Japan and World Trends [日本語] 日本では自分だけの殻にこもっているのが、一番心地いい。これが個人主義だと、我々は思っています。でも、日本には皆で議論するべきことがまだ沢山あります。そして日本、アジアの将来を、世界中の人々と話し合っていかなければなりません。このブログは、日本語、英語、中国語、ロシア語でディベートができる、世界で唯一のサイトです。世界中のオピニオン・メーカー達との議論をお楽しみください。
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世界はこう変わる

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2020年12月26日

メルマガ 文明の万華鏡第104号発刊

23日、メルマガ「文明の万華鏡」第104号をまぐまぐ社より発刊しました。その冒頭部分をここに転載します。

はじめに

先月号からの間に、バイデン大統領当選がほぼ固まった(まだトランプが何をやるかわかりませんが)という大きなニュースはもう陳腐化してきていて、今は、「たたき上げ」を売り物にしつつ、その実社会から隔絶していることがばれてしまった菅政権の寿命がオリンピックまで持つかどうか、わからなくなってきていることが、我々にとっては最大のニュースでしょう。

もし菅ではもたないということになると、どうなるのか? ちらほら指摘されるようになりましたが、岸田文雄氏の目がやっと出てきた感があります。

9月岸田氏でまとまらなかったのは、二階幹事長が座を追われること、つまり引退を余儀なくされるのを警戒していたことが大きな要因となりましたが、今、菅の代役として適当なのは岸田氏か石破氏しかいないわけです。ここで、岸田と二階、そして麻生が手を握り、二階、麻生が要職に残ることを条件に岸田総理誕生、ということは十分可能でしょう。

自民党内での政権たらい回しは国民の支持を得られないでしょうから、早期解散、総選挙が必要になります。コロナの蔓延はあるにしても、米国大統領選のように不在投票期間を長くする等すれば、総選挙はできるでしょう。

20日、米国ハーバード大学のエズラ・ヴォーゲル教授が亡くなりました。私は1996年から2年間、ボストンで総領事をしていましたが、この時ずいぶん世話になりました。彼は言わずと知れた" Japan as Number One: Lessons for America"(1979年)で名を上げた人物。でありながら最近では中国のことばかりやっていたとして、一部の日本人からは裏切り者呼ばわりもされていたのですが、それは日本人の独り相撲でしょう。

 彼は日本に友人が多く、ボストンの地元でも、日本・日系関係のイベントには本当にマメに顔を出していて、立派だと思いました。でも、それは日本のために、と言うよりは、アメリカのためにしていたことでしょう。"Japan as Number One"も、「アメリカもぐずぐずしていると日本に抜かれますよ。日本のいいところを見習いましょう」という警鐘を鳴らしたものなんだと、当人はいつも言っていましたから。

 そして彼は日本語、中国語がペラペラで、双方に大変な人脈を築いていました。中国が台頭するにつれて軸足は次第に中国へと傾いていきました。1997年10月、江沢民の訪米の際のハーバード大学立ち寄りは、彼がいたから実現できたようなものです。

「大国となる中国との関係をしっかり結ばないと、米国は大変なことになる」というのが当時からの彼の口癖で、定点観測と称しては毎年夏休みに、確か広東の辺りを拠点に中国の変化を自分の目で確かめていました。

 もちろん日本についての知識も、裏事情についての知識・情報も含め大したもので、ある時横で彼の会話を聞いていて、その剃刀のような鋭さ、冷たさにぞっとしたことがあります。彼は国家情報会議(NIC: National Intelligence Council)の幹部を数年務め、諜報機関の情報にも触れていましたし、日本を占領していた時代の上から目線のアプローチは彼の年配の米国人にしみ込んでいるのです。

 彼は1990年代を通じて、日本の官僚の力を抑え、政治家の力を盛り立てようとしていました。それは、「米国は政治家が動かす国だから、日本のように官僚がなにごとも動かし、米国と掛け合おうとしてもうまくいかないから」ということでした。実際には、「日本では官僚が既得権益を守るためにあらゆる改革、対米譲歩に反対する」という思い込みがあったのでしょう。

それで彼は、日本の若手の有望な政治家をいつもハーバードに連れて来ていました。他方、日本の官僚を敵に回すわけではなく、「米日プログラム」というのを日本の資金で作って、日本の諸省庁・大企業の若手を1年間、ハーバードで研修させてもいたのです。
しかし彼は、日本が変わらない国、動かない国であることに、失望感を強めて行ったことと思います。政高官低も、彼の願った通りの構図でありながら、うまく機能はしませんでした。

それもまた、彼をして中国へと軸足を置き替えさせる一つの要因となったのでしょう。僕がボストンにいた頃から、彼はジョゼフ・ナイ教授等とともに、中国との人脈をシステマチックに構築していました。毎年、中国軍の佐官レベルの幹部を何人もケネディ・スクールに招待し、アメリカとはどういう国かということを説明していたのです。ケネディ・スクールは同じことをロシア軍ともやっており、時期を合わせて米中露の軍人交流が行われることもありました。一つの大学が、政府のやるべきことを一人で実現していたのだから大したものです。

ヴォーゲル教授は中国に軸足を置いていたと言っても、のめりこんでいたわけではありません。「中国と無用の衝突を起こさないように。そのために、協力できる分野で協力を進め、いつでも話し合える関係を確保していくのです。日本はぜひ、中国と環境保全の分野での協力を進めてください」といつも繰り返していました。

 彼の死で、日本が世界でsomethingであった時代、日本研究がsomethingであった時代の終焉がひしひしと感じられます。まだ残っている人達を大事にすると同時に、日本専門でなくても日本のことをよく知り、日本を好意的に見る人達を育てていかなければならないと思います。そのためには、日本自身も変わって、米国人に本音で好かれる国にならないと、ダメですが。

ヴォーゲル教授、長いこと本当にご苦労様でした。でも、最高に自己実現でき、友人も多く、学者冥利に尽きる人生だったのではないでしょうか。

今月の目次は次のとおりです。

 コロナで知りたい本当のこと
 上は下へ、下は上へマル投げ――無責任体制の蔓延
 軍需予算と宇宙予算
 21世紀初頭の21年間の意味

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