Japan and World Trends [日本語] 日本では自分だけの殻にこもっているのが、一番心地いい。これが個人主義だと、我々は思っています。でも、日本には皆で議論するべきことがまだ沢山あります。そして日本、アジアの将来を、世界中の人々と話し合っていかなければなりません。このブログは、日本語、英語、中国語、ロシア語でディベートができる、世界で唯一のサイトです。世界中のオピニオン・メーカー達との議論をお楽しみください。
ChineseEnglishRussian

論文

2007年12月12日

07年12月の北京

11月28日から12月1日まで、東京財団の出張で北京に行ってきた。
大使館の幹部の話を聞いたり(なんと言っても地元の人脈や情報を一番持っているのは大使館だから)、中国人の国際関係専門家の話を聞いたりして帰ってきた。3年ぶりの北京だったが、3年前の延長上にある感じで、中国の変化も少し落ち着いてきたようだ。

日中関係において重要なことだけ、最初に述べて置く。
①日中関係は台湾、日本の国連安保理常任理事国化、中国のG8入りなど大きなカードのかかったゲームであり、一つの問題だけ取り上げて善意や悪意で動くのは得策ではない。

②台湾については、中国は武力解決は望んでいない。当面は面子を維持できるだけのやり方で構わないから現状を維持したいと考えている。「『一つの中国』を認めることが台湾に求める最小限のことである」、あるいは「中国はNATOと話し合うメカニズムを持っている。中国と日米両国が話し合うメカニズムを作ってもいい。まず日米中の間で戦略対話を行い、将来は2+2+2のようなものに発展させていけばいい」と言う者まで、中国内の意見はかなりの幅を持っている。

③中国には、シーレーンの安全保障問題で日米と協力を進めようとする動きが見える。今次出張においても、一人の懇談相手が問わず語りに「シーレーンの安全保障で日米中が同等の役割を果たす協力を進めたい」と述べた。台湾周辺の扱い等難しい点はあるが、発想としては前向きに転がしていったらいいと思う。

④環境汚染は奇形児出生率の上昇等、単なる所得格差以上に大衆の生命に関わる問題となってきた。環境技術に優れた日本の出番なのである。しかし円借款の使えない現在では、日本の関連企業に積極的対応を期待するしかないのだが、彼らは中近東などでの大型商談に手一杯で、中国には関心を示してくれない由。


1.17回党大会の評価
(1)軍に近いさる専門家は、「今後の経済情勢については楽観している。今回党大会はインフレ・過熱防止に重点を置き、経済成長に対する国民の考え方、マインドを変えた。また国内市場を重視し、環境問題についてはその解決を幹部の昇進に関連づけるなど強力な措置が取られた。」と述べていた。これが公式的な評価だろう。

(2)他方、今回党大会における人事は、意外なほど胡錦涛の意向が通らなかったようだ。だが、そのようなことを初対面の中国人に聞いて回って答えを得られるはずもないので、出張前に日本の識者から聴取したが、「胡錦涛の敗北」とさえ言い切る者もあった。胡錦涛の有力後継者と目されてきた李克強は政府(国務院)担当となり、党務を担当することとなったダークホースの習近平に差をつけられることとなった。
もっとも、一般に「太子党」に属すると言われる習近平も、青年時には農村に下放された経験を有し、特権階層的発想をする人物ではないようだし、また胡錦涛の後継者を決める次の党大会までは7年もあるので、習近平で決まったかのように言い立てるのもおかしなことなのだろう。

(3)今回党大会で胡錦涛があげたポイントは、党綱領に持論の「科学的発展観」という文言を入れさせたことである。江沢民の「三つの代表」論は彼がポストを去る際の党大会でやっと綱領に盛られたのだが、胡錦涛は任期の真ん中で自分の政策を綱領に盛ることに成功し、一応面子を保った。

(4)「科学的発展観」とは、都市と農村、各地域の間、経済と社会、人間と自然、国内と国外等の間にバランスを維持しながら経済発展をはかろうとするもので、具体的には何よりも経済過熱化抑制を意味することになる。
そしてそれゆえに、これまでの急速な開発からうまい汁を吸ってきた特権層が「抵抗勢力」と化して陰に陽に政権の足を引っ張ることが予想されている。党人事で「抵抗勢力」が残った以上、党内抗争は激化するかもしれない。

(5)既に急開発のために土地争いが頻発しているのみならず、環境の悪化で奇形児出生が増えているなど、開発は格差(都市インテリの給料は、農村から出稼ぎ者の給料の100倍にもなる。「都市と農村」という対立軸ができあがっている)を生むばかりでなく、今や国民の生存を脅かすケースも生じている。また、当局は腐敗・汚職撲滅の姿勢を示そうとしているが、国民の側から見れば「上は皆、ぐる」としか見えないだろう。権力と大衆の間の関係は、これから一層複雑なものになろう。

