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世界はこう変わる

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2015年6月 1日

ユーラシアを理解するために 6 ヨーロッパが持つ力

EU・NATO・OSCE
EU、NATOがActorとして力を持っているのはユーラシア西半分に限られており、中央アジアではその力は限定的なものである。特にEUは中央アジアでの存在感は小さく、外交団においてはドイツ、フランス等個別加盟国の方が大きな存在感を有している。NATOは、中央アジア5カ国とPartnership for Peace合意及びIndividual Partnership Programmeを有しており、折に触れてPKO軍強化等の小規模共同演習も行う。また中央アジア諸国は、NATOが自国域内を通ってアフガニスタンへの兵站物資を運ぶことを許可している。NATOはこれによって、バルト海からロシアを経由してアフガニスタンに至ることが可能になっている。

NATOは一時、グルジアまでは加盟手続きを進めようとしていたのに比し(ブッシュ政権が欧州側の抵抗を押し切って行ったもの。2018年のグルジア戦争で頓挫)、中央アジアについては余所者意識が強い。NATOは自由、民主主義等西欧的価値観を共有する諸国の集まり、という名目があるからである。

もっとも、おそらく米国の働きかけによるものであろうが、カザフスタンはアフガニスタンに兵力を派遣する意向を表明したことがある。米国にしてみれば、これを契機にカザフスタンをさらに西側に引き寄せたかったのであろうが、2010年11月ナザルバエフ大統領が右派遣の意向を「中央アジアとして初めて」表明すると、タリバンが警告声明を行い、同年5月以降カザフスタンでテロ事件が相次ぐようになった 。結局、カザフスタンはアフガニスタンへの派兵を見送ったまま今日に至っている。右テロ事件はカザフスタン国内の社会格差に起因するものではあるが、テロリストの移動等をロシアの諜報機関が助けている可能性は十分ある。カザフスタンのNATOへの接近を阻止するためである。

NATOの拡張の動きは現在止まっており、アゼルバイジャン以東の旧ソ連諸国、そして中国、モンゴルにとっては、NATOは軍事上のファクターと言うよりも政治上の要素になっている。つまりNATOという大きな塊は、たとえユーラシア大陸東部に直接軍事的関与することはなくとも、ロシア、中国等との政治的関係の密接度を操作することによってユーラシア大陸全体の力のバランスを変えることができるのである。

以下、EU、NATO、OSCEという西欧文明を体現する諸国の集合体が、どのような特性を持っているかを記しておく。

(a)「西欧」文明の魅力
経済力、政治力、軍事力、そしてソフト・パワー(文化・生活水準の魅力)の総合力で、西欧の地位は依然として高い。ソ連圏に入っていたポーランドやスロバキアのような中小国は、西欧文明に自分のアイデンティティーを求める切な気持ちを有する。そしてこれら中小国はEU、NATOの一員として行動すると、世界での地位がにわかに高まることを感じて満足するのである。

中央アジア諸国の国民には、自分達を「ヨーロッパ人」(カザフ人)、あるいは「アーリア人」(タジク人)と自認する者達が多いが、彼らが念頭に置く「ヨーロッパ」はロシアのことである。従って東欧諸国とは異なり、中央アジアでは西欧諸国の発言力は必ずしも高くない。

但し、ドイツの経済的プレゼンスは中央アジアで根強いものがある。18世紀ロシアのエカテリーナ大帝は自らの故郷ドイツから植民者を招聘し、このドイツ人達はヴォルガ沿岸で農業等に従事していたのが、第2次大戦の時スターリンによって中央アジアに追放された。ソ連崩壊後、彼らの多くはドイツに「帰還」したが、現在でもカザフスタンだけで18万名程は居住していると見られる 。彼らは、ドイツ企業が中央アジアに進 出する際、貴重な人脈として機能しているものと思われる 。
   
