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2016年4月12日

世界史の意味 ユダヤ人という人たち7 1900年頃までの米国経済発展におけるユダヤ資本の役割 その2

(これはまぐまぐ社から発行しているメルマガ「文明の万華鏡」第47号からの抜粋です)

――1900年頃までの米国経済発展におけるユダヤ資本の役割 その2

  前回は米国独立後初期の、米国経済がまだ成長を始めたばかりの頃で終えた。ユダヤ人の役割については、この頃まではまだ目立つものはない。しかし19世紀半ばから、具体的なユダヤ人の名前も登場し、物語は現代にも通ずる、俄然面白いものになってくるのである。
 

ピーポディ、モルガン、(ロックフェラー)vs. ベルモント、シフ、ウォーバーグ

 ハーバード大学のパーキンス寮の真正面に、ピーボディ博物館という大きな博物館がある。これを寄贈したジョージ・ピーボディは、19世紀前半の米国大資本家。ユダヤ系ではない。しかし後のモルガン財閥の礎を作った一人で、欧州のユダヤ系資本を米国に流すパイプ役になったと目される人物である。

彼は、ウィキペディアによれば、1795年、マサチューセッツ州のピュリタンの中流家庭に生まれている。スポンサーを見つけて1814年、生活衣料雑貨の卸売り事業ピーポディ・リッグス商会を設立、以後ジューニアス・スペンサー・モルガン(モルガン財閥最盛期に君臨したジョン・ピアポント・モルガンの父親。ピーボディと同様、ユダヤ系ではないものと思われる)と提携してピーポディ・モルガン商会を設立している。ピーポディの引退後、この会社はJ・S・モルガン商会と改名して、第1次大戦前後には投資銀行としてその頂点に達し、今ではその流れはJPモルガン・チェース、モルガン・スタンレー、あるいはドイツ銀行になっている。

 そのピーボディは42歳以降、死ぬまでロンドンを本拠とし、同じくロンドンを本拠とするロスチャイルド家とも緊密に仕事をしていたようだ。多分、ロスチャイルド家の対米投資のパイプ役をしていたのだろう。彼は生涯独身で子供がいなかったため、後継者としてジュニアス・モルガンを指名、これによって後のモルガン財閥は米国における欧州ユダヤ資本の大きなパイプとなったものと思われる。

ロンドンのロスチャイルド家は当時、米政府の資金を欧州で取り扱う指定金融機関となっていたのだが、当時イングランド銀行の政策変更で生じたデフレで破綻した米国の代理店、J.L.&S.ジョセフ・カンパニーの始末を、社員のオーガスト・シェーンベルク(ユダヤ系ドイツ人)に委任。シェーンベルクは1837年ニューヨークの埠頭に降り立つと、ユダヤの痕跡を消すためかベルモントと名を変え(シェーンベルクはドイツ語、ベルモントはフランス語でいずれも美しい山の意味)そのまま米国にいついて、多数の銀行を買収、ロスチャイルドの米国における権益を回復する。彼は、日本を力づくで開国させた例のペリー提督の娘と結婚し、モルガン家とも結びついてベルモント商会を開設するが、その後は政治家稼業に転身する。

 こうしてピーボディ、モルガン、ベルモントと、欧州ユダヤ資本の米国でのパイプは着々と増えていく。当時米国は鉄道や運河、ハイウェーの建設が相次ぐ成長期で、GDPは1800年から南北戦争前の1860年までに実質ベースで11倍程度に伸びている(https://www.measuringworth.com/datasets/usgdp/result.php)。年4%強の成長である。欧州のユダヤ系資本もこれに乗ったのであるが、いったいどのくらいの投資を彼らはしたのか、それはわからない。

 そして南北戦争が終わった直後の1865年、ジェイコブ・シフなるユダヤ系ドイツ人の若者が米国にやってくる(シフはSchiff。ドイツ語で「船」)。彼の父親はロスチャイルド家に雇われていたので、彼自身も「ロスチャイルドの代理人」だとモノの本には書かれているが、どうやら米国で一旗揚げそこなって一時ドイツに帰国した後、米国のユダヤ系ドイツ移民が乾物と衣服の売買で作り上げたクーン・ローブ商会に呼ばれて再渡米、ローブ社長の娘と結婚してクーン・ローブ商会をモルガンに次ぐ大投資銀行に仕立て上げる(後にクーン・ローブ商会はリーマン・ブラザーズに吸収される)。上述のように、シフは別にロスチャイルド家の代理人ではないようだが、ユダヤ系を含む欧州資本の対米投資の大きなパイプとなっていたことは確かだろう。パイプと言えば、このシフの娘のフリーダは、ドイツのユダヤ系資本家Warburg家の4男フェリックスと結婚、その結婚式で知り合いになったフェリックスの兄ポールとローブ家の令嬢ニーナも結婚するに至って、ロスチャイルド以外の欧州ユダヤ系大資本との太いパイプも成立。このポール・ウォーバーグは後に、米国連銀設立の際のアイデア提供者となる。

