Japan and World Trends [日本語] 日本では自分だけの殻にこもっているのが、一番心地いい。これが個人主義だと、我々は思っています。でも、日本には皆で議論するべきことがまだ沢山あります。そして日本、アジアの将来を、世界中の人々と話し合っていかなければなりません。このブログは、日本語、英語、中国語、ロシア語でディベートができる、世界で唯一のサイトです。世界中のオピニオン・メーカー達との議論をお楽しみください。
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論文

2006年11月25日

アジア紀行(05年 インドネシア タイ ベトナム)

インドネシア、タイ、ベトナム(日米中の狭間で)
                                                  平成18年2月25日
                                                        河東哲夫
05年11月29日から12月6日までインドネシア(ジャカルタ)、タイ(バンコク)、ベトナム(ハノイ)に行ってきましたが、その際の印象を記します。

1. 全体の印象
(1) 北東アジアに比べて穏和
 日中関係を中心に摩擦が多く、人もあくせくしている北東アジアに比べ、東南アジアはやはり、気候も人も温和だ。湿った温かい空気がじわじわと身を包むような感じ、とでも言おうか。
但しベトナムは、話しぶりは10年前に比べても随分オープンになったが、それでも外の世界をあまり知らないこと、公的見解にこだわることなど、いわゆる「ソ連的なもの」が抜けていない。
(2)中国との「距離感覚」が日本とは違う
中国を差し迫った脅威とはとらえていない。漢の時代を中心に1,000年にわたって中国の一部とされ、1979年には中国から攻め込まれた記憶も新しいベトナムでさえ、いたずらな反中姿勢は取らず、外交的な備えを固めた上で中国とも良好な関係を維持する路線。
他方、インドネシア、タイについては、中国に対する立場はまだ確定していない。また中国側も近年とみに、ASEANに対して宥和的な態度に出ている。南沙群島をめぐる中国の一方的行動が目立っていた南シナ海問題についても、中国・ASEANは2002年の首脳会議で、南シナ海における行動規範についての共同宣言に署名し、2003年には中国とフィリピンが共同石油探査で合意している(もっとも、西沙群島、南沙群島の多くを中国が支配したままなので、中国の宥和的態度もポーズに過ぎない、と見る向きもいる)。
かかる状況の中、今回訪問した3国、特にインドネシア、タイは、対中姿勢を今、明確にしなければならない、という切迫感は持っていないようだった。いわゆる「ASEAN的なやり方」というのか、よそ者には行き当たりばったりと見えるようなところがある。
(3)華僑と中国の関係
各国の華僑が中国の第五列のようになって、地元国と中国との関係緊密化を策謀する、という可能性は感じられなかった。華僑は代を経て中国語ができない者が増え、中国の出身地を訪問しても仲間としては扱ってもらえない、との話しも聞いた。彼らは地元国による意識的な同化政策も経て地元にかなり同化しており、地元国の経済が発展し社会が自由になればなるほど、自分達の利益を地元のそれに結びつけるであろう。
(4)静かになった軍部
 タイなどかつては、軍部によるクーデターや軍事政権で名高かったものだ。ベトナムでもインドネシアでも、軍部は大きな発言力を有してきた。だがベトナムでも、軍人が実業に手を出して困る、という話しは聞こえても、かつてのように国の政策に口を出して困る、という話しは聞かなくなった。インドネシアでも、民主的な選挙が一応定着している。やはり経済が発展すると、政府権力を奪取しなければ利権が確保できない、ということもなくなるから、権力闘争もその熾烈さを失う。だから軍部が介入しなければならない程、内政が揺れることもなくなるし、軍人自身もサイド・ビジネスや天下りの機会が増えて、政治的には静かになる。経済が発展したからといって必ず民主化するとは言えないが、民主化のための必要条件であることは確かである。

Ⅰ・インドネシア
1.インドネシアはアメリカなみに大きい
○日本から行くと、飛行機は最初にボルネオ島西岸の上を飛ぶことになる。緑のじゅうたん、その中を蛇のようにうねっていく濁った川。所々、草地も見える。入道雲に青い海。ここからジャカルタまで、実にまだ3時間もかかる。
○インドネシアの東の端から西の端までの長さは北米大陸横断に匹敵する由。太平洋には昔、ポリネシア民族の住むムー大陸があったというが、インドネシアなどその名残かと思えるほど。
○ジャカルタからシンガポールに行く間にはスマトラ島上空をかすめるが、島と言っても景観は大陸のようだ。ここらあたりはジャングルは少なくて草地が多く、その中を大河が悠然と流れている。
○マラッカ海峡は飛行機から見ると、まるで河のように見える。タンカー、コンテナ船、軍艦、モーターボートなどが行き交っている。台湾沖のシーレーンも今では日本、米国、中国だけでなく、韓国やASEANにとっても死活的重要性を有するものになっているが、このシーレーンの安全が脅かされた場合、民間船舶は太平洋の方に航路を移すことができる(但し4日ほど、余計にかかることになる。一日の燃料費は数百万円である)。しかしマラッカ海峡の真ん中で大型タンカーがテロで破壊されれば、この海峡の通行は数日間は止まり、世界の海運界ばかりが経済が大混乱を起こすだろう。
2.ジャカルタ寸景
○ジャワ島は比較的小さな島だが(但し全人口の70%がここに集中している)、飛行機が飛び越える北岸は水田に似たエビの養殖池となっており、まるで海がそのまま水田となって行く風情。空港周辺の景色は、30年程までのバンコク(終戦直後の日本に近かった)とラングーン(のどかな農村風景)の中間くらいの開発度である。
○街の乗用車にはトヨタが多く、新規販売の5割はトヨタということだった。
3.インドネシア経済メモ
  ○1997年、インドネシアの華僑資本はシンガポール等海外に逃避し、2005年あたりからやっと再帰の気配を見せている(インドネシア全体としてはB+の格付になった)。しかしこの間、インドネシア経済はシンガポールはもちろんのこと、タイ、マレーシアに比べても大きく立ち後れた。一人当たり所得はやっと1,000ドルを超えたところである。
