Japan and World Trends [日本語] 日本では自分だけの殻にこもっているのが、一番心地いい。これが個人主義だと、我々は思っています。でも、日本には皆で議論するべきことがまだ沢山あります。そして日本、アジアの将来を、世界中の人々と話し合っていかなければなりません。このブログは、日本語、英語、中国語、ロシア語でディベートができる、世界で唯一のサイトです。世界中のオピニオン・メーカー達との議論をお楽しみください。
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世界はこう変わる

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2016年1月10日

2015年ロシアの旅

去年11月、モスクワに一日だけ立ち寄る機会があったので、その時の印象など。
これはメール・マガジン「文明の万華鏡」に掲載したものの一部。全文をご覧になりたい方は、http://www.japan-world-trends.com/ja/subscribe.phpで、ご購読下さい。

出発

この頃のアエロフロートは、まるでANAやルフトハンザのように、時刻ぴたりに離陸する。乗務員のサービスもあか抜けてきた。その日はマイレージでビジネス・クラスにグレード・アップしたので、フルコースの機内食を楽しむ。なのに乗務員が、なぜかがさつな男ばかり。聞いてみたら、その日だけ「なぜかこうなっちゃった」のだそうで、そのくせ食事の時間が終わると後ろのエコノミー・クラスから女性乗務員がやってきて、男性乗務員と何時間もぺちゃくちゃやっている。うるさくして仕方ない。仕事はマニュアル通りきちんと、しかしマニュアルに書いてないことはソ連風にだらだらと。

シェレメチェヴォ空港で歩いていたら、中央アジア人風の係員に、「大使」と呼び止められた。聞けば10年以上前、ウズベキスタンはサマルカンドの大学で日本語を勉強していて僕に会ったのだと言う。あの頃は毎週2回はテレビに出ていたし、モスクワの空港でウズベク人に呼び止められたのはこれで2度目。やはり日本の大使というのは偉いのだ。でも、ジーパンでだらしない格好で歩いているのに、皆の前で「大使」と言われるのもこそばゆい。日本の威信を傷つける。
因みにモスクワを出る時気がついたのだが、新しくできたターミナルFというのは、まるで中国人専用。出発する便の3本に一つは中国語で案内があり、杭州、西安、上海、香港、青島と行先は多様だ。中ロ間の行き来はこれだけ盛んということ。まあ、日中間と似たり寄ったりかもしれないが。

モスクワ市内で

今回は都心のブダペスト・ホテルに泊まった。ボリショイ劇場裏の便利なところにあるし、ルーブルが暴落したためにホテル代が割安になっている。以前なら1泊600ドルはとっていただろうここも、150ドル程度で済んだ。

古いホテルだから19世紀欧州風。趣がある。但しWIFIはロシア語表示しか出てこないから、観光客向きではない。それに、ドアにキーを差し込んでも音がしない。いくら引いても開かない。ロシアはこれだから駄目なんだと5分間格闘し、最後に押してみたら、簡単に開いた。何事も思い込みはいけないということ。因みに外はもう寒かったのだが、ホテルの暖房はもうがんがん。外は0度ほど。部屋の中は、窓を開けずにはいられない暑さ。

朝食をとる食堂も、19世紀欧州風のインテリアで、まるで刑務所の食堂のように素っ気のないベルリンのホテルに比べると雲泥の差。それでも、なぜかよく揺れる。重い車が外を通るから? 地下鉄が通るから? それとも隣を人が通ると床がたわむのか? これはまるで、ロシアそのもの。構えは豪壮でもよく揺れて、こんなに揺れていたら、そのうちたがが緩んで崩壊するだろう。
しかし、ロシアも常に進化する。スーパーで見ると、チーズなど国産のものが多種多様。EUに制裁されたのにキレ、EUを制裁してやるんだと叫んで農産品の輸入を止めているのだが、チーズに関しては困らない。もっとも、それは前からそうなのだが。

進化と言えば、モスクワを出発した日、空港へ行くタクシーの運転手は、窓に張った棒の先にとめてあるiPhoneに向かって、「シェレメチェヴォ空港」と怒鳴った。するとiPhoneは直ちに反応して、最適ルート、そしてそのルートの上の渋滞を表示、音声で道案内を開始した。こういうものに対する適応は速い。

モスクワのタクシー運転手

 どこに行っても、タクシーの運転手との話は面白い。
モスクワに着いた時の運転手は、外国人旅行客の送迎専門。「対ロ制裁で、客は一時減った。今盛り返している。西側の制裁は、ロシア人の生活には影響していない。他方、インフレの実感は、1年で20%程度の上昇だ」と言っていた。外国人相手の商売で、あまり本音を言わない男。

