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街角での雑想

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2008年11月17日

「最上川・北上川経済圏」--旅行記

今から2年前になるが、米沢、山形、仙台とまわっていろいろな方から話を聞いたのを、まだまとめていなかったので、ここで書きとめておく。
                                         Copyright ©08.11 河東哲夫
「最上川経済圏」
山形新幹線は、奥羽本線を広軌にして新幹線車両を通しているのだが(カーブが多いので、あまりスピードは出せない)、それが木々の間をかなりの急勾配を上っていくと、まるで桃源郷に入っていくような感じを受ける。

酒田で日本海に注ぐ最上川は山形県を東西南北に貫いていて、それが形作る豊かな盆地に酒田、鶴岡、尾花沢、新庄、山形、米沢と古い城下町が並んでいる。まさに最上川を動脈として形成された経済圏だ(今では岩手、仙台、秋田、福島などとの間も結ぶ、発達した高速道路網が川の代わりを果たしている)。
最上川で米やその他作物を運び出し、酒田で回船が集荷して大阪市場へもっていったものだろう。江戸時代は食用油に使われた紅花が特産品で、酒田の豪商本間家も、それで随分儲けたらしい。紅花は今では山形県の県花になっている。

そして最上川が流れる盆地の周りは殆ど山で、南西の方には山伏とか生き仏で知られる羽黒、湯殿、月山の出羽三山が、その北には鳥海山がそびえる。
こうした歴史的、文化的な深み、そして米、果物、海産物、米沢の牛肉、その他美味な食物、趣味のいい織物、鋳物製品(茶の湯釜の大半は山形産だそうだ)などが相まって、この一帯は桃源郷のようなところとも言える。

米沢という町
最初に米沢で汽車を降りた。ここは街が計画的に作りかえられていて(道路が駅前から放射状に伸びている)新しい感じがするのだが、僕の行った日は割りと閑散としていた。
駅前には「米沢牛」のレストランがいくつかあって、そのうちのひとつでビフテキを注文したが、焼き加減を聞きもせず僕の好きなミディアム・レアでもってきてくれたのは嬉しかった。

街は鄙びているのだが、米沢は実は工業出荷額では山形県で随一だそうで、それは郊外に工場団地があるからなのだ。行ってみる時間はなかったが、パイオニアや三菱マテリアルの工場(後者はシリコン・ウェファーを作っているらしい)があるそうだ。

米沢で降りたのは、上杉鷹山(18世紀後半、米沢藩主)の故地であるからだ。僕が米沢に来たのはまだ小泉政権の頃で、財政改革が大きな課題となっており、年間総生産を超えるほどの借金を解消し、健全財政を実現した鷹山は話題を呼んでいたのだ。今、ウィキペディアを見てみたら、鷹山はケネディやクリントンにも知られていたらしい。内村鑑三の本に出てくるからだそうだ。「生せは生る 成さねは生らぬ 何事も 生らぬは人の 生さぬ生けり」というのは、鷹山の言葉だそうで。

で、米沢には立派な上杉鷹山博物館というのがある。入り口を入ると能舞台がしつらえてあったりして、建物は素晴らしいのだが、鷹山の業績展示となると、まだこれからだという気がした。

でもここで学んだことは、彼は改革の初期に反発が強く、実を挙げる前に家督を次に譲っていることである。その後後見役として藩政に発言し、やっとその死後になって藩の財政は黒字になったということだ。これでは、小泉さんの参考にはならなかったろう(それとも、今まさに後見している?)。

彼の抱えていた問題は、会津から移ってきたこの藩は(かの謙信の上杉家なのだが、関が原の戦いで豊臣側につき、そこで山形を根城とする最上義光にやられて、米沢に移されたらしい)、会津時代の多数の役人達をそのまま養っていたということだ。今もそうだが、役人の数減らしと言っても、家族もある人達をそんな簡単に首切るわけにいかないから、引退を待っているうちに月日が経ってしまったのだろう。

彼はまた、産業を振興もしている。陶器、織物、彫り物などが盛んになったという。でもまあ、それは藩財政改善にさして役に立ちはしなかったろうが。

だから、上杉鷹山が今の世に意味があるのは、その政策よりも心構えなんだろうと思う。社会全体のことを思い、目標を長期にわたって追求していく(多分、身辺もきれいなんだったろうと思う)ということ。もっとも、そんなのは現在のせちがらい、テンポの速いポピュリズム社会では無理ですが。