○そのことについて、インドネシア側には危機意識が不足しているようだ。ロシア等資源国に共通していることだが、彼らは「外国が投資しにやってきて当然だ」と思っているのである。また、企業への税務調査が有力者の政治的・経済的思惑を体する形で恣意的に行れる等、腐敗的体質も強く残っている。現在進んでいる新規大案件のうち50%は、バクリー副大統領等が所有する3の大財閥が手がけるものとなっている由。
○インドネシア経済は資源だけではない。オートバイ、自動車生産、食品、化粧品生産、ヘルスケアなどの産業も育っている。だが実質経済成長率が7%なければ新規労働力を吸収できないため、失業率は高い。3割が実質的には失業している由。また産業育成においては、外資の役割が決定的に重要である由。
インドネシアのGDPにおいては消費が全体の70%強を占めており、投資が20%しかない。これは90年代のタイでは投資が40%を占めていたことに比べて大きく見劣りしている。
○インドネシアは原油産出国というのが一般の理解だが、実際には既に原油輸入国になっている。
2. 華僑の地位
○華僑は全国で1,000万人程おり、ジャワ島出身者、スマトラ島出身者に次ぐ人口。
○華僑はインドネシア経済の70-90%を握っているなどと言われることもあるが、GDPの50%程度にのぼる国営・ないし政府系部門(エネルギー、製造業等)においては華僑の力は低いもよう(他方、Private sectorにおいては、80%程度が華僑資本の下にあるという感触を語る者があった)。従って、70-90%云々という数字は、インドネシア人の支配層が、国民の怒りを自分達に向けないために華僑を盾として利用している面もあろう。
○ Public sectorでは、20%程度が華僑資本の下にあるといった程度。大学にも華僑のプレゼンスがないため、彼らの子弟は海外留学を選好する者が多い。他方、インドネシアの大学にいった華僑は、学生運動などでインドネシア人と終生にわたる友人関係を築き、社会に出てからも助けあっている例もある由。
○ Public sectorの中では、華僑は軍関係ビジネスに近く、アルタグラ・グループなどがそうである由。
○ もともと華僑は、中国海岸地方の貧困層出身が多いのであり、インドネシアでも今でも農民、漁民、零細商人の地位に止まったままの者も多い。
○1997年の金融危機の際、華僑が国外に待避させた資金の金額はわからない。シンガポールや豪州に多く、避難したもよう。2005年になって、これら資本がインドネシアにやっと回帰しつつある。特にモール等の不動産への投資が目立つ。
  ○現政権との関係:先般大統領選で華僑の大半はメガワティ前大統領を支持した(中国もメガワティ支持だった)。そのため、華僑は現政権に対する影響力を一時有していなかったが、今ではユドヨノ大統領に近づきつつある。カラ副大統領・兼ゴルカル党総裁は政権入りする前は中国系に対する差別的発言で物議をかもしたが、現在は控えている。
   華僑もさるもので、ある研究所長のように母親は北京在住、自分はユドヨノ大統領支持、弟(実業家)はメガワティ前大統領支持と、「分業」している者もいる。
○ 華僑の間では、中国から安価な製品が入ってくることへの恐怖感がある。農機具などはその典型だ。
○ インドネシアの華僑の多くはもはや中国語をしゃべれないこともあり(インドネシアの方言が「母国語」である者も多い)、外国に出ても住みづらく、結局帰ってくることが多い。1950年代に、インドネシア政府が中国との二重国籍を取締り、インドネシアか中国かいずれかの国籍を選ばせたことも、今になって大きな効果を発揮している。
それに今や外貨預金、外国への送金もできるようになったので、華僑が国外へ出るメリットは益々少なくなった。
○ 台湾は、インドネシアの華僑に特に食い込んではいない。
3. インドネシアの対中国関係
○中国はかつてジャワの王朝に対して朝貢を強要したことがあるが、この事実は今でもインドネシアの小学校で教えられている由。また、オランダの植民地であった時代に華僑が地方の流通を牛耳っていたことについてのネガティブな記憶、またスカルノ大統領時代、中国がインドネシアの共産主義者を援助して殆ど内乱状態になった記憶は残っているが、現在の中国市場の経済的魅力は大であり(2004年、対中輸出は46億ドルで、対日輸出額160億ドルに大きく劣るが、2010年には対中貿易往復300億ドルを目標としている)、また中国政府がインドネシアに盛んに外交上の秋波を投げてくることもあって、インドネシア支配層の対中警戒心は少々後退している。反面、「日本はインドネシアの天然ガス開発会社の株主にもなってくれない。若干おとなしすぎる。」という、日本からの資本待望論も聞かれた。
○しかし戦略面では、「東アジアで中国がドミネートすることは困る。『東アジア共同体』という言葉を使うかどうかは別にして、この地域の協力にはインド、豪州も引き込んでおく必要がある。日中関係ももっと良好であって欲しい。目下、中国を脅威としては見ていないが、あの国はどの方向に行くかわからない。国力が伸びれば、Status quoを変えたくなるだろう。」という意見も聞かれた。
○また、インドネシア政府要人は最近頻繁に中国詣でをしているが、彼らのマインドは「中国はいい。日本みたいに融資に対する政府保証を求めたり、コンプライアンスのことをやかましく言わない」という言葉に表れている。中国の融資のアカウンタビリティは低い段階にあり、最近でも公開入札なしに発電所建設案件を決めた由。
つまり、ユーラシア大陸の東から南にかけてはコンプライアンスを軽視する「腐敗帯」のようなものが形成されつつあり、先進国はこれに正しく対応することを求められている(もっとも日本もコンプライアンスを気にするようになったのはつい最近のことであり、大きな口をたたけたものではない)。
○ インドネシアと中国の間の経済関係の諸利権は、華僑よりも政府に近いインドネシア人によって占められつつあり、また中国も彼らを利権配分の主要なターゲットとしているのではないかと思われた。
○ 他ならぬ華僑実業家の口から、以下の面白い発言があった。「中国はモラル的にはまだまだ近代化を必要としている。アジアにはアメリカの傘が未だ必要だ」「インドネシア経済が中国にドミネートされることを恐れている。流通面では特に。彼らはインドネシア政府要人ともコネをつけている」。
○台湾はインドネシアの製造業では、外国投資の4位程度の地位につけている。漁業面での台湾からの投資も大きい。またインドネシアから出稼ぎに出る者の20-30%は台湾へ行く。中国本土に行っている出稼ぎ者もいる。
4. インドネシアの対米関係
