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論文

2006年11月25日

ソ連経済の本質

「ソ連の試練」(筆名 嵯峨冽 サイマル出版会 1989年)より

ソ連経済は宇宙である.それは,ソ連社会,政治,外交,軍事,その他全てを包含する.それは,ただの数字の遊びでなく,社会メカニズム全体の理解を必要としているのだ.米国経済の浮き沈みは我々の生活にじかにはねかえってくるが,ソ連経済の動向も国際経済にはさして影響を及ぼさないものの,ソ連の外交・軍事政策に反映される点で,我々の運命に大きく係わってくる.しかも現在ソ連で,ゴルバチョフ書記長が生産設備の一大更新をはかるとともに,これまでの経済メカニズムに大手術を行わんとしている.今や我々は,米国経済に劣らぬ関心をもって,ソ連経済の将来を見つめていかねばならない.

成長率の低下
革命後,農業を搾取しつつ重工業を急速に発展させてきたソ連は,七十年代に至って停滞の傾向を強めてきた.六十年代には五%台を維持していたGNP実質成長率は,七十年代後半には二・三%に,八十年代前半には一・九%に落ちた(CIA推計).その原因につ
いては,七十年代に至っての投資の伸び率削減,エネルギ 資源開発費の高騰,労働力不
足,経済の大型化に伴う原材料・機器面でのボトル・ネックの発生,等が考えられるが,いずれにせよ,経済停滞は数々の否定的現象をもたらした.ソ連の国際的権威は落ち,そのシステムは非効率の,その製品は低品質の代名詞となった.社会には行き詰まりの感情が支配的になり,全体の生活が良くならない中で,賄賂を使っても私利私欲を達成しよう
とはかる者達がはびこった.共産主義イデオロギ の権威は地に落ちた.八十年のポ ラ
ンド動乱とそれに続くポ ランド共産党の崩壊は,ソ連指導部に深刻な危機意識を与えた
.一部インテリの間には,ソ連経済をこのまま放置するならば,九十年代半ばまでには経済が崩壊してしまうのではないか,との危機感すら現れるようになった.その中で,革命後の急速な工業化を支えた現在の経済メカニズムは既に時代遅れのもので,大規模・複雑化した現在の経済にとっては,もはや桎梏と化した,との意見が台頭し,ゴルバチョフ政権誕生とともに主流の位置を占めることとなった.