2.中国の国家としての特質
(1)官僚主義
(イ)中国は、他の非民主制国家と同様、職業政治家がいない体制である。そこでは党官僚が行政官であると同時に、政治家(国内の利害調整、政策決定、国民への政策説明、政策の責任を取ること)の役割を兼任する。これは、北宋の時代、科挙官僚が皇帝の下に国を治める体制が確立して以来、その濃淡は元、明、清各王朝で異なったが、官僚が国家の富の大部分を差配するプラクティスは、現在に至るまで一貫して続いているのである。そしてそれは、共産主義ソ連から帰った孫文が、ソ連的な「政党国家」(独裁政党が行政権も実質的に行使するという趣旨)論を唱えることによって現代中国で新たな生命を得ているのである。

(ロ)しかし、国家の富を官僚が差配することは、経済を活性化させない。(悪い)官僚は顧客のことより自分のことを考えるからである。例えば、今回のある懇談相手は、深刻化している環境問題を解決するため、「環境問題改善目標を達成できなかった幹部は、罰を与えられることになります」と言って安心している様子だったので、自分の方からこう述べた。
「それはソ連末期の経済改革論議を思い出させます。製品の質を上げる目標を達成できなかった企業長はボーナスを減らされることになったのですが、質向上などという面倒なことをしなくとも、生産量達成という一番重要な指標を達成していれば十分なボーナスがもらえたのです。だから質の向上という目標は全然達成できなかった。中国の経済も、官僚主義的なアプローチを続けていれば、いつかは天井が来るのではないですか?」
  それに対して、懇談相手に同席していた若手は、自分に「賛成だ」という印を目で送ってきたが、上司は「官僚主義でも、外国と協力していますから」とすましたものであった。

(ハ)他方、別の者(学者)は次のように答えた。「国家は必要だ。しかし中国史においては、国家が経済発展を阻害してきた側面があるのも事実である。インテリが近代化を求めて政府と対立する構図も見られた。しかし中国と似た伝統を有する韓国、シンガポールは発展したのだから、中国もステップ・バイ・ステップで行くしかない」

(2)中国は「国民国家」であるべきなのか
 (イ)現在、当たり前の存在であるかのように言われる「主権国家」、「国民国家」というものは、絶対の存在ではない。植民地主義や相次ぐ戦乱(30年戦争など)の只中にあった17世紀の西欧において、国民を戦争に動員し戦費を巻き上げるための装置として整備された要素が強い。その後、産業革命による経済発展で国民多数の政治・権利意識が増大し、普通選挙が行われるようになったために、ビスマルクが共産党勢力の伸張防止対策、企業の負担軽減策として年金制度を始めたのである。
これによって近代の国民国家は、「血と汗」(兵役と税金)を国民から絞り上げる悪者的性格と、富の再配分を行う善人的役割の双方を兼ね備えることになった。国際関係において国民国家は、言葉を同じくする人々のための代理人としては最大の大きさを有する単位として、国際紛争の解決代理人として振舞う。

 (ロ)現在の問題は、国際的な武力行使が原則的に禁じられ、経済はグローバル化している現代の国際社会で、17世紀の産物である「国民国家」がどこまで有効か、ということである。国民国家は「国民」、「国境」(考えてみれば、これは人間の作った一種のフィクションなのだが)を守るために、最後には暴力(軍)に訴えがちである。
  戦後のアジア諸国はナショナリズムを国家統一の手段とし、西欧型の「国民国家」(現代の世界では不要なほどの強大な軍隊を伴う)建設を急いでいるが、これはアジアの平和と安定にとっては望ましくない。

(ハ)古来の中国は、西欧的な国民国家とは異なるタイプの国家を維持してきた。「中国」という名称を意識的に用い、「中国四千年の歴史」を誇るようになったのは、アヘン戦争に負け日本の挑戦を受けるようになった清末期以降のことだ。それまでは、「唐」とか「明」とかの「王朝」概念しかなく、それぞれの王朝の間では歴史は断絶していたとされる。
また清は、その成立からして国家連合的な色彩を強く帯びていた。つまり、満州に発した女真族がモンゴル、チベットと語らって漢民族の明王朝を倒したのが、清の始まりであるからで、清の皇帝はモンゴルの汗をも兼ねていたのである。

(ニ)清に支配されるようになった漢民族のインテリは、最初は打ちひしがれていたようだが、清の中期には「中国」、「中華」という概念を発明し、古来からの脅威の発生地である周辺地、東北、モンゴル、ジュンガル(新疆)、チベットを全て自分の領土としてくれた清と漢民族を同一視するようになる。
その後曲折はあったが、現代の中国も清の領土を「中国」とみなし、西欧や日本に負けたのは「国民国家」を持っていなかったためであるとして、愛国意識を国民に植え付け、軍事力の増強もはかっているのである。