インドネシア人は「米国も中国も嫌いだ。」というのが本音だろうが、どちらとも事を荒立てるつもりはない。特に米国については、「インドネシアの輸出の20%を引き受けてくれており、インドネシアに投資もしてくれる。安全保障面ではこの地域を安定化させる役割を果たしている。だから米国はパートナーだと考えている」というのが、常識的な立場であろう。
なお戦略国際関係研究所では、「米国は日本、中国の間のバランスを取るために、ASEANの繁栄を必要としている」と見ており、面白い認識だなと思った。
5. インドネシアの対ロ関係
○ロシアは、ベトナムのカムラン湾に軍艦を寄港させたり、ベトナム沖石油開発に関わっていた頃と比べ、東南アジアにおける存在感を劇的に後退させた。但し、ロシアの兵器はその性能とコスト・パフォーマンスの良さで、インドネシアのみならず、タイなどによっても、米国に対して「当て馬」として使われている趣があった。但し米国もそこら辺は十分に心得ているだろうし、ロシア製兵器の大量購入にはなかなか行きにくいものと思われる。
  ○05年12月の東アジア首脳会議へのプーチン大統領参加に最後まで抵抗したのはシンガポールとインドネシアである。但し11月には戦後初めてのロシア艦隊(ヴァリャーグを旗艦とする極東艦隊の艦船4隻)がジャカルタ港を友好訪問しており、インドネシアも対ロ関係に気は遣っている。
6. インドネシアとイスラム勢力
○イスラム原理主義はスハルト時代からあったが、冷戦後、「国際化」して要員はジハッドの教育を受けた由。ある華僑の実業家は、「目下、イスラム過激派が最も心配の種である」と述べていた。2003年に「テロ撲滅法」が成立しており、一見取締が強化されたかに見えるが、実際には右法律は民主化への圧力を受け、被疑者の事前拘束等の要件を難しくしている。民主化がテロ取締を難しくしている面もあるようだ。
○イスラム原理主義は貧困の産物であり経済協力でこれを抑えることができる、というのが世界の通念になっているが、インドネシアにおいてもイスラム原理主義のコア部分は貧しくなく、教育水準も高いということの由。言ってみれば、コアの連中は70年代の日本全共闘あたりに似ているのかもしれない。但し、彼らが力の大きな源泉としているのは明らかに大衆の貧困である。
○また世界の諸方において、イスラム原理主義は麻薬商売を資金源としているが、今回の話し相手はこれを否定していた。
○「イスラム金融」(利子を取らない建前。実際には別の形の金利がついている。言ってみれば、利子課税を逃れる手段ともなり得る)はインドネシアにおいては、まだ細々としたものである由。これに法制面等で本格的に取り組み、オイル・マネーの誘致に努めているのはマレーシアなのだろう。
7. ASEAN、東アジア共同体に対するインドネシアの態度
○「ASEANは重要である。東アジア共同体などできるのは2020年以後のことだろうから、益々重要である。問題は、ASEANと言っても『社会に根を張っておらず』、外務省だけがやるにとどまっていることである。それにASEAN関係の会議は200種類もあって多すぎ、1年かかっても全てを開ききれない程である。安全保障にかかわるものだけでも、46もある」という意見が常識的なところかと思われた。
○自分からは、ASEAN+3ないし東アジア共同体が、欧州安全保障協力会議(CSCE)の前例にならってStatus quo維持に共同でコミットするようなことの可能性を聞いてみたが、話し相手のほぼ全員が懐疑的であった。彼らはまずASEAN Security Communityのようなものを確立することを(それも徐々に)優先していた。
○ 他方、「東アジアでASEANが主役を演ずることができるとは思わないが、韓国とともに調整役的なものは務めることができると思う。但し、現在の韓国の外交政策はどこを向いているのかよく分からないが」という、発言もあった。
10.海軍増強の難しさ
  ○マラッカ海峡の海賊・テロ取り締まりにせよ、南シナ海周辺諸国との紛争への対処にせよ、インドネシア海軍を増強する必要性は年々高まっているが、現実には簡単にいかないようだ。今回聞いたところでは、インドネシア軍においては伝統的に陸軍が圧倒的に強いこと、また海上保安庁のようなものはないのだが、海軍、警察双方とも右を創設することには反対していること、さりとて米国がインドネシアの海軍を援助しようとするとインドネシア陸軍がジェラシーを示すこと等の要因があるようだった。

Ⅱ・バンコクへの途次(シンガポールでのトランジット)感じたこと
○シンガポールはアジアの繁栄の象徴のような都市だ(もっともその白く輝く高層アパート群も、遠くから見るとまるで味気ない現代文明の墓石のように見えるが)。中国人とイギリス人の資質のうちベストを集めると何ができるかを示す都市だ。
○ところでアジアには、台湾、香港、シンガポール等、普通の国民国家のカテゴリーにはまらない存在が多い。もっともヨーロッパにもルクセンブルクやアンドラのような存在があるが。
○シンガポールからバンコクへの飛行機便は満員だった。この路線は「アジアの大通り」といった風情であり、しかも現代的である。国籍はわからないが、半ズボン姿のまま乗り込み、英語で会話しているアジア人学生達がいた。
○こういうのを見ると、インドネシアはアジアの奥庭になってしまったと思う。大体、ジャカルタからバンコクへの直行便がほとんどないのが問題なのだ。ジャカルタを朝発っても、バンコクに着くのは8時間後の夕刻になってしまうのでは、仕事にならない。

Ⅲ・タイ
1. バンコクだけなら先進国の体裁
○バンコクに初めて来たのは30年前のことになる。当時と比べるとバンコク、そしてその周辺の発展ぶりは別の国に来たようだ。飛行機から見ていると、バンコク周辺の田畑は整然と区画整理され、農業機械使用に便利なように一条が長いが、以前はまるで乱雑な区画だった。
○飛行機から見ていると、新規開発の住宅地の区画も整然としており、工場団地も同様だった。空港と市街を結ぶ道路はかつて埃っぽく、雲助タクシーが料金をぼったり、周辺の土産物屋に連れ込んだりの問題があったが、今では空港ターミナルを出るとタクシーが整然と並んでおり、料金は厳密にメーター制になっている。空港から市街への道は高架の高速道で、沿道の景色はなぜかロンドンを思わせる。
○ こうした発展には日本のODA、直接投資(外国投資累積額の50%が日本からのもの)などが大きな役割を果たしたことを考えると、嬉しくもなってくる。製造業はGDPの35%を、輸出の85%を占めるに至っている。但しタイ全体では、一人当たりGDPは2,236ドルで、日本の15分の1の水準でしかない。
2. 戦略はあるのか?