(b)ヨーロッパ人の倨傲と貪欲
中央アジアに在勤して見ていると、西欧諸国の白人達には植民地主義的マインドを強く残す者が多い。西欧諸国で見られる自由と民主主義は、植民地経済を搾取して築かれた繁栄をベースにしたものであるのに、それらを古来からあるものと勘違いし、自由で民主主義だったから西欧は経済発展したと思い込んでいる者が多い。そのような者達は上から目線でユーラシアの途上国に「民主化」を教え込むのだが、性急な民主化は途上国では経済成長ではなく、政治的な混乱と一層の停滞を生むのである。

中央アジアでは、さながら明治初期の日本におけると同じく、現地政府の能力を見下し、現地政府の設定した諸規則を守ろうとしないヨーロッパ人がいる。彼らはそうした倨傲の下で自分達の利益ばかりをはかろうとする。ウズベキスタン政府が努力して養成している製造業を軽侮し、「比較優位の理論」 を引用して自分達の製品を売りつけようとする。米国は一般的に、自由と民主主義の価値観を他国にも広めようとする伝道意識を持っているが、西欧は自分の自由と民主主義を確保した上で、他者からは経済的利益のみを追求するという冷酷さも持っている。
 
(c)EU、NATOが持つ限界
(以下は、中央アジアだけでなく、ユーラシア大陸西半分、あるいはアフリカ大陸におけるEU、NATOの行動特性である)
EUに入る国は、NATOにも入ることを求められる。NATOは、EUという車を買うとついてくる強制保険のようなものなのである。保険にも似て、周辺諸国と未解決の国境紛争のような「持病」を抱えていると、NATO加盟は認められない。そのため、エストニアは2004年NATOに加盟するに際して、ロシアとの間に存在していた国境問題を無理やり棚上げしたのである。

EUもNATOも、その本部の権限は限定されている。EUは日本では「超国家」の見本として偶像視されやすいが、EU委員会の権限は対外貿易交渉を中心とする、限られたものである。欧州ではほぼいずれの国も帝国であった歴史を有しており、外交や財政のような主権をおいそれとはEU委員会に渡さない。NATOにおいても「NATO軍」という名の常備軍は存在せず、通常は各国軍が並立し、有事にのみ米軍司令官の下に統一行動を取る。

EU委員会の権限が限られていることの実例としては、ODAがある。筆者がウズベキスタンに勤務していた時、EU代表部大使の存在感は小さく、ODA供与額も取るに足らないものだった。EUのODAの大部分は、相変わらず加盟国が国毎に供与しているものである。ただ、開発金融の面においてはEuropean Investment Bankが力をつけており、日本のJBICにとっても脅威になっている。

EUもNATOも、その意思決定メカニズムは機動的でない。EU委員会が新たな経済規則を作ろうとする場合、議論は各国の各省レベルから開始される。各国内での議論が一応収束すると、それはブラッセルでの各国代表部間の摺合せ作業に移る。これは書記官レベル、参事官レベルと積み重ねられ、大使レベルでの合意が得られて初めて、EU委員会に上程される。そしてEU委員会がまとめた措置は、最後にEU理事会(EU首脳会議)の同意を得ないと発効しない。そしてこのEU理事会における決定は多数決によって行われるために、いずれかの大国(人口比に応じて多めの票数を所有)、あるいは中小国グループが抵抗すれば、EU委員会作成のイニシャティブは葬られてしまう。

NATOの事情はもっと難しい。NATOの決定は全会一致で行う建前になっているからである。EUもNATOも、内部は一枚岩ではない。EUは今回のユーロ危機が示したように、生産性の高い北部欧州と、放漫財政に陥りがちな南部欧州の間の対立をいつも内包する。NATOでは、ソ連が崩壊したことで安心している英独仏等旧加盟国と、ロシアからの脅威を今でも感じているバルト諸国、旧東欧諸国等、新規加盟国の間で意識の対立がある。前者は国防努力を怠りがちである一方、後者は防衛意識は旺盛でも米国や旧加盟国に支援を仰がねばならないというジレンマを持っている 。