(ホ)このような問題意識の一端を今回の懇談相手にぶつけてみたが、回答は予想の範囲内であった。一番具体的だったのはさる北京大学の教授で、「90年代半ばから、グローバリゼーションの中における中国国家の方向について議論をしてきている。一応の結論が得られていて、それは①グローバリゼーションや科学技術の進展のために、「国民」、「主権」といった概念の意味が変わってきている、②しかし、全体として基本は変わっていない、③それに中国は未だ途上国の段階で力が弱いので、さらに国家を整備していく必要がある、というものである。」と述べていた。
社会科学院のさる学者も、同様の趣旨を述べた。「確かに国民国家の時代は過ぎ去りつつあるかもしれない。しかし国益はある。しかも開発途上国は近代化の過程にあって、ポスト国民国家を論ずるどころではない。そうなるまでには数十年かかる。だから中国も『国』というものを考えざるを得ない」

3.中国の経済成長は腰の強い(sustainable)ものなのか
(1)中国の経済は、1978年鄧小平による経済改革以来(ソ連ゴルバチョフの改革の10年先を行くもの)、年平均8%以上もの成長を遂げてきたことになっている。そしてそれは活発な建設投資と輸出、そして政府支出に大きく支えられてきた。国民の消費、そして生産施設への投資にそれほど依存しない経済成長はいつまで可能なのか。そしてサブプライム問題は中国経済にどの程度の影響を与えるのか。このような質問を今回懇談相手にしたが、経済専門家はいなかったので答えは感覚的なものにとどまった。

(2)その中で有益だったのは、「実質的に地方毎の経済単位に分かれていた中国は、史上初めて統一市場化しつつあり、それは需要を膨らませて成長を支えていくだろう」、「鄧小平が始めた『2020年までに小康社会を築く』という路線は、誰にも変えることはできないので、成長路線は大きく変わることはないだろう」という点である。

(3)サブプライム問題は、資本取引が自由化されていない中国では(元は交換性がないと言われるが、交換性は資本取引において認められていないだけで、成田空港でも銀行窓口で円を元に換えるのは全く問題がない)、大きな影響は及ぼさないだろう。
それよりも、17回党大会での「科学的発展」路線を受けて目下、銀行融資の総量規制が強化されていることの方が大きな要因であろう。右規制は邦人銀行にも及び、邦人企業の操業に差し支えるとして悲鳴が上がっている由。過度の官僚性は経済の阻害要因となる。

4.外交
(1)基本路線
 (イ)残る被害者意識
懇談相手の一人が、問わず語りに「中国は国際社会ではまだ競争力が弱い。対等な存在とは見られていない」と述べたのには、若干驚いた。こちらでは中国脅威論が出ているほどなのに、先方はまだ過去のコンプレクスを引きずっている。中国の行動を分析する際、欠かしてはいけない因数の一つだ。

 (ロ)大国外交か国内重視か
中国では、大国外交を追及するか、それとも国内を重視するかで議論が続いているようだ。懇談相手の一人はこう述べた。「鄧小平は、中国は世界で覇権を求めてはならないと言った。しかし今では世界が中国の貢献を求めるから、自然に目立ってしまう。それにアフリカなどで鉄道を建設すると、保守要員を引き上げられなくなってしまい(引き上げるとたちまち運行に支障を来たすからだ)、『中国コミュニティの浸透』などと報道される羽目になってしまうこともある」
もう一人(上記、西側は中国を対等に見ていない、と述べた者と同一人)はこう述べた。「『調和が取れた世界を建設しよう』との標語の下に大国外交を標榜する者の数は増えているが、自分はそれに組しない。自分は、中国の外交は国内の近代化に資する範囲で行えばいいと思っている。中国は国内問題に集中した方がいい」

 (ハ)海か陸か
出張前に聞いたところでは、最近中国の論壇で、中国はユーラシア大陸方面を重視するべきか(つまり主としてロシアと組むことになる)、海洋に進出するべきか(米国との協力が主となるが、他方空母等海軍力の増強を求める者もいる)についての論議が見られる由。そのことについて懇談相手に聞いてみた。
一名は、「米ロの対立が激しくなったように見える中、ロシアに傾斜する者がいる。しかしロシアはインドに中国より進んだ兵器を供与し、先般は中国への軍事技術供与の罪で2名を投獄している」と述べた。
もう一名も、「最近数ヶ月、米国をさしおいてエネルギー資源、科学技術、上海協力機構等においてロシアとの協力に期待を表明する論調が増えている。しかしこれは主流になるまい」と述べていた。
面白かったのは、「対台湾作戦のためであれば空母は不要。航空機は本土から発着できる。空母を保有するとなれば3隻は必要であり(でないと常時1隻は洋上にあるというローテーションが組めない)、費用がかかりすぎる。ただ先般東南アジア津波の際、援助物資を届けられる艦艇さえ中国にはなく外国艦船に依存したような体制の不備は改める必要がある」という現実的な発言を当局者が行っていた点である。

