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論文

2007年01月14日

「もうユーラシアで躓かないために」中央公論07年新年号掲載論文

―――――権威主義・強権主義の一大ベルトにいかに関与すべきか
                                                        河東哲夫
二〇〇七年になる。九月十一日のテロ事件から五年経った。テロ事件以降、準戦時体制の中で貫かれてきた米国の一極先行主義は先の中間選挙の結果、維持できなくなり、世界はまたパラダイム・シフトの時期を迎えるだろう。だが米国はこれからも、自由と市場経済の原則を体した超大国であり続ける。日米の同盟関係を変える理由はない。米国外交の方向がおそらく揺れるであろうこれからの二年間、日本の安全と繁栄と自由を害するような事態が世界のどこかで起きないよう目を凝らし、解決策を提唱し、自らそれを実行していくことがより必要になるだろう。そしてその主要舞台はユーラシア大陸とその周辺になるのではないか? 
ユーラシア中央部は世界支配のための「ハートランド」(決定的に重要な地、との意味)だとしたマッキンダー達の地政学は、時代遅れのものとして排撃されているが、アメリカ以外の全ての大国が集まるユーラシアが世界政治の核であることは厳然たる事実だ。アメリカは二度の世界戦争でユーラシアに関わることで初めて超大国となったし、ユーラシアでの地歩を失えば今でも超大国ではあり得ない。ところが、人間の欲と権謀術数が渦巻くこのユーラシア大陸では、ウブで小回りの利かない日本外交はいつも「落第」してきた。戦前、ソ連を牽制するためにドイツと防共協定を結んでいた日本政府は一九三九年、そのドイツがソ連と不可侵協定を結んだことに驚愕し、「欧州の天地は複雑怪奇」という声明を出して総辞職してしまった。
 だが、日本にとって最も重要な東アジアに影響を与える広大なユーラシアに我々はもっと眼を向けなければならない。

「ゼロサム」大陸―――ユーラシア
日本がユーラシアを苦手としているのは、その本質を知らないからだ。日本は経済発展史上非常に幸運な国で、農地の所有権は長年にわたって確立し、仲間を奴隷として扱うことも少なかった国である。百五十年前、日本が産業革命に乗り出した時、これがどれほどプラスに働いたかわからない。ところがユーラシアの多くの国は、大地主制、奴隷制を基礎とした産業革命以前のモラルに生きている。この基本的な事実を知らずにビジネスやボランティア活動に乗り出すから、不必要な摩擦や幻滅感を招くのだ。
人間や国家は主義や言葉で動くのではない。そのように見えるときでも、大多数の市民はそれが自分の利益になるからと思って従っているだけだ。国際情勢を動かしてきた原動力も富の奪い合い、そして意地と見栄である。そして、「産業革命を経ているかどうか」ということが、国や民族のメンタリティーを大きく決定することになる。産業革命が富を自力で作り出すことのできるプラスサムの社会を生み出したのに対して―――市場を奪い合う必要はあったが―――、産業革命以前の社会では自分が豊かになるためには他者から富を奪うしか手段はない。ゼロサムの社会なのだ。
ゼロサムの社会では、少しでも豊かになるため、「何でもあり」の権謀術数が繰り広げられ、人を騙せることはむしろ「能力」として高い評価を受ける。ユーラシアには、産業革命の恩恵にまだ浴していないゼロサム文明に生きる国が多数ある。こうした国々は、産業革命を経たプラスサム思考の国々とは多くの点で相互理解ができず、ハンチントンの言う「文明の衝突」を引き起こしている。
西欧以外のユーラシアが産業革命以前の段階で停滞してきたのには、様々の理由がある。まず他ならぬ西欧諸国が東南アジア、インド、中近東の通商路を抑えた上、産業革命で作った製品の市場として搾取し、地場産業の発展を阻害したことがあげられる。西欧は植民地の犠牲において発展したのであり―――十九世紀のインド経済が毎年三%縮小したと仮定すると、インドのGDPは百年間で二十分の一に縮小する―――、アメリカも数々の戦争を経て経済を拡大してきたのである。日本も例外ではなく、戦前日本の各地にあった軍需工場が多数の大企業、中小企業を派生させたことを忘れてはならない。現在東アジアの国々が平和裏に産業社会に移行できているのは、戦後六十年間にもわたって自由貿易の原則が保持されていることと、最初は低賃金に甘んじて外国の直接投資を受け入れたからである。もっとも、現在ではシンガポールの一人当たりGDPは日本より高くなったが。

