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世界はこう変わる

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2012年7月 1日

資本主義の限界 と言うのはまだ早い

リーマン・ブラザーズの金融危機とか、現在の欧州ユーロ危機などで、資本主義は「終末」だとか限界だとか言うのが流行っている。マスコミがかっこいいコピーを打ち出すから、みんな信じてしまうのだ。

だが「資本主義」という言葉はまだ、確固とした定義を持っていないはず。それに社会主義的な計画経済と対照的な「市場経済」とか、アダム・スミスの言う「神の手」が治める自由市場のことが資本主義だとするならば、市場の原則はまだ確固として生きている。

他方もう少し「資本」という言葉に分け入っていくと、もう少し違う図が見えてくる。例えばローマ帝国の時代には、市場的な原則に基づく取引はあっただろうが、「資本主義」とは少し違ったような感じがする。

「資本」=capitalとは「余剰物」、つまり当面食い尽くさずにためておくことのできる種子とか金のことを意味していて、これは投資にまわして増殖させることが可能である。増殖させて、資本を最大限に活用することが資本主義なのだーーーということなのではないかと思う。

西欧中世に「資本」と名付けることのできるほどの余剰物はなかったと思うが、17世紀になると、新大陸から奪ってきた金銀とか、アフリカ大陸から連れ出した奴隷の売却代金とかが欧米に蓄積し始める。これが18世紀になると、産業資本となって産業革命を実現するのだ。

資本=「余剰」は、いくつかの方法で増やすことができる。一つは土地=農地+農民を購入することで、これは効率の悪い増殖方法だ。二つ目はモノづくりに投資することで、18世紀英国のジェントリーがやったことだ。そして三つ目は最新の債券技術を駆使し、カネでカネを作り出すことだ。これは1990年代中頃以降のアメリカで起きたことだ。この三つ目のやり方が最もあざとく、儲かるときは儲かるが、損をする時にもまた限界がない。

リーマン・ブラザーズで明らかになったのは、この三つ目のやり方の脆弱性だ。決して資本主義や市場経済がすべて駄目になったわけではない。もっとも、モノづくりで資本を増殖させるやり方も、世界でこれだけ過剰生産が生まれてくると、もう限界かもしれないが。

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