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世界はこう変わる

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2017年5月 8日

4月に見てきたモスクワ 変化への予兆

 ソ連崩壊後25年の蓄積――表面上の繁栄
(これは、4月26日に発行したメルマガ「文明の万華鏡」第60号の一部です。全文をご覧になりたい方は、http://www.japan-world-trends.com/ja/subscribe.phpで購読の手続きをお願いします)

ロシアと言えば、「西側の制裁と原油価格の暴落にやられて、GDPは世界16位、メキシコ以下になって喘いでいる」というイメージがあるが、今年に入って(油価がやや持ち直したこともあって)ルーブルは対ドルで10%も急上昇。GDPもそうであればドル換算でメキシコを抜く。昨年GDPは0,3%縮んだが、今年は2%程度の成長を政府は予測している。地下鉄の切符が去年は50 ルーブル、今年は55ルーブルであることが示すように(毎年上がって来た)、インフレ率は昨年で7.0%と、近年のロシア経済においては好成績なのである。

ロシア経済と言うと、我々はいつも悪口を言って楽しんでいるようなところがあるが、ソ連崩壊、市場経済導入後25年余。1992年頃は、「資本主義では何でもあり」というモラル崩壊状況で、街ではカネと銃が幅を利かせたものだった。それが25年余も経ってみると、さすがに市場経済が定着してきたと思う。

ソ連崩壊直後、歩道という歩道、空き地という空き地を「キオスク」と称する木製、金属製の箱型商店が占拠、コンビニの代わりをしていた(裏では麻薬を売っているところもあったようだが)ものだが、今では街路の両側に立ち並ぶアパート、オフィス・ビルの1階には商店やブティックが軒を連ねる。ソ連崩壊直後は厳しい規制が残っていて、「アパートという国有財産を使ってのカネもうけ」はなかなかできなかったものだが、アパート自体民営化も進んで、商店も増えてきたのである。

筆者はその一つの携帯電話の店に行ってSIMカードを買ったが、がらんとしただだっ広い、しかし小奇麗な店の奥に兵隊みたいな屈強な男が二人、デスクの向こうに座っていて、にこりともせず、しかし淡々とSIMカードを売ってくれた。筆者がSIMカード使うの初めてなんだと言うと、初めて心から人の好さそうなスマイルを見せた。

そして、「ビジネスでは信用が大事」という不文律が浸透している。そして全体に社会が落ち着いた中にソ連時代の温かい家庭的雰囲気が戻ってきて、「何でもあり」の無法時代から次第に自分なりのモラルの筋が一本通った社会になってきたなと感ずる(だからこそ、上層部の腐敗に対しては厳しい目が向けられているのだが、それについてはまた後で)。これは不思議なことに、クリミアを併合して西側の制裁を食らった時からそうなので、それ以前のモスクワでは人々がとげとげしく、地下鉄に乗っていてもなんとなく、肌を大根おろしでこすられているような感じがしたものだ。それが、西側、特に米国の制裁を食らったことで、団結心が起きたのだろう。それは、ロシア人の友人たちが認めるところである。

ソ連崩壊でロシア人はまったく自信を失ったが、それは今ではほぼ完全に戻っている。アエロフロートの客室乗務員の態度も洗練され、かつ丁寧で、世界でも上位の部類に入る。もっとも自信を越えて、攻撃的なトーンのテレビ討論番組なども多いのだが、それはウクライナやシリアで米国に不当に押されていると思い込んでいるからだ。

ロシアは帝国で、モスクワを歩いていても、実に様々の人種が歩いている。しかしそれでも米国に比べると白人の単一民族国家という感が強い。米国は様々な国からの移民をベースにしてオープン、拡散的、法治依存なのに比べて、ロシアでは単一の国家、単一の民族、みんな家族という暗黙のイデオロギーで万事が作られている。テレビのコマーシャルなど見ていると、まるで1960年代の米国白人のホーム・ドラマを見ているよう。そしてロシアのテレビはこの頃、技術的(アングルとかプレゼンの仕方)にも水準が高くなってきて、結構見せる。

