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      <title>Japan and World Trends [日本語]</title>
      <link>http://www.japan-world-trends.com/ja/</link>
      <description>日本では自分だけの殻にこもっているのが、一番心地いい。これが個人主義だと、我々は思っています。でも、日本には皆で議論するべきことがまだ沢山あります。そして日本、アジアの将来を、世界中の人々と話し合っていかなければなりません。このブログは、日本語、英語、中国語、ロシア語でディベートができる、世界で唯一のサイトです。世界中のオピニオン・メーカー達との議論をお楽しみください。</description>
      <language>ja</language>
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         <title>欧州危機にだれがどう対処するか</title>
         <description>                                                                                                   特別投稿　重城康二
　欧州の金融危機は泥沼状態。時間は稼げても「脱出」はかなり難しそうだ。「福祉国家が必ずたどる道」という議論はさておき、当面どうするかについて、思いついたことをリポートする。

　思いついたきかっけは、日本はなぜ「安全」といわれるか？個人金融資産と消費税の引き上げ余地が負債総額を上回るからだそうだが、欧州にそれに匹敵するものは何かと考えてみた。

　「愛国債」というものが、イタリアで売られているようだが、それよりも多額の資産が欧州にある。世界遺産などの不動産は国の主権が絡むので除外するにしても、動産･･モナリザやミロのビーナス、最後の晩餐から...欧州には、貴重な美術品がヤマのようにある。これらは誰が所有しているのだろうか？　個人？財団？国？　いずれにせよこれらを欧州中央銀行に担保に差し出し、「債券」を受け取ればいいのではないか。何兆ドルになるか、資産評価は分からないが、このままどこかに流出してしまうよりは...欧州中央銀行が「持っている」だけで、欧州にとっては「安全」といえるだろう。もちろん債券を受け取った側も「売却」しないことが暗黙の条件になる。保存＝管理の場所はいままで通り。壁から剥がす必要もなければ、フィレンツェやルーブルを空っぽにする必要もない。「見せ金」みたいなものだが、欧州中央銀行の資産が積み上がれば、「信用」も増えるはずだ。

　個人でいえば、宝石などの貴金属も同じ。日本のように個人資産をばか正直に「国内の銀行」預けていないだけで...やせても枯れても欧州各国にはこの種の動産の個人資産がたくさんあるはずだ（日本だったら相続税がかかってしまうので、先祖伝来というわけにはいかないが）。このままでは「値下がり必至」の「貴金属」のリスクヘッジに「国債」を...という風には考えられないのだろうか...必要なのは「デフォルトしない」という安心感なのだから。
　パパンドレウやベルルスコーニはまさか、国外脱出はしない？？と思う。
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　</description>
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         <category>世界はこう変わる</category>
         <pubDate>Mon, 06 Feb 2012 00:30:39 +0900</pubDate>
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         <title>アマチュアの音楽</title>
         <description>時々、よばれてアマチュアのクラシックを聴きにいくのだが、この前面白い発見をした。

アマチュアの演奏で物足りなく感ずるのは、メリハリが効いていないからで、アマチュアの音楽家たちはそのメリハリを利かせる術を知らない、というか、足りないというか。全く違う楽想が現れても、その直前ではっと止まるでもなく、前のめり気味に前へ前へ進もうとするからしまりがない。

メリハリを利かせるには、息というのが大事なのだろう。プロのピアニストにすぐ横で演奏してもらうと、時々絞め殺される寸前のように音を出して大きく息をする。「息を吸って」、「はい、そのまま息を止めて」、「はい、息を吐いて」の要領で、彼らは「歌う」。ピアニストが声で歌っているのはグレン・グールドだけじゃない。息が切れるあたりがフレーズの切れ目、ということで、西洋音楽も意外に理屈ずくめではない。</description>
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         <category>言いたい放題</category>
         <pubDate>Sun, 05 Feb 2012 01:08:42 +0900</pubDate>
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         <title>消費税　駆け込み需要</title>
         <description>マンション販売が好調なのだそうだ。消費税引き上げを見越しているからだ。
前回引き上げの経験にもかんがみて、消費税引き上げ後３年間はマンションが売れなくなることを業界は織り込んだ。

こうしたことは、ほかの業界でも起きているに違いない。
こういうことが積み重なって、消費税引き上げが景気を冷やすと言われているのだろう。

それでも僕は、もう消費税引き上げに賛成だ。引き上げておかないと、短期日本国債を買い占めた外国勢が、遠からず投げ売りを始めて、儲けをとりに来るだろう。
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         <category>経済学</category>
         <pubDate>Sun, 05 Feb 2012 00:59:59 +0900</pubDate>
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         <title>日本赤十字社と東日本大震災</title>
         <description>東日本大地震のとき、外国の友人にどこに献金を贈ったらいいか聞かれ、日本赤十字を推薦しておいた。日本赤十字は数千億円も集め、日本は昨年世界で最も多く外国の援助をもらった国になった。

その金が、なかなか現地に配られずに問題になったことは覚えていたが、その後忘れていて、今またふと思い出して、日本赤十字社のサイトを見てみると、詳しいデータがない。日本語より英語の方が情報が多いのだが、それですら微々たるデータしか掲載されていない。
人が足りないのだろうか？
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         <category>言いたい放題</category>
         <pubDate>Sun, 05 Feb 2012 00:42:26 +0900</pubDate>
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         <title>定年になったのは　日本のサラリーマン社会全体</title>
         <description>この前、友達と話していてふと思った。

団塊世代が一斉に退職したことで、戦後の日本の「サラリーマン社会」（終身雇用と年功序列に守られた秩序社会。そこでは個人よりも、どの会社に所属しているかが重要だった）の終焉が決定的になった、

サラリーマン社会というもの（これは本当に世界でも特異なものだった）が歴史のかなたへと去りつつあり、大企業はもはや日本人の大多数にとって縁の薄い存在になってしまうのかもしれない、

と。
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         <category>経済学</category>
         <pubDate>Sat, 04 Feb 2012 23:26:13 +0900</pubDate>
      </item>
      
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         <title>隠れた値上げがあいついで</title>
         <description>どうも、食料品を中心に隠れた値上げが始まっている気がする。最近ではミスター・ドーナツのチョコ・ファッションが一個１００円から実に１３６円に値上げになったし（その代わり、やや大きくなった）、地元のパン屋から「ブリティッシュ何とか」という大ぶりの食パンが「あれはもう廃止になりました」ということで姿を消し、「何とか何とか」というまったく同じ形、ただ２割ほど小ぶりになったものに変身してしまった。

なぜだろう？　紙幣を印刷しすぎたからか？
河東

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         <category>経済学</category>
         <pubDate>Sat, 04 Feb 2012 23:06:38 +0900</pubDate>
      </item>
      