今までのシステム
では,今までのシステムは何が悪かったのか?  その特徴は何か?
革命後ソ連では,経済発展のしかたをめぐって,論争が生じた.現在の中国のように,農業・軽工業の発展を先行させ体力をつけてから重工業化をはかろうとする者達,資源を国家の手で集中的に運用し,急速な重工業化をはかろうとする者達の間の論争は結局,後者
の勝利に帰し,スタ リンによる農業集団化,工業化の政策が始められた.資金のみなら
ず,殆どの資材は国家が計画に従って配給することになったのである.ソ連は一大株式会社と化した.書記長は,社長のようなものであり,今でも党大会で,靴や児童服の生産量について細かい報告をする習慣がなくなっていない.これは,工業化の初期には,非常に効率的な結果を生む.しかしこれは,今や経済発展を阻害するものと化し,六十年間に生じた既得権益の網の目は,改革を容易ならざるものとしている.
「欠乏の経済」:経済の官僚統制は,有名な「欠乏の経済」(ДEФИЦИTHAЯ
ЭKOHOMИKA)体質を生み出した.世界一の資源大国ソ連がなぜ「欠乏」に陥る
のか.それはもちろん,使い方が悪いからだ.一つには,ソ連は,工場を建て過ぎる.出来上がった国ではなく,未だに「建設途上国」である,と言ってもよかろう.一年間に二百も三百もの,大きな新工場ができる国は西側にはあるまい.資材が逼迫して当然だ.なぜ,こんなに工場を作るのか.それは,ソ連経済の「総花的」「悪平等」的体質によるものだ.国際的に見て比較優位のない分野についても,どんどん工場を作っている.国際分業に乗り出せば,資源は比較優位分野に集中でき,経済成長はぐんと高まるであろう.「悪平等」体質は,もう一つのソ連経済のガンを生み出している.それは,赤字体質の企業が十三%もあるということだ.西側なら,とうに破産しているような企業が国家や各省の補助金漬けで生き残り,一人前の顔をして資材を要求すれば,「欠乏」が生ずるのは当然だろう.優秀企業は儲けても儲けても,赤字企業を生き残らせるために,利潤を吸い取られ,しまいにはやる気をなくしてしまう.効率が軽視されているから,資材に対する需要は無限に発生する.そして欠乏を引き起こす,というわけなのだ.
「悪平等」と「欠乏」は,消費財をも支配している.ソ連は長年,食品価格や公共サ ビ
ス価格の低さを世界に自慢してきたが,いくら価格が低くても供給が十分でなければ何にもならない.あげくは,長い行列か袖の下かで,時間と金のある者が結局,得をすることになる.全体のパイの小さい経済で平等を実現しようとしても,妙なことになるだけなのだ.
モノが「欠乏」すれば,売り手市場になる.少々キズがあっても,買ってくれるのだ.売り手市場になれば,生産者側は左うちわだ.需要側の利益などどこ吹く風,納品の期限な
どどうでもいい,ただ上から言われた計画課題を遂行していれば,ボ ナスをもらえるし
,社宅も公用車も,特別の商店も利用できるのだ.会計のシメられる月末や四半期末には出荷が集中する.検査もそこそこに出荷された建材を,これも月末で急いでいる建設企業がそのまま使ったため,遂に決壊したダムなど,恐ろしい話しさえ起こるのだ(イズベスチア 一九八六年十月二十八日).企業は,技術革新などリスクのあるものは後回し,品質の向上など面倒なものも後回し,ただひたすら「量」的課題の達成を目がけ,従業員を
叱咤激励するばかり.だから,宇宙にはメ ド・インUSSRの人工衛星が回っているの
に,消費財には基礎研究の成果が一向に反映されないおかしなことになるのだ.言ってみればソ連経済は,需要者・消費者側の利益が生産者側の行動に殆ど反映されないシステムになっているのだ.
ソ連は市場経済を否定した.こんな予測のつかない,しかも失業とか破産とか恐ろしいものを生み出すシステムをどうして採用できるか,というわけだ.しかし,アダム・スミスの言う「神の手」を否定した報いはやって来た.ほうっておけば社会が必要なところにピタリと資源が配分される,という「神の手」(これも,少々誇張されていることは事実だが)に代わるものを,ソ連はどうにも発明することができなかったのだ.「生産量」で企業の業績をはかることにすれば,企業は重いものばかり作り,「生産額」ではかることにすれば,企業は高いものばかり作る.「神の手」に代わる「万能の指標」探しは結局,モグラ叩きに終わってきた.市場経済の否定ということは,競争の否定ということだ.競争とは,同じことを複数の者がやることだ.当然,一人でやるより多くの資材と労働力がいる.そんな無駄なことはできません,しかも負ければ破産してしまうではありませんか,ということで,ソ連は一切の資源を目一杯使い,無駄な生産は一切しないことにした.経済の創世期ならこれでよかった.ところが,国民の消費需要が高度化してくると,こうした体制の方が却って無駄を生むことになってしまった.売り手市場,独占体制の下で企業が作る消費財はダサくて,国民の買うところでなく,遂には滞貨が倉庫に山となる状況にあい至った.
まことに,「欠乏」「モノ不足」こそは,ソ連経済の最大のガンなのだ.資金もかなりきついのだが,いざとなれば銀行融資を増やせばいいし,企業に社債の発行を認めれば,国民の余ったカネを動員できるだろう.しかし,モノの不足だけはどうしようもない.カネがあってもモノがなければ,需要の変動に機敏に対応した生産シフトなど,夢のまた夢だ.資材を目いっぱい運用しようとするから,資材の中央による配給,などという硬直的なシステムが必要になる.申請を出してもモノが届くまで半年もかかる,などという硬直的なシステムでは,企業は自衛手段として常に水増し申請を行い,莫大な資材の在庫を抱えている.そしてこれが,モノ不足に拍車をかける,という悪循環だ.比較劣位分野と赤字企業を整理し,資材供給を自由化するならば,モノ不足は解消され,適度の競争を導入できるほどの資材の余裕も生まれるだろう.ソ連当局もやっと,これに気がついてきた.
はびこる官僚主義:経済運営を官僚が牛耳れば,そこには当然のことながら官僚主義がはびこる.安全と責任回避,タコ壷的視野の狭さと縄張り死守,形式主義,こういった悪い意味での官僚主義が企業運営に持ち込まれる,と聞けば,西側ビジネスマンは身震いする
だろう(もっとも,西側大企業でも多かれ少なかれ,官僚主義のビ ルスははびこってい
るのが).彼らの想像は当たっている.
ソ連の各省は,それぞれが超大規模な独占企業のようなものだ.大臣は社長で,企業は独立の事業部のようなものだが,ソ連では省が企業の活動に細かく干渉し過ぎる.資金も資材も賃金も定員も,全て省で決めているのだから,そうなるのも当然だ.連絡のため作られる書類の量は膨大で,国民一人当たり十もの書類が毎日作られている.これでは,シベリアの大森林も何年もつことか.各省が企業に送る基準書の類は,一万二千から一万五千に達しているし,その他の通達等を数えれば,一体いくつになることか見当もつかない(イズベスチア 一九八六年一月三日).このため,多くの企業では,従業員の十分の一が管理要員であるようなことになるのだ(プラウダ 一九八三年十二月二十六日).
これでは,企業はやる気を失う.何かやろうと思っても,規則の類でがんじがらめだ.企業の利益のために,少しでも会計規則を破れば,司直に告発されるかもしれないのだ.「何か新しいことをやるのは危ないこと」(ИHИЦИATИBA HAKAЗYEMA
)というのが,企業にも労働者にも滲みついた体質になってしまう.労働者は主体性を
失って,工場の製品を持ち出しては平気な顔をするようになるのだ.
売り手市場,親方赤旗の体質と相まって,党・政府中央による新機軸は,各省や企業により,「面従腹背」「形式主義的」な対応で骨抜きにされてしまう.自分達の利益に合わない新機軸は,表向きは「実行した」と報告しておきながら,実態を全く変えなかったり,「お上の真意は次のとおり」などという通達を発して実は全く骨抜きにしてしまうのだ.西側も笑えない:しかし西側も,こうしたソ連経済の欠陥をただ笑っていることはできない.数々のシガラミから必要な改革の足がにぶっているのは,ソ連だけではない.ソ連企業の抱える莫大な余剰資材在庫を笑うなら,カネ余りの中で膨大な遊休設備と失業者の大群を抱えている西側経済を,どう説明したらいいのだろうか.資源や生産力の効率的利用に失敗しているのは,ソ連だけではないのである.それに,ソ連は何といっても資源大国だから,基礎体力はしっかりしている.危機には,余剰資源を動員し,国民のやる気を出
させれば,まるで違ったパ フォ マンスを示すのは,第二次大戦の経験がよく示してい
る.
ソ連経済を見ていると,「何のための経済か?」という疑問が湧いてくる.世界一の鋼鉄
生産,世界一の化学肥料生産 これは,どこに消えているのか,どうして消費生
活があんなにも低いレベルにあるのか.しかし,これは日本でも似たようなことがある.金ピカのオフィスで働きながら,家に帰れば四畳半,円高になってもいっこう下がらぬ牛肉を値段をながめては,「一体,誰のための経済か?」と呟きたくなるのは,道理だろう.要は,我々が狭い住宅に辟易としながらも日本を愛しているのと同じように,ソ連の人々も劣悪な消費財に辟易しながらもロシアを,ソ連を愛しているのだ.少々,我々の自動
車や家電製品がいいから,デパ トが金ピカだからといって,ソ連をばかにするのはやめ
ようではないか.