ロシア人のアイデンティティーは、人種的なものである。ロシアは今や世界最大の白人国なのだ。米国南部の大学で数年過ごして帰って来たロシアの友人によると、「アメリカの大学は別天地。社会から隔絶された、天国のようなところ。でも教授たちの間の足の引っ張り合い、陰謀と来たら半端じゃない。それでもロシアの大学に比べたら、可愛いものだけど。そして白人の学生は本当に競争力がない。他の人種に抜かれても、自分で挽回しようと思わない。この分じゃ、米国の白人はやられてしまう」ということで、ロシアは白人に残された最後の楽園となるのだろうか? 同じ白人でもスラブ人は、アングロ・サクソンやゲルマン系には上から目線で眺められているのだが。

 そしてITの利用法などで、ロシアは日本の先を行き始めた。スマホでのカネのやり取りはもちろん、道端の駐車もメーターの替わりにスマホでの料金支払いになっている。スマホをクリックすればタクシーが3分ほどでやってくるし、AirbnbもUBERもとっくに使われている。日本では既存業界が抵抗するし、日本人もこれまでのタクシーや民宿で満足しているので、米国発の新しいITサービスはなかなか使えないのだが、ロシアは既存のサービスが弱いので、新しいものでは日本の先を行く。Facebookのロシア版(Vkontakte等)で政治集会を組織するし、YouTubeに学校の愛国主義教育を揶揄するビデオを平気でアップする。後で言うようにメデベジェフ首相の職権乱用を1時間にもわたって告発するビデオをYouTubeにアップして、1カ月で2000万人もが見る事態になっていながら、当局はインターネットを規制しない。今もYouTubeを通じて「政治的なことをやる」のが青年の流行となり、当局に危機感を与えている。

このユルイ状況は、内政を差配する大統領府第一副長官が保守ごりごりのボロージンから、リベラルなキリエンコに代わったことも関係しているだろう。またそれを狙って、プーチンはこの人事をしたのだろう。3日サンクト・ペテルブルクの地下鉄で爆破テロがあった。キルギス出身のウズベク系出稼ぎ者の犯行で、ISISとの関係も云々されている。ボロージン時代なら、それをきっかけに締め付けと反イスラム摘発が始まったところだろうが、今回不思議とそれはない。国内イスラムの知的・経済的中心、タタールスタン共和国が目下モスクワと自治権拡大交渉を継続中で、イスラム(ロシア国内に1500万人前後はいる)を刺激したくないこともあるだろう。だからテレビを見ていると、「地下鉄が止まったため、地元のタクシーは無料で客を運んでいます。日本食レストランのチェーンが、無料で食事を出すと宣言しました」的な、ボランティアの助け合いを助長している。

 4月の初め。吹雪で3度という天気が、急に18度の春になる。地下鉄駅前の広場では、ロックの俄かコンサート。ちょうどロシア正教会のイースター前で、路上では老婆たちが正教会祭日に因む楊の小枝を売っている。夜になると、モスクワは美しいイルミネーションに輝くのだが、その中で建物の上のけばけばしいネオンが除去されているのに気が付く。ソ連崩壊後は世界中の電機・自動車会社のネオンがけばけばしく妍を競っていたものだが、このような「何でもありの資本主義」の時代は終わったのだ。

この情景を広場の横の二階にある欧州風カフェから見下ろしながら、コーヒーを飲む。この近くにはロシア版GoogleのYandex社の本社ビルがある。真新しいガラス張りのビルで、ここの社員の身なり、物腰はもう欧米の白人と見分けがつかない。そういった連中が木材の香りも新しい、この北欧風カフェに陣取っている。ロシア人の友人は言った。「この頃のモスクワは良くなった。便利になったし、安全で、夜も一人で歩ける。ここに住んでいたいと思う」と。日常、プーチンの存在を感ずることはないが、やはりプーチンがこの16年、一貫したガバナンスを保証して来てくれたのは、大きなことなのだ。
 
格差はあると言え、一応落ち着いた生活。そしてその中で高まっている、市民の権利意識。上層部の腐敗・二枚舌への怒り。こういう連中はもう、「米国の陰謀」とか言ってみても動かないし、首相の特権濫用をごまかすために地方の知事を逮捕して見せても、全然きかない。かと言って、路上で暴動を起こすわけでもない―――考えてみるとこれは、1985年ゴルバチョフが登場したころのソ連社会によく似ているのだ。筆者は当時「ソ連社会は変わるか」(嵯峨冽の筆名)という本を出し、「ソ連は大衆社会になった」という議論を展開したのだが、この頃また似た状況になって来た。