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         <title>黄色の台頭</title>
         <description>この頃、広告で黄色を背景色に使う例が増えた。それも、どこかレトロ調の。
黄色というのは、別に不吉な色ではないが、どこか気になる。なんとなく、戦争の足音が聞こえてくるのだ。色調が爽やかではないのだ。</description>
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         <category>言いたい放題</category>
         <pubDate>Sat, 04 Feb 2012 22:43:03 +0900</pubDate>
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         <title>ロシアでの反政府集会と市民のムード</title>
         <description>今、モスクワでの反政府集会（と言うか、１２月４日の総選挙開票結果の見直しを要求する集会）が終わったばかり。約マイナス２０度だったこともあり（これはハンパじゃない）、参加者は前回よりはるかに少なかったようだ。

何回も書いているとおり、ロシアの中産階級は一様ではない。だがその中で、現在の社会の在り方に不満を持つ者の気持ちは悲劇的だ。最近、聞いたロシアの友人の言葉。

「この社会を変えたいと思い、何年働いたことか。でも何も変わらない。外国人に対して恥ずかしいような国には、もう住んでいたくない。大学生も、外国語ができる者はもう全員、外国に出て行ってしまう。日本の政治もひどいと聞いている。でも日本の経済は多様だし・・・」

２００７年には石油景気で沸いていて、今でも生活は厳しいわけではないのに、この行き詰まり感。チェーホフの劇に描かれる、１９世紀末の閉塞感とよく似ているではないか。ロシアの場合、それが１９１７年の革命につながり、それが前向きの動きと思っていたインテリは、それが全体主義革命だったことを思い知らされ、あるいは自殺、あるいは銃殺されていったのだ。ひどい歴史だ・・・</description>
         <link>http://www.japan-world-trends.com/ja/cat-1/post_983.php</link>
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         <category>世界はこう変わる</category>
         <pubDate>Sat, 04 Feb 2012 22:26:37 +0900</pubDate>
      </item>
      
      <item>
         <title>ロシアでの反政府集会のマグニチュード</title>
         <description><![CDATA[１２月４日に行われたロシア下院選挙では、その開票結果を不服とする市民たちが１２月10日、24日と大集会を繰り広げて、世界の話題となった。１９９０年代の民主化に沸くロシアが再現したかのような興奮もある。だが、ロシアは本当に民主化、自由化の方向に向かうのか？　３月４日の大統領選でプーチンは当選できないのか？　それを判断するために、ロシア社会における変化の実相とそのマグニチュードを測ってみよう。

<strong>１２月４日に行われた下院選挙</strong>（すべて比例代表）の結果は、次のとおりである。
（　　　　　　　　　　　　　今回　　　　　　　　　　前回
「統一」　　　　　　　　４９．５４％　　　　　　６４．３％
共産党　　　　　　　　　１９．１６％　　　　　　１１．５７％
自民党　　　　　　　　　１１．６６％　　　　　　　８．１４％
公正党　　　　　　　　　１３．２２％　　　　　　　７．７４％）

一見、与党「統一」が大敗し、その票が他の「野党」に流れたかに見える。しかし<u>上記４党はすべて保守・中道層を基盤とする政党</u>であり、共産党以外は「与党」的行動を示してきた政党である。そしてその共産党でさえ、幹部の処遇（住宅等）等によって当局に絡め取られている。
他方、ヤブロコ等、リベラルとされる政党は７％の足切り条件を満たせず、議席を取れなかった。抗議集会ではリベラルの声が目立っているが、上記４党の得票率は前回９１．７５％に比し今回は９３．５８％と漸増しており、格差、腐敗が目立つなかで社会はむしろ保守化しつつある可能性もある。筆者の友人（リベラル）も、現在モスクワでは奇妙な空気が流れており、リベラルというよりは共産主義革命前夜のような感じがする由。

<strong>抗議集会</strong>
（１）大きな集会は１２月１０日と２４日に行われた。参加者の幅はリベラルから右翼国家主義者、ゲイ運動まで幅広く、単一の組織者、あるいは糸を引く者が見られないことが特徴である。２月４日に次の集会が予定されており、それまでに組織委員会が結成されることになっているが、おそらく突出した指導者は現れないだろう。また１０日は群衆がクレムリン方向への移動を始めたために警官による取り締まりが行われたが、２４日は挑発、流血、拘束がなかったことが特徴である。政府側、集会側双方とも、流血があればどちらかが決定的なマイナスを蒙ることをよく認識しているのだろう。

（２）背景
この集会の社会的背景としては、次がある。
（イ<u>）「だまされていた」ことへの怒り</u>
９月２４日の「統一」党大会でメドベジェフ大統領は次期大統領候補にプーチン首相を推したのだが、その時彼は「推薦の理由については・・・多言を要しまい」と述べただけで降壇し、次いで何ら採決を取ることもなしにプーチン首相が登壇、「政策方針演説」を行ったのである。それだけではなく、両者並んでテレビ・カメラに向かい、「こういう風になる可能性もあるということは、４年前に話し合ったことがある」と言明したのである。ロシア人は、「すべては裏で仕組んである」こと、そして選挙は操作されていることに慣れてはいるものの、この４年間メドベジェフ大統領が盛んにリベラルな方向で世論を煽ってきたのは何だったのか、これから１２年間プーチン時代に戻るのか、という閉塞感を強く感じたことは間違いない。
これまで、市民の不満の対象となってきたのは与党「統一」である。彼らのソ連的な権威主義的行動様式、能力と実績に関係なく「統一」党員であるということだけで種々のポストを侵食していく阿漕さが、社会の批判を彼らに向けていたのだが、これが上記党大会でのプーチン・メドベジェフの言動によって、プーチン個人にインテリ層の不満が向けられるようになったのだ。「皇帝は良い人だが、側近が悪い」というのがロシア人のマインドで、これまでもプーチンは批判の埒外にあったのが、今回は「裸の皇帝」となる危険を感じたに違いない。

<u>（ロ）ＳＮＳの普及。動員も資金もネットで。</u>
１９９１年８月に保守派がゴルバチョフに反対してクーデターを起こしたが、電話、ファックス等の通信手段を遮断することをしなかったために、結局は敗北している。つまりロシアは以前からＩＴを利用する面では先進国だったのだが、今ではハードの面でも進んでいる。人口の４８％はインターネットを使っており（昨年９月３日インターファクス）、３３％がＳＮＳを使用している。フェースブックは昨年10月末で640万人が使用し、10カ月で500万人増えた由。ツイッターは昨年10月で250万人が使用している（１２月１６日イタールタス）。大マスコミが体制化している中でブログは青年層、及びリベラルにとってむしろ主要な情報源ともなっている。今回の集会でも、主要なブロガーの１人ナヴァルヌイがリーダー格の一人として登壇している。