強権しかあり得ない社会
ユーラシアにはもう一つ、ロシアそして旧ソ連というゼロサム地帯がある。ロシア自身はやっと一八六〇年にウラジオストクを領有した植民地主義国だが、国内の歴史的事情で未だゼロサムの価値観が支配的な国だ。十七世紀に領主が農民を土地に縛りつけ逃散を防いだことが農奴制となり、それが十九世紀半ばまで続いたことは、エリートと大衆があたかも別の人種であるかのような亀裂を今に至るまで引きずらせることになった。そして農奴は自分の耕地を所有せず、村として占有する耕地を各戸に定期的に割当て替えする集団所有制「ミール」に数百年もなじまされ、それは一九一七年のロシア革命後、労働者が企業から経営者を追い出しすべて「国有化」を宣言する異常な動きへとつながった。こうして国家は経済の全てを運営させられる羽目となり―――レーニンはそこまでは望んでいなかった!―――、それは製鉄所やダムを建設する分には良かったが、新たな産業革命、即ち電化製品を中心とする大衆消費社会にはとてもついていけなかった。ロシアの国家歳入の七十%以上は今でもエネルギー関連で、工業生産をベースとしたプラスサムの社会を築くには至っていない。
ゼロサム社会は経済規模が小さいために、利権を特権階級に牛耳られやすい。彼らはクランを形成しては仲間内で利益を分け合い、国民の大半を放置する。プラスサムの諸国が彼らに市場経済や民主主義や法治国家の良さをいくら説いても、ゼロサム社会の特権層は聞き流すだけだ。自分達の利権にチャレンジする競争相手をなぜ作らなければならないのか、成金が政党を作って大統領候補にのし上がり自分達の権力を危うくするのを、なぜ指をくわえて眺めていなければならないのか、彼らには全くわからないからだ。国民全体、社会全体の利益という概念がないからである。「市場経済」を実現するため、たとえ無理して民営化を進めようとしても、国営企業を買収できるほどの資力、そして経営能力を持った者は国内にほとんどいない。欧米が資金を出して「野党」なるものを作ってみても、そこに集まる者達は国民の福祉より自分自身が特権層の仲間入りをすることにかまけがちだ。
このような社会では所有権、人権は軽視され、強権主義が支配的となる。強権で押さえつけておかないと、九十年代のタジキスタンや今イラクで起きているように、宗教や日ごろの恨みも絡んだ利権の奪い合いや殺し合いが起きるからだ。国民もそのことを知っているから、実は強権政治を望んでいる。
すべての富や便宜の入手が特権階級の匙加減次第という社会では大衆は卑屈になり、すべてを「お上」に期待する。彼らは指導者が国のあらゆる事を決めていると思い込んでいて、我々の説くマスコミや議会の「独立性」は言葉だけのまやかしだと思っている。
ゼロサム社会の富を差配する者達のモラルは、合理性と透明性を重んずる欧米のものとは正反対だ。彼らは奪い合い、ルール無視、コネとなあなあの原則、透明性の欠如と恣意性という世界に住んでいる。彼らの多くにとって公務とは、国民の生活向上のために働くことではなく、自分の属するクランや自分自身の致富のための手段である。このような社会においては、西側の企業が「コンプライアンス」を貫くことは不可能であり、生き残りのためには「うまく立ち回る」ことが必要になってくる。
ゼロサム社会には、三種類の人間がいる。筆者は昔モスクワに留学した時、「ロシア文学の登場人物には二種類のプロトタイプがある。それは『よけい者』と『哀れな者』の二種だ」と教わったことがある。「よけい者」とは社会から浮き上がった頭でっかちのインテリのこと、「哀れな者」とは大衆のことである。これに特権層を加えると三種類となる。そしてこの三種のどれと付き合うかで、その国から得る印象は決定的に異なってくる。エリートを見て「ロシアの役人は冷たい。あの国は嫌いだ。」と言う者がいるかと思えば、大衆と付き合い「あんなに温かい人達がいるロシアと、どうして仲良くしないのですか」と政府に詰め寄る者もいる。ペレストロイカ時代、ヨーロッパの人達はロシアのインテリに惚れ込み、「ロシア人は素晴らしい。彼らは自由と民主主義を理解し、切望している。ソ連はヨーロッパ文明の一員なのだ。日本も小さな島の問題は棚上げして、少しソ連を助けたらどうだ」と言っていた。
そして問題は、この三種の人間のどれにも改革への期待はかけられないということなのである。インテリの多くは自由を叫びながらも、実は自分のことしか考えていない。だからこそロシアのインテリなどは十九世紀の昔から「よけい者」と呼ばれ、ツルゲーネフやチェーホフの作品を彩ってきたのである。こんな連中の言うことを、大衆は相手にしない。大衆はどの時代にも結構自由にモノを言っていて、インテリがなぜ「自由」とか「民主主義」を求めるのかがわからない。彼らにとって経済改革とか市場経済というのは労働条件の強化、公共料金の引き上げ、治安の悪化、少数の成金の台頭でしかなく、そのメリットは全然わからない。
このように、ゼロサムの社会には改革を進めるための足がかりが殆んどないのだ。西側で盛んになっている開発経済学の類は、ゼロサム社会向けには作られていない。ゼロサムの社会では、地縁・血縁のある者以外は一夜の客としてならいざ知らず、商売のパートナーとしては信用されない。市場経済には不可欠の「不特定多数の顧客」は、中国やロシアや中近東諸国では忌避されがちだ。そこでは株式会社の成長は難しく、同族会社や財閥が幅を利かせることになる。小さくまとまってしまうのだ。
このような社会で居丈高に自由や民主主義を説くと、大衆までが意固地になる。彼らにとって家父長制や村共同体は、自分達の権威と生活を保持してくれるひどく安楽なものなのだが、西側の言う自由は年長者の権威を剥ぎ取り、若者と同じベースに置いてしまうからだ。筆者もウズベキスタンに勤務していた時、「日本も『年長者を敬う』立派な社会なんだって?」と軒並みに言われて、感覚のずれを感じた。このような社会で自由を説いても、「腐ったアメリカ文化のグローバリゼーションから自分達の伝統を守れ」というスローガンの下に大衆が立ち上がるだけの話だ。
アメリカの一部勢力は、ゼロサム社会の特性を顧慮することなく、民主主義をしゃにむに広め、権威主義的政権を倒してきた。だがこうして出現した新政権は利権闘争に明け暮れ、反対派を強権で抑え始めている。そのような政権を支援することに懐疑的な勢力もアメリカ国内には強いから、アメリカの政策も腰が定まらない。
こうしてイスラム諸国と旧社会主義諸国は、権威主義・強権主義の一大ベルトをユーラシア大陸に形成している。産業革命に乗り遅れたが故にいつまでも貧困で、生活は麻薬、密輸、武器取引、そしてテロなどで支えるしかない地方もある。彼らは、歴史の被害者なのだ。大量の直接投資が来なければ、これら諸国の国民には出稼ぎに出るくらいしか手段はない。