改革は成功するか
ソ連経済と社会の再生,それこそがゴルバチョフ書記長に課せられた使命だ.彼は,どうやってそれを果たそうというのか.経済改革は二段階で行われる.九十年までは,企業の独立採算制強化と価格体系の改訂がその柱,九十年以降になってやっと,原材料・資材供給,価格決定の自由化に手がつけられる.しかし,ここには問題がある.企業の独立採算制を強化して,利潤自己留保分を拡大し,その使用の自由を認めるのはいいが,原材料・資材の供給が九十年代までは自由化されないのでは,カネを持っていてもしょうがない,却って改革への信用を落とし,その勢いを鈍らしてしまうのではないか,ということだ.また,無競争,売り手市場の体質を改めることなしに,独立採算制ばかり強化しても,企業は利潤追求を強めるばかりで,決して消費者の利益になる行動を示すようになるとは限らない,ということである.
もっと気になることがある.それは,ゴルバチョフ書記長の経済改革は,強者優遇,弱者冷遇の性格が強いことだ.働き者は給料が増え,業績の悪い企業は悪くすれば破産さえ覚悟せねばならない.これは,従来の悪平等から脱し,効率を追求して将来のパイを拡大するためには合理的なことなのだが,今までぬるま湯に漬かってきた国民にとっては,ちと刺激が強過ぎるのではないか,例えば食肉価格を大幅に引き上げたりしても大丈夫なのか,ということだ.
九十年以降の経済改革については,今からどうこう言うのは早すぎるが,「欠乏の経済」を克服しない限り,何をやっても結局は官僚統制に戻らざるを得ない,ということだ.それには,赤字企業,国際的比較劣位部門を切る,くらいの大手術をやらないと,間に合わないのでないだろうか.
九十年までの五カ年計画は,かなり抑制的なものである.ゴルバチョフ書記長は二千年までの所得倍増構想を打ち上げているが,これを実現するためには年間五%の伸びが必要なのにもかかわらず,九十年までは年間三・五~四・一%の伸びに止めたのだ.しかしこれでも,十一次五カ年計画の実績,年間平均二・八%に比べれば非常に野心的な目標だ.ゴルバチョフ書記長はこれを,生産設備の大幅な近代化と省エネ・省資源の推進により実現しようとしているが,双方の課題とも実施は既に遅れがちであり,果たして実現できるものかどうか危ぶまれる.ゴルバチョフ書記長になってから,生産高の水増し申告が増えて
いるようであり(八十七年トルクメン共和国では,八十五年の二倍が摘発されている プ
ラウダ一九八七年四月五日),今後の発表数字は少し割り引いて考えねばならないことを意味する.
しかし今回の改革は,中途半端で息の根を止められた一九六五年の改革の時とは少々違っている.改革措置の総合性,重要な会議が飽きることなく何回も開かれる等改革への粘り,危機意識,改革の必要性についてのコンセンサス,これは六十五年の改革の時には見られなかったものだ.失敗の烙印を押すのは,まだ早すぎる.