ＳＮＳの普及によって、集会の動員は非常に容易になった。１２月の集会も「アラブの春」と同様、主催者は明確でなかった。そしてこれに劣らず重要なのは、インターネットを利用しての政治資金集金が可能になったということである。１月９日ウォールストリートジャーナル紙によれば、１２月２４日の集会めがけて５０００名以上が計約１３万ドル相当の醵金を行った由である。

<u>（ハ）「中産階級」の増大</u>
　　　ソ連時代から工業化により、「中産階級」は広く存在し、彼らが権利意識を強めたことゴルバチョフの自由化政策の背景を成した。ソ連崩壊でこの中産階級は一時困窮したが、２０００年代半ばからの石油景気により再び復活した。

社会学者ザスラフスカヤは、ロシア人口のうち、①「支配層」は１％で富の５０％を占め(米国では1.0％で05年米国ＧＤＰの18％弱)、②「サブ支配層」（支配層に仕えて権力を行使し、富を得る者たち）が１１％、③「勤労者」(エンジニア、教師も含め)が５０％、④非熟練労働者、失業者、貧困層、年金生活者、身障者が３０％としている。なお２００７年１月の別の報道によれば、収入が１０００ドルを超える世帯の半分以上は、政府予算に依存する「公務員」で、民間雇いは僅か３５％（金融・流通等サービス部門が多いだろう）である由。

今回の集会は、これまで石油景気に浴して沈黙してきた中産階級が、政治的に再び活性化したことを意味する。ただ、中産階級のすべてが自由と民主主義と市場経済を求めるリベラル層、というわけではないことは念頭に置いておかなければならない。公務員的な存在が多いということは、プーチン首相が公務員給与、年金の引き上げを表明するだけで操作可能な人口が多いことを示しているからである。１２月末レヴァダ（民間世論調査機関）調査によれば、１２月２４日の反政府集会の参加者の４６％が知識層であり約６０％が４０歳以下であった由だが、リベラル層のマグニチュードはこの程度に限定されているとも言えるのである。

<u>（ニ）社会にみなぎる閉塞感（その標的となったプーチン）</u>
ロシアはリーマン・ブラザーズ金融危機を乗り切り、今また原油価格高騰の利益を享受しようとしているが、その蔭で社会には不満と閉塞感が広まっている。大衆は拡大する一方の格差に不満で、低価格の住宅等を当局が提供してくれることを切に望んでいるし、学生、インテリは社会の流動性が失われ（企業の実質的再国営化が進み、与党「統一」系の者がポストを独占していく。しかも彼らは腐敗の限りを尽くし、起業を妨げるのである）、能力を発揮できる場がないことに不満を持っている。そしてロシアの経済が石油に依存していることは大衆レベルにまで知れ渡り、かつては下に見ていた韓国、中国、ＡＳＥＡＮ諸国等に軒並み抜かれていく屈辱感をぐっとこらえている。昨年５月の「新時代」誌報道によれば、この３年で１２５万人のロシア人が国外へ移住した。その多くは中産階級である由。

<u>（ホ）プーチンの「整形手術」</u>
　プーチンは公言しないが、顔の若返りをはかって整形手術をしたことは確実である。ロシアの「２チャンネル系」は、これを揶揄する記事で溢れている。この手術によって、プーチンの目はロシア人の嫌う「アジア人のつりあがった目」に近くなり、ほとんど別人になってしまった。これは大きな要素である。

<u>（３）当面どうなるか？</u>
（イ）<u>国民の３分の２は、「今回の政府批判運動は尻すぼみになる」と考えている</u>（昨年１２月２８日インターファクス）。その背景には次の諸要因がある。

<u>①「自由よりパン」を志向する者の多さ</u>
２００７年１１月の世論調査では（レヴァダ）、「計画経済で富を分配してくれる方がいい」とする国民が97年から11％増えて52％になり、「私的所有権と市場に基づく経済の方がいい」は40％から29％に減少している。「民主主義と個人の自由が冒されても、秩序の方が重要」とする者は69％にも上っているのである。これはソ連崩壊後の１９９０年代が困窮と混乱と屈辱の１０年間となったためである。繰り返しになるが、ロシアの中産階級の中で自由と民主主義を求めて集会に出ていく者は多数派ではないのである。

<u>②リベラル側のリーダー不在</u>
ロシアのリベラルはかつてエリツィンの周囲に結集したが（大衆までも）、最近ではそのようなカリスマを備えた指導者は見当たらない。反政府側は①選挙のやり直し、②中央選管委員長の罷免等具体的要求を掲げているにも関わらず、明確なリーダーと組織を持たないがために、政府側からは話し合いにも応じてもらえないでいる。

<u>（ロ）大統領選に向けての見通し</u>
政府系の世論調査機関はプーチンの支持率が再び５０％を超えたと称しているが、１月２５日中立系レヴァダによる世論調査では、今選挙が行われた場合、同人に投票する者は３７％に過ぎない。ズュガーノフ共産党書記長は１５％、ジリノフスキー自民党首は９％、実業家のプロホロフは６％、ミローノフ公正党首は５％である。最大のリベラル勢力「ヤブロコ」の党首ヤブリンスキーは、選管に提出した支持者署名に瑕疵が多いとして候補者登録を取り消されたが、２％の支持しか得ていない。

３月４日の大統領選で過半数の票を得た者がいない場合、第２回投票が行われる。ソ連崩壊以後、そのようなことは１９９６年に１回あったのみである。この時は第１回投票から１８日後、エリツィン大統領とズュガーノフ共産党書記長の間の決選投票となり、(当時のうわさでは多額のカネが動いた末)エリツイン大統領が５３，８％の得票率で当選している。

<u>今回はリベラルを結集できる候補者がおらず、プーチンか共産党かという、リベラルにとっては不毛の選択となろう</u>。選挙後に待っているものは、「経済近代化を実現するための」一連の措置採択と、それが官僚の腐敗と無能、その他の社会の現実によって効果を挙げずに埋没していくことの繰り返しなのであろう（ゴルバチョフのペレストロイカの時と同様の現象）。懸念されるのは、大統領選を前にテロが起きたり（統制強化を可能とするため、当局側が仕組む可能性も指摘されている）、政府批判集会に右翼青年組織が殴り込みをかける、あるいは批判集会で挑発が行われて暴徒化する、といった不測の事態が起き、コントロール不能となることである。
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         <category>世界はこう変わる</category>
         <pubDate>Sun, 29 Jan 2012 23:51:54 +0900</pubDate>
      </item>
      