(ニ)全方位外交
鄧小平の時代、「不樹敵」(敵を作らない)というスローガンを使っていたそうで、大国となった今でもその一端は中国外交にうかがわれる。一頃の日本は別として、中国があえて対立を選んでいる国はない。「2020年までに小康社会を作る」という大目的にすべてが服しているのだろう。

(ホ)ステータス・クオ(現状)と自由貿易の維持
現在のアジアを見ると、各国とも対米輸出を梃子とした経済発展でうるおっており、国際政治紛争が発展を阻害することを嫌っている。つまり現代のアジアでは、北朝鮮、台湾問題も含めて、ステータス・クオと自由貿易の原則が維持されることが各国の間の最大公約数になっているのである。中国も完璧な防衛力を大量の資金を使って建設するより、東アジアにおけるステータス・クオと自由貿易の原則維持を保証するような国際体制を作って安全保障の補完とすることを考えた方がいいのではないか。例えば1974年のCSCE首脳会議が欧州におけるステータス・クオを確認したのにならい、CSCEの東アジア版のようなものを開いてはどうか。そして常設理事会を作って、紛争が生ずるたびに集まって対処を協議するのである。

そのような認識について懇談相手に意見を求めてみたが、頭から反対する者はなく、紛争の回避と自由貿易が重要であることについては皆認識を共有していた。

一名は、「東アジアの情勢は現状維持がベストである。但しステータス・クオはダイナミック(動く)なものでなければならない。例えば北朝鮮に核放棄をさせることなどである。現状維持を確保するために東アジアに何らかの枠組み(Institution)を作ることにも賛成だ。東アジアは中国、米国、日本、ロシアという多数の大国が関与しているユニークな地域である。6者協議も重要である。このような枠組みの活動にはNon-traditionalな安全保障措置も含め、経験を積んでいくことが必要だ。
東アジアには他にARFがある。これはASEANが主導していることに意味がある。日米、米韓、米豪の同盟は冷戦の遺物だが、これらが前向きの役割を果たす限り、中国は米軍の撤退を求めない」

(ヘ)台湾
 台湾については、「台湾の内部には干渉しない。台湾が『一つの中国』という立場を持することが最も重要であり、その限りで本土側は政経を分離して対処できる。双方が合同するのは、両方の人民が賛成した時のみとする」というのがオーソドックスな立場であり、「独立でも統一でもない現在の状態を維持することが最もいい」という、暗黙の了解から逸脱する見解を示す懇談相手はいなかった。陳水扁総統が計画する独立についての国民投票については、「容認できない(Can not tolerate)」ということであったが、米国が台湾に圧力をかけていることに期待を寄せていた。

 台湾問題解決については明確な案があるわけではないが、中国の専門家は今やかなり自由に「think aloud」してくれる。これは学者がかなり独立した意見を表明することのできたソ連末期にも通じた現象であろう。彼らの考えの幅はかなり大きく、「一国二制度を更に研究したい。例えば台湾軍を維持し、台湾には人民解放軍が駐留せず、基地にもしない等である。そうすれば、人民軍をガラス張りにしても構わなくなる」と述べる者さえいた。

他方、米国が中国に圧力をかけるための手段として台湾カードを使っている、との認識も持っており、一名は「米国は中国を押し込めるためのカードとして台湾を使うことはできない」と述べていたが、これはむしろ「そのようなことはしないでくれ」という願望の表明だろう。

 なお、台湾の馬英九・国民党首については、日本の一部で彼が「親中・反日的」であることを懸念する向きがある。しかし懇談相手の中で彼とつきあったことのある者は、「彼は反日ではない。そして約束したことは必ず守る、予見可能性のある人物である」と述べていた。

(ト)北朝鮮
中国と北朝鮮の国境は、実は日本と清王朝の間の条約に依拠しているそうで、北朝鮮、韓国双方の民族的聖地とされる白頭山が中国と北朝鮮との間で二分されている。それはそれとして、中国側には延辺朝鮮族自治州を中心に250万人の朝鮮人が居住しており、北朝鮮・韓国が統一された場合、この250万人との合流問題が出てくることを中国政府は恐れているらしい。これが、「高句麗は中国の地方政権だった」という学説を中国が打ち出し、これに韓国世論が猛反発したことの背景にある。

中国は、朝鮮半島については急な統一などの荒れた事態のない現状維持が望ましいとの姿勢をとっているが、これは韓国に米軍が駐留しているままで統一が実現すると米軍と中国が直接対峙することになりかねないという恐れに加え、右の国境問題、民族問題が表面化することを恐れているからであろう。
最近の中国・北朝鮮関係を見ていると、中国が米国の意を受けてマカオの銀行からの送金を止めたこと等について北朝鮮が中国に対する不信感を募らせ、他方中国も北朝鮮が中国に黙って核実験を行ったことに怒りを示し、北朝鮮との話し合いにおいてはあたかも米国が中国を利用しただけの感がある。今回この点について懇談相手数名の感触を聞いたのだが、多くの発言を引き出すことはできなかった。北朝鮮についての(悪い)本音を日本に言いたくない、ということなのだろうか。