ユーラシアはバラバラの集まりか?
ユーラシアでは、ヨーロッパを中心にした「世界史」と中国を中心にした「東洋史」が別々に展開したわけではない。しかも、現在では砂漠の後進地域としか考えられていない中近東と中央アジア―――つまり「オリエント」という言葉でくくられる地域―――は、中世までは西欧をはるかにしのぐ文明と力を有し、中国、ヨーロッパ双方に影響を与えていた。例えばルネサンスの背景となったイタリア諸都市の繁栄は、モンゴルによるオリエント統一による物流の急増によるものだったのかもしれない。オリエントは、ユーラシアを一つのものとして機能させていた「失われた環」なのである。
このユーラシアには今、いくつかの文明塊とも呼ぶべきものがある。人によって分類はまちまちなのだが、僕はそれらを西欧文明圏、旧ソ連圏、中近東、東アジアに分ける。各々の塊の内部は矛盾と多様性に満ちているし、これらの塊の他にも東欧、中央アジア、インドのような中間領域もある。
 ユーラシアの情勢は、これら塊内部のもめごと、塊同士の合従連衡によって作られている。西欧、中国、ロシアは中近東や東アジアやインドを舞台に時には競り合い、時には徒党を組む。その中で超大国アメリカはまるで昔の遊牧民族さながらユーラシアに広く展開し、進んだ軍事技術や自由貿易の建前を前面に立て、時に歴史のページを次へとめくる。
 世界には対立の襞が集まった、「ここがはじければ世界が変わる」というような活断層がある。かつてそれは分裂したドイツだった。一九八九年ベルリンの壁が崩壊してドイツが統一した途端、ソ連の弱化と冷戦の終焉は決定的となり、西欧と米国の関係はよそよそしいものになっていったのである。ユーラシアの多様な領域の中での活断層を探ってみたい。