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         <title>核ミサイルは旧式技術に？</title>
         <description>この頃「サイバー・テロ」とか「サイバー戦」いう言葉がよく聞かれるようになった。この前、日本の兵器生産企業のコンピューターに何者かがもぐりこんでデータを盗み出したが、これがサイバー・テロだ。コンピューターのことがわからない僕は、これは専門家が始末するべきことだと簡単に考えていたのだが、サイバー戦はどうやら核ミサイルの無力化にも使えそうなのだ。宇宙戦争の映画などによくある、空飛ぶ円盤が「しんしんしん」と音がする(波状の色もついていることがある）電磁波か何かを周囲に飛ばすと、それにひっかかったミサイルはそこに止まってしまう、などの例だ。

まあ、そこまで技術は進んでいないにしても、現代の核ミサイルは飛行中、内部に備え付けのジャイロにだけ頼っているのではなく、人工衛星などを経由して伝えられる電波情報で目標への弾道を常に微妙に修正しているのだそうで、だとすれば、人工衛星、または地上の施設から電波を発射し、敵ミサイルの誘導を狂わせてしまう、または「発送者あてに送り返す」こともできる、ということではないか。これは、日本の防衛にぴったりだ。

こういうことを言うのは、どうも米国もサイバー戦で自国の核ミサイルがやられてしまうことを真剣に心配し始めた兆候があるからだ。そうなると、米国が日本の上にさしかけてくれているはずの「核の傘」が破れ傘になってしまうので、日本は別の「傘」を開発しないと、北朝鮮や中国やロシアなど核ミサイルを多数保有する国々から容易に脅されてしまうことになる。

その兆候は１月12日、米国のThe National Interest のサイトに載った「米中関係の将来」と題する論文に見られる。筆者はDavid Gompertと Philip Saunders 。双方ともサイバー戦についての最高の専門家だ。彼らは、「中国が開発しているサイバー攻撃・人工衛星破壊能力は、他国の防衛能力を麻痺させ得る」と言う。つまり、中国が米国の人工衛星を破壊すると、米国は核ミサイルを誘導する手段を失う、ということだ。

日本の安全保障にとっては一見、由々しき事態に見える。だが見方によっては、核の時代はいよいよ終わりを告げ、非核の技術力が防衛に大きく貢献できる時代が到来しつつあるということならば、それは日本にとって好都合のことではないか？
日本は、サイバー戦をMD（対ミサイル防御）として利用する方法を開発していくべきだろう。</description>
         <link>http://www.japan-world-trends.com/ja/cat-1/kakum.php</link>
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         <category>世界はこう変わる</category>
         <pubDate>Sun, 29 Jan 2012 02:26:37 +0900</pubDate>
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      <item>
         <title>世界の中で日本は生き残れるのか？</title>
         <description><![CDATA[今日、「東京雑学大学」というＮＰＯで講演してきたので、本当のさわりだけをアップしておく。本当はもっとはるかに長いのだけれど。
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　
日本は米、中、露という「<strong>メガ国家</strong>」（人口・領土巨大で多民族なるも、一つの政府・軍を有する）に囲まれている。このうち中国はあと数年で米国のＧＤＰを追い越す可能性がある。

この中での「中立」政策は、三国に蹂躙されてしまう危険性をもたらす。同盟国が必要である（一度決めたら長期にわたって替えない)。同盟国としては、米国が依然として最適だろう。中国人とは人種的な親近感があるも、中国に依存すれば日本国内では中国共産党支部を作る者が出て権力を独占しようとするだろう。日米同盟を軸とし、中国に対しては備えを維持しながら友好・協力関係を発展させていく、というアプローチがいいと思う。
なお、「国を守る」とよく言うが、「国」という崇高な存在が雲の上にあって、そのためには命も財産も投げ出すというような考えは、自分は取らない。他ならぬ、自分たち自身を、自分たちの仕事、自分たちの家族を守るということならわかるが。

円高で製造業が空洞化していると言われる。しかし日本は中国、韓国に対して貿易黒字を維持している数少ない国である。日本は中国、韓国に対して機械、先端技術を使った部品等の「生産財」を輸出する国になっているのである。米国も製造業が空洞化したと言われているが、アイデアだけでなく加工技術も含めて、今でも何でも作れる国である。日本の場合、資源、原材料を輸入できるだけの外貨は稼いでいかなければならず、そのためには日本からの輸出は一定レベルで維持していかなければならない。英語のできない日本人は、金融業などで世界で稼ぐわけにはいかないので、製造業はこれからも重要である。他方、製造業の多くが海外に流出するのは事実なので、国内の雇用を維持するためにはサービス、そしていわゆる「職人」の数を増やしていかねばならない。

日本企業はますます世界のなかで操業していかなければならないので、英語、中国語等、語学能力だけでなく、世界は日本と違う、どこが違う、何をどうすればいいかを心得た人材を増やしていかなければならない。

最後に、日本国内で最近、総理が毎年代わり、ものごとが決まらないことを変えなければいけない。「優秀な政治家が一人いればすべてはうまくいく」という単純な考えが広まっていることが、総理に期待しては失望する繰り返しを生んでいるのである。そして日本の民主主義は欧米の民主主義と異なり、多数決より全会一致を目指しがちだが、それでは世界の変化に素早く対応していくことはできない。

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         <category>政治学</category>
         <pubDate>Sun, 22 Jan 2012 22:56:25 +0900</pubDate>
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         <title>中国人の精神風景</title>
         <description><![CDATA[２０１１年１１月の中国東北地方旅行の際、地元の中国人と話して得た印象、あるいは中国人の発言そのものをいくつか書いておく。人数も限られているし、相手が本音を言ったのでない場合もあると思うので、まったくの断片だが。

<strong>米国に似てオープン？　――現在の生活への自信</strong>

滞日経験もある、ある若い中国人が言った。「中国人はオープンなのです。米国に似て、開放的なのです」　これは僕の意表をつく言葉だった。中国は民主主義でない、権威主義的な社会だ、という理解が頭にしみついているので。だが言われてみると、中国は米国に似ている面もある。その最大のものは、双方とも多民族国家だということだ。そして双方とも「アメリカ人」、「中国人」という人種はいない。アメリカでは、その土地に長く住み、英語を話し、アメリカの法律を守ればアメリカ人と見做され、中国ではこの土地に長く住み、漢字を読み書きすることができ、悪いことをしなければ中国人と見做される。
そしてこの言葉は、中国での生活水準に対するかなりの自信に裏付けられてもいるようだ。中産階級の者は、今では米国より良い暮らしをしているとさえ思っている。アメリカのLower Middleの生活（彼らの行くスーパー、彼らの買う商品、商店でのサービス水準など）を思うと、それはあながち嘘ではない。