(チ)東アジア共同体
 従来日本では、「東アジア共同体や東アジア首脳会議に米国を入れることには中国が強く反対している」という認識が定着しているが、事態は変わってきている。中国は柔軟化している。むしろ米国の方がAPECへの対応だけで大統領の時間がいっぱいであることなどを理由に、本格的な検討を行ってこなかった気味がある。

 今回懇談相手の一名(学者)は明確に、東アジアでの協力には米国を入れるべしと述べたし、もう一名(学者)は「中、米、日、韓首脳による4者会談をやろうではないか。また、中国政府は今では、東アジア首脳会議に米国が参加するのもOK、という立場である。日本がイニシャティブを取れば中国が反対し、中国が取れば日本が嫌がり、といった無用のゲームはもうやめよう」と述べた。

(リ)上海協力機構(SCO)・中央アジア
SCOは中ロが中央アジアから米国を排除し、これを牛耳るための組織と思われており、最近ではユーラシアの中央部が中ロの独壇場になりつつあるのではないかとの危惧が日本の一部においても示されている。しかし中国は、SCOをNATOのような軍事機構にすることには反対であり(米国をそこまで刺激したくないのである)、ロシアの足を引っ張っている。また中央アジア諸国自体、中ロに「牛耳られる」ことは望んでおらず、米国に対して過度に警戒的なウズベキスタンを除いては全方位外交を取っているのである。

今回出張においては、中央アジアについては日本、米国、EU等とも共に協力を進めるべきであること、特にタジキスタンについては中国が多額の融資を行うために日本も含めて他の国がソフト・ローン供与ができなくなってしまったことを懇談相手に指摘したが、軍関係者はむしろ柔軟で、一部の学者が固い対応を示した。もっとも当方より、日本ばかりか米国、EUも中央アジア全体を相手とした恒常的話し合いの場を持っており(「中央アジア・プラス・日本」、「中央アジア・プラス・EU」等)、中央アジア諸国自身が関係を中ロだけに限定したいとは思っていないと指摘すると、強硬論者も黙らざるを得なかった。
懇談相手の発言は次のとおり。

「SCOを軍事協力機関にはしない。米ロが対立すると、中国はSCOの扱いで困ってしまうからだ。SCOはオープンでなければならない。米軍についてはアフガニスタンでの作戦のためなら、中央アジア駐留を容認する。但しいつまでもいることは支持しない」

「SCOは共同軍事演習の回数、関税同盟設立への動きなどから見ても、ARFやASEANプラス3などより強い機関であることがわかる。EUは独仏がリーダーシップを取ったから現在の姿があるのだが、ARFにはリーダーシップがない」

「中央アジアについてはオープンな協力が望ましいとの立場に全く賛成だ。中国にとってSCOは、主としてテロに対応するための機関である。新疆独立運動への対処が念頭に置かれている」

(ヌ)非民主制国家である強み
○今日の世界で、強い議会やマスコミを有する民主主義先進国は、一貫性と戦略性をもった外交を維持しにくくなっている。野党やマスコミは政府を批判するために外交をターゲットとし、戦略についても国内で論議が沸騰するばかりでまとまった結論が出てきにくいからである。その点、非民主制国家においては世論があるとは言ってもその程度は大きく異なる。外交関係者が議会にしばりつけられていることはほぼ皆無である。

従って非民主制国家は、「国民国家」の力を最大限に発揮することができる。限られた数の指導層が決めた戦略を、一貫して素早く追求していくことが容易なのである。これは、民主制国家にとっては不公正競争とでも言いたくなる現象である。懇談相手にそのような問題意識をぶつけてみた。
○答えの中で面白かったのは、「中国では省庁間の争いがある。これが一貫した素早い戦略的な外交を難しくしていると言えば言えるだろう」というもの。この懇談相手によれば、サルコジ・仏大統領が11月に訪中した際、多額の商談が成約したが、この中にエアバスの購入があった、これには国家経済貿易委員会が割高だとして反対したが、結局押し切られてしまった由。

(ル)当面の課題
○北京オリンピックは大きな課題である。ちょっとしたホテルでも英語を話す要員が驚くほど少ないが、オリンピックでは多分大学生でも総動員するのだろう。それよりも心配なのはテロである。新疆地方の独立運動分子がアルカイダのキャンプで訓練を受けているとの情報もあるそうで、中国公安当局は都市での集団テロという未経験の脅威に神経をとがらせているだろう。

○2012年の党大会までは重要行事が目白押しである。2009年には中華人民共和国成立60周年、2010年には上海万博、2011年には辛亥革命100周年といった具合で、いずれにも指導部の面子がかかる。

