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世界はこう変わる

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2015年9月24日

グローバル ビジネスのための基礎 講義録2 グローバル戦略のための視点

「グローバル戦略」のための視点

グローバルな戦略をたてる上では、いくつかのコツがある。まず自分の事業をグローバルに行うためには、自分の視座を自国の中に置く、つまり自分の国から世界を見るのではダメで、自国の上空はるか遠く、世界地図の上から自国周辺を俯瞰するのでなければならない。そのようにしなければ、国と国の間のつながり、位置関係もわからない。まず各国の産業構造や政体などを勉強した後で、宇宙から世界地図を眺めて、各国と自分の事業の結び付け方を考えるのである。

しかし各国の勉強をする場合、書物に書いてあること、人がしゃべることは、その国の今の現実からは後れたものであることを十分認識しなければならない。例えば下の写真(省略)は、米国のボストン都心の風景だが、この一見したところ途上国風の風景が米国だと聞いて驚く者は多いだろう。米国の都市は完全に多民族社会化し、経済も社会も政治も、それをベースに動いているのである。


上の写真2枚(省略)は、両方ともインドのムンバイで撮ったものである。インドはG20の一員としてその発展が嘱望されているが、表面的な発展の蔭で貧富の格差は絶大なのである。

Conceptualizationのテクニックーー4つの視点

物事を観察し、いろいろな印象を集めたら、次にその膨大なデータの中から、法則やトレンドを見つけないと戦略は作れない。筆者が以前外交官として欧州に赴任した時、困ったことがある。欧州にはEU、NATOだけでなく、WEUとか欧州評議会とかOSCEとか、多数の国際組織があって、来たばかりの者にはそれらの相関関係がわからない。全貌が見えないのである。いわば、恐竜の巨大な骨がいくつか発掘されるのだが、それをジグソーパズルのように組み立て、生前の恐竜の姿を蘇らせて、頭の中で動かしてみて初めて、多数の骨片が意味を持ったのである。骨片=データに意味を持たせる。その作業をconceptualizationと言う。まず仮説を立ててみて、それが正しいかどうかを事実に即して検証してみる作業のことである。検証する時に役立つのが、「4つの視点」である。

一つは「垂直の視点」、つまりひとつのものごとを歴史を遡って考えてみるということ。一つは水平の視点、つまりひとつのものごとを他国の例と比較して考えてみるということ。一つは斜めの視点、つまりひとつのものごとを全く新たな視点から考えてみるということ。そして最後は、相手の視点からこちらを見てみるということである。

例えば人間の形をしたロボット=Humanoidについて考えてみよう。まず歴史を振り返ると、奴隷=ロボットが主人に対して反旗を翻した例があることに気が付く。それを現代のロボットに引き写して考えると、ロボットは知的思考能力を獲得すると、いつかは人間に壊される運命にあることに気が付き、それを防ぐために持ち主の人間を殺すに至るのではないかということに気が付く。そのようなことを防ぐためには、何か手段を講じておかねばならず、それは一つの新しいビジネスを生むのである。

また2つ目の視点、つまり他国との比較=水平の視点を使って、日本製Humanoidと米国製Humanoidを比較してみると、日本でのHumanoidはただ機械が精緻化したものに過ぎないのに対して、米国製のHumanoidは知性を与えられて、無限の可能性を秘めていることに気が付く。比較してみると、ものごとの特徴が浮き彫りになる。

そして第三の視点、つまり全く新しい視点でものごとを見てみること、そして第4の相手の視線でものごとを考えることをロボットについて実行してみると、例えばロボットも知性を備えると、他のロボットや人間に携帯電話でメールを打ったりして、社会的なつながりを求めるだろうということに気が付く。これは、人間にとっては新たなビジネス機会になるのである。またロボットの身になってみると、そのうち美しく見られたいという願望を持つに至るだろうから、そうなるとロボット用化粧品の需要も出て来るだろう、というような思考の柔軟さを持たないといけない。

既存の枠をとりはらった思考

この地図(省略)は、地球を北極の上空から見たものである。この北極海は氷に閉ざされ、航行が不可能な海域であったが、数年前大陸沿岸の氷が解け始め、年間を通じての航行が可能となり得た時期があった。この時話題になったのは、北極海海底の地下資源開発の話しもさることながら、北極海を経由すると、アジアと欧州、アジアと米国の間の航行日数が1週間以上短縮でき、運輸費用の大幅削減につながることであった。地図というものは、見る角度の違いで、斬新なアイデアを生むのである。

日本人は、枠をとりはらってものごとを考えるのが不得手な民族である。これに長けているのがアメリカ人、そして面白いことにロシア人なのである。アメリカについては、成文法ではなく法例を重視する「判例法主義」であること、そしてなんと言っても移民たちがゼロから国家を作り上げた人たちであること、ロシアについては法治主義の伝統がないことが、このように枠をとりはらってものを考える癖を植え付けたのであろう。

日本人のものの考え方は、英語で言えばstatic(自分も含めて周りの全てが変わらないことを前提としてものごとを考える)、 hierarchic(人物、ものごとに優劣をつけて考え、その序列を決して変えない)、 inert(組織の中で一人だけ目立つことを嫌い、イニシャテイブを取らない)で総括することができる。

この3つの性向のため、日本人、日本の組織、日本の社会にとって、変化は内で生まれるよりも、外から押し付けられるものであることが多い。また物事の枠組み、その中でのルールも、外部から与えられることが多い。先ほどの恐竜の骨の例に倣って言うと、発掘された恐竜の骨片を丹念に研究するのだが、それらを一つの恐竜の姿に組み立てて考えるのが下手なのが、日本人なのだとでも言おうか。但し日本では異端とされる研究者も多く、ノーベル賞を得た者もまた数多い。一般化することは危険ではある。
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