<strong>中国人の世界観</strong>

だが中国は多民族国家なのだなどと中国人に言ってみても、ぽかんとされるだけだ。彼らは、中国は漢民族が圧倒的に多い地域に作られた、ヨーロッパの国民国家のようなものだと教わっているからだ。例えば学生たちは、唐時代の安禄山を漢民族だと思っている(実際はウィグル人とソグド人の混血）。唐時代など、今のウズベキスタンのあたりからソグド人の商人が多数、長安に定住しており、皇帝の宮廷にも出入りしていたことなども知らない。

学生たちには、「中国は世界の中心だ」という意識があるので、「ソグド人やペルシャ人が乗り込んできて経済行政、通商に深くかかわっていた」などと僕が言うと、驚きを見せるのだ。そして彼らは「中国はアジアの国である」と思っているのだが、それは「アジアとは中国のことである」とほとんど同義でもある感がある。だからと言って、彼らが別に拡張主義的だと言っているのではなく、ただ漠然とそう思い込んでいるというだけのことなのだが。

<strong>中国社会―－付き合いの原理</strong>

日本社会では「農村共同体」のモラル（礼儀、コンセンサスの原則、皆一緒という意識等）が社会全体に――国全体が一つの共同体であるかのように――浸透した感じがあるのに対して、中国社会での人間関係のモラル(仁義、信用）はまだ親族、友人の間にしか及んでいない。他人に対しては何でもありなのだ。

　親族、友人の間の信頼関係でさえ、文化大革命のときの年長者への批判や相互密告によって失われたという中国人がいる。だが東北地方では、そういう見方に賛成する者はいなかったし、それはあながち嘘を言っているようにも感じられなかった。
急速な経済発展と都市化で、中国でも隣近所が誰だかわからなくなる現象が生じている。中国人はなかなか故郷を離れない人たちなのだが、この頃は遠くの町の大学に進学すると、そのまま帰って来ない例が増えている。小さな共同体が壊れ、人間が極度に自立と言うか孤立してきているわけだが、そうなると面白いもので、今度は国全体が一つの共同体(市民社会）になったかのような現象が生じてくる。それは例えば、数年前の乳児用ミルク中毒事件のあとの中国人の反応、環境問題・衛生問題への意識等々である。今回聞いたのは、１昨年の四川大地震のあとが観光地化し地震グッズも売っていることがテレビで放映され、批判の声が上がったということだ。そして社会全体にモラルが行きわたっている例として、日本がモデルとなりつつもある。

　とは言え、中国の現状はまだ市民社会には遠いものがある。ひとつは運転マナーだ。日本では歩行者優先だが、中国では車(歩行者より金持ち）が絶対で、それは特に曲がり角でわかる。車が曲がってきたら、いくら横断歩道があっても歩行者は止まらないと危ない。そして車はどの方向からやってくるかわからない。歩道を歩いていても、あり得ない方角からあり得ないものがやってくる。歩道に乗り上げて侵入してくる車、歩道の脇をいきなり逆行してくる車、歩道を逆行してくるオートバイ等々。

警句にして言うと、<u>日本人というのは自分に危険が迫っても、気づかずに進んでいくが、中国のドライバーというのは他人が危険になっても気がつかずに進んでいくのである</u>。
話は飛ぶが、中国人は唾は吐くが、不思議に咳をしない。近年の日本人がやたら街頭や車中で咳をするのと比べると、奇異なほどだ。エアコン普及度の違いだろうか（つまりエアコンが日本人の粘膜を刺激して、鼻水や咳を起こしているのだと思う）。

<strong>コネ社会は不公平ではない、大変な競争社会</strong>

「中国社会はコネで動く、だから競争が成り立たず不公平だ」とわれわれは思いがちだが、そのコネをつけ、コネを維持することがすさまじい競争を伴っていることを無視している。コネ維持のために中国人が払っている努力と来たら、涙ぐましいものがある。医者にも「紅包」と呼ばれる付け届けをしておこないと、扱いが悪くなる。日本でも同じだろうが、モノを売ろうと思ったら、製品の質でだけではなく、売りつける相手をどうやって確保するかですさまじい競争が行われるのだ。これも一種の市場原則で動く社会なのだろう。
その競争は、①じわじわと拡張、②早い者勝ち、③とにかく手をつっこんでおく、などのやり方で行われるようだ。ある国際シンポジウムでは、隣に座った中国代表団の席が休み時間でこちらが席をあけるたびに拡張してきたし、飛行機や列車では肘掛けをごく自然に独占してくる、ホテルのビュフェではこちらが匙を入れているボールに横から匙を入れてくる(日本ではふつう、しませんよね）等々。まあ言ってみれば、他人との距離感が短い、或いは他人にも権利があるとは思わない、ということで、そこは中央アジアの一部の国とよく似ている。または、意図的な拡張欲というより、自然な生存欲の命ずるままに、悪意もなく動いているだけなのかもしれない。

民主主義？

中国にＧＤＰで抜かれた日本人にとって、今やお国自慢できるのは「民主主義」だけになってしまった感がある。だが、民主主義とか自由というのは相対的な問題だ。中国では自由がないとよく言われるし、日本にいる中国人が異口同音に日本の良い点として「自由だ」と言うのも事実だが、毎日を生きている普通の中国人にとっては社会主義か資本主義か、民主主義か統制かなど、どちらでもいいこと。上がどうであろうと、自分たちは勝手なことをしゃべっている。主義よりも、暮らしがどうなるかが問題なのだ。
「党、国家、政府が同じという（中国の体制）は間違いです」と言う中国人もいたし、「共産党は怖い」と言って見せる中国人もいる。大連で共産党本部の建物はどこにあるのかと聞いたら、「そんなもの聞いたことありません。市役所にあるのでは？」という答えが返ってきて唖然とした（共産党市委員会と言わなければならなかったのだろうが、ふつう「本部」と言えばわかるだろうに）。地方都市の人間の大海の中にいると、人間の波に押しつぶされてしまい、北京で行われていることは無関係に見えてくる。
そして１９６０年代の日本では、学生運動が盛んで、学生の多くはマルクス主義の洗礼を受け、就職すると直ちに忘れたものだが、中国の民主化運動もこれに似ている。「私の両親は天安門事件のころ学生でしたけれども、『社会に入ったら、民主化とか何とか全部忘れた』と言って笑っていました」と言った中国人がいる。

