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世界はこう変わる

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2016年5月 4日

世界史の意味 ユダヤ人という 人たち6 1900年頃までの米国経済発展におけるユダヤ資本の役割

(以下、これまでアップするのを忘れていました。これで1~8がつながります)

世界史の意味 ユダヤ人という 人たち6
――1900年頃までの米国経済発展におけるユダヤ資本の役割

いよいよ、米国におけるユダヤ人の歴史に取り掛かりたい。いよいよと言うのは、現在の世界における「ユダヤ人」(かぎ括弧に入れたのは、最初書いたように、ユダヤ人というのは人種的な概念よりも広いからである)の政治力・経済力の多くは、米国で大きな存在感を持っているからなので、米国における「ユダヤ人」の力を見定めることが、一番重要
なことだからである。

「アメリカはなぜイスラエルを偏愛するのか」(佐藤唯行、ダイヤモンド社)によると、米国で自らを「ユダヤ人」と名乗る人は、人口の2%程度しかいない。そのほとんどは中産階級またはそれ以下で、民主党を伝統的に支持している層である。他方、Forbes集計の全米100名のトップ富豪のうち32名がユダヤ系(2006年)ということもあり、過去半世紀以上にわたり、ユダヤ人社会は民主党の政治資金の半分を提供してきた。ルーズベルトがユダヤ系を重用して以来のことだそうだ。

この約500万人のユダヤ系のうち、イスラエルを熱心に支持するいわゆる「ユダヤ・ロビー」を支える右派系は5分の1程度と言われる。しかし右派系は7000万人もいるキリスト教右派から熱心な支持を得ている。イスラエルは聖地エルサレムを守護する者、と見なされているからである。そのためにユダヤ系、特に右派系(とイスラエル)は、米国の選挙において大量の票を動員できる。キリスト教右派は投票率が高く、有権者の14-18%程度でありながら、ブッシュ(ジュニア)に投票した有権者の4割を占めると言われる。つまりユダヤ系の多くが民主党支持であるのに対して、右派系、イスラエル・ロビーの方は現在、イスラエルに冷たいオバマよりも共和党支持の方に傾いているのである。

ユダヤ系と言うとすぐ、「ウォール・ストリートの金融業、米国のマスコミ、ハリウッドを牛耳っている。世界で陰謀を実現している」と言われるのだが、ニュー・ヨークで勤務した人たちの話しを聞くと、それはどうも単純化が過ぎるようだ。これから叙述していくように、金融業では欧州からやってきたユダヤ資本が大きな力を持っていたことは事実だが、今のウォール・ストリートはアングロ・サクソンやイタリアやアジア系まで、あらゆる人種が入り込んで強欲を実現している場所になっている。マスコミにはニュー・ヨーク・タイムズなどでユダヤ系の人間が多く、日本を殊更に悪く書いてきたことは事実だが、ユダヤ系ではないマスコミも多数あり、これも日本のことは悪く書く。ハリウッドでユダヤ系が強いのは事実のようだ。しかしそれは、ロシア等での弾圧から逃げてきたユダヤ人が映画で儲けようとして、エジソンから特許侵害訴訟を受け、遠いハリウッドに逃げてきたのがそもそもの話しだそうで(昨年11月NHKでそんな番組があった。カーク・ダグラスもポール・ニューマンもユダヤ系なのだそうだ)、別に非難するべきことではない。できれば、筆者がソ連崩壊を描いた大河小説「遥かなる大地」(熊野洋の筆名、草思社。「ドクトル・ジバゴ」の現代版をあてこんだもの)をハリウッドで映画にしてもらいたいほどだ。
まあ、現在の米国におけるユダヤ系の実態については後に回すことにして、ここでは米国独立前後からのユダヤ系の活躍ぶりを追っていくことにしよう。

(18世紀)
ユダヤ系が金融を中心に、米国で存在感を発揮してくるのは19世紀半ば以降の頃からである。おそらく、米国の産業革命、電化による高度成長の過程で、欧州が蓄積した資本が大量に投下されたのに乗ったのであろう。

米国独立当初、ユダヤ系の存在が目立ったのはニュー・ヨークであったようだ。1776年当時ニュー・ヨークは人口2万5千人の存在だったが(エリー運河が1825年に開通して、中部の小麦、酒類がハドソン河を通じて出荷されるようになったことが、ニューヨークの発展を助けた。それまでは東海岸の経済的中心地はボストンである)、1667年までここはオランダの植民地、ニュー・アムステルダムと呼ばれていた。

オランダは当時の超大国で、その金融にはユダヤ人が大きく預かっていたから、ニュー・アムステルダムにもユダヤ人が多数やってきた。それで、ニュー・ヨークと改名された時には、ユダヤ人の拠点となっていたと言われる。今でも米国人は冗談で、ニュー・ヨークのことを「ジュー・ヨーク」(Jewというのは、ユダヤ人への蔑称)と呼ぶことがある。ニュー・ヨークを本拠とするマスコミをユダヤ系が牛耳っているのも、歴史的背景があることなのである。