○ ASEANの外交官と言うと、良くわからない英語を操りつつ、なあなあで物事を進め、埒があかないと思っていると、知らない間にすべてをうまく片づけているので、外交巧者だと思う時もある。そして自分の経験では、タイの外交官あたりはその典型なのである。アジアの中で「タイだけは植民地にならなかった」というのは、タイ外交の巧妙さを示すものとして、学校でも教えられた記憶がある。
○ しかしタイの歴史をひもといて見ると、ことはそれほど単純ではない。タイは中国の册封・朝貢体制に組み込まれていた国なのである。
○ 今、この国は日本、米国、中国との間でバランスをとっていかなければならない。タクシン首相は外相の時代から外交面での大風呂敷を広げ、大国を時には張り合わせることが目立ち、それは日本の外交が不活発になっていたこの10年とちょうど一致した時期だったから、タイの国際的地位を大いに引き上げた。だが、今回何人もの専門家と話し合ってみて感じたのは、この国の人々は自分達を国際政治の主体としてよりは、未だ客体として考えていて、大国が競合する隙間を縫ってどうこう、というようないわゆる「戦略的」思考は身に付いていない、ということだった。
○ また、ベトナムが米国に勝った勢いで東南アジア全域に攻め込むことが真剣に懸念されていた70年代とは異なり、タイ人は自国の安全保障について安心しきっているのではないかと思われた。植民地にされなかったこと、第2次大戦で戦場にならなかったことなども、こうしたマインドに影響しているのかもしれない。
○ それに、この国は国際関係研究にそれほど資金を使っていないようだ。中国、韓国はもちろん、マレーシア、インドネシア、シンガポール、ベトナムにも国際情勢専門の研究所があり、名の通った専門家がいるのだが、タイでは国際情勢の専門家は大学とかマスコミに分散している。
3.対日関係
  ○ 「日本の『失われた10年』の間に、自立意識を高めたASEAN諸国は日本を見限り、今では中国の影響下に組み込まれようとしている」というのが、日本での我々の一般的な理解である。だが、ある論説員の次の言葉は面白く、説得力があった。「世界の大国に伍してやっている日本を、我々タイ人は誇りを感じながら見ている。タイのマスコミでの対日報道を見ると、逆のようにお感じになるかもしれないが、それは70年代の学生運動をやった者の一部がマルクス主義の洗礼も受けて、今でも時々反米、反日的論調を弄ぶからである。また、中国と日本を張り合わせてその中から利を得ようという戦術が働く時もある」
○ 日本の憲法改正等についての評価は、会談相手により様々なものがあった。スタンフォード大学で中国を学んできたある教授は、「日米同盟は、これまでの態様であれば支持できる。しかし、日本は米国とともにであれ、単独にであれ、東南アジアに軍事的進出を行ってはならない。憲法9条を改正するのであれば、『紛争は平和的に解決することを宗とする』等の留保条項を入れておいていただきたい。それが入っていれば、米国がいくら日本に共同行動を迫っても歯止めがあることになるので、憲法9条を改正しても東南アジア諸国から大きな反発を受けることはないだろう」と言っていた。
○ 他方、別の教授は東南アジアにおける日本の積極的対応を望む立場だった。彼は中国に対するバランサーとして日本をとらえているようであり、「中国を念頭に置いて日本を歓迎する」と明言した。
彼によれば、「日本は東南アジアで多くのことをやっているのに、それにふさわしいだけのイニシャティブを取らない。中国に先を越されている。ミャンマーについても米国に従いすぎており、もっと自分の意見を声高に言って欲しい。日本はアジア地域におけるStatus quoの維持をはかるのみでなく、民主化・人権問題への前向きな取り込みや、カンボジア、ラオス等の経済開発援助等で、もっとProactiveにやって欲しい」ということであり、このような立場に基づき「日本の憲法改正は歓迎する」と明言していた。
○ タクシン首相はタイ人には珍しいダイナミックな性格であり、外交関係についてもACD(Asia Cooperation Dialogue。東アジア、中央アジア、西アジアを結ぶ外相級会合。02年発足)、あるいはACMECS(メコン川流域諸国及びミャンマー間の協力スキーム)構想という大風呂敷を打ち上げたりする。日本や米国はこのような構想に機敏に応じようとはしないが、中国はかなりマメに対応し、それによってタイ政府の心象を良くしている。ここらあたりは、要人の外遊する時間が限られている日本の限界なのだろうか。
3. 対米関係
右紙論説員によれば、「対中関係については政府の上の方で騒いでいるだけで、国民レベルでは対中関係が大きな経済的利益をもたらすものとは未だ認識されていない。この点では、米国との経済関係の方が未だはるかに深いものがあり、目で見える」そうだが、ある教授によれば、「問題は、イラク戦争で米国のイメージが落ちてしまったことである」由。(注:ベトナム戦争当時からの米軍顧問団が、今でも約2,000人存在)
4.対中関係
○現在のタイ族はもともとは中国の潮州から南下してクメール族を破った者の子孫であるが、現在の言語は中国語とはまったく異なるものである由。(注:中国系は人口の約10分の1と言われており、金融界で強い他、主要産業部門でもプレゼンスを有している由)
○ またその後中国からやってきたいわゆる華僑の子孫にしても、ある中国系の教授に言わせれば、「華僑と、現代の中国人ではメンタリティーが違うものになってしまっている。華僑は中国語もできない。自分も潮州に行ったことがあり、地元の人々に『私の先祖はここから来たのです』と言ってみたが、彼らの顔には何の反応も現れなかった」由。思うに、タイの華僑も祖国との関係においては、北米や南米の日系人にかなり似た存在なのだろう。彼らのアイデンティティー、忠誠心はまずタイにあるようだった。