当世大学事情

断片的な情報だが、大学ではこんな感じらしい。
「今、大学で学んでいるのは１９９０年以降に生まれた世代で、これを『９０后世代』と言う。彼らは文革世代の子供たちで、そのためか慎重、受動的で折れやすい。少し叱られると自殺したりする。草食的なところがある。これに比べてひとつ前の『８０后世代』は自由に思ったことを口にした。
　他方、学生による授業・講師への評価は毎月ある。学生は、彼らの払う月謝から教師の給料が出ているのを知っているので、この頃は顧客気取りで、教師に「何々をどのように教えろ」などと言ってくる。
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         <category>世界はこう変わる</category>
         <pubDate>Sat, 21 Jan 2012 23:17:56 +0900</pubDate>
      </item>
      
      <item>
         <title>一人一人に背番号を</title>
         <description>国民総背番号制と言うと、税務署に所得を把握されて税金を取られるのではないかと思うが、そんなことはもう言っていられない。

例えばこの前の地震、津波で銀行通帳や身分証明書を紛失した人が多かった。こうなっても、一人一人に番号がついていて、コンピューターでデータを数か所に保管してあれば、書類をすべてなくしても、自分の番号を忘れても、１か所のコンピューターがやられても、名前や電話番号から検索することができるだろう。

そしてこれからの日本では転職も激しくなるだろうから、番号制で年金の付け替えなどを自動的にできるようにしておかないと、いくら役人の尻をたたいても記録ができなくなるだろう。

あの個人の権利にやかましいデンマークでさえ、国民総背番号制は１９７０年代からか実現していて、今でも社会保障の配分などにものすごく重宝しているらしい。

次の地震が来るまでに、一人一人に背番号をつけてもらいたい。</description>
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         <category>街角での雑想</category>
         <pubDate>Thu, 19 Jan 2012 00:39:50 +0900</pubDate>
      </item>
      
      <item>
         <title>中国――異次元の超大国 2 日中関係</title>
         <description><![CDATA[<strong>中国――異次元の超大国
――中国がＧＤＰで世界一になる日に備えて――</strong>

その２　中国人、日本人、互いに相手にとって何なのか？

<strong>福沢諭吉「文明論の概略」逆転の時代？　</strong>

明治の昔福沢諭吉は、日本は「アジアの悪友とつきあっていては」発展できず、西洋の植民地にされてしまうと書いた。その後１５０年間、日本は「欧米なみ」になろうとし、今や欧米文化の吸収度、同化度は大したものとなった。

だがこの数年、米国や欧州は経済危機の瀬戸際にあり、欧米が掲げてきた自由、民主という価値観も、イラク戦争以降は素直に信ずることができなくなった。中国が台頭した現在、時代は明治と逆転し、日本は「欧米の悪友とつきあっていては」発展できない時代となったのだろうか？　日本人は、「自分たちは中国とくらべて民主主義的なのだ」と思い、そこに誇りを求めてきたが、その民主主義は今やポピュリズムに堕しガバナンスの喪失をもたらすばかりになっている。それなのに欧米モデルにしがみつく日本は（そして自分も）、今や滑稽に、あるいは旧弊にしがみつく幕末の日本に似ているのかもしれない。

<u>今回の旧満州地方旅行では、なぜか「日中は同文同種だ」という人種的・文化的親近感</u>を強く感じて帰ってきた。これまでは、中国人が日本人に「同文同種」という言葉で友好を求めてきたのが、中国のＧＤＰが日本のそれを抜いたせいだろうか、日本の方から中国人に友好を求めるという、心理的な関係の逆転が生じたのかもしれない。僕は小さいころから個人主義、合理主義の欧米的価値観のなかで育ってきたので、こうやってアジアが急速に近づいてくると戸惑ってしまう。中国が大きくなると、日本はアジアの中に閉じ込められてしまうのか？

中国を旅行していると、欧米は非常に遠い存在だ。だが日中の間は２時間強の飛行時間しかない。そこを飛んでいると、<u>日中は一つ、つまり中国と日本は互いに地方のようなものだったのだという実感</u>が湧いてくる。だが他方、その分欧米がまた近づいてくる。つまり日中が一つの文明に属していたとしても、日本人も中国人も欧米文明というものとは付き合っていかねばならない、欧米やイスラム世界がわれわれに対して持っている意味は、これまでと何ら変わりないというわけだ。

それでも<u>僕には、アジアと欧米の間での自分の立ち位置、日本の立ち位置がまだひとつわからない</u>。どうしたらいいのか、まだ考えている。いずれにしても、中国に対して抑止力を整備するのはもちろん必要だが、不必要に対立したり対抗しようとしたりする必要はあるまい。

こうして、中国についての安全保障の問題、価値観・文明の問題に書いたので、次に日中関係についてもう少し生活実感に近い方に下りて観察してみたい。

<strong>中国についての最新情報でも現実からは後れている時代</strong>

我々の中国に対する理解の多くは中国の急速な変化からいつも後れがちであり、非常にちぐはぐなものになっているということだ（それは中国人の対日理解についても言えることだが）。それはたとえば、「中国は崩壊する」の類の議論であり、また「中国では国営企業の民営化により、年金、医療保険などの社会保障体制が壊れてしまった」という見方である。かなり大きな経済を築き上げた中国が、それほど簡単に「崩壊」しないだろうことは米国や日本と同様だし、東北地方ではまだ年金・医療制度が機能しているようだ。国営企業が数多く残っているからだろうか。

僕が大連空港から帰国する時、ターミナルの入り口で手荷物検査があった。日本人の若いビジネスマン２人が中国をいかにも馬鹿にした、上からの目線で話し合っている。「何でこんなところでやるんでしょうね？」。ターミナルの中でのテロを警戒しているから、荷物を調べているのだろう。外国の事情をわかろうともしないということでは、日本はもうやっていけない。ビジネスをする場の情勢を謙虚に調べる気持ちがなければ、ビジネスマンの資格はない。

<strong>中国人の対日感情は刻々と変化する</strong>

中国人の対日観は広い中国のこと、それぞれが日本とどういう関係を歴史上結んできたか、現在日本企業・日本人がどのくらい進出しているかによっても、変わってくる。そして日本人も中国人も互いのことをいつもじっくり考えているわけではないので、時々のニュースによって互いへの好悪は上下するだろう。

例えば、日本企業が2000社ほども立地し、日本語学習者が推計で２０万人にも上る、つまり日本との関係で生計を立てている者が多い大連における対日感情と、かつての満州国の首都で関東軍の本部があった長春では、対日観はかなり異なる。長春では、いくつか残る満州国時代の建物についてはたいてい「偽」の字がつけられている。「偽満州国皇帝」、「偽外務省」といった具合だ。あまりその数が多いので、この世ではいったい何が真で何が偽かわからなくなってくる、今の日本にもけっこう「偽」の役所はあるではないかと、シュールな気持ちになってくる。