ゴルバチョフは上層部の二枚舌――共産主義の説教をしておきながら、自分では公金を横領――を摘発し、市民を社会主義経済の再建に向けて動員するためにグラースノスチとペレストロイカの政策を始め、そのあげくコントロールを失ってソ連を崩壊させてしまうのだが(あれは本当に劇的だった。当時のことは小説「遥かなる大地」にしてロシアでも出版した。熊野洋という筆名で)、時代はそこに戻って来たのか? ロシアはその広大な領土を力で治めていないと、ばらばらになる。「秩序か混乱か」の二者択一しかない悲劇的運命を抱えた存在なのである。秩序=締め付けのために、発展は阻害される。だから先進国のようなリニアーな「進歩」は無理で、矛盾の増大⇒暴動⇒利権の再配分⇒利権の固定化と警察国家化⇒矛盾の増大⇒暴動という不毛なサイクルを繰り返す。今回もそうなるのだろうか?

繁栄の蔭

 表面的繁栄には蔭がある。今回、筆者はモスクワ大学の寮に滞在したが、ここはソ連時代そのまま。新しい売店は内部にできているし、学生食堂の食事も良くなっているが、基本的には40年前留学した頃と外観、設備は変わらない。各階につめている係の女性も不老不死かと思うほど、40年前と全然変わらず、仕事をせず仲間内でおしゃべりばかりする50代の庶民タイプがちゃんと「再生産」されている。

ある日、40年前には最新鋭だった西側製のエレベーターのドアがあかなくなった。モーターがうなっているのは聞こえるのだが、歳なのだろう。ドアは途中でひっかかって開かない。すると乗っていた屈強の婦人がドアに両手を添えるとえいやとこじ開け、筆者を出してくれたのだ。こういうのは古いエレベーターだけかと思っていたら、聞くところでは、「シティ」(日本の汐留のようなところ)の最新高層ビルのエレベーターでも同じことが起きたそうだ。つまり、無責任体制で、メンテがうまく行っていないのだ。そして地下鉄の車内や、駅前には、40年前と変わらず物乞いが屯している。彼らは歩道に雪が積もっていても、その上に土下座して物乞いをする。おそらく何者かが組織していて、結構いい稼ぎになるのだろう。

 経済が一応良くなったことは、「草食的」、あるいは「無菌飼育」的な青年を生んでもいる。ロシアのある友人は経済学部で企業経営を教えているが、随分閉口している。「社員を働く気にさせる。つまりモチベーションをどうやって与えるかという話しをしても、わかっていない。社員は働いて当然、何でモチベーションを与えなければいけないのかと思っている。何でも決められたとおりに動いていると思い込んでいて、社長とか重役についても私利私欲で動いているとは思いもよらない。」ということだそうだ。それはそれでいいことだが、要するに問題意識がないということだ。甘やかされているのである。

 ソ連時代から有名なコント作者のジュバネツキー(ソ連社会の欠陥を面白おかしく風刺していた)という人がいるが、まだかくしゃくとしていて、テレビに出演して司会者に言っていた。「コントを書く秘訣を後輩たちに教えてくれだって? うーん。でもそのため(何かを風刺する面白いコントを書くため)には何よりも、自分の考え(Myshlenie)がなきゃ駄目なんだ。今時の若い者たち、考えてないだろう?」

(話は違うが、彼はまたこうも言った。「ロシア人は何かというとすぐ、国家としてのイデオロギー(National idea)は何かということを議論し始める。どうしてか、だって? それは(笑って)(西側に対する)コンプレックスがあるせいだろう。(イデオロギーなんてどうでもいいんで)みんな、生きたいように生きればいいのさ」。)
 ソ連の時代、当局の厳しい目をかいくぐりつつ、批判的なものの見方を堅持した人達は皆、一本筋が通っていたということだ。

不安の芽

 来年3月の大統領選ではプーチンの無風再選が確実視されてきたのだが、この1カ月、不安の芽がいくつか出てきた。その一つは、3月中旬反政府の活動家でブロガー兼弁護士のナヴァリヌイがこの1年かけて作った入念なビデオ「彼(メドベジェフ首相)はみんなのジモンちゃん(メドベジェフの愛称)なんかじゃない」がYouTubeに投稿されるや、爆発的な視聴率を見せ、今では2000万に迫っていることだ。これは、財閥所有の豪邸やヨットをメドベジェフは自分だけで使っている、これは隠れた収賄だ、という趣旨のもの。

