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2015年11月25日

Gゼロ後の世界 イワン・ブレマー への書評

(以下は、比較文明学会の紀要「比較文明」2015年31号に掲載された書評の原稿です。
書評にことよせて、自分自身の世界観も書くよう言われて草したものです)

「『Gゼロ』後の世界」イアン・ブレマー 北沢格訳 日本経済新聞出版社
"Every Nation For Itself--Winners and Losers in a G-Zero World"
書評
河東哲夫
Japan and World Trends代表

本書の著者イアン・ブレマーは、日本語版への序文で、これは「Gゼロ」、つまり現在の世界でグローバル・リーダーシップが失われたことの原因・現状分析、将来予想を行った書物だとしている。彼によれば、「G20は機能しない、G7は過去の遺物、G3(日米欧同盟)は夢物語、G2は時期尚早」で、米国の力が低下した現在、世界の秩序維持を担うものはない、ということである。

章立ては次のとおりで、第二章まではGゼロとなった原因分析、第四章までは現状分析、第五章以降は「米国には復元力がある」ことを前提に、米国がかなりのリーダーシップを取り戻す、これからの世界のあり方を分析している。

 原著、翻訳とも2012年に出版されたもので、リーマン・ショック後の世界の混乱を強く反映した叙述が目立つが、第五章では中国の今後の成長には大きな問題があることを指摘、第六章では米国の復活を予言して、時代を先取りしたものになっている。但し、著者はその米国に対しては、独善を自戒すること、負担しきれない対外コミットメントからは手を引いて同盟国等との関係を活用、自身は死活的な利益に関わる問題に集中することを提言して、意味深長である。以下、まず各章の概要を述べる。

第一章:Gゼロとは何か?
「Gゼロ」は、米国経済が後退したこと、米国民が益々内向きになったことで生じた。 米国の力が後退しているのに、欧州や日本は今以上の負担を引き受けようとしない。BRICSは見かけ倒しで、グローバルなリーダーシップを取る力はない。世界の経済と安全保障はメルトダウンの状況を呈するのだろうか。

第二章:Gゼロへの道
 第一章のGゼロ状況に至るまでの経緯を、戦後のIMF体制がたどった歴史――ニクソン・ショック、オイル・ショック等――を中心にたどる。

第三章:Gゼロ・インパクト
 「Gゼロ」状況が現在の世界で起こしている様々の現象の列挙。特に「紛争を解決する安全保障フォーラムすら存在しない」アジアでは衝突が起きる可能性が高く、「アジアにおける対立こそ、世界にとって最大の危険要因」である。その他、保護主義の台頭、先進国で緊縮財政が一般的となることによる景気低下、サイバー空間管理、環境問題、食糧、水資源の不足問題等でのまとめ役を果たす国がなくなる、等の予測を示す。

第四章:勝者と敗者
 世界情勢の流動化に応じて、国と国の同盟・連携関係には変化が生ずる。グローバル・リーダーが不在なので、地域ごとに軸(pivot)となる国家が現れる。それはブラジル、トルコ、インドネシア、ベトナムなどである。日本、イスラエル、メキシコ等は、米国への依存度が強過ぎるが故に力を発揮できない、「日陰の国家」である。
 ロシアは、経済力欠如の故に長期的には敗者となる国である。米国経済は復元力を持っているので、ロシアのようにはならないだろう。問題は中国で、人口の老齢化、経済成長におけるインフラ建設への過度の依存、イノベーション・起業精神の欠如を抱えているため、この国の今後は不安定、不均衡、不調和に彩られるであろう。中国は、大混乱の瀬戸際にあるというわけではないが、今のままでは持続不可能である。
 こうして、絶対的な勝者がいない状況では、米国、欧州、中国とも集団的な安定化装置を必要とするだろう。

第五章:来るべき世界
 Gゼロという不安定な状況は持続不可能であり、世界は着地点を求める。現在のGゼロという状況は、着地までの移行期に過ぎない。多くは米中関係の今後にかかっているが、ここでは今後の世界について4つのシナリオを提示する。①米中が突出した力をもって協力し、世界を仕切るG2体制、②米中と他の有力国が協力して世界を動かす体制、③米中が敵対し世界全体を二つの陣営に分けてしまう、冷戦2・0体制、④そして米中が敵対する中で地域の強国が安定をはかっていく「地域分裂世界」の四つである。
 このうち④の「地域分裂世界」が最も可能性の高い状況である。中東ではサウジ・アラビア、欧州ではドイツがまとめ役を果たすだろうが、アジアは有力な国が並立しているために最も不安定な状況を呈するだろう。
 この四つ以外に、シナリオXとも呼べる「Gマイナス」の状況もあり得る。これは現在の主権国家が無力化し、分離独立運動が盛んになる等の状況である。しかしこれは、実現性が最も低い。