<strong>昨今の中国は以前より日本に対して余裕をもっている</strong>

７年ほど前、上海に行ったときには既に、杭州へ行く電車の沿線に日本企業の工場がずらりと並んでいた。その頃中国のＧＤＰはまだ日本の数分の１だったので、海の向こうから日本が大きくのしかかってくるような感じがしたものだ。今回行った長春にはトヨタの工場があるが、日本のプレゼンスはもはや感じられない。中国は中国だけで存在しており、日本だけでなく外国という存在そのものが「目でない」（irrelevant）という感じだった。

この20年、日本が経済不振と国内の争いで沈む一方だった時、中国は右肩上がりで経済も、国際政治における地位も伸ばしてきた。そしてそれは2011年、ＧＤＰ値で日本をいよいよ抜いたことで確定した。日本はもはや安全保障においても、経済においても、中国にとって決定的な意味を持つ国ではない、国内政治に没頭する現在の日本は国際政治においても大したことはできない――中国の識者はこう思っていることだろう。 (但し今でも、中国人が日本に住むと、その多くが日本に惚れ込む。「日本では、ただ金を稼ぐということだけでなく、アプローチが総合的だ」ということを言う学者もいた)

今でも日本に留学して就職することを夢見る学生もいるが、中国の青年たちは一般に、以前よりは余裕をもって日本を見ている。生活がそれほど悪くなくなって、あえて「自分たちの生活を惨めにしている者は誰か」という犯人捜しをし、日本を槍玉にあげなくてもよくなったためもあるだろう。その点、日本人の方が中国に対して余裕がなくなり、神経をとがらせている面があるので、それが過度になると中国人から冷笑されかねない。

昨年、天津で講義した時には初日に尖閣での漁民逮捕が起きたし、今回は自衛隊が北海道から戦車を移送しての奄美島演習があった。これは島を中国に占領された場合を想定し、奪回作戦を演習したのであるが、中国のテレビ・ニュースは対日警戒を煽るというより、「いつまでもうるさい日本」、「冷戦も終わったのに」という上からの目線で落ち着いた解説がなされていた。

<strong>中国人も言葉より実感で判断する</strong>

中国人は共産主義イデオロギー教育を受けている、いや毛沢東主義だ、反日愛国主義教育も受けているからやっかいだ、ということになっている。だが現代の日本人が天皇陛下崇拝で凝り固まっていない（中国とかロシアでは、日本人は天皇陛下を神のように敬っているものと、今でも思っている者が多い）のと同じで、中国人、特に青年はもっとドライだ。大連では、共産党の本部（委員会）など市には無いと思い込んでいる者がいたし、「心が沈んだ時には環球時報を読んで、『ああ俺は、こんな素晴らしい国に住んでいるんだ』と思うことにしている」と冗談を言う学生がいた。環球時報は名だたる保守系紙で、日本ならば右翼的な論調で鳴る新聞である。その学生は、この環球時報に書いてあることは大げさで、中国の現実はもっと憂鬱なものなのだ、と間接的に言っているのである。

今の学生たちは１９９０年代に生まれたので、「９０后世代」と呼ばれている。その１世代前の「８０后世代」は高度成長期を反映してオープンで自由といった特徴があったそうだが、９０后は生まれた時から先進国的な環境のなかにおり、中国が外国からＯＤＡや直接投資を得て大きくなってきた経緯を知らない。そして最近では就職難にも遭遇しているので、ものの見方はドライだ。こういう連中には、日本人の対中警戒心は滑稽に見えかねない。日本の青年たちが２００５年の反日デモを見て鼻白み、中国に対して敵意というよりは呆れていたことの裏返しだ。それに日本側が何を言っても、ドライな９０后世代はそれを信じようともせず、日本をおしつぶしてしまう可能性がある。

<strong>関係のルール、けじめは明確に。そして交流・協力を</strong>

だからと言って、中国に対する警戒を解けとか、すり寄れとか、そんなことを言っているのではない。日本は泰然と兵力を整備して抑止力を築いたうえで（そのことを中国人に隠さない。誇りもしない）中国と交流、協力を進めていけばいい。そのようなやり方は失礼だとか、狡猾だとかいう、取りこし苦労をするのは、この広い世界で日本人だけだ。中国には、われわれとして考えているルールを平静に説明すればいいのである。僕が今回、東北師範大学の学生たちに言ったのは次のことだ。

<strong>①日中は互いに子供っぽい力くらべはやめ、相互利益を実現する。
②互いに、要求を１００％実現できるとは期待しない。互いに過大評価、過小評価を避け、できるだけ実像を理解する。
③互いにできること、できないことがあることを認識する。
④互いに防衛力は保有するも、係争問題の解決に武力を使用することはしない。
⑤米国をアジアの一員として遇する。欧州、ロシア等とも協調する。</strong><em></em>これに対して、学生たちはうなずいていた。

<strong>中国の大学で過ごした実感</strong>

　ここで、以上の議論のもとになった、現場の情景、意見を紹介しておきたい。「2011年旧満州の旅・その１　長春」でも既に紹介したが、ここに長春の東北師範大学の情景を再録しておく。

―― 中国の大学の設備や学生たちの服装・風俗は、もはや日本とさほど変わらない。学生たちは日本やその他の外国のことなどほとんど考えておらず、考えているのは将来の進路、そしてガール・フレンド、ボーイ・フレンドをどうやって見つけるか、といったところだろう。日本は留学先、就職先としてまだかなりの需要があり、日本の生活に憧れている学生も多い。
東北師範大学はもともと女子学生が多い所で、彼女たちのなかには隣接の体育大学の逞しい男子学生に思いを寄せる者も多いらしい。大学の設備とか清潔さは日本の大学の７０年代と現代を混ぜたような感じで、教師用の寮ではかすかに、しかしかなりきつくトイレの臭いが漂う。だが、学生の服装や顔つきは日本の大学生と区別はつかない。但し長春では茶髪はほぼいない（大連では見かけた）。
全寮制だとかで、学生食堂は朝から壮観である。体育館のように広い食堂がほぼ満員となる（一斉に揃って食事を始めるわけではない。三々五々と、と言うか、柳の並木に霧が立ち込め、そのなかに薄日が差し込むキャンパスをひっきりなしにやってくる）。食堂は話し声と食器のふれる音で満ちる。その発するエネルギーたるやすさまじい。僕が食べる目の前では、通訳を務めてくれている学者が、瀋陽の知人と携帯で、僕の列車の切符を買う話しをし、その隣のテーブルでは女学生が脇目もふらずに英語の音読をしている。何度も発音を繰り返す。朝の１時間目にテストでもあるのだろう。中国語にはｒの音があって、発音はいいのに。

