Japan and World Trends [日本語] 日本では自分だけの殻にこもっているのが、一番心地いい。これが個人主義だと、我々は思っています。でも、日本には皆で議論するべきことがまだ沢山あります。そして日本、アジアの将来を、世界中の人々と話し合っていかなければなりません。このブログは、日本語、英語、中国語、ロシア語でディベートができる、世界で唯一のサイトです。世界中のオピニオン・メーカー達との議論をお楽しみください。
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世界はこう変わる

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2012年12月18日

英国に投資してGDPで抜かれ、戦争で負かされたオランダ  それでも抜群の先進国

(2013年1月2日、米国の直接投資の部分を追加しました)
オランダは、現在では住み心地のいい小さな先進国に過ぎないと思われている。だがその歴史は波乱万丈、英国と密接な経済関係にあり、英国に多額の投資をしていながら数度にわたって戦い、それを通じて衰退していったところなど、中国に対する日本の立ち位置の将来をうかがわせるようなところもある。

オランダはイギリス産業革命の勧進元

オランダは中世、ヨーロッパ内部にまで入り込む通商路=ライン川の河口に位置し、埋め立て地に商業と工業を発達させた点で、北部ヨーロッパのヴェニスとも称することのできる地域である。埋め立て地での牧羊をベースとした先進的毛織物産業や、宗主国スペイン(ポルトガルも)が持ち込む新大陸の金銀を元手とした金融業(スペインを治めるハプスブルク家は、当時の金融の中心地ヴェニスを嫌っていたのか、それとも当時の地中海はイスラム海賊に制圧されていたため、ベルギーのアントワープ、次いでオランダのアムステルダムに金銀を持ち込んだらしい)、そして自分で開発した新型帆船で欧州の海運をほぼ独占したことで(その途上で17世紀、英国と3回戦い、1667年にはテームズ川を遡上して攻撃を行った)、十八世紀半ばまではイギリスをしのぐGDPを持つ経済大国であり続けた。アムステルダムは欧州の金融中心地になった。

そしてオランダは、1688年の名誉革命を境にイギリスへの投資を急増させる。それはオランダ総督ウィレム3世(英王室の血を引く)が革命後の英国に乗り込んで英国貴族の支持を取り付け、ウィリアム3世となったからである(本当は彼の王妃メアリー2世の方が継承権を持っていたのだが、ウィレム3世は軍隊を引き連れて先駆けしたのである)。1694年に設立されたイングランド銀行は、スコットランドのブローカーが民間銀行として設立したもので、英国政府発行国債の独占販売権を持っていた。この仕組みはオランダで開発されていたもので、これこそがオランダの急成長を支えたのである。そして、この英国国債をオランダ人が積極的に買い付けた。

アシュトンの名著「産業革命」(岩波文庫。123頁)によれば、18世紀の半ば頃には外国人、それも主としてオランダ人が英国政府国債やイングランド銀行、東インド会社の資本の約3分の1を握っているものと信じられていた(だから、英国の東インド会社にはオランダ人やユダヤ系オランダ人が多かった)し、1776年には英国の国債の7分の3がオランダ人の手中にあった。英国国債は有利な投資先であったし、何よりも当時のオランダの最大敵国フランスと戦ってくれていた国だったからだろう。

だが、この国債からの収入で増強された英国海軍に、オランダ自身がやられてしまう。英国は大海軍を建設、海外のオランダ権益を侵していったのである。その典型は1664年、ニューアムステルダムを占領してニューヨークと改名したことである。ニューヨークは今日、ユダヤ系住民が多いことで知られているが、彼らはオランダ領時代に住みついた者も多かったらしい。

オランダはイギリスと17世紀以来3回戦ったが、最後に1780年第4次英蘭戦争で大敗北を喫し、一時は他の欧州諸国すべてをひっくるめたより多数あったと言われる商船隊の半分を失った。そしてそれより先の1772年には、アムステルダムの株式市場が大暴落し、この時に後の大富豪ロスチャイルドはロンドンに本拠を移している。金融の中心まで、アムステルダムからロンドンに移転してしまったのである。そしてオランダ本体は、1810年にはナポレオンのフランスに併合され、1815年まで独立性を失ってしまう。

どうやって先進国であり続けているか

オランダは現在では人口1660万で英国の3.7分の1。小国に見えるが、GDPは7800億ドルもあり、ロシアの半分程度の経済力を備えている。一人あたりのGDPでは、英国より30%以上大きい。北海油田の一端を保有して経済的利益を受けてはいるが(天然ガスの輸出国)、経済の基本はモノづくりとサービスで、2007年FORBES企業番付世界500社のなかにオランダ企業は27社もあった。日本は67社、中国は24社である。

オランダの大企業には石油のロイヤル・ダッチシェル(オランダのロッテルダムはヨーロッパの海の玄関口、石油基地である)、ING金融グループ、電機のフィリップス、製鉄のアルセロール・ミッタル、飲料のハイネケンのようなものが有名であるし、その他化学、ソフトウェア、食品、建設等、産業のすそ野は広い。その他3200億ドルもの資産を有するStichting Pensioenfonds ABPのような大手年金基金が数社存在し、

更に優遇税制のため、米国の持ち株会社の多くがオランダに欧州本社を置いている。2012年の米国務省資料によれば、オランダは米国にとって、実に世界最大の直接投資仕向け国で、累積額は2009年で約4710億ドルに上る。これは米国の世界全体への直接投資の、13%を占める。オランダには1600の米企業が所在する。逆にオランダも米国における大手の投資国で、09年の累積投資額は2380億ドル、米国における三番目の投資額だそうだ。

それは日本の企業も同様である。日本の対オランダ直接投資の残高は2011年末でも対中投資残高をやや上回る850億ドルで、対米残高の2755億ドルに次いで実に世界2位なのだ。
逆もそうで、日本に直接投資している外国の中でオランダは2011年末残高が399億ドル、米国の対日直接投資残高709億ドルに次いで、これも世界2位なのだ。オランダさん、ありがとう。江戸時代からのご縁で。

そしてこれもまた日本の参考になるのだが、あの小さい国土で農産品の輸出高(金額)は米国に次ぐ世界第2位、2008年には約800億ドルも輸出しているのだ。世界の花卉市場を制しているだけでなく、酪農製品など高めのものを輸出しているからである。僕もモスクワに勤務していたとき、スーパーで売っている花がオランダ産であるのを知って驚いたことがある。

そしてこれも日本人には心強いのだが、この国は、時々政治が混乱して半年くらい選挙後の連立内閣が決まらないこともざらなのだが、経済がしっかりしているので何ともない様子なのだ。

だからオランダは、プラス、マイナス双方、日本にとってずいぶん参考になる。欧州大陸ではオランダ人は評判が良くないが、この点も日本人に似ているではないか。

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