○ 右論説員によれば、「中国との関係はそもそも1970年代、タイ国内の毛沢東主義共産勢力を鎮圧するため、本丸の中国との関係を改善したのが始まりである。当時も、タイ国内に対中接近の是非についてコンセンサスはなかった。
現在の、主として経済的利益を狙っての対中接近は政府主導の動きであり、国民レベルでは中国はさほど重要なものとは認識されていない。タクシン首相は中国に近づきすぎており、実業界はハッピーではない。政府は中国とのFTAを大いに喧伝しているが、品目が限られている」ということであった。
中国とのFTA(注:ASEAN原加盟国は2010年までに締結する予定になっている)は今回話しを聞いた限りでは評判は悪かった。ある教授によれば、「中国とのFTAは、中国の地方当局が恣意的規制を行うために、中国の対タイ輸出ばかり利する結果となった。タイ農民は被害を受けている。FTAの本格発効までの期間の前倒し措置であるEarly Harvest(03年1月から実施)にしても、タイはタピオカ輸出で何とか中国とのバランスを維持している有様なので、これ以上の対象品目拡大は見送られている」ということだった。
○ 中国はタイにとっては、既に日本(2004年、タイの貿易中24%のシェア)に次ぐ第2位(2004年、香港を含めて10,1%のシェア)の輸入相手国になっている。タイの輸出相手として中国(香港を含めて)は2004年に13,5%のシェアで、1位の日本(14,0%)に迫っている。
○ また、タイ、中国の間(双方に立地する日系企業間の部品等のやりとりも含めて)で緊密な水平分業体制が成立しつつあることの意味を吟味する必要がある。タイにおいてはトヨタがカムリに似た安価な世界戦略カーを生産しており、ホンダ等も含めて現地での部品生産体制も整備されつつある。同じことは中国の広州周辺においても起きており、現在、タイと広州を有機的に結びつけ、効率の高い生産基地とする動きが進行中である。
○ これに加え、中国の南部からはラオス、及びベトナムを経由してタイに至るハイウェーがそれぞれ1本建設されつつあり、この面からも中国との経済的関係は益々緊密化するであろう。
○ 中国との関係は、タイの隣国ミャンマーとの関係にも響いてくる。ある教授によれば、タイ政府の内部には「中国との関係を強化することで、タイのミャンマーに対する発言力を強くすることができる」、「中国との関係強化は、ミャンマーの対タイ姿勢を益々頑なものにするだけだ」という2つの相容れない考え方が並立している由。
○ タイと台湾の関係については、質問する機会が少なかった。ある教授は、「台湾にはタイ人労働者が出稼ぎに行っているが(注:約13万人)、搾取されている」「台湾の対タイ投資は中小企業ばかりであり、クリスマス用の電灯などを作っているだけである」等、わりとネガティブな発言を繰り返していた。1994年李登輝総裁の来タイで中国から強い抗議を受けて以来、台湾についての物言いが慎重になっているのかもしれない。
5.「東アジア共同体」、ARFについて
  ○今回の話し相手は、東アジア共同体や東アジア首脳会議の動きについては、「拒まないが、自分達にとってはASEANの方がComfortable」という姿勢だった。右論説員は、「東アジア・サミットは曖昧で、Terms of referenceがよくわからない。反対はしないが、あまり期待はしていない。ASEANの方がComfortableだ」と述べていた。
○ ある教授は揺れていて、「東アジア共同体のようなリージョナルな機構においては、米国の役割は最小限のものにとどめるべきである。APECのように図体ばかり大きくて、実質のないものにしてはならない。もっとも、そうなると、中国がドミネートすることになってしまうかもしれない。フィリピン、インドネシア、マレイシア、ベトナムは中国に警戒的だが、米国にも警戒的だし」と述べていた。
○ ARFは、タイの識者の間ではモメンタムを失ったものとして考えられていた。別の教授は、「ARFはアジアの安全保障についての重要な話し合いの場であるが、モメンタムを失っている。明確な機構も欠いている。APEC国防相会議のように、別のフォーラムもできた。また、米国はイラク戦争でイメージをダウンさせている。自分としては、ASEAN憲章に基づいたASEAN Security Communityの方がタイにとってより実効性の高いものに見える」と述べていた。
この教授の意見は個人的なものであるが、彼の思考においては日米はアジアから次第に浮き上がった存在になっているのだろう。日本は、それはイラク戦争のためだと思い、米国はそれは靖国問題のせいだと思い、自分の問題として十分認識していない。
 6.タイ内政
   ○現在のバンコクを見ていると、ついこの間までこの国では軍政とか軍人によるクーデターが頻繁に起きていたことなど夢のようだ。中国やベトナム、インドネシア、ミャンマーでは、軍が未だに政治面で強い影響力を保持しているが、経済がより進んでいるタイ、マレーシア、シンガポールでは、そのような現象はもはや見られない。ある教授によれば、「軍人は議員になったり、企業に就職したりで、満足している」由。
○ ある新聞記者は、軍と政治の関係を詳しく解説してくれた。「戦後だけでも、16か17のクーデターがあったと思う。軍人はかつては最高エリートであり、利権も掌握しており、現在の大企業の多くは軍とのコネクションによって発展してきたのである。ところが現在では民主主義が定着し、軍人による統治など世論に許されないことを、他ならぬ軍人達がよく認識している」ということだった。