この学生食堂は朝一食１０元、つまり１００円ちょっとくらい。我々の実感で言えば千円くらいに相当するので割高だが、多分奨学金でカバーされているのだろう。何種類もの料理があって、それぞれの窓口に分かれており、しかもカードで支払うやり方なので、渋滞は起こらない。ここらへんは大したものである。
講義のやり方は、日本と変わらない。僕はパワーポイントを使ってやった。日本の歴史、内政、外交、経済、社会の特徴を、中国人が持っているだろうステレオタイプな見方を自然に打破するよう、心がけた。相手を頭から批判したり、民主主義や市場経済の有用さについて説教したりするやり方は逆効果である。日本が抱える問題点も率直に説明し、学生が自分で考えるように仕向けるのが良いのだ。日本に行ったことのない学生が大部分であることも考慮して、ふだん撮りためた日本の生活情景のスライドを沢山見せた。都心の整然たる風景と、筆者地元のひばりヶ丘駅北口の雑然たる「アジア的」風景を対比させると、中国人学生は驚きの声を発したものである。

もう一つ、野田総理、小泉進次郎、丸山珠代の写真を並べて見せたが、男子学生は皆丸山珠代、女子学生は皆小泉進次郎に手を上げ、野田総理を支持した者は一人もいなかったのは可笑しかった。「なんだ。君たちもポピュリズムではないか」と言って皆で笑った次第。

最後の時間の多くは質問に答えることで過ごしたが、事前に質問をメモで出してもらった。匿名の方が質問を出しやすいだろうと思ったからだ。その質問は末尾に掲載しておくが、いずれも水準の高い真面目なものだった。こちらも反日とか嫌中とかの範疇からは離れて、アジアの仲間として日本での「事実はこうだ。ここはこうなっていて、こういう問題点がある」というアプローチで講義をしていたので、質問もすべて非常に冷静で着実なものだった。

長春というのは満州国の首都だったこともあり、日本に対する雰囲気には硬いものがあると言われているのではあるが、１年ほど前、昨今の「日本の顔」として中国青年の間で人気の高い加藤嘉一http://katoyoshikazu.com/　（北京大学に留学して中国に住み、中国語で発信している青年）が吉林大学に講演に来た時には、会場が満員となって立ち見が出るほどだったという。硬いとは言え、日本に対して特定の感情を持っているということは、それだけ日本に対して強い関心を持っているということでもある。

学生の質問でも、「先生は加藤さんをどう評価しますか？」というのがあった。こちらは、「外国というのは抽象的にではなく、自分の知っている人物に即して評価されるので、加藤さんのような日本の顔になれる人物が中国にいるのは良いことだと思っている。ところで皆さんは蒼井そらさんは好きですか？」と答えた。この蒼井そらというＡＶ女優は、中国の学生がよく見ているうえに、中国語のツウィッターで答えてくれるというので中国で大人気、日本のマンガの女主人公とともに最近流行った卒業ソングの題名ともなっている。蒼井そらのAVビデオを見て過ごした僕らの青春、というわけだhttp://blog.livedoor.jp/chinaexplosion/tag/AV%E5%A5%B3%E5%84%AA。だから長春の学生も蒼井そらを知っているかと思って聞いてみたのだが、全員すぐ笑い出した。男子学生は善意ある笑い、女子学生はそうした男子学生に対する嘲笑ぎみの笑いというわけだ。みんな、加藤嘉一と蒼井そらを知っている。ITは偉大だ。

<strong>学生の質問</strong>

最後に、5日間の集中講義の間に学生、教師たちから受けた質問のうち主なものを記しておく。対日理解度が高く、特に「反日」的でもないことをわかっていただけると思う。

「欧米の民主主義とアジアの民主主義は違うのではないか？　日本は本当に民主主義だと思うか？」
「小さい頃から外交官になりたいと思っていたのか？　今の職業は、若いころの夢と関係があるのか？」
「（教師）日本は満州開発のために公債を発行し、満州人を搾取した金で返済をしたのではないか？」

「野田首相がまだ訪中していない。中国について硬派の発言もしたし（靖国神社についての発言のことだろう）、どのような対中政策を持っているのか？」
「異文化とのコミュニケーションの仕方を教えてほしい」
「日中間の青年交流の現状をどう見ているか？　加藤嘉一をどう見ているか？」
「日本の青年はなにを考えているか？　どんなところに就職しているか？」

「日本政府はどのような就職促進策を取っているか？」
「日本のマスコミの自由の限界は奈辺にあるか。政府がマスコミを停刊したことはあるか？」
「日本のＯＤＡは国家予算から支払われているのか？　ＯＤＡの目的は？　ＯＤＡの決め方如何」

「中国が台頭する中で、日本の外交政策はどうしていくのか？」
「戦争でやられたのに、日本人はどうして米国を憎まないのか？」
「日本の若者に人気のある作家は？」

「天皇への態度は？　日本人は天皇に会えばお辞儀をするか？」
「講義で、『国民国家』は相対化しつつあると言われたが、それはどういう意味か？」
「日本では政治家主導が強調されているが、政治家と官僚が衝突した例を教えてほしい」
「東日本大地震復興に暴力団が関与しているらしいが、事実はどうなのか？」

「日本では青年の個性化が目立っているが、これは国の発展にどんな影響を与えるか？」
「中国が最近、領土問題で他国との衝突頻度を加えているのはなぜだと思うか？」
「東アジアの平和・繁栄、確保の方法如何」
「現代の大学教育をどう思うか？」
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         <category>世界はこう変わる</category>
         <pubDate>Mon, 16 Jan 2012 20:33:16 +0900</pubDate>
      </item>
      
      <item>
         <title>食糧問題解決　人間に葉緑素を</title>
         <description>僕は今ダイエットをやっていて、あまり食べないようにしているのだが、体重はむしろ増え気味。なぜこうなのかと考えていたある日、ふと解が閃いた。僕の体の表面には葉緑素があって、水と光と炭酸ガスからブドウ糖を作っているので、最近血糖値も高く、体重も減らない――こういうことだったのだ。

体の表面が緑色ということは黄疸ではなく、あの映画「アバター」に出てくる惑星人間ナヴィの青っぽい肌の表面も葉緑素なのかもしれない。

葉緑素の秘密を解明し、これを大量に作ることができるようになれば、別に人間の肌に植え付けなくとも、炭酸ガスと水、そして太陽の光からデンプンを大量に作ることができる。
そうなれば、地球上の食糧問題も解決されてしまうだろうに。

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         <category>ジョーク</category>
         <pubDate>Sun, 15 Jan 2012 02:01:07 +0900</pubDate>
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