ソ連経済と国際経済
最近ソ連は,国際経済に関与する姿勢を強めている.ガットに加盟申請を行ったし,太平
洋協力経済会議にもオブザ バ を派遣した.八十六年の党大会でゴルバチョフ書記長は
,「さまざまの矛盾や対立をはらみながらも,世界は次第にひとつのものになりつつある
」と,マルクスやレ ニンが聞いたら腰を抜かすようなことを言った.ソ連は,国際経済
との関係を模索している.程度の違いはあるが,日本が今,国際経済の中で一人前のパ
トナ であるためにはどうしたらいいか,を模索しているのと同じような問題をソ連も抱
えているのだ.
どうして,ソ連はそうなったのか? 一つは以前からあったことであるが,ソ連も西側国際経済から無縁であることはできない,ということだ.その外貨準備,財政収入は,石油国際価格の上下から,非常に大きな影響を受ける.西側の景気が良くなれば,輸出を増やすこともできるだろう.もう一つは,ソ連が最近,工業製品の輸出志向を強めている,ということだ.これで,資源輸出型の貿易から少しでも脱却したい,というわけなのだ.このためには,ガットに入ることが不可欠になる.もう一つは,国際経済関係(コメコン諸国とのそれも含めて)を深め,国際分業を推進することによって,比較劣位部門を輸入に切り換えることを考えているのでないか,ということである.更に,外国製品に門戸を広げることにより,国内で欠けている競争の要素を持ち込み,品質向上,技術革新への刺激
にしたい,ということがある.このために,ル ブルを交換可能通貨とすることまで,検
討されている.最後に,経済関係を深めることにより,政治関係を安定したものにしたい,との願望もあるであろう.
ここには,「話のわかるようになった熊」がいる.経済停滞に困り果て,一時的におとなしくなっただけかもしれない.もし,経済がよくなれば再び,どこかの国のように,「もう欧米に学ぶべきものは何もない」などと居丈高になるかもしれない.しかし,ソ連が対話を,協力拡大を欲している今は,一つのチャンスである.別にソ連を助ける必要はないが,これからの世界をもっと平和で住みよいものにするために,そういった国際的な枠を作ることができないものかどうか,考えてみる必要があるだろう.

最後に,この本の資料について一言.ソ連の研究はまず,ソ連の新聞・雑誌・単行本を丹念に読むことから始まる.政治と違って,別に眼光紙背に徹する必要は毛頭ない.経済・社会については,ソ連の記事はかなりあけっぴろげであり,欠点もそのまま書いてあるこ
とが多いからだ.ゴルバチョフ書記長のグラ スノスチ政策で,提供される情報はますま
す増えてきた.しかし,新聞・雑誌の記事というものは,時々デ タに誤りがあったり,
筆が走って事実認識が歪んでいることがある.これを矯正しながら読む態度も必要になるのだ.その上で,西側の資料を読む.彼らの根拠も,その殆どはソ連の新聞・雑誌だ.ただ,種々の統計になると,彼らの組織力がものを言って,ソ連にはないものを提供してくれることがある.西側資料は,あくまで自分の見解を補正・補完するために使うのであって,英語の資料ばかり読んで鼻面引き回されるのは,日本人としての態度ではない.彼らの言うことには,反ソ感情が先走って,歪んだ結論になっていることもしばしばあるからだ.
では,この本を書くに当たり,多忙にもかかわらず時間を割いてくださった多くのソ連
の専門家の方々,そしてソ連の友人達に感謝の念を述べて,筆をおきたい.

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