○ タクシン政権への不満は高まっていた(但し経済は悪くないので、不満が暴力的動きにつながることはあるまい)。「ポピュリストで目先のパフォーマンスばかり。何も考えていない」というのが、最大公約数の評価であった。
 7.対日関係
  日本とタイの間では最近、心理的なすれ違いがあるようだ。日本政府はタクシン首相のポピュリズム外交についていけないし、また国連安保理改革をめぐるタイ側の対応にも大いに失望した模様である。しかし、東南アジア諸国は相変わらず日本には大きな期待を有しているのだし、中国へのカウンターバランスとして日本のプレゼンスが強化されることを望んでもいる。この30年程の間で、ODAも含めて日本外交が最も大きな成果を示したのはやはり対ASEAN関係ではないかと思う。日本の一部はASEANよりはるかに対応が難しいインドめがけて走り出した気味があるが、ASEANとの関係をもっと固めておかなければならないと思う。 

Ⅳ・ベトナム
1. 街の風景、過去との比較
○ ハノイに初めて来たのは30年程前になる。当時ベトナムは統一を果たしたばかりで、米国は「ドミノ理論」というのを真剣に奉じていた。南ベトナムが倒されれば、次はカンボジア、ラオス、そして遂にはタイまで共産化されてしまうというのである。他方、旧北ベトナム政府にはソ連で留学した者が多く、考え方もまたソ連風で猜疑心が強く、相互理解もすんなりとはいかなかった。
○ 当時、夏のバンコクで乗り込んだハノイ行きのソ連製小型プロペラ機は冷房がなく、上空に上がるまでは蒸し風呂のようだった。いざ冷たい空気が入ってくると、それは機内の暑い空気に触れて瞬時に霧となった。今ではタイ航空のエアバス300で、何の苦もなく飛んでいける。
○ 今回、ハノイに着いたのは夜だった。飛行機から下を見ても、街は暗い。空港も暗い。30年前はバラックのようなターミナルしかなく、10年前もそれには大きな変化がなかった。今回は、30年前のモスクワ・シェレメチェヴォ空港並みのターミナルができていた。うら寂しい感じは、当時のシェレメチェヴォとよく似ている。しかし、ターミナルの内部はもう全く現代的だった。
○ バンコクや上海、北京と比べると、この10年間のハノイの変化は驚くほど少ない。相変わらず出稼ぎの行商人が残していく人糞の乾いた臭いと、ソ連時代を思わせる悪質なガソリンの排気の混ざった臭いが、街を支配している。人家がずらりと並ぶ剥き出しの軒先を、ベトナムを縦断する幹線鉄道の列車が警笛をたてながら、江ノ電のようにそろりそろりと通っていく。鶏をひき殺しても不思議ではない風情だ。
○ 30年前、ビルマ、タイ、ベトナム、中国、ソ連の順番で出張したことがあり、当時工業化の程度はまさに右の順番で並んでいた。10年前のベトナムはドイモイ(刷新)政策の熱気にあふれており、大衆の勤勉性、勉強熱心さに鑑みて、10年もすればタイを追い抜くという予想さえ一部にあった。しかし実際には、タイはベトナムに更に差をつけ、ベトナムでは汚職が発展を阻害している。但し、ホーチミン市はハノイよりはるかに発展している由だし、ベトナムに対する第二次投資ブームが起きつつあることは、事態を変えて行く可能性がある。人口の70%を35才以下が占めていることも、国の勢いを保証するだろう。日本大使館はベトナム政府と連携して、投資環境を改善するための共同作業を開始しようとしていた。(注:2004年ベトナムが世界から受けたODA34億ドルのうち、9億ドルは日本からだった。日本の対ベトナム直接投資は2004年2億2000万ドルで、台湾、韓国に次ぐ規模だった)
○ 10年前と比べると、いくつかの高層ホテルが建ったことくらいが目立つ変化である。シェラトン、Sofitelなどの看板が見える。小生の泊まった日航ホテルでは、受け付けのベトナム女性が何人も流暢な日本語をあやつった。10年前、まさに日本語教育を振興するためのミッションの一員として来たことがある自分は、感慨もひとしおであった。
○ 10年前のハノイは市場経済化の熱気にあふれ、建物という建物の一階はほぼ全てが商店となって、社会主義時代とは非常に大きな変化を示していた。今でも朝になるとホテルの部屋に、無数のバイクがエンジンを吹かすごーごーいううねりや、警笛が聞こえてくるが、このバイク文化も10年前と変わらない。
○ ホテルの朝食ルームでは、「モスクワ郊外の夕べ」のメロディーが流れていた。そう言えばここは30年前、ソ連の天下で、当時出張してきた小生も城のように大きなソ連大使館に行って、カムラン湾の話しなど聞いたものだ。当時、ハノイにはめぼしいホテルは2軒しかなく、そのうちキューバが建てた新しい「タンロイ・ホテル」は水平線が見えるかのような大きな湖の畔に建っていた。床はむき出しの石で、天井にはイモリがはっていたものだ。今回行ってみたが、昔のとおり手入れの行き届いた瀟洒な姿を見せていた。日本や中国だったら、とうに建て替えられていただろう。
○ 30年前、もう一つあったホテルには日本大使館が間借りしていて、記憶では確か大使も狭い一部屋を「公邸」としていた。殆どの館員が単身赴任である中で、唯一夫人を同伴してきた若手館員は、同僚からいつもやっかまれていたものだ。それからしばらくして大使公邸もできたし、館員にも「外交団用アパート」が割り当てられたが、それは当時の日本でも狭い団地サイズで、とても接客できる代物ではなかった。現在では大使館の建物は大きく、隣接する大使公邸はどこに出しても恥ずかしくないものになっていた。
2.改革