5.安全保障・軍備
(1)政府ではなく党に服する人民解放軍
人民解放軍は法的には、中国共産党の私兵である。これを統治する最高機関、党中央軍事委員会における文官は委員長の胡錦涛主席のみで、他は軍人である。日本では、このことが人民解放軍に対する文民統制を不十分なものとし、最近の急速な軍拡を可能にしてきたと解釈され、人民解放軍を政府機関の一部とすることの必要性が説かれてきた。

自分は必ずしもそうは思わない。確かに複数政党制、民主政治を導入した場合には軍を党から政府による管理に移すことが必要だが、共産党が国家の権力を実質的に握っている以上、党の下に置いておく方がむしろ文民統制は利くとも言える(但し、例えば中国外務部を通じて軍縮交渉をしようとしても、機能しないであろうが)。それに、党は軍のすみずみに政務委員を置いていて、軍幹部の人事に影響を及ぼす(少なくとも建前では)。
ロシアでも軍は首相ではなく、大統領に直属する。人民解放軍のことに中国政府と話し合っても埒が明かないと嘆いていても始まらないのであり、別のやり方を考えなければならないのだろう。

(2)これまで我慢した上での軍増強
中国は70年代に経済発展を最重視し、軍事支出を抑制した。鄧小平は将軍達に対し、「経済が良くなるまで我慢してくれ」と呼びかけて兵力を大幅に削ったのである。
この点について一人の学者はこう言っていた。

「70年代に『四つの近代化』を決めた。鄧小平は軍備より経済発展を重視し、80年代初期に100万人の兵員削減を行った。21世紀には経済的な余力がついたので、軍備を増強したいと考える者が増えた。西部大開発と軍備増強は同時にスタートした。台湾問題も、軍備増強の理由となった。しかし自分は、軍備は国内問題とのバランスをもって整備していくべきものと思っている」

(3)軍拡と外交の兼ね合い
  今回の懇談相手で一直線の軍拡を擁護した者はいなかった。1名の学者はこう述べていた。
「中国は軍拡を非難されているが、軍区によってニーズは違う。米軍に比べて自国防衛のために多くの課題を抱えていることも理解して欲しい。もっとも最近では『安全困窮』の危険性への認識が高まっている。安全を求めて軍拡に走る結果、かえって不時の衝突の危険を高めているのではないかということである。外交で軍事を補完せねばならない。もっとも、信頼関係構築までは時間がかかるのだが。東アジアで何らかの枠組みを作りたい。また台湾に対し日米が、独立は不可能であることを明確に言ってほしい」

(4)安全保障政策の基本
懇談相手の発言を列挙する。

「米国の軍備とは競争しない。戦略核ミサイル戦力も小ぶりでいい。最近中国による人工衛星撃墜実験が非難を浴びたが、これは米国に話し合いを長年求めてきたのに応じてこなかったからである」(軍関係者)

「ブッシュ政権は相変わらず日本との安保協力を重視し、2+2で日本を対台湾戦略に引き込み、豪州まで引き込んだ。
彼らは対中トライデント(三叉の矛)と称して、ハワイからグアムに防衛前線を移し、第一軍団司令部を日本に移している。米国はタイ、フィリピン、シンガポールも引き込もうとしているが、彼らは中国を恐れている。米国は台湾に兵器を売却している。これが彼らの三方向への動きだ。
確かに米国は、台湾の独立への動きを抑えようとしている。しかし米国が中国近辺に軍事力を増強すれば、中国はパリティは求めないものの反応するだろう。中国と事を構えれば大きな代価を払わなければならないことを認識させるためだ。このような相互拡張の過程で、力を使用したくなる局面が訪れると危険なことになる」

6.対日関係
 ちょうど高村外相訪中の最中だったこともあり、日中関係について立ち入った議論はしなかった。
なお反日気運は「反日スローガンが実際には政府に対する不満を間接的に表す手段になっていることに当局も気がついた」(懇談相手の一人)ために沈静しているが、今でも街頭を日本語でしゃべりながら歩いていると、「小日本!」という言葉を投げつけてすれ違っていく若者がいたりする由。これは、アメリカ人がショーツ姿でメキシコの街頭を歩いていると「ジンゴ!」と嘲られるのと似ていて、日本人を下に見ていると言うよりはむしろ逆の感情表現だと思ったらいい。
そしてオリンピックを前にして社会モラルの向上が叫ばれ、日本人選手を応援しようとする動きも一部にある由。実際に競技場でそのようなことが起これば、日本、世界に対してこれほど中国のイメージアップにつながるPRもないだろう。
懇談相手の日本関係発言を列挙する。

「日本はEUの対中武器輸出解禁問題で、一人だけ目だって反対していて、損をするのでないか。EUの対中武器輸出禁止は、天安門事件の『制裁』としてEUが課したもので、それを解禁するのは天安門事件以後真っ先に中国との関係を再開してくれた日本の利益にもかなったものだろう」(自分からは、「いや、にもかかわらず日本はEUの解禁に反対し続けるだろう」と言っておいた。こうした問題については、立場は明確にしておくのがいい)