 ジェイコブ・シフに話しを戻すと、このシフはよく知られているように、日ロ戦争を前にして日本の「戦争国債」を大量に購入してくれた人である。後の蔵相、高橋是清はこの国債販売ツアーで欧州を回ったのだが、ロンドンのロスチャイルドに、「援けてやりたいのはやまやまだが、自分達はロシアのバクー油田に利権を持っているので、ロシアに面と向かって逆らえない。米国に行ってシフに会ってみろ」と言われたと、ものの本にはある。シフと欧州のユダヤ系資本の近さを表すエピソードである。シフは終生、ロシアを含む世界の反ユダヤ主義と闘っていた人物でもある。とにかく日本政府はこれで500万ポンド分の国債をシフに購入してもらい、世界で見向きもされなかった日本国債が売れるきっかけを作った。ウィキペディアによれば、戦費のために外国で販売した国債は総額8200万ポンド。シフが当初購入してくれた500万ポンドは当時の日本円では約5000万円だが、これは当時の日本政府年間歳入の約5分の1に相当する。今で言えば、10兆円程度にはなる巨額な資金である。

 なお、そこでもう一つ、日本にとっての大事な余談がある。シフによるこの巨額の融資は、反ロシア感情だけでは説明できない、「投資」としての意味も持っていた可能性がある、という話しである。

このジェイコブ・シフは、20世紀初頭にはエドワード・ハリマン(その息子ウィリアム・アヴェレル・ハリマンは戦後、国務次官として米国の対アジア外交に功績)という鉄道事業家と組んで、鉄道建設利権をモルガン財閥と争っていた。そのハリマンはセオドア・ルーズベルト大統領に近かった。大統領の仲介で日ロ和平交渉が始まるやハリマンは来日(日本の戦争公債を千万円分購入してもいた)、桂首相と会って、「日本がロシアから入手するだろう南満州鉄道等の所有権を共同かつ均等に分かち合う」、そしてハリマンは日本に1億円分の借款を与える(現在なら20兆円強。これは流石に少し大風呂敷だろう)ことで合意、署名までして意気揚々と帰国する。和平交渉の地ポーツマスからはるばると、太平洋上でハリマンとすれ違って帰国した小村寿太郎全権代表は、自分が苦労してやっとロシアから手に入れた南満州鉄道の利権を米国に売り渡すと聞いて怒髪天を突き、桂首相に捩じ込んで合意を撤回させてしまう。「ロシアから賠償を取るのは難しいことが、行く前からわかっていたような難しい交渉に送り出された」という憤懣を持っていたと思われる小村にしてみれば、苦労して手に入れた南満州鉄道の利権をウラで米国に売り渡すとは、という思いがあったのだろう。あるいは、小村は米国で、モルガン財閥の支援を確保していたとの説もある。

しかし、日本が恩義を感ずるシフがハリマン、ルーズベルトとも通じていて、その三者が融資の肩代わりであるかのように南満州鉄道の利権を求めてきたという構造を、小村はわかっていたのだろうか。セオドア・ルーズベルトは別に判官びいきで日本を支持してくれたわけではあるまい。日本を当て馬にして米国の利権を拡大することにその狙いはあったし(ルーズベルトの前に暗殺されたマッキンレー大統領は、西部開拓の「フロンティア」消滅を受けて1898年、米西戦争でフィリピン、グアム、プエル・トリコを獲得、同年にはハワイも併合して対外拡張の時代をリードしていた)シフ、ハリマンからは政治資金提供の申し出でもあったことだろう。現に日ロ戦争後、セオドア・ルーズベルトの対日姿勢は冷たいものとなっているが、その背景には満州での利権獲得失敗があるのではないか。ハリマンはこの後数年で死去するが、ウィラード・ストレートなる山師的な米外交官が満州に赴任、ハリマンの娘に取り入ってハリマンに拒絶されたり、モルガン財閥に取り入ったり、中国側と組んだりして満州の鉄道利権奪取を執念深く狙うのである。これ以降、日本と米国は中国の利権を争って、太平洋戦争に至る。もし日本政府がこの時、ハリマンに南満州鉄道の利権を売却していたら、日中戦争も太平洋戦争も起きなかったかもしれない。

それはそれとして、ジェイコブ・シフが米国に落ち着いた19世紀半ばに話しを戻す。南北戦争での北軍の勝利で、米国はやっと一つの国家としての実質を整えた。1776年の独立後も1812-14年の英米戦争があり、南北戦争においてさえも「欧州の大国による介入」が囁かれたのだが、戦後の米国は真に独立した大国への道を歩み始める。GDPは1860年の887億ドル(2009年のドル価値換算)から、1900年の4568億ドルへと躍進する。これも、年率実質4%強の成長である。