○ベトナムは1989年から市場経済化を進めている由で、経済運営中央研究所で現在までの経済改革の進展度を聴取した。経済運営中央研究所は1978年に設立され、党・政府、双方に服属していた。現在は計画・投資省に所属する。しかし党にも直接報告する権利を有している。

①価格は自由化されている。外人向けの特別〔高い〕価格も廃止した。但し、電力、航空賃、ガソリン等、2,3の品目の価格に対しては政府の管理を維持している。
②原材料等生産財は、国家が企業に配分することは止め、企業が市場で入手する。
③企業の生産物は国家が販売先を指定するのではなく、企業が販売先を決定する。
④銀行口座の企業の預金は、企業が自由に現金化できる。
⑤外国企業は、ベトナムへの直接投資から得た利益を、海外に自由に送金できる。
⑥国営セクターは未だにGDPの40%を占めている。外国の直接投資は、GDPの14%相当の付加価値を生み出している。
⑦土地は未だに民営化されておらず、使用権が認められているだけだが、それでもベトナムは1998年には米の輸出国になった。現在、世界で第2位の米輸出国である。
○軍需生産はロシア、東欧に依存していた。このことは、構造改革の痛みを少なくする。
  ○農業を民営化するためには、土地が足りない。あえて民営化すれば、失業が発生するだろう。
○汚職が改革の最大の問題である。(注:かつては反米愛国主義と純粋な愛国心、向学心に燃えていたかに見えるベトナムがこれである。ベトナムは儒教圏だし、科挙の伝統もあったのだが、物欲はどの文明圏においても結局は抑えがたいようだ)
3.学問のインフラ
  ○タイ、インドネシアに比べると、ベトナムには経済研究所、アメリカ研究所、中国研究所と、様々な公的研究所がよく揃っている。科学アカデミーは26の研究所を抱えるが、そのうち7が国際関係に関するもので、7のうち6は北東アジア、南東アジア、北米、アフリカ等特定地域に関するものである由。
○そのうち中心的存在は世界経済国際問題研究所であろう。ここは研究員が70名おり、うち30名が博士号所持者の由。その研究テーマは一般政治、安全保障、メコン流域開発協力、政治制度、国際経済、グローバル・エコノミー、開発経済学等。しかも、彼らはこちらから質問もしていないうちから、滔滔とよくしゃべる。だがその見解の殆んどは公式的なものであり、全体としてソ連によく似ている。
○学者の多くは、自分の研究対象の国に留学したことがない。その場合、彼らの見解は現実から遊離していたソ連アカデミズムの悪しき影響を受けていることがある。
4.対中関係
  ○ベトナムは、その約2000年の歴史のうち半分は中国に併合されていた。ベトナムが関わった史上17回の戦争のうち12回には中国が関与し、うち3回では中国が敗北している。
 ○ベトナム戦争が終わると越中関係は急速に悪化し、1978年ベトナムがカンボジアに侵攻したことに対して中国が「ベトナム懲罰」の戦争をしかけたことが、両国の関係を決定的に悪化させた。しかし、その後両国とも社会主義経済を維持しながら経済改革を行う、との道を選んでいることからくる親近感もあって、90年代初頭には首脳外交をきっかけに対中関係を改善させた。「友好関係と全面協力、長期安定、未来志向」という共通の目標が合意されている由。2004年には、中国との貿易総額は72億ドル(全体の12,5%)となり、日本、米国を上回る最大の貿易相手国となった。(但し、ベトナムに精油所が少ないため、原油を中国に輸出しては製品を輸入しており、これが対中貿易総額を膨らませている)
 ○世界経済研究所での認識は、「中国経済の発展は東南アジア地域の経済に機会を提供するが、同時に構造改革をも迫るものである。ASEANのうちでも先進国は高度技術製品に特化せざるを得まい。他方、中国の発展は東南アジア地域における大国の競り合いを助長するマイナス面ももっている。中国はアジアにおけるリーダーたらんとしており、マルチではなく、バイのアプローチを取ろうとしている。また東アジア共同体を推進することにより、米国を相対化しようとしている」というものだった。
○歴史上の経験に鑑みて、ベトナムは中国を基本的には警戒しながらも、不要な対立は避け、協力関係から利益を引き出そうとしている。ベトナムの社会体制がASEAN諸国よりも中国に似ており、複数政党制すら採用できないことも、その背景にある。そこから、「ベトナムは中国とASEANの間の架け橋になりたい」というような発想も出てくる。
○つまりベトナムは、反中で一直線に進むような単純な国ではない。既に中国南部と結ぶハイウェーは完成しており、国境をまたぐ「経済回廊」開発計画もある。国境地帯では、電力を相互に融通しあっている。中国研究所によれば、中国への留学生は6,000-7,000人にのぼり、しかも年々増加しており、外国観光客の3分の1は中国からの客である。
 ○しかしある研究所によれば、越中間の信頼関係は十分ではない。「この地域における中国の政治・経済的地位は上昇しているが、ベトナム国内における対中評価は様々である」という言葉が示すように、ベトナム側は中国を警戒し、他方中国側はベトナムを好いてはいないようである。中国青年が好きなのはスイス、シンガポール、北朝鮮であり(但し1995年の調査である由)、ベトナムはアメリカ、日本と並んで嫌いな国の中に入っている由。
○中国との陸上国境は確定中であり、2008年までには最終的に決着する予定。トンキン湾での境界は既に定められ、沿岸警備、漁業には差し支えがなくなっている。トンキン湾においては、海南島との間の境界線地域における石油資源共同探査が中国との間で合意されているが、実際の作業は未だ始まっていない。しかし南沙群島周辺では、マレーシア、中国とともに共通の会社を設立して、石油資源の地震探鉱を開始している。