最大の活断層は中近東
現在、中近東に世界政治の矛盾の襞が集中している感がある。パレスチナ、イラク、イラン問題の扱いをアメリカが誤り、この大産油地域での影響力を後退させれば、世界は多極化に向けて大きく変わっていくことになるだろう。だからこそ、CNNやBBCの国際テレビは北朝鮮より中近東に関心を集中させる。
冷戦時代、中近東における基本的な対立軸はイスラエルを支援するアメリカと、パレスチナやアラブ諸国を支援するソ連との間にあったが、その後の対立軸は一方にアメリカとイスラエルとアラブ湾岸諸国、他方にイランとパレスチナ、シリアというものに移行し、中世のペルシアとアラブの抗争が再現されるかと思われた。しかし中間選挙の後、米国はシリアに接近しているようであり、先は読みにくくなっている。中近東の情勢は、複雑なパズルのようなものだ。中近東はオスマン・トルコ帝国崩壊後、未だ百年足らずだから、力の真空状態の中でパンドラの箱が開けられたままのような状態になっている。
産油地帯の安定は日本にとっても重要だ。日本はこれまで、イラクへの自衛隊派遣やパレスチナ和平仲介やヨルダンなどへのODA供与で、この地域の安定化に貢献してきたが、パレスチナやイラクの問題で日本がメジャーなプレーヤーになるには程遠い。そして功を焦る必要は全くない。
世界では、イスラムとキリスト教勢力との間の対立が激しくなっている。しかし、イスラム教については多くの誤解がある。もともとは通商都市文明から生じた宗教であり、資本主義に敵対する性質のものではなかったことが忘れられている。中近東と西欧は中世以来、欲と意地と見栄の絡んだ張り合いを続けているが、二つの宗教はその原因ではない。一種の旗印として押し立てられているに過ぎない。

求心力がない旧ソ連地域
もう一つ、微震が絶えない地域がユーラシアにはある。それはロシアも含む、旧ソ連地域である。大帝国が崩壊すると、それは巨大な力の真空を生み出して、百年にもわたる抗争を生み出す。オスマン・トルコ崩壊時の諸勢力入り乱れた権謀術数の世界は「バルカン政治」と表現されるが、旧オスマン・トルコ帝国と旧ソ連周辺地帯をつなぎ合わせると、米国の言う「世界の緊張の弧」の姿にほぼ近くなる。
東欧・旧ソ連地域では現在、いくつかの火種がある。ポーランド、グルジアはアメリカによるミサイル防衛システム配置を受け入れようとして、ロシアから猛烈な反発を受けている。
一九九一年ソ連が崩壊して以来、欧米に向かって遠ざかっていく諸共和国を、ロシアはCIS(新独立国家共同体)に引き止めようとしてきたが、原油価格上昇でロシアが豊かになった今でも、CIS諸国の糾合は一進一退である。関税同盟や集団安保機構は紙の上では存在しているが、実態はEUやNATOには遠く及ばない。おそらく、ロシアと組んでも資源を持っていかれるだけで、産業化には役立たない―――つまりゼロサム的世界に縛り付けられる―――ことを、各国ともよく知っているからだろう。

