Japan and World Trends [日本語] 日本では自分だけの殻にこもっているのが、一番心地いい。これが個人主義だと、我々は思っています。でも、日本には皆で議論するべきことがまだ沢山あります。そして日本、アジアの将来を、世界中の人々と話し合っていかなければなりません。このブログは、日本語、英語、中国語、ロシア語でディベートができる、世界で唯一のサイトです。世界中のオピニオン・メーカー達との議論をお楽しみください。
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世界はこう変わる

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2015年3月 1日

メルマガ 文明の万華鏡 第34号発売

メルマガ「文明の万華鏡」第34号を、まぐまぐ社より発行しました。次のように始まっております。

日本の株価が噴き上げる一方で長期金利が不安定に揺れ動くかと思えば、中国はもはや止まるところを知らない「反腐敗」その実、権力・ポスト争奪戦のただ中、停戦のはずのウクライナでは親ロシア勢力が進軍し、中近東ではISISやイランをめぐってイスラエル、サウジ、エジプト、トルコ、米国、ロシア等の思惑が複雑なゲームを作りだす、そしてそろそろ米国大統領選にこれらの動きがからまっていく本当に面白い時代です。
 今月は、「世界史の意味――ユダヤ人という人たち2――世界の金融で占めてきた地位」の後、内外の情勢であまり報道されていないいくつかの底流の動きについて書くことにします。

今月の目次
 世界史の意味 ユダヤ人という人たち2――世界の金融で占めてきた地位
 絶好調の日本経済?
 ウクライナ情勢――いくつかの裏の動き
 中国近況
 ウズベキスタン――カリモフ大統領、姿を消す
 随筆(と言うよりある日の寸景):安倍さんがひばりヶ丘駅で

 
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世界史の意味 ユダヤ人という人たち 2
――世界の金融で占めてきた地位――

 先回は「ユダヤ人」と呼ばれる人たちは果たして単一の人種・民族なのかについて考察した。一応の結論は、パレスチナに集住していた「ユダヤ人」が地中海周辺諸方に分散し、周囲の異民族とも混血したし、異民族もユダヤ教に帰依すればその子孫はユダヤ人とみなされ得るので、今日ユダヤ人と称される人たちは随分多様性は帯びたものの、、だいたいの場合、中東「本場のユダヤ人」のDNAを持っているのではないかということであった。
 そこで今度はいよいよ本題。ユダヤ人が世界の金融で果たしてきた役割についてである。これは、ユダヤ人の歴史を語るのとほぼ等しいことなので、容易なことではない。世界史やヨーロッパそして米国の経済史上、ユダヤ人の役割は急に顕著になるかと思うと、そのあとはまた資料が急減するということの繰り返しで、一貫した発展過程を跡付けることが難しい、だからと言って、個々の局面(たとえば米国の連邦準備制度の立ち上げ)については詳しい資料が存在していて、それをここに一々転載しても面白くないからである。
 そこで、世界史上「ユダヤ人」の介在が目立った場面を簡潔に並べた上で、それぞれについてまだ(僕が)わからないこと、そしてそれぞれの場面の間の歴史の空白(と僕に見えるもの)にはどういう推移があったのかについての推測を付していくことにしたいと思う。

(「ユダヤ人」はいつ頃から、またどうして金融で伸びたのか?)

 余剰生産物は商業を生む。そして商業のためには貨幣がいる。そして通商・貨幣があれば、保険・融資・預金、つまり金融業も生まれてくる。江戸時代、北前船が日本海岸諸港を結んでいたが、例えば今富山に行ってみると、当時の廻船問屋(銀行・保険)が今では北陸銀行になって、江戸時代の建物も現役でやっているのだ。

 ユダヤ人の活躍舞台、つまり西方(Occident)でも、メソポタミアの時代から金融はあったに違いない。ほぼ同時代、フェニキア人と呼ばれる人々(これも単一の民族ではない、とする説がある)が地中海沿岸にカルタゴなど通商のネットワークを張り巡らした時にも、金融はあったに違いない。フェニキア人の子孫と思われるレバノン人(そういう人種・民族がいるのかどうか知らないが)は、今でもビジネス・金融に長けている。日産のゴーン社長の両親はレバノン人だし、メキシコにもなぜかレバノン出身の大実業家が数人いる(Carlos Slimは携帯電話などで財を築いた)。
他方「ユダヤ人」は、紀元前586年のアッシリアによる征服に始まり、紀元1~2世紀に数度の蜂起をローマ帝国に徹底的に弾圧されて、地中海の諸方に分散していくのだが、そのネットワークを使って次第に金融に手を染めていったのだろう。

だが、ローマ帝国での金融はどうであったのか? そしてそこでのユダヤ人の役割はどうであったのか? 「古代ローマを知る事典」によると、ローマ帝国時代の銀行・金融こそは、長らく研究者の間で議論され、今もって解決を見ていない問題なのだそうだ。

しかしローマの時代、農業も手工業も高度に発達していたし、投資・増殖概念もあったし、両替業者もいたし、買い主に商品を引き渡し売り主に代金を支払う仲介業者もいた。共和政末期から元首政期にかけての利息は、6%から10%程度だったという記録も残っている。こうした金融業務は多くの場合、奴隷身分の者たちが行っていたそうで、その中でのユダヤ人の役割はわからない。新約聖書(ローマ帝国時代のこと)では、イエス・キリストがエルサレムの神殿の前で両替人の台をひっくりかえしたという記述が出て来るので、ユダヤ人も地元で両替・銀行業務をしていたのだろう。

前回書いたように、地中海地域のユダヤ人は、イスラム治下のスペインに集合した。イスラムは宗教に寛容だったし、キリスト教勢力も「レコンキスタ」でイスラム勢力を駆逐した過程で、ユダヤ人の力を重宝したからだという(「1492コロンブス」等)。彼らはトレードなどの大都市に集住して農業、商業、手工業、徴税請負などで生計を立てていたが、特に金融面で勢威を振るったというところまではいかなかったようだ。そしてレコンキスタが完成してユダヤ人追放令が出る1492年の以前から、キリスト教支配地域での反ユダヤ運動は始まっていた。例えば1391年、セヴィーリャでユダヤ人虐殺が起きている(「スペインのユダヤ人」関哲行)。

そしてレコンキスタが完成する少し前、1478年にアラゴンとカスティーリャの両国王は、宗教裁判所の人事権・運営権をローマ教会から手に入れることに成功する。宗教裁判所とは言え、刑事・民事すべてを裁くものだったろうから、国王にとっては司法権を手に入れること、そして裁判官たちにとっては、都合のいい判決を求める者たちからの賄賂等の収入源になったのだろう。そしてこの宗教裁判所が、ユダヤ人の追放・またはキリスト教への転信を国王に求め、国王はこれを認可してしまう。これは宗教上の理由と言うよりは、ユダヤ人が享受していた何らかの商権、特権を奪おうとする目論見によるものだっただろう。そのあたりに言及した文献には接したことがないが。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

この続きは、http://www.mag2.com/m/0001519110.htmlでご覧ください。

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