上杉鷹山博物館で知ったもうひとつのことは、ここ米沢は有名な民法学者、我妻栄博士の生地であるということだ。彼の生家は記念館になっているということだが、それはたった今、インターネットで知ったところ。事前に知っていたとしても、法学は嫌いだから行かなかったろうが。

山形
山形市は人口が25万人、大都市一歩手前の都市で、その面でのあらゆる良さと悪さを持っている。
駅前にタクシーが何百台もいるのでは、と思われる仙台もそうなのだが、山形でもタクシー運転手は困っていた。皆、山形県庁の前に行列して客を待つぐらいしかないそうで、もうタクシー運転手だけでは生活ができなくなっている。「15年前まではいい仕事だったのに」と嘆いていた。

山形ー仙台のバスが賑わっており、年間130万人が利用している由。女性が仙台にショッピングに行くのが多いらしい。
鉄道ももちろんあって仙山線というが、この今まで地図でしか見たことのなかった鉄道に乗ってみると、山の中を行くのだが結構開けていて、全体の感じは例えば東京の青梅線という感じ。山形から仙台まで1時間で行ってしまう。


大学の役割
東北大工学部は実学の伝統があって、金属材料研究など名高いが、戦前例の八木アンテナが開発されたのはここだそうだ。
山形大学も、その工学部で名高い。この工学部があるおかげで(戦時の工場疎開も原因のひとつ)、米沢には工業団地があってミシン工場などが進出している。

そしてこの工業団地には産学連携拠点「有機エレクロニクス研究所」がある。世界で始めて高輝度の白色有機ELを開発した城戸淳二・山形大教授が中心になって、パナソニックなどと共同研究をしてきたものだ(以上は08年10月10日の日経記事による)。今回は見に行く時間がなかった。

岩手大学工学部は、岩手に立地を始めたトヨタ等自動車工場の人材供給源となっている。
既に述べたように、岩手、仙台、山形、酒田、秋田のあたりは高速道路網で緊密に結び付けられており、これがあるから自動車工場も岩手に立地を始めたのだ。数年前の地震が契機となって、日本の自動車会社は日本の数箇所に生産拠点を分散させた。そのおかげで今や九州、岩手が自動車生産の中心地のひとつになってきたのだ。

中国人観光客を増やしたい
県庁とか市役所に出入りすると、ここでも最近中国人観光客が増えていて金を落とすので、もっと増やしたいがどうしたらいいか、というようなことを聞かれる。
僕はこういうことを聞かれると、「ごもっともですが、では中国人はどんな便器を使っているかご存知ですか?」と答えることにしている。外国人観光客、特に婦人が外国で最も苦しむのは食事、そしてその結果としての便器なのだ。そしてそのことを日本人は知らない。世界中で違う便器を使っていることを知らないか、または西洋式便器が世界で一番進んでいて、これをつけたからもう大丈夫、ということなのか。
でも、そんなことはない。この前は木曾の妻籠に行ったら、オーストラリアから婦人たちが5,6人、日本語もできないのに、鉄道でまわっていた。コースが決まっているからだ。で、彼女達が困っていたのはやはりトイレだったのだ。

だから、ポスターを作ったり、中国を訪問して宣伝したりするよりも、中国人の使いやすいトイレを沢山作り、それが口コミを通じて中国全土に喧伝される方が、よっぽど観光客増加に役立つだろうと思う。

仙台を中心とした経済圏
最上川経済圏からは離れているが、仙台(人口約100万人)の発展振りはすごい。街並みが垢抜けていて近代的だ。
もっとも専門家に言わせれば、「支店経済」(仙台を本店とする大企業が少ないということ)であり、建設業への依存度も大きいらしい。例えば仙台にある「東北経連」(経団連の東北版。新潟までカバー)の事務局では30人が働いているが、そのうち10名ほどは東北電力からの出向者で、プロパーは10名ほど、残りが日本政策投資銀行、新日鉄、JTB、NTT東日本、JR東日本、77銀行なのだそうだ。

日本には全部で8の地域経団連があるそうだが、仙台にある東北経連は新潟までを含んでいる。この経済圏の人口は1,200万人で全国の10%なのだが、GDPでは全国の8,5%にしかならないそうで(2005年)、公共事業への依存度が大きい。全国の公共事業費の13%はこの経済圏で消費されている由。

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