中央アジアのグレート・ゲーム
旧ソ連の東半分での情勢は、東アジアのパワーバランスにも響く。日本にとって重要な地域だ。昔ロシアはインド洋への陸路を得るため、中央アジアで英国との勢力争いを繰り広げた。この「グレート・ゲーム」と呼ばれた現象が、やや小型ながら現在の中央アジアで展開されている。ソ連の崩壊が力の真空を作り出したこと、米国がアフガニスタンでの作戦のためこの地域の基地を必要としていること、中国の力が伸びてきたことがその背景にある。しかし米国や中国はこの地域に死活的利益を感じているわけではなく、民主化を性急に実現しようとする米国がこの地域の指導者達の警戒心を呼び覚ます中、石油マネーで潤うロシアが影響力を再び拡大させつつある。
二〇〇一年ロシアと中国が中央アジア諸国(トルクメニスタンを除く)を語らって作った「上海協力機構」は、欧米諸国から当初「弱者連合」だと揶揄され相手にもされなかったが、中国はもちろんロシアまでが経済力・政治力を充実させた現在、「強権国家連合」として警戒の目で見られるようになった。だが、上海協力機構は内部に大きな矛盾を抱える。それは中国とロシアの間の現在の協力関係は、NATOの拡大や米国の「内政干渉」に対抗するための便宜的なもので、ロシアは本当は中国を強く警戒しているということである。ロシア人はそのゼロサム心理から、「人口圧力に悩む中国人」は必ずロシア極東やシベリアの領土に進出してくるだろうことを信じて疑わない。そして事務局要員があまりいない上海協力機構はプロジェクトを執行できないから、この機構に入れば経済援助が得られるということにもなっていない。だから上海協力機構は時々思い出したようにその旗印が使われるだけで、ロシアは中央アジアをあくまでも自分一人の勢力圏として堅持しようとしている。そして中国は、エネルギー資源が確保でき、中央アジアから新彊地方の独立機運を煽るような動きがない限り、ここで政治的影響力を求める気はないようだ。
NATO拡大の動きに対抗するために作られた上海協力機構は、欧米諸国の参加に対しては閉鎖的である。だから、二〇〇六年八月小泉総理がカザフスタン、ウズベキスタンを訪問した時、中国の人民日報社説は「この訪問は、中国とロシアの裏庭にくさびを打ち込もうとする動きである」として警戒心を表明し、ロシアのマスコミも小泉総理はアメリカの尖兵としてやってきた、と評した。日本国内では「不必要な卒業旅行」と一部で批判されたこの訪問は、中国、ロシアに対しては結構利いていたのである。
日本はユーラシアの全域に外交を展開できるだけの能力を持たないが、中央アジア地域にはそれなりの関心を払う価値がある。中国、ロシアの裏庭に位置する上に、東アジアでの大国間のバランスにも少しは影響を及ぼすからである。ここにASEANのような独立したまとまりができれば、この地域が諸大国の勢力争いの場となるのを防ぐこともでき、中央アジア諸国自身の独立維持にとってのみならず、あらゆる諸国の利益に適ったものとなる。ASEANが四十年前できた時は、日本以外、これに真剣に取り合う者はいなかった。今でもASEANはEUなどに遠く及ばないものの、東アジアの協力の推進者として、日米中韓の間も取り持ちながら重要な役割を果たすようになっている。中央アジアの「ASEAN化」は、日本の対ユーラシア外交の一つの柱となり得る。