「米国は台湾を、中国を押し込めておくためのカードとして使っているが、これは機能しない。日本も中国に対して遠交近攻策をとっているが(豪州、インドへの接近、対中央アジア外交の活発化などを指しているのだろう)、これも利かない。
中国は日米同盟関係を割るつもりはないし、中日同盟を求めるつもりもない。しかし日本は、中国と米国の間でもっとバランスをもった政策を取って欲しい」

「日本との貿易はかつて中国にとっても非常に重要なものだったが、現在では全貿易のうち10%のみになってしまった。EUは17%である。このままでは日本は韓国にも、ASEANにも負ける。韓国からは年間500万人が中国を訪問している(日本からは350万人ほどであろう)」
「2008年は日中平和友好条約30周年だし、福田首相の訪中、胡錦涛主席の訪日も予定されている。大事な年だ」

7.北京市民の実感レベルの世界
一般に反日とか嫌米とか言われるが、政府は北京の市民が世界を実際にはどう見、感じているかの方を重視しているはずである。だから我々にとっても、中国人の生活実感というのは中国の対外関係を考えていく上で知っておかなければならないことなのだ。今回の短い滞在と限られた会話の中から、気がついたことを列挙する。

(1)中華鍋に入れられたジンギスカン―――中国の歴史についての認識
 今回たまげたのだが、今の若者は学校で、ジンギスカンは中華民族の英雄と教えられて育ったらしい。他民族の女真族が建国した清についても、肯定的に教えられている。但し女真族と提携して漢民族の明を破ったチベットについては、「手でものを食べる不潔な」人たちというイメージがあり、ここは中国が征服したのだから独立運動は抑えてしかるべきだ、という認識であるようだ。
 そして「中国」を初めて統一したのが秦の始皇帝であることは習っているが、彼がおそらく胡、即ち西域の遊牧民族出身であったことは全く教わっていない。清の初期、漢、女真、モンゴル等諸民族は平等であることを説いた「大義覚迷録」についても同様だった。

(2)「民族」についての意識
 中国は米国に似た多民族国家である。この中に生きている者達が「民族」というものをどう実感しているのかは、面白いテーマである。だがある青年によれば、今の中国では皆、民族性のことよりも金について考えている由。これが実感に近いのだろう。
 もっとも、チベット人などに対する眼差しは、ソ連時代のロシア人が中央アジアの諸民族を見ていた目を思い出させる。ただ中国で問題なのは、諸民族の外見がそれほど異なっていないことである。

(3)国民性とモラル
中国は王朝が変わるたびにイデオロギーやモラルが大きく変わってきた。そして現代中国でモラルの大きな境目となったのは、文化大革命であるらしい。現在の老世代は「留守の時は家に鍵をかけるようになった」時代として文化大革命を記憶し、子供達(現在の青年世代)に語り継いでいる。

(4)兵役に対する意識
 兵役は(人口が膨大であるせいか)「建前は徴兵制、実際は志願制」という状況だそうだ。一人っ子家庭が大多数の中国で徴兵制が厳格に適用されたら、戦争に反対する両親ばかりになってしまうだろうと思っていたが、富裕層は徴兵を逃れているようだ。しかし大学生は一定期間軍事訓練を受けねばならず(女子学生までも)、その時は自分より年下の農村出身の軍曹クラスの指揮に服する。その時は表面上仲良くやっているが、究極的には「違う世界」の者同士であることを痛いほど感ずるのだそうだ。

(5)対日意識
何人かの言葉を列挙する。
「日本に行って最初に思ったのは、静かだということ。中国人は大声でしゃべる人が多い。そして電車に乗る時などの整然とした行列。良いのだが、自分はいつも誰かに見られているようで圧迫感を感じた」
「日本に住んでみて、日本社会は中国に比べて自由だとも感じなかった。しかし日本人は礼儀正しい。そして靴屋で靴を試着させてくれるなど、中国では考えられないことだ」「中国では、日本でのように先輩、後輩の間を区別しない」
「(中国人の方が日本人より個人主義的だと言われるが、と聞いたのに対して)中国人は、皆で決めたことには反対しない。約束も一応守る。そこに行くと、自分のつきあったロシア人は、皆で何かを決めても自分の都合を強硬に主張する。日本人は何かと言うとすぐ群れる。だから中国人の方が日本人より個人主義的なのかもしれない」
「本当は皆、日本文化や日本を好きなのだが言わない。京都などに行くと、伝統を大事にしていて素晴らしいと思う」