そして3月26日、匿名の呼びかけをFacebookのロシア版で受けた市民が三々五々、都心のプーシキン広場に5000人程集まった。特に指導者がいるわけでもなく、口々にメドベジェフ首相に説明を求めていたようだが、そのうち誰かから「行こう」という叫びが上がったのに合わせて、坂を下りて200米ほどのクレムリンめがけて歩き出した。その時ナヴァリヌイが検挙され、彼を救おうとする群衆と警官が争いになって、1000人近くが検挙された。

この日はサンクト・ペテルブルクはじめ全土のいくつかの都市で同じような集会が開かれ、トムスクでは12歳の少年がメガフォンを渡されて、「プーチンでもメドベジェフでも誰でもいいけど、とにかくこの国の教育とか医療とかのシステムを何とかしてよ」と発言、これもYouTubeで大変な人気を博した。とにかく市民は暴力を振るうわけではないが、上層部の腐敗は許せない、「説明を求める」という態度で集まったのである。
 
2011年12月、モスクワでは10万人規模の反政府集会が開かれ、革命一歩手前の状況になったが、その後当局による弾圧もあり、鬱屈したノンポリの6年間が過ぎた。そして今、かなりの規模の集会が、それも全国規模で当局の規制をかいくぐって行われたのだ。当局の受けた衝撃は大きい。

特に20才以下の若年層の参加が多かった(モスクワでは全体の20%ほど)ことが、当局そしてマスコミの関心を引いている。これは両親もソ連を殆ど知らない世代で、そういう純正アプレ・ソ連世代が今回初めて政治について態度を表明したからだろう。平均寿命の短いロシアでは、こうした世代がこれから急速に主流になっていく。彼らは米国のミレンニアル世代と似て、いくつかの良い特徴を示している。一つには腐敗など曲がったことを許さないこと、一つには自由を空気のように当然視しソ連的な締め付けに生理的反発を示すこと、一つには「世界の中で生きていく」ことに何も抵抗を感じていないこと、そしてボランティア活動への関心が高いこと、などである。

あるロシアの友人が言っていた、「1990年代の混乱期に生まれた者は、当時両親が不安定な状況にある場合が多く、神経質だったりするが、2000年代になって生まれた者は、親も十分面倒を見てくれて、自信がある」ということも影響しているだろう。ソ連時代に生きたことのある彼らの祖父母は、お上がアパートから車まで、安く入手できるようにしてくれた時代を知っている。インテリが締め付けを食ったところで、自分たちは構わなかったのだ。お上から何かをもらった経験など何もない今の若い世代は、ソ連的な締め付けの復活には我慢ができない。お上はいつも「うざい」、締めつけばかりしてくる不潔な年寄りどもなのだ。筆者の教えた学生の中には、西側のサマー・スクールに当たり前のように出かける者がいる。彼らの中で、卒業後、終身雇用の国営企業で働きたいと言った者はいない。3,4年前のクラスでは、国営企業志望者が大半を占めていたというのに、何か潮目の変化が起きている。プーチン・ロシアは、彼らにとっては異質の別世界なのである

これは、一つの思想的な流行だろうか? 1960年や1970年、日本の大学生のほとんどが日米安保反対を叫んだ時にも似て、反体制の機運が強まっているのだろうか。ロシアのメディアは、「政治に関わること」がロシアの若者の流行になったと書いている。当局にとって由々しいことだ。かつて欧米諸国や日本、そして韓国等で学生運動が吹き荒れた段階にロシアがようやく到達したとでも言うか。誰かが言っていたが、「暴動というものは、景気の回復期に起きやすい」。

これに、「フルシチョフ時代のアパートの強制取り壊し」問題が加わる。モスクワにはフルシチョフ(1950年代後半)の時代に建てられた5階建てくらいのアパートが大量に老朽化しているが、この住民たちに同じ大きさの新しいアパートを無償で提供し、古いのを建て直そう、移転の対象はモスクワだけで100万人にはなるだろう。という壮大なプロジェクトにソビャーニン市長が取り掛かったのだ。モスクワの人口は公称1000万人強。既に諸方で当局者による住民へ説明会も行われているが、簡単にはいくまい。と言うのは、「無償」とは言え、新しいアパートは電灯から何から自費でつけないといけない。工事に手抜きがあれば、一生苦しむ。それに都心の便利なところに住んでいるのに、郊外の地下鉄の駅もないところに移されたらたまったものではない。今のアパートにかけた修理費や改装費はどう勘定してくれるのか――鷹揚と言われるロシア人もこういう時はものすごく細かいから、すったもんだでどうにもまとまるまい。日本からは地上げ屋でも送ってやれば、当局には大いに喜ばれるだろう。いや、1990年代の無法時代には、古いアパートは住民ごと夜放火されて始末されていたので、そのノウハウは今でも残っているかもしれないが。