 しかし、出発の時ホテルで拾ったタクシーの運転手は面白かった。最初はぶすっとして、何か根に持っている感じ。聞けば元は戦車大隊長まで勤め、中佐になった軍人だと言う。

彼は、「オバマの政策についてどう思うか? 二言で言え」と僕に言う。オバマの悪口を期待している。ロシアのマスコミがあることないこと、オバマに悪口雑言の限りを尽くしている(まるで1970年代ソ連のよう)のを真似ろというのである。ソ連的プロパガンダには本能的な敵意を感ずる僕は言った。「二言で? それは米国の政策は一元的でなく分かれているということ(お前の国のマスコミは幼稚で、まるで米国がオバマ一人に独裁されているようなことを言う、という意味)。オバマは介入したくない。それをオバマ一人のせいにして、あれこれ言うのは子供じみている」
運転手は驚いた様子で、しかし納得して少し矛先を変えてくる。
「じゃ、広島、長崎の原爆、米国がどうしてやったか知っているか?」

ははあ、例によって日米関係にくさびを打ち込もうというソ連時代のプロパガンダだ、と僕は思って言った。「おまえに言われることではない。日米の間で片づける(本当は片付いていないのだが)」
運転手は、客を怒らせたので少しあわてて言う。「そういうことではないんだ。日本で原爆を使ったのは、ロシア人を脅かすためだったんだよ」。ロシア人というのは、どこまでも自分本位な人間だ。最近出した「ロシア皆伝」で書き忘れたが、ロシアで「スターリンは60万人もの日本人をシベリアに連れ去って何年も使役し、領土は奪い・・・」とこちらが言うと、「おお、日本人も苦しんだか。俺たちロシア人もスターリンにはひどい目にあった。ひどい目にあったのはお前たちだけではないんだ」とロシア人は言ってくる。仲間なんだと言われると、思いがけない議論の展開に、こちらは「?」となって思考がフリーズし、島を返せとも言いづらくなってくる。

 そこで僕は運転手に聞いた。「あんたの指揮していた戦車大隊にもコミサール(共産党から派遣されるお目付け役)はいたのか? 邪魔じゃなかった?」と。ソ連軍では、コミサールというのがいて、これが司令官と同格だものだから、時として作戦にまで干渉することがあった。それは現在の中国軍でも同じだろうと思ったので(「政治委員」というのがソ連のコミサールに相当)、ソ連時代の実態を聞いてみたのだ。
 彼は言った。「コミサールは大隊レベルまでいた。その下の部隊にはいない。作戦に介入してくることはなかったが、部隊運営に問題が生ずると何でも上に報告する癖があって、そこは喧嘩になった」のだと。わかる、わかる。

この運転手、東ドイツにも勤務していたことがあるのだが、ウズベキスタンがもっとも良かったと言う。極東のブラゴベシェンスクで除隊になったら、引退後はウズベキスタンに移住しようと思っていたと言う。確かにウズベキスタンの南部のテルメス周辺をドライブしていると、綺麗に整った個人菜園が沢山あって、少し変わった天地に来た感じがするのだが、それは引退したソ連の将校たちが沢山住んでいるからなのだそうだ。ソ連時代のウズベキスタンというのは、今の米国のフロリダのような陽光あふれる保養地だったのだ。

しかしこの運転手の場合、ソ連が崩壊してウズベキスタンが独立したため、移住はやめてモスクワにやって来た。そこでひどい目に会う。「除隊後3ヶ月以内にくれるはずのアパートはもらえず、4年間賃貸していた。退職金はインフレで消え、年金もないのと同じ。もうどんな仕事でもいいから稼ぐという気構えでやっていた。そして4年たったら、アパートをくれた。でも4年間のアパート賃貸料は払い戻してもらえなかったぜ」。こういう風に、当局にすべてを期待する社会だから、プーチンへの期待・支持率がすごいのだ。もし、プーチンが「何もくれない」とわかったら、彼はゴルバチョフやエリツィンと同じく「歴史のゴミ箱入り」になる。

運転手は言った。「ゴルバチョフが一番いけない。国を分裂させてしまったんだから。エリツィンはロシアの恥を世界にさらした。空港で飛行機から出てこないなんて(ある時、訪米の帰途アイルランドに給油で寄って、空港でアイルランドの首相と会談する予定だったのだが、エリツィンは酔いつぶれて出てこなかった)。しかしプーチンを後継に指名したことだけは功績だよ。プーチンは軍にも教師にも医者にも、いい案配に金を配っている。そしてあの働きぶり。神出鬼没。すごい。汚職を野放しにしていることだけはいただけないけどね。メドベジェフ? あああいつは魚でもなく肉でもなく、軍人はそれほど支持していない」