第六章:Gゼロ・アメリカ
 米国には復元力がある。米国はGゼロ後のリーダーシップを取り戻すことを目標とするべきである。しかし米国は、自分のこれまでの振る舞いを反省せねばならない。独善を排して、地域毎の特殊性を認めることが特に必要である。イデオロギー主導の外交政策などは贅沢品で、国防費は削減するしかない。
 核不拡散、テロ、環境問題等多様な問題に対処する上では、連携する相手を常に替え、異なるグループを形成できるようでなければならない。そして自由貿易深化のための国際協定締結は、米経済活性化とその外交政策にとって、決定的に重要なものである。
 他方、米国のリーダーシップには限界がある。米国の死活的な利益が危機に瀕する場所では、今後も深く関与する必要があるが、負担しきれない対外約束からは手を引いて、国内の再建に力を向けるべきである。そして米国と価値観と利害を共有する同盟国、パートナーとの関係を活用し、米国のリーダーシップを求める世界からの声に、費用対効果の高い方法で応えなければならないのである。

(評価)
  本書は文明論というよりは、情勢判断に類する著作である。そのため、陳腐化するのは速い。本書は2012年に出版されたもので、世界の現状は今や本書の第五章と第六章の中間、つまり中国の成長に影が差し、米国の復調が顕著になってきたあたりにある。つまり、第四章までは情勢判断と言うよりは、既に歴史の領域に分類されるべきものになっている。中国の停滞、米国の復調を2012年の時点で予測していることは流石であるが、第四章までの情勢判断の部分は完璧なものではない。

周知のとおり、情勢判断というものは科学というより匠の技に近く、万能の方法論はない。基本は一つの情勢におけるactorとfactorをもれなく集めてそれぞれの性質、相互の関係を見極めることである。そしてそのfactorには、現代の政治・経済・社会・文化・軍事だけでなく、歴史も含まれる。

その観点から行くと、本書には足りない点が多いのである。第四章までは「中国台頭」、「米国退潮」等のステレオタイプを検証もなしに繰り返し、ステレオタイプを基にあれこれ頭の体操をしている感がある。

現代の国際政治は複雑系のようになっており、主権国家、あるいは政府だけがactorではない。これまでも、EUのような超国家的組織や地方自治体、そして市民団体の力の増大が、近代国家を上下から「挟み撃ち」しているとの指摘は見られたが、実態はそのような「きれいごと」を越えている。

ウクライナ情勢では経済(そして政治も)を握るいくつかの有力財閥、政府や米国のコントロールが効かない右翼過激派、ロシア政府のコントロールが効かないロシア国家主義者、何者かが雇った傭兵部隊、見通しもない中で弱小の「民主主義」勢力を支援して結局混乱だけ作りだしてしまう西側NGO、その混乱に対して「生まれたばかりの民主主義を救う」ための積極的な介入をオバマ大統領に強要するネオコンや共和党などが、重要なactorなのである。つまりここでは、米国における党派対立が影を投げかけており、米国一強の世界においては米国内の対立が世界に波及しやすいことを示している。

中東では、リーマン・ショックで悪化した生活への住民の不満が、野党勢力、西側NGO等により、反政府運動として演出されて「アラブの春」を生み出したが、既存の利権構造を破壊しても結局混乱、あるいは別の集権・利権構造の出現を呼ぶに終わっている。またイランの核開発抑制問題では、イラン原油が世界の市場に再び出てくることに国際石油資本はどう対応するのか、石油取引が生み出すユーロ・ドルで利益を生み出す国際金融資本、その双方に深く関与しているユダヤ人はイランとの合意がイスラエルの安全保障に悪影響を与えかねないことをどう思っているのか、そしてそのことは米国大統領選にどう影響するのかも(ユダヤ系の多くは民主党支持)見て行かないといけない。

