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街角での雑想

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2009年07月07日

「政府」に何をさせるのか、何を期待するのか、もう一度考えよう

都議会選挙、そして総選挙が始まろうとしている。お祭りだ。
選挙というのは、企業とか組合のような組織票(勝ち組の組織は国や市の予算の使い方を決めることができる)と、浮動票で決まる。浮動票というのは、利権・人脈に依存せず自活している強い人間(そんなのいないけど)と、利権・人脈に入り込むこともできず、さりとて完全な自立もできない普通の人たちから成っている。

だがこの頃では、社会の大勢が「政府」をケチョンケチョンに罵りながら、その実すべてを政府に期待し、すべてを政府に良くしてもらおうと思っているのでないか? 

それはおかしい。世の中は政治家の一人や二人の働きで変えられるものじゃない。それなのに、政府、政府と言って、それに生活の多くを期待すれば、政府は限りなく肥大し強大になり、結局はファッショになるのだ。

「政府はちゃんとしろ」ということは、「政府が何でもやれ」ということではないだろう? 「政府はなっていない」と言いながら、結局はその政府に何もかも委ねるというのは矛盾している。
ところが、建築施工でも餃子の衛生でも、問題が起こるとすべて政府の監督が足りないと批判する。政府は批判されるのがいやだから規制を強化する。すると、書類の量がやたら増える。その書類を審査するには膨大な数の役人が必要だ。役人だって24時間働いても処理しきれない事務を強制されたら、キレルだろうから。役人は国民の利益のために働くのだが、国民の奴隷ではない。

僕はソ連、ロシアで11年間勤務した。ここではモノづくりから金融まで、すべてを政府、つまり国営企業と役人たちがやっていた。その結果どうなったかはご存知のとおり。ダムとか鉄道とか、カネと労働力をつぎこめばできるものを作るにはこうしたシステムも良かったが、自動車や電化製品を消費者の好みに合わせて作るには全く不向きだった。

ソ連では、雇用も車も住宅もすべて政府まかせ。そのあげく、海の家を予約するにも付け届けが必要になり、抜け駆け的にもうけようとする者を排除するため相互監視はきつくなり、皆同じことをやる全体主義となっていったのだ。そして許認可権を握った役人は、私利私欲をはかる。

だから政府にやってもらうことと、自分たちでやることを区別しよう。小泉時代は今では悪であったということになってしまったが(あれだけ皆沸いていたのに)、あの政権で良かったことは、企業に「政府は何もしてくれない」ことをわからせたことだ。だから企業は本気になってリストラをやり、それで収益率を回復したのだ。

政府は、民間ではもうからないこと、たとえば年金とか国防とか外交とかをやる。その費用は税金で賄う。しかし企業は自分で儲けて発展するべきもので、儲からなくなったら政府が引き取るのではなく、整理しないと国民の税負担が際限なく膨れ上がる。

モノづくりまで政府が抱え込んだら、それはもう日本のソ連化の道で、いつかは財政負担に耐えられなくなり、国民は自分で道を切り開く意欲と能力を失ってしまう。もっと、ソ連が失敗したことから学ぶべきだ。

選挙がやってくる。予算のバラまき合戦のような選挙だ。どの党が何をいくらくれるかではなく、政府の役割を過不足なく設定し、社会保障と経済の活力開放の間でうまくバランスを取れる党であるかどうかの方が、大事だと思う。(でも僕も結局、義理で知人に投票するのですが――ー)

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