もっとも、こうしてゴルバチョフの「ペレストロイカ」の頃に社会の風潮が似てきたとは言っても、当時とは政権の質が違う。ゴルバチョフの時は、政権の二枚舌、腐敗を正すため、「お上」自身が音頭を取って不正を摘発していったし、改革に抵抗する共産党からは経済を運営する権限を取り上げて利権から締め出した。そうやって経済運営がおかしくなってつぶれたのがソ連なのだ。だが、プーチンはゴルバチョフの二の舞は避けようとしている。今の政権は自分から自由化、規制緩和を進めるようなお人好しではないのだ。警察国家の権化=公安警察を権力の基盤とするプーチンが、大統領なのだ。「だから社会の変化が政権を不安定化させるのは、プーチンが権力を継承する時だ。今ではない」というのが筆者の友人の見立てで、今のところそのとおりになっている。

 もう一つの不安定要因は、このメルマガ第49号号外でも指摘したので繰り返さないが、トランプ政権の対ロ姿勢が読めなくなってきたことだ。2月には米ロ双方の軍総参謀長同士がバクーで3年ぶりに会談、3月にはトルコのアンタルヤでトルコ軍の参謀長も一緒に会談し、シリアでの対ISIS作戦をすりあわせた。その後シリアのManbij市攻略では米軍とロシア軍が至近距離で行動して、結局誤爆や誤射も起きなかったのである。

遂に米ロはシリアで「アサドを残し、ISISは叩く」ことで一致したのか、ウクライナでもロシア側はおとなしくして、米国との話し合いを待っているようだし、と思っていたら6日、米軍は巡航ミサイル等でシリア政府軍の基地を攻撃、ロシアの面子をつぶしたのだ。筆者が思ったとおり、米国の攻撃はこの一度きり、ロシアも米軍に反撃を加えるようなことはしなかったのだが、米ロ話し合いの機運は一時後退している。

 もう一つの不安定要因は、まだ筆者としてもマグニチュードを測りかねている、タタールスタンの民族主義の問題である。タタールスタンというのは、中世に侵入したモンゴルの末裔のタタール人が多く住む、ボルガ河中流の自治共和国。このタタール人と言うのがまた不思議な民族で、スラブ系と混血したためか、外見はモンゴルというより白人に近い人達なのだ。タタール人はロシア全土、そして中央アジア諸国にも分布して、知的水準が高い者が多いことから、アドバイザー的な職務に多くついている。

このタタール人が特に集住しているのがタタールスタン。すぐ東隣りには、同じようなバシキール人が集住するバシコルトスタン自治共和国がある。この後のトルクメニスタンのところでも紹介するが、この2つはロシアの奥地にあるように見えるが、実は中央アジアの一部。スターリン下、ソ連内部の行政区画線引きの時に、本来一つながりだったカザフスタンとバシコルトスタンの間にロシア共和国領(「オレンブルク回廊」と呼ばれる)が意図的に挿入されて、中央アジアとの間を絶たれたのだ。

今でもタタールスタンはロシア全土のイスラム教徒にとって、知的総本山のようなところだ。昔からイスラムの教義に詳しい学者を輩出し、ロシア革命周辺ではそのほとんどが外国に亡命している。そのロシア革命を起こしたレーニンの祖先にはタタール人に近いチュヴァシ人がいるし、プーチンもあの顔から判断するとタタール系の血が入っているのではないか?

