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街角での雑想

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2009年07月12日

官僚叩き、官僚頼み、そのどっちに行くのだ?

今日は都議選の日。だが、投票に行くのを忘れてしまった。そんな何でもかんでも選挙をやるのだと言われても、その前にその職が本当に必要なのかどうか教えてほしい。要するに、都税の使い方を審査してるんだろう? 役人の提出してきた予算案をほとんど変えることもせずに。だったら、別に政党に分かれて選挙などやらずとも、もっとカネと時間のかからないやり方がありそうなものだが。

それはそうと、この頃「官僚」をめぐる世論の風向きが揺れてきた感じがする。政権奪取を狙う民主党が官僚叩きを売り物にする一方で、中国にモノづくり・輸出立国のお株を奪われた日本経済のための新たなシナリオ作り――ーつまり新たな産業政策を官僚に期待する潮流がひそかに勢いを増している。

高度成長の時代、一身の処遇・処世より、産業政策の作成と実行に入れ込んだバンカラ官僚達がいたらしく(通産省のこと)、その熱い生を描いた城山三郎の小説「官僚達の夏」が一時評判になった。その「官僚達の夏」が最近、テレビ・ドラマとなって戻ってきたのだ。そしてどこか別のチャンネルでは、若い熱血外交官の(架空)テレビ・ドラマをやってるらしい。

1985年のプラザ合意で円が2倍に切り上がって輸出が難しくなり、付け焼刃の内需拡大のバブルもはじけた90年代、リストラの嵐の中で悪者探しが盛んになった。「いったい日本をこんなにしたのは誰のせいなんだ?!」というわけで、最初はノーパン・シャブシャブとやらで接待を受けた大蔵官僚、次は報償費で
ウマなど買っていた外務官僚、年金を数えられなかった厚生官僚と順繰りにやられ、世は「政治家主導」の大合唱のまま21世紀へとずれこんだ。

その中で、小泉さんが「改革劇場」の大一番。実際は、財政削減、企業リストラの痛さをまぎらす麻酔のような言葉だったのに、何かいいことあるだろうと、みな「改革」の一言に二日酔い。まるで1980年代ソ連で、エリツィンがデマゴーグとしてのし上がった過程そのもの。大衆は「改革」に期待して、そのあげく改革の負担のすべてを負わされるのは他ならぬ自分達だったのだと気がついた時にはもう遅い、というやつ。麻酔が切れた今、手術の傷の痛みに耐えかね、「何もいいことねえじゃねえか。悪いことばっかり」と医師小泉、竹中に食ってかかる。

で、官僚のことだが、どうするのだいったい、官僚を。日本に残っているまともな統治装置と言ったら、やはり官僚なのだが。もちろん欠点だらけだし(一番いけないのは、社会から遊離していることだ。国会とかマスコミとか米国の方を見ている。そしてあのどうしようもない自信)、「官僚達の夏」の頃に比べればどうも処遇とか処世の方に精力を使っている連中が目立つのだが、やたら叩けばいいってもんじゃない。
直すところはしっかり直し、新しい時代に要請される新しいタイプの官僚は学生の時からしっかり養成して、うまく使っていくべきではないのか?

叩くだけでは駄目だということ。さりとて官僚達に新しい産業政策を期待する、つまり民間企業として打つ手がないことを認める、というのもおかしい。もっとバランスをもって考えたい。

民主党は政権を獲得した暁には、100人とか150人とか知らないが、なにか大挙して政治家を各省庁に送り込むのだそうだが、これもおかしい。これはソ連共産党とか中国共産党がやっていた、あるいはやっている「政党国家」というやつで、これでは行政府と立法府が合体してしまうのだ。
政策を立案し実行する行政府と、それを議論し審査する立法府に同じ人間がいて、ある日は省庁にいて政策を作り法案を作り、次の日は国会に行ってそれを審議するのか? それでは国会の審査機能が損なわれるではないか。

それに280人くらい当選したとして、そのうち150人も政府に派遣してしまったら、国会の委員会はたぶん野党に牛耳られてしまう。

すると何か。民主党は選挙を公務員試験みたいに考えて、これに受かると公務員になれますということなのか。僕は別に民主党嫌いではないし、時々投票しているけれど、まるで小泉さんみたいにポピュリズム的な政策を打ち出されると鼻白む。

まだ一般大衆の方は官僚叩きに組するが、少し立ち止まって考える人たちはその先を見始めている。「官僚達の夏」のテレビ・ドラマは、そうした流れの表れではないか? 

大手マスコミは新聞もテレビも、曲がり角の時代だ。十把一絡げのポピュリズムで世論をたぶらかす時代は卒業したい。的確な時代観と方向感、それに基づく対策を取っていかないと、日本は「産業革命の逆回し」という目に会うよ。それについては、また今度。

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