ユダヤ系は金融面で活躍することが多いが、米国独立当初の金融体制は混沌としていた。主要な州が自分で不換紙幣を発行し、ハイパー・インフレになっていたのである。スペイン銀貨が汎用の通貨として流通していたので(その一種に「スペイン・ドル」というのがあったそうだ)、連邦政府はこれの名称を「ドル」と定め、1ドル当たりの銀包含量を法
律で定めた。市民は金や銀を鋳造所に持ち込み、ドルを鋳造してもらうことができた。筆者の幼時、戦後間もない東京の郊外では、コメを持っていくと煎餅に焼いてくれる店があった。だから銀を銀貨に焼いてくれる銀行があって一向に不思議はなく、このようなやり方は欧州でも行われていたのだが、この原始的な体制では、ユダヤ系もさして儲けることはできまい。

米国ではこのような金融面での分権体制が長期にわたって続き、1913年の連邦準備制度設立でやっと欧州並みの「中央銀行」ができたことになっている。ところが、政府の資金を扱う中央銀行というものは莫大な利益をもたらすものでもあるので、私利を狙って政府に接近、「中央銀行」設立のお墨付きをもらっては国債発行・販売権を独占して儲けたり、予算を一手に扱って儲けたりという例が、古来絶えない。欧州最古の中央銀行、スウェーデンのStockholms Bancoは、オランダから流れてきた山師が国王に発券利益折半を持ちかけて設立したものだったし、イングランド銀行も1694年に設立を認可された当初は単に国債の扱いを独占を認められた私営銀行に過ぎなかったのである。

米国でも1781年、議会の認可を得てロバート・モリスという議員(!)(積極財政かつ植民地主義者)が「北米銀行」を開設している。この銀行は紙幣もどきの「約束手形」を預金量を越えて発行し、市民の信を失って、早々に商業銀行に衣替えした(「マネーを生み出す怪物」エドワード・グリフィン、草思社)。

次に1790年、上記のモリスの部下だったアレクサンダー・ハミルトンが(1789-1795年財務長官)、北米銀行と同じような機能を持った「アメリカ合衆国銀行」の設立を申請し、議会は1791年に許可を与える。ところがこの銀行は、資本金の80%を株式を発行して市場から得ることになっていたにもかかわらず、株がほとんど売れていないうちに融資を開始、5年間で卸売物価が72%上昇するインフレを招いて1811年、議会によって閉鎖される。そして「マネーを生み出す怪物」によれば、この「アメリカ合衆国銀行」設立の際に、ユダヤ人の名が初めて登場する。欧州のロスチャイルドである。オランダから当初英国のマンチェスターに移住して綿織物ビジネスに従事していたロスチャイルド家は、米国南部からの綿花輸入で米国と深くかかわるようになっていた由。多分、本当だろう。本当であっても、この「アメリカ合衆国銀行」は小さな存在のうちにつぶされてしまったし、ロスチャイルド家もまだ欧州での地歩を十分築いていない時代のことである。

「アメリカ合衆国銀行」がつぶされたことで、米国の金融は再び各州ばらばらの無政府状態に陥った。これをまとめようとしたのが、1816年に認可された第二合衆国銀行で、これは欧州の資本を大きく活用、株式の3分の1は欧州資本に握られていたと言うので、欧州のユダヤ資本も大きく参与していたに違いない。この第二合衆国銀行は各州の発行した通貨を市場から駆逐しようとしたので、各州を力の基盤とする政治家アンドリュー・ジャクソン等から反発を食らう。1832年の大統領選でジャクソンは2期目の当選を狙うのだが、この時彼は第2合衆国銀行を最大のイシューに仕立て上げ、その廃止を選挙民に訴えて再選を果たす。小泉総理の郵貯解散を彷彿とさせるのだが、この時ジャクソンは「合衆国銀行の株式の4分の1以上を外国人が保有している。これは危険だ」と選挙民に訴え、廃止への圧力を盛り上げさせる。これは、大げさなプロパガンダで支持を勝ちえるポピュリズム政治の始まりであった。ジャクソンの言う「外国人」の中には、欧州のユダヤ系資本も入っていたに違いない。

この1830年代の頃は、米国で鉄道や運河といったインフラが続々と建設され始める時で、米国特有の「投資銀行」なるものが力をつけてくる。欧州大陸のユダヤ系資本がこの中で大きな役割を果たしていく。その一人、オーガスト・ベルモントのことから次回は話を始めることにしたい。このベルモント、フランス語で美山さんなのだが、元々はドイツからやってきたユダヤ人。ドイツではシェーンベルク、同じく美山さんのドイツ語名を名乗っていた。欧米では、名の語尾がbergというのはユダヤ系だということになっているので、米国に着いた時、その痕跡を消したのかもしれない。
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