 このタタールスタンは昔から独立意識が強く、ソ連崩壊前後にも独立運動は随分盛んだったのである。そのためソ連崩壊と同時にエリツィンから高度の自治権を獲得し、それはプーチンの時代に随分削られたが、今でも首長は知事ではなく大統領という呼称の使用を許されている。ところがそうした特権を定めたモスクワとの10年間合意が今年の夏には失効するので、今新しい合意についての交渉がモスクワと行われている。そしてタタールスタン側は、「大統領」の称号使用を今度も認めるとともに、これをモスクワからの任命制ではなく、ソ連崩壊直後の直選制に戻すこと、そして地元税収の半分近くを自治共和国政府に残すことを要求しているらしい。

 タタールスタンの分離主義を甘く見てはいけない。「こんな奥地が独立しても、やっていけないだろう」と高をくくってはいけない。地図を見ればわかるようにユーラシアの奥地でも、独立した国はキルギスやタジキスタンのようにいくつもある。タタールスタンも独立すれば、その経済力(工業が発達している)はキルギスなどをはるかに上回り、国としてやっていけるだろう。南方のカザフスタン、トルクメニスタン等を経由して、ペルシア湾に出ることもできるのだ。

ところがこのタタールスタンとバシコルトスタンに独立されると、ロシアはたまったものでない。ロシア全土のイスラム系自治共和国(コーカサスに多い)を刺激するだけでなく、この地域をシベリア鉄道が貫いているから、ロシアの東西間の物流が阻害されかねない(この地域ではほかにも東西を結ぶ鉄道はあるが)。

そんなこんなで、プーチンは4月末に予定していた毎年恒例の「国民との直通問答」(全国から寄せられた質問に、プーチンが一人で数時間にわたりテレビで答えるもの)を2ヵ月延期してしまった。まさか安倍総理の訪ロがこの日と重なったためではないだろう。いろいろ不確定要因が多く、しっかりした回答ができない問題が多い今、とりあえず2ヵ月延ばしておこう――こう考えたのかもしれない。

対日関係はどうなる

筆者がモスクワから日本に帰国した日は雨だった。そのせいか、2週間ぶりの東京は、上昇気流に乗った感のある今のモスクワと比べて、ずいぶん寂れて、田舎に見える。ものごとが止まっている感じがするのだ。出発前に感じていた洗練ぶりと活力はどこにいってしまったのだろう。日本は数々の既得権益に縛られて、全体がガラパゴス化してきたのでないか。

今のモスクワでは、我々のいつも論ずる「プーチン・ロシア」などどこの国のことかと思うほど、生活実感から遠い存在で、それが見えてくるのは警官にデモを取り締まられる時、学校の教師や事務員たちに締め付けられる時だけだ。だから日本などは全く意識の外。そういうロシア人に向かって「領土を返せ!」という調子でものを言っても、「こいつ、うざい」という敵意のこもった目で見られるだけだ。エリツィンは、橋本龍太郎総理と気が合って、何かというと「リュウ、リュウ」と日本を引き合いに出し、それもあってロシア政府全体が日本に好意的、街には日本料理店があふれることになったのだが、それ以後日本はだんだん疎遠となって、ラヴロフ外相などは領土問題は存在しないというソ連時代の決まり文句を引っ張り出してくる始末。そして日本が対ロ制裁に加わったことは、ロシアの対日姿勢をさらに後退させた。

3日の地下鉄テロに対して安倍総理が弔意を電話で表明したのはいいのだが、ロシアのテレビはまずドイツ、フランスの首脳からの弔意表明を真っ先に並べて報道、しばらく間をおいて安倍総理をサウジ・アラビアのサルマン国王の写真と並べて報道した。今の日本はそれなりに重視されていても、サウジと同格、同質なのである。

そして北方領土の共同開発にしても、筆者からしてみればそこまで譲って大丈夫なのかと心配しているのだが(と言うのは、共同開発は元々はロシアのアイデアで、策士のプリマコフ元首相などが、領土は返さず、日本を宥める手段として掲げたものだからだ。日本には経済利権を与えれば満足するだろう。日本のカネでロシア人島民の生活を向上させることができれば一石二鳥、という虫のいい提案なのだ)、ロシアも半信半疑。「日本はなんであそこまで譲るのか。まさか島を諦めたからではあるまい。何の魂胆なのか」とか、「日本は共同開発とか言って、その経済力で何から何まで買い占めて、最後は島の主権もよこせと言うに違いない」など、いかにもロシア的な猜疑心を見せている。

日本のマスコミもロシアへの猜疑にかられて、ロシアのやることなすこと、すべてに陰謀・計画を見出だそうとする。「実際は目立ちたいとか、プーチンに評価してもらおうとか、ばらばらの思惑で皆勝手なことを言っているだけなのに」ということを、あるロシアの友人が言っていた。トランプ政権のロシアへの態度が読めないこともあり、またロシアは既に大統領選モードに入っていることもあり、安倍総理も今はしばらく、日ロは「つなぎ」の姿勢に徹するべきではないか。
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