8.雑感
(1)モンゴルの遊牧民族文化の影響が強いと思われる北京は、細やかな文化を有する南部に比べて粗放的な印象を与える。そしてソ連の影響が今でも如実に感じられるのだ。言ってみれば、ソ連が外資を入れて発展していたら今の北京とそっくりになっていただろう、という感じである。社会の外面は別にして、それを動かす「ソフト」や人々のメンタリティーはソ連時代のものに今でも似ていることが多い。労務者は非常に貧しく、その格差は例えばウズベキスタンのタシケントで見た光景を思い出させる。北京には新しいビルも多いのだが、その多くは安っぽく、白々しい明るさと見せかけの壮大さを競っている点は、タシケントやモスクワの現代建築に似ている。
天安門前の大通りの街灯は、ぶどうの房のように多数の電球のついた古いデザインで,これはモスクワのものにそっくりだ。また言われて初めて気がついたが、北京のネオンは「動かない」。上海の派手なネオンとは違って、共産党のスローガンを映していただけの昔の時代のネオンを思わせるのだ。

(2)成田空港で円を元に両替できることに驚いた。元は「交換性がない」ことになっているが、実際には利益の海外送金ができる等の交換性は既にあり、資本取引にのみ交換性がないことをあらためて認識した。

(3)北京はモンゴルのフビライが作った人工都市だが、今回地図を見ると意外に海に近いこと、また「中原」の北限にあって西と北はすぐ山岳地帯になっていることを認識した。モンゴル族にとってみれば、故郷に一番近いところに拠点を作ったのだろう。

(4)北京の空気汚染は相変わらずだ。空港に着陸のときから、空気が白茶けていることがわかる。日本もかつてはこうだった。

(5)空港ターミナルの廊下を歩いていくと、「和階社会を作ろう。秩序は前進の動力」といういかにも社会主義的なスローガンのポスターがあるのだが、その写真はなんと日本の新幹線の車両で、横腹にはJRと書いたままなのだ。これは別に間違ってしたことではないだろう。「和階、秩序と言えば日本」、こういう前向きなイメージを日本は持たれているということだ。

(6)かつては空港税関を出るとタクシーの客引きが群がっていたものだが(便利だった)、今では皆無だ。ただターミナルのドアを出ようとするとそこに制服を着た空港職員と思しき人物が立っていて、「タクシー?」と聞く。荷物を引いてタクシー乗り場に行くのも面倒だから「そうだ」と言うと、ただちに若者が自分の目の前に現れ、さあ行こうと言う。こういうこともあるだろうと思って、自分は事前に大使館に相場を聞いておいた。で、その運転手の若者にいくらで都心まで行くのだと(中国語で)聞くと、400元だと言う。心の中で苦笑しつつ、相場の「100元だ」と言うと、脇に立っていた「空港職員」はこいつ食えない奴とばかりに苦笑して、「あっち行きなさい」とばかりに脇のタクシー乗り場を指差した。それで普通のタクシーに乗って都心に着くと、メーターは僅か87元を指していた。

(7)空港を出たところの道はモスクワのシェレメチェヴォ空港からの道にそっくりだ。白樺が両脇に生えているのもそっくりだ。
  タクシーの運転手は朝青龍にそっくりの顔をしていて、北京生まれ、8歳の娘が一人いる。「どうだ。生活に満足している?」と聞いたら、来たなとばかりににやっとして「満足している」と答えていた。

(8)街に入っていくと、赤いベンツのスポーツカーがすり抜けていく。サングラスをかけた紅い服の女が一人で運転していた。まるで映画の趣。
  よく見ると、北京の店とかその他の看板類は、漢字にラテン文字表示が併記してあるものがやたら多い。小学一年ではまず漢字のラテン文字表示(ピン音)から習うそうで、抵抗もないし、格好もいいと思っているのだろう。
  そしてスターバックスに入ると、店全体が無線LAN環境になっていて、自分のPCが使えるのである。スェーデンの家具チェーン、IKEAも大きな店を構えている。

(9)北京を走る車の多くが「公用車」なのだそうだ。これは日本での公用車と違って、例えばスウェーデンでもそうなのだが、会社が私用車を社費で提供してくれる制度によるものが多い。

(7)話に聞いたところでは、秀水街というところがあって、ここはバッグなどの偽物を売っていることで有名なのだそうだ。ところがその入り口には、「知的財産権を守りましょう」という表示が白々しく掲示されている由。中国はWTOの規定をしっかり守っているのだ。

(8)日本大使館近くの天檀路には、ロシアの「プレゼンス」が大きい。ソ連が崩壊した困窮の時期、ロシア人達は北京で安い雑貨を買いあさっては持ち帰っていた。1995年頃には、彼らが買った服類をリヤカーに積んで近くの安宿に引いていったものだが、今ではロシア文字の立派なホテルやショッピングセンターができていた。

(9)テレビを見ていたら、中国にも漫才にそっくりなものがあることを発見した。ロシアや欧米では、2人だけで漫才のようなことをやるのに出くわした覚えはない。(終わり)

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