またケイマン島等「タックス・ヘブン」と称される免税地域には、世界中の不正資金が集まるが、それのハブ的機能を果たすスイスやルクセンブルクの金融機関は、米国等から顧客情報の開示を執拗に求められている。これら金融機関にはユダヤ系のプレゼンスも大きく、彼らに対する過度の圧力は米国内で、政府に対する反発として跳ね返って来るだろう。

本書は、これら複雑系のfactor、actorを網羅したものになっておらず、主権国家とその政府だけをactorとして、机上の推論をあれこれ提示する。これは、米国メディアあるいは識者によく見られる傾向である。民主党、共和党とも傘下にNGOを擁し、これらが海外で党益推進を念頭に民主化運動を行っては混乱状態を作りだすこと、あるいは米議会議員に対するイスラエル・ロビーの締め付けぶり等は、一種のタブーになっていて、議論が現実離れしたものになってしまうのである。

そこでは、国家や政府があたかも一つの意志を持った存在であるかの擬人化が、行われやすく、それは本書でも目立つ。米国での政策決定過程の複雑さは周知の事実、中国でも新旧指導者の間の権力闘争が外交にも影響を及ぼし、政府の諸省がばらばらに省益を追求する。本書は、中国がまるで一人の人間、あるいは習近平国家主席独裁の下に一つの明確な戦略をもって世界に進出していると捉えているが、実際の中国は、ばらばらの運動体が作りだす状況に対して、党中央が場当たり的な対応を取る例が多い。

更に本書は文明論の見地を欠くために、情勢に対する見方が「平面的」である。つまり、現代の諸国家は異なる発展段階にあるので、それらの国家が起こす紛争は異なる性質を持つことを十分認識していない。いわゆる先進国の間では古典的な領土紛争・国境紛争が起こることはほぼなくなり、戦後米国を中心として確立したグローバルな自由市場は、TPP等自由貿易協定のネットワークの深化で益々進化している。他方、途上国の多くやロシアは工業化に乗り遅れたが故に、国内を集権・権威主義で治め、外国との問題は経済問題でさえも指導者の間の政治的な談合で解決しようとする。

工業化以前の諸国A、中途半端な工業化しか実現できなかった諸国B、先進諸国C、このA、B、C三種の国家の間で起こる紛争は、A対A、A対B、B対Cなど組み合わせによってその様相を異にする。例えばロシアと先進国の間の対立(B対C)は、共産主義の是非というイデオロギー問題を除去され、持てる国と持たざる国の間の対立、つまり南北関係A対Cに近似したものになっている。

つまり現在の世界では、異質の紛争が同時並行的に進行する「紛争の重層構造」が特徴的であり、対処の仕方もそれぞれに異なるのだが、本書は紛争を一様に力の対決ととらえ、すぐ武力紛争につながることを前提としている。それはアメリカ的、ユダヤ的な二項対立法であり、ものごとをそのように単純化してとらえ、いずれかに与することで、事態を複雑化してしまうのである

以上の欠陥が生む、いくつかの代表的なステレオタイプを本書の中から列挙してみる。
・著者は、アジア情勢を同盟と対立の二項で仕分け、その間のグラデーションを見ない。彼によれば、「アジアは数々の有力な対立する国々を抱えている上、紛争予防の集団メカニズムがないため、世界最大の紛争要因」であると言うのだが、これはアジアに住む者の生活実感とは異なる。

アジア諸国の間の境界線・領土争いの多くはイスラエル、イラン、ロシア等のように住民の生活にかかわるものでなく、歴史的対立・価値観の相異の象徴に止まっていることが多い。武力紛争に直ちに至らないのである。著者の二項対立的な見方は、「アジアは紛争必至。なのに、自分で自分を律する能力がない」という上から目線の見解を生みやすく、時とするとアジアは見放せとする意見につながる。欧州、あるいは中東方面に米国の関心を向けたい者が、このようなアジア異質論を煽る傾向がある。

・著者には、「米国は、中国に国債を大量に買ってもらっている」という負い目の意識が強すぎる。実際には中国は、過度の元高を防ぐため大量のドル買い介入を続けざるを得ず、このドルを運用できる大資本市場は米国にしかないという事情を抱える。つまり中国が自分の都合でやっていることに、米国が負い目を感ずる必要は毛頭ない。ドル、そして米国債を購入しないと、困るのは中国自身なのである。経済関係を政治的な見地から見過ぎると、誤った結論を引き出す。

