and goods of the UN and the multi-national forces in Iraq. The vessels of the Japanese Maritime Self-Defense Force provide fuel to foreign military ships, which are conducting warfare against terrorists in Afghanistan.
In reconstruction of Afghanistan Japan’s role is indispensable. It held the First International Conference on Reconstruction Assistance to Afghanistan in 2002, took initiative of the demilitarization of the warlords of Afghanistan and rebuilt highways, schools and other social infrastructure. Japan has already spent 1.38 billion dollars for these purposes.
In January 2007 Japan’s prime minister at that time, Mr. Abe, made a rare official visit to the NATO headquarters in Brussels, proposing a closer cooperation between Japan and the NATO. Among others he promised to allocate about 20 million dollars for economic and social projects related to ISAF’s PRT (Provincial Reconstruction Teams) operation in Afghanistan. Within this framework Japan has constructed schools, developed teachers’ skills, launched vocational training centers and several other social objects.
Japan fully understands the importance of Afghanistan’s stabilization for Uzbekistan and other Central Asian countries, it respects their initiatives and wishes, and it hopes that Japan’s efforts in Afghanistan, though they are not military, will make contribution to establishment of peace and stability in this part of the world.
In Iraq Japan’s role is even bigger. From 2003 to 2006 about 600 ground troops of the Japanese Self-Defense Forces were stationed in Samara As I have already said, the Air Self-Defense Force still remains in Iraq, providing logistic support to the UN and the multinational forces. The Japanese Government promises to spend 5 billion dollars in grants and loans for reconstruction of Iraq.

In Central Asia what we need is not warfare but a diplomacy which would prevent conflicts, and Japan’s capacity is most suited for this objective. Japan, for example, has built a fair range of social and economic infrastructure in Central Asia. New telephone line network with optical fibers, new vocational schools, a factory to repair railway wagons, modernization of local airports, and a new railway which greatly eases access to Afghanistan and which in future will provide a new exit to the Indian Ocean. The Asian Development Bank, in which Japan is the largest contributor along with the USA, has started construction of highways in the region.
These projects will stimulate economic activity and elevate the standard of people’s life; the best way to maintain stability and to prevent conflicts.

As the best means to promote independence and stability in Central Asia, Japan calls for more solidarity among countries in this part of the world. In September of 2004, shortly before my departure as Ambassador in Uzbekistan and Tajikistan, Japan established a new platform of dialogue “Central Asia plus Japan”.
Japanese Foreign Minister at that time Ms. Kawaguchi visited four of the five Central Asian countries and had the first joint ministerial meeting in Astana. The second joint meeting of the ministers of foreign affairs was held in Tokyo in June 2006 with participation of the Foreign Minister of Afghanistan.

Today I am happy to notice that big powers like EU have also launched a similar platform “Central Asia plus EU”. By talking to the Central Asian countries as one coordinated and loosely-united body, we can enhance an independent international status of Central Asia. When a number of countries share an institution to speak in one voice, their diplomatic capacity will be augmented by number of times; good examples are the EU and the ASEAN.
Japan does not possess any political ambition in Central Asia. It can only help Central Asian countries to secure their independence and economic development. It means that the interests of Japan and Central Asian countries totally coincide.

As many powers have already established platforms “Central Asia plus some country”, it may be an opportune time to hold a joint meeting of these separate forums, creating a Central Asian version of CSCE, which will ensure the maintenance of the status quo in the region, define approaches on how to modernize economy and society and confirm the commitment to realize stability and reconstruction of Afghanistan.

コメント

投稿者: 杉本丈児 | 2008年5月 9日 10:05

 ウズベキスタンと聞くと身体が反応する。
 それくらい、過去の残映が強く残っている。
 私の過去は、リシタン市にある「のり子学級」から見るウズベキスタンである。
 だから、ウズベキの子どもたちがなぜ日本に憧れるのかは少し理解しているつもりである。
 さて、海外における日本語教育が民間外交の一端を担っていると思うのは考え過ぎだろうか。
 そして、使い古された言葉で平凡ではあるが、草の根的な国際交流、小さな事の積み上げ的な国際交流のを根気よく続けていくことに関心がある。
 読後、戦略的な国際政治のあり方、複雑怪奇な国際情勢の分析等、河東先生にはかなわない。つくづく思い知らされた。
 ただ、今回のレポ-トで「教育」を通じた国際文化交流について再考させられたことは間違いない。
 

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