○中国はベトナムの貿易相手国としては第1位の座を占めている(ベトナムの輸出相手としては米国が第1位だが、輸出入総額では中国が第1位)。双方向で約70億ドルであり、中国は12億ドルの対ベトナム融資をコミットしている。ベトナムの対中輸出の50%は石油、石炭、ゴムである。中国とは2015年を目途にFTAを結ぶ予定であり、2005年1月にはEarly harvestも始まったが、対中貿易は今のところ赤字である。ベトナム側は中国市場をよく知らないし、中国側は衛生基準等の非関税障壁を設けている。
○2004年には中国から計5億ドルの直接投資があった。規模は小さい。中国のODAは、かつて中国の支援で建てられた工場の設備近代化に向けられている。
○(中国系ベトナム人)
  中国系人は、かつて明王朝が滅亡した時に大量にやってきた。彼らは、カンボジアに対抗するために、主として南部に住まわされた。彼らは今でも200万人おり、それを頼りにして台湾企業が直接投資を拡大している由。
1979年の中越戦争の際、北部にいた中国系人は追い出された。彼らは今、米国から資金や技術を持って、戻ってきている。
○(台湾の動き)
 最近、台湾の企業が過度の中国シフトを改め、ベトナムに投資を増やしつつある由。
 前記のように、ベトナム南部に中国人が200万人いることがプラスになっている。
5. 対ASEAN
ASEANについての評価はまちまちだった。「ASEANが強くなれば、ベトナムも強くなる。ベトナムは1995年にASEANに加盟したが、それによって米国との関係も正常化され、中国との関係も進んだ。ASEAN諸国は米国、中国との間、日本、EUとの間のバランスを取る、という共通の姿勢をとっている。ベトナムの要人の外遊先選定も、バランスを取っている」という前向きなもの、「ASEANは、加盟国同士の連携が少ない」、「ASEANについては、やや統制がとれていないという印象を持っている」という批判的なもの、と様々だった。
6. 対日関係
○ベトナムはシンガポールとともに、国連安保理改革に関わるG4提案を最後まで支持してくれた国である。但し共同提案国にはならなかった。
○(研究所A)
「日本は、経済力を通じてこの地域に一定の政治的影響力を有している。しかし現在日本は経済再建中であり、またベトナムの農産品に対して市場を開けてくれない。」
「日本は、東アジア共同体の問題ではもっとリードして欲しい」
「日米安保は中国を抑えるためにある。台湾問題が最重要である。(注:と言いつつも、「日米安保=米国」という認識であり、日本を意識していなかった)」
「日米中のうちこの地域の発展に最も貢献する国が、リーダーシップを取ることができる。メコン流域開発計画における日本の役割を評価する」
(注:この発言は興味深い。我々の意識の上では既に「中進国」であるASEANにも、ODAを切望している国はまだ残っているということ、ベトナムは日米中に援助競争をさせようとしていること、またはそのような発想をし得るほどの余裕がある程、その安全保障を確保していること、メコン流域開発計画では「日本に花を持たせる」ことによって、中国が目立ちすぎることを避けようとしていること、等がうかがわれるからである)
○別の研究所では、日米安保についてより堅実な見方をしていた。「日米安保条約は日本の安全ばかりでなく、アジア全体の安全を保証するものである。その限りで、問題ないものと見ている。日米安保条約がなくなると、地域のバランスは乱れるだろう」由。さらに別の研究所長は、「日本は、この地域におけるバランサーになれる。あるいは日米安保がバランサーの役割を果たしてもいい」と述べていた。
7. 対米関係
○ 科学アカデミー付属の米国研究所は、1993年に設立された。研究員を40名擁し、うち2名は米国でPHDを取っている由。これからも恒常的に、米国に研究員を送る由。所長自身はワルシャワとモスクワに留学し、米国研究は1985年から始めた由。
○ 別の研究所では、「米国は、東南アジア地域そしてベトナムにとって、これからも重要な国であり続ける。しかし米国は発展した国しか相手にしない。その点中国はうまくて、アジアの国すべてとつきあっている」という発言を聞くことができた。
8. アジアにおける集団安保について
今回の話し相手はすべて、東アジアにおいて集団安全保障体制を作ることは未だ夢物語ととらえているようだった。「アジアにおいてもマルチの場で安全保障問題を話し合うことは必要だ。そういう場があれば、小国は安心する」、「マルチの場で安全保障問題を話し合うことも重要だ」といったお座なりの反応しか得られなかった。
9.  対ロ関係
  ○ロシアとは南シナ海における石油開発を続けているし、兵器も輸入している。
  ○2005年11月には、プーチン大統領の東アジア来訪の露払いなのか、ダナン港にロシア軍艦が4隻友好訪問している(注:インドネシアを訪問したのと同じ艦隊である)。かつてソ連・ロシア海軍が使用していたカムラン湾は現在、地方政府と軍が管理する普通の港になっている由。往時から、港としての施設は整備されていなかった。いずれにせよ、この地域における第三国艦船のプレゼンスは台湾問題にもからんで、大きな意味を持っている。台湾沖シーレーンに至る、台湾、フィリピン間のバシー海峡は60KMしかなく、僅かの兵力で事態を大きく変えることができる。                                 (了)


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