・「アジア諸国にとって中国との経済関係は非常に重要である。他方米国との関係は安全保障面で重要なだけであるため、アジア諸国は米国より中国を選びやすい」という見方も単純化が過ぎる。中国の輸出の半分は外国資本によっており、中国自身に経済競争力があるわけではない。また中国も含めてアジア諸国で作られる製品の多くは米国を市場としているので、実際には米国は経済的にも最も重要なパートナーなのである。

・「日本は米国に依存し過ぎている」との評価の故か、国際政治・経済における日本の役割を殊更に無視している。米欧のメディアの多くに共通して見られる傾向である。実際には日本は戦後、ASEANばかりでなく韓国、中国の経済発展を大きく助け、今でも東アジアの水平分業構造のハブ的存在であること(日本企業は、韓国や中国で組み立てられる電子製品の生産に必須の部品・製造機械を、輸出している)、日本は戦後米国を核として作られたグローバルな経済体制(IMF、WTO等)の維持・深化に大きく貢献していること(TPP交渉に応じたこと。数度にわたるIMFの増資を助け、特別拠出もしてきたこと)は、もっと正当に評価されるべきである。

・日本と同様、ほとんど言及されていないのはイスラエルも同様である。この国は米国政治を長年にわたって牛耳り、日本のような代償を提供することなしに米国の強い支援を引き出す一方、周辺諸国(その一部は米国と同盟関係にある)とパレスチナ問題をめぐって対立を続けてきた。それは、一九七三年の石油危機の引き金を引いたし、他にも数度にわたって世界規模の緊張の原因となってきた。イスラエルの今後は中東地域、米国外交の将来を占う上で重要なfactorなのだが、ユダヤ問題は米国ではタブーであり続けている感がある。

最後に、本書には文明史、経済史の観点が欠けているため、現在のメガ・トレンドがいくつか視野から抜け落ちている。最大のものは、近世以来の歴史を主導してきた国民国家、植民地主義、そして産業革命という三点セットが、大きな変容の時代を迎えているということである。国民国家の相対化については上記に述べたが、産業革命、即ち富の創出方法も大きな変化の時代にある。例えばアップル社は、iPhoneを設計するだけで、部品生産と組立は外国企業が行っている(アウトソーシング)。アップルは、国際通貨を兼ねる自国通貨ドルを使って、世界全体をひとつの経済単位として扱い、「グローバル・サプライ・チェーン」の中で生産を行っている。アップルは頭脳=サービス、鴻海精密工業等の外国企業は製品という「モノづくり」に携わっているのだが、アップルにおいてはサービスとモノづくりは一体化し、その利益を米国GDP統計のいずれの項目に分類するかはわからなくなりつつある。

アウトソーシングの普及は、先進国の「工業」を再活性化する。しかしこの中で、世界は一部の先進企業とその下請けに分かれ、先進国の国内も、多国籍企業の幹部として世界を相手に仕事をし、生活する一握りのエリートと、賃金の高い仕事は外国に流出したが故に割の悪い仕事しかあてがわれない一般大衆との間で格差が広がるだろう。日本人で世界のエリートの仲間入りできる者は極く少数で、事態は人種問題の様相も呈するだろう。
そして人工知能、ロボット、遺伝子科学、脳波の活用等、これまでは神の領域に属していたことに、人間が傍若無人な侵入を始めたことは、将来に大きな問題を投げかける。ロボットが生産やサービスの大要を担う場合、人間は働かなくとも欲しいだけのモノとサービスを手に入れることができる。これは教育を不要とする。

ロボットの発達は、人間から職を奪い、中産階級をなくし、社会を一握りのエリートと動物的な存在に堕した大衆とに二分化させてしまうのか、それとも万人が「(ロボットは)能力に応じて働き、(人間は)必要に応じて受け取る」共産主義の理想が実現された社会に生きることになるのだろうか。これからの世界情勢分析、そして文明論は政治学や経済学だけでなく、SF的な知識と想像力をも必要とすることとなる。今の世界は「Gゼロの世界」を越えて、アルビン・トフラーの「第三の波」に次ぐ「第四の波」を必要としている。
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