(d)NATOとして団結しての対外行動の例は少ない
   外交、軍事の権限はNATO・EU加盟の各国家に属しているので、ユーラシア大陸で欧州が行動する場合、各国個別ベースの場合が圧倒的に多い。国連やG8においては、EUやNATOは正式代表を有していない(但しEUはG20では正式メンバーである。トルコを含めると、欧州勢はG20に6の代表を送っている)。今でもフランスはアフリカの旧植民地諸国における内紛には、自国軍を送って鎮圧することが多い。英国、フランスは長距離核ミサイルを保有して、緊急時にはNATOに依存せずとも核抑止力を自力で保持できる態勢にある。

欧州諸国が個別ではなく、まとまって軍事力を行使する場合には、いくつかの形式がある。一つはもちろんNATOであるが、EU諸国のみでまとまって軍事力を行使するためにはEUのESDP(欧州共通安保防衛政策)下に準備されているEUFOR(欧州連合部隊)、あるいはEUROFOR(欧州即応部隊)の仕組みを利用することができる。これはNATOの指令ネットワークを利用できることになっているが、米軍は参加していない 。2008年EUはソマリア沖海賊掃討のため、EUとしての共同艦隊EUNAVFORを初めて派遣した。また2011年にはEUFOR Libyaが結成され、ローマに司令部を置いてリビア情勢に介入した。但し周知の如く、これら作戦にはEU全加盟国が加わっているわけではなく、EUFOR、EUROFORには融通無碍なところが観取される。
2001年アフガニスタンへのISAF軍派遣は、NATOが域外国に対して行った初めての軍事行動である。敗戦国ドイツにとっては、自国軍をNATO域外に派遣することは戦後の歴史の転換点であった。そのため、ドイツはアフガニスタンで「安全運転」を心がけ、比較的安定している北部に駐留している。

なおISAF軍は1000名を超える戦死者(米軍は約2000名)を出しているため2014年にアフガニスタンを撤退した後、NATOはしばらく域外での行動を控える冬眠状態に入るものと思われる。

(e)OSCE
   OSCE(欧州安全保障協力機構)は、対立する東西の間のstatus quo維持と交流の増進のために1975年設けられた緩い協議体のCSCE(全欧安全保障協力会議)が発展したものである。OSCEは特に信頼醸成措置の構築に力を発揮、2011年にはVienna Document 2011 を締結して、ロシアとNATOの間の連絡増進に貢献している。

OSCEは冷戦終了後、その存在意義を大きく減じたが、ソ連圏から脱出した結果皮肉なことに職を失った東欧諸国外交官達の格好の稼ぎ場ともなって存続した。またカザフスタンは2010年12月首都アスタナで「OSCE首脳会議」(不定期)を演出、自身の国際的立場の向上に役立てた 。

OSCEは中央アジア諸国にも事務所を有し、意欲に燃えた西欧諸国の人材が所長となることも多い。そして予算は少ないのだが、信頼醸成措置から開発促進、教育まで幅広い事業を展開し得る。そのために、日本等が共同して見栄えのする協力案件を展開するには好適のパートナーとなり得る存在である。

(f)NGOの力
上述の如く、EUのEUとしての外交は一元的に決められるものではない。そしてEU各加盟国の外交政策も、各国の政府が一元的に決めるものでもない。特に欧州北部の国々(ドイツ、ベネルックス、英国、北欧)では人権・人道問題に携わるNGOが強力で、外交政策に影響力を及ぼすことが多い。これらNGOは例えば、「非民主的で人権が守られていないウズベキスタンに経済援助をするのはけしからん」という類の圧力を政府にかける。
  その結果、中央アジアにさしたる経済的利益を持っていない欧州諸国は、人権問題を政策の前面に出す。たとえば中央アジア地域で北欧、英国が経済支援に後ろ向きなのは、このためである。他方、中国のように人権問題を抱えていても、得られる経済的利益が大きい場合には、欧州諸国は人権問題を前面に出さない。

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