欧州のユダヤ資本は当初、大きな役割を果たしたであろうが、地場の資本も当然膨張する。その中にはクーン・ローブ商会のようにユダヤ系のものもあったが、モルガン財閥やロックフェラー財閥のように非ユダヤ系がオーナーのものもあった(但しロックフェラーについても、ドイツ出身でユダヤ系の血が入っているとの指摘はある)。それでも、19世紀後半の米国経済成長において、欧州・地場のユダヤ系資本が一体どのくらいの比重を持っていたかは、不明である。

これら財閥、商会は、ヌエみたいなもので、他人や自分のカネを何かに投資しては儲けるのがその業務だが、それは別にユダヤ系の特徴と言うわけではない。原型はヴェニスやジェノヴァにあったし、オランダや英国の東インド会社なども類似のものである。自分のカネを自分の判断で何かに投資し、運営にも携わるという業容では、日本の商社が似た存在になっている。

南北戦争後数年して、米国経済はGilded Age(金ピカ時代)と称される活況期に入る。南北戦争の原因ともなった西部の土地問題(農民に公有地を無償で配布することの是非。南部は大農場形式を好んでいた)が片付いたことで鉄道投資が活況を呈し、それが過熱する。ところが当局は金本位制に復帰するために緊縮政策を強い、そのあおりで1873年9月にはNorthern Pacific鉄道建設のための起債が破綻、同時期にドイツ、オーストリアでも金融不安が高まったことで(金本位制への移行のために銀と紙幣の交換を止めたことがきっかけになっている)、世界不況が始まり、英国では1896年まで続く大不況となった。

その頃はドイツ、米国等後発工業国の大成長が始まった時で、以後20年以上も続いたデフレは、中国の高度成長が引き起こしている現在の先進国での長期デフレ傾向と良く似ている。当時は金本位制の採用がデフレに輪をかけたが、現在は金融総量緩和でデフレに対抗しようとしている点が違う。19世紀後半の大不況=デフレが克服されたのは、1886年南アフリカで大規模な金鉱が発見され、20世紀の初めまでには世界の金生産の40%をも占めるようになったことが大きいだろう(「世界デフレは三度来る」竹森俊平、上巻67頁)。

米国の不況は1880年頃までには収束するのだが、この間10にも及ぶ州の財政が破綻し、失業率は1876年14%に及んだ(以上Wikipedia)。しかし当時の米国では、電化が進み、エジソン等による技術革新が続いていた。そして米国の経済史上、おそらく最大の要因がこの頃起きる。それは不況に襲われた欧州大陸から、1880-1914年の間に1500万の移民があったこと、同時に世界の預金の3分の1に相当するカネが米国に移ったこと(ジャック・アタリ「21世紀の歴史」)である。アタリに言わせれば、これは当時のフランス、ベルギー、オランダの人口を合わせた分に相当する由である。1880年の米国人口は5018万人だったから、このマグニチュードの大きさはわかるというものだ。同じくアタリに拠れば、1898年の米国では50の自動車製造企業が林立していたということで、このあたり現在の中国の勢いを髣髴とさせるものがある。1914年、米国の自動車生産台数はそれまで世界一だったフランスの11倍に達している。

この間のユダヤ系資本の貢献、伸長ぶりについては、一貫した調査を見たことがない。しかし所々で、ユダヤ陰謀論者は面白いことを言っている。例えば1893年の不況で、米国政府は一時デフォルトの瀬戸際に追い込まれているが、この時の大統領クリーブランドは欧州のロスチャイルド、米国のモルガン財閥に膝を屈して金を融通してもらい、危機を乗り切ったとか(それは事実のようである)、1901年マッキンレー大統領が職を失った無政府主義者にうらまれて暗殺されたのは、時の副大統領セオドア・ルーズベルトが仕組んで欧州から暗殺者Leon Czolgoszを呼んだのだとか、そのセオドア・ルーズベルトはユダヤ人で、その証拠に大統領就任式典での宣誓では聖書に手を置いていないとか、あることないこと、いろいろ言われている。調べてみると、Leon Czolgoszは米国生まれだし、セオドア・ルーズベルトの初めての就任式典はマッキンレー死去を受けて、地方の民家であわただしく行ったもので、彼自身プロテスタントである。1905年再選されての就任式ではちゃんと聖書に宣誓しているのである。もっとも、Rooseveltという姓は、ドイツ語のRosenfelt(バラの野)を思わせるものがあり、後のフランクリン・ルーズベルトとともに、ユダヤ系移民の子孫ではないかという観測を根強く生む原因となっている。

いずれにしても、ユダヤ系資本は米国経済史の当初からかなりの役割を果たし、米国経済とともに大きくなって地場化し、20世紀初頭には押しも押されもしない存在になっていた。そのことを端的に示すのは、1913年米国連邦準備制度(FRB)設立に至る合意が作られたジキル島での会合である。次回は、そこから始めることにしたい。

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