最後に聞いた。極東のブラゴベシェンスクはどんな感じだったか、アムール河の対岸の黒河市は大変な繁栄ぶりだと言うじゃないか、と水を向けると、彼は言った。「黒河はブラゴベシェンスクと商売して豊かになったのだ」。これは負け惜しみ。じゃあ、どうしてブラゴベシェンスクは発展しなかったのか、とは聞かなかった。

シェレメチェヴォ空港錯乱

 モスクワから出発する時、空港でひどい目に会った。
出発3時間ほど前にターミナルに着いたのだが、なぜかチェックインには長蛇の行列。悪い予感がする。行列は全然動かない。ターミナルのコンピューター・システムが止まり、荷物のコンベアも動かないという声が聞こえる。コーカサス人風の初老の男が行列の前に割り込もうとすると、ロシアの混血風の男が止める。「お前のモラルはロシア並み。ドイツではそんなことやらないんだぜ」。その男自身、別の時には行列に割り込んでいるようなタイプだったが。

1時間半ほどしてやっとカウンターにたどり着くと、「コンピューターの動いているターミナルEへ行きなさい」と言う。歩いて8分はかかるところ。重いスーツケースを引っ張りながら、半分走ってターミナルEに着くと、ここも長蛇の行列。そろそろ本気を出す。生存競争だ。同じ東京へ行くロシア人女性に出くわしたので、彼女の荷物を持っている格好をし、彼女に女性の特権を使わせて列の前に出る。チェックインが何とか終わり、やれやれと思うと、今度はパスポート検査で長い行列。それがやっと終わると、今度はセキュリティーで長い行列。やっと終わると、もう飛行機の出発時間を過ぎている。アエロフロートの係員はどこにもいない。でも、カウンターでは、「待っているから大丈夫」と請け合ってくれたのだ(別に信用はしてなかったが)。急いでゲートに行こうと掲示板を見ると、ゲートはさっきの、歩いて8分はかかるターミナルDにあるのだ。やっとの思いでゲートに着くと、何人かのロシア人が暗い顔をしてたむろしている。「飛行機はもう出てしまった」ということ。思ったとおり。やれやれ。

ロシア人たちは途方に暮れている。4年に一度の空手世界大会に参加するんだという4名もその中にいた。4年間練習したのに可哀想に。皆がそこにたむろしている間に、トイレに行く。シェレメチェヴォ空港のトイレは蜃気楼のごとく、表示の通り歩いていくと、途中で表示はぱたりとなくなる。それでも3分前の表示のとおり真っ直ぐ歩いていくと、ずっと先にトイレはあって、ほっとして入ろうとすると掃除中。日本の地下鉄のトイレと違って、モップを斜めに入り口にたてかけ、入れないようにしてある。ロシアでは何でもあり。我に万難を与えよ。そこで何でもありということで、身障者用のトイレに入り、やれやれと思って鼻をかもうとすると、紙がない。できたばかりの新しいターミナルでも、マネジメントはソ連風。これでは何をやっても、この国はダメだ。

飛行機に乗りそびれた一同を語らって、空港のカウンターに行く。キルギス人風の係員で、しっかりしているが、白人のロシア人は彼を怒鳴りつける。するとキルギス人風は警官を呼び出す。しかし、ものごとは進まない。キルギス人風がどこに電話をしても、相手は無責任。そんなことどうでもいいのだ。そしてアエロフロートの責任者は全然顔を出さない。乗り遅れた乗客が何人もいるのを知っているのか、知らないのか。やっと空港のホテルで一夜無料で過ごせることになったが、係員の指示通り歩いていくと、疲れはてた田舎出とおぼしき国境警備兵がそちらに行くなと血相を変えて怒鳴り・・・。言うことを聞かないと、この頃のロシアはすぐ巡航ミサイルをぶっ放す。店やホテルでの対応はスマートになってソ連の臭いは全くなくなったのだが、「ロシアは変わっていない」と思わせる場所はいくらでも残っている。

泊められたホテル。無料はいいが(こういう場合、当然)、もうヴィザが切れているので、階を移動してもいけない。独房の気味。食事も部屋に持ってくる。それもできてから1時間半もたってひからびたような肉を。そして次の日の朝、空港ターミナル行きのバスを待ちながら、アエロフロートの若い男性職員は言った。「まだ日本に行ったことがない。『未来の町、東京』を見てみたい。日本行きのビザは簡単に取れるのか? 日本は難民入れないんだって?」。まるで難民になってでも日本に行きたいという感じ。これも自分勝手なので、こんなのがどんどん入ってきたら、日本を取られてしまう。

まあ、すぐにはそうならない。とにかく、これからロシアから帰ってくる日の翌日には、予定を入れておかないようにしよう。

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