東アジア―――「国民国家」への妄執
世界経済成長の機関車となっている東アジアは、基本的にどうなっているのか? 東アジアについては別に多数の論考があるので、ここでは普段あまり論じられないことの指摘のみに止めたい。
一つは、東アジアでは全ての国が経済発展を至上の課題とし、そのためには安定した国際環境―――Status quoの維持―――を望んでいるということだ。あと二十年で六十歳以上の人口が三億に達する中国では格別、国際環境の安定と国内の統一の維持が最重要の課題となっている。確かに軍備近代化予算を獲得するために仮想敵を必要とする中国軍は勇ましい発言と行動を時に見せるが、指導部の中で世界と中国の現状を良く知る者はStatus quoの維持を望んでいるだろう。台湾問題にしても彼らは、台湾指導部が「独立」という言葉を強調しすぎて本土の少数民族を刺激でもしない限り、曖昧な現状を維持することが最も賢い方法であると思っている。
北朝鮮は戦前の日本から独りよがりの世界観を、ソ連から嘘と恐喝による「外交」を学び、国力に見合わない注目を浴びているが、これは彼らの「国体を護持」するために、即ち自己保存のためにやっているのであり、周辺のStatus quoを崩すだけの力は持っていない。東アジア、ユーラシア、そして世界で北朝鮮は完全に孤立しており、彼らのやること言うことに反応すればするほど、北朝鮮の「国際的地位」を高めることになるだけだ。ただ、どこの国の国民も、自分の国や指導者が他国に公衆の面前で面罵されれば怒り出す。北朝鮮に対しては、その国民までを敵に回すことのない対応が必要だ。
米国にとり東アジアでのプレゼンスは、その超大国としての地位を保持するために不可欠な要素だが、エネルギー資源を有する中近東に比べると切迫性はやや劣る。だがそれでも、アジアにおける米国は政治・経済・軍事・文化、いずれの分野においてもメジャーな存在だ。米国は自分達がアジアから閉め出されることを恐れ、APEC首脳会議ではAPEC全域にわたるFTA構想を打ち上げたが、これは米国の関心が東アジアに向いてきたことの表れとして歓迎されるべきことだ。中国も、台湾が完全独立を宣言するのを抑えられるのは米国だけであることを知っており、この文脈で日米安保条約も是認している。ASEANはブッシュ政権が内政干渉をしてくることへの警戒心を隠さないが、アメリカそのものについてはアジアの安定と繁栄と自由を保障してくれる「公共財」のようなものとして、相変わらず頼りにしている。
日本では一部の者が「アメリカ終焉論」を打ち出し、日米安保からの離脱や日本の核武装を提唱しているが、良く考えれば大国の中でもっとも足腰がしっかりしているのは相変わらずアメリカなのだ。その経済は世界を支え、軍事的なパワーは抜きん出ている。何より大事なことには、自分の欠点を見つけて修正する能力をまだ維持している。そしてアメリカは、先進国の中ではこれから唯一人口が大きく伸びる。二〇五〇年までに、人口は実に一億人以上増加するとの予測があって、増加率ではインドネシアを上回る三十五%にも達するのだ。プラスサムの国においては、人口増加は経済の強化に繋がる。世界の国々は口々にアメリカの悪口を言って鬱憤を晴らしながらも、裏では何とかアメリカのお気に入りになろうと、陰に陽にしのぎを削っている。
アジアにおいてはこれから、「国家」という言葉の持つ意味を議論していかねばなるまい。と言うのは、現在世界中の国は十九世紀に西欧で完成した「国民国家」なるものをモデルと仰ぎ、強い軍、強い政府、強い諜報機関などを持たねば近代国家ではないと思っているのだが、帝国主義戦争の時代はとうに終わり、民間セクターが政府部門をはるかに凌駕する今、先進国ではこれまでの国家のあり方を見直す論議が盛んだからである。戦前の日本がそうであったように、東アジアの諸国家は西欧型国民国家という強力な装置を使い損ねて自滅してしまうかもしれない。古来の中国も中央集権の国民国家というよりは、多民族で、中央と地方の関係はむしろ連邦制に近かったのではないか? 日本も含め、アジア諸国が自分は国民国家なのだと肩肘はって武力紛争の一歩手前まで瀬戸際政策を展開することは、もう時代遅れだ。それに、今や一家族に息子は一人いるかいないかになってしまった東アジアの諸国が、大人数の常備軍を動員して相い戦う姿は想像しにくい。日本も憲法第九条を改正してアジア諸国からあらぬ疑いをかけられるよりは、軍縮・軍備管理を標榜していく方がいいのではないか。いわば「国家の刀狩」である。
東アジアにおける中国の優位を薄めるために、インドを引き込もうという発想が日本にはある。だがこれは、インドに対して僭越な考え方だろう。インドは古来から、東南アジア地域と一つの文明圏、商圏の中に生きてきた。カンボジアのアンコールワット寺院はヒンズー神話の浮き彫りに満ちているし、そもそもインドはミャンマーと国境を接しているのだから、ASEANの延長とも言える存在なのだ。それにインドとの関係を付け焼刃で増進しようとしても、北京からチベットのラサまで完成した鉄道が少し延びればもうインドに達し、中国とインドの関係はインドと日本の関係よりもはるかに緊密なものになってしまう。

日本とユーラシアの距離
ユーラシアは複雑である。そこに住む人々の考え方は、我々の想像を超えたゼロサム思考である。単純な善意が通ずるところでもなければ、単なる悪意をもって接するべきところでもない。我々は、ユーラシアの権威主義的な国々をODAや直接投資で発展させることができる、民主化、市場経済化できると信じているが、事はそんなに簡単ではない。先進国はパテントやブランド、金融など全てを自分で抑えた上で、これら諸国に、「さあ、発展してみろ。自力でだ。俺達も自力で発展したのだぞ。」と言う。だが既に述べたように、先進国の経済発展はどこも「原罪」を抱えていて、とても自力で発展したなどと威張れたものではない。「自由貿易」は強者に有利なものであり、後発国は他国による支援、そして保護主義から出発せざるを得ないのである。
日本は海洋国家であり、今回の北朝鮮の核実験問題でも自らは打てる手が乏しいことを暴露している。朝鮮半島でもそうなのだから、日本はユーラシア全体に深く関与していく力はない。対象を選ぶべきである。そしてアメリカの真似をして自由、民主主義、市場経済の三点セットを経済援助の前提条件とするようなことはすべきでない。これらの価値観は外部から強制されるべきものではなく、ユーラシア諸国の経済、社会の変化を助ける中で徐々に実現されていくものだ。日本は現在の自由で豊かな社会を、モデルとして示していけば十分なのだ。
現在の日本は一つの文明的頂点にある。日本は十五年間の不況にも崩壊せず、付加価値を効率的に生み出す産業基盤を維持・発展させている。文化はあらゆる分野で高度の水準に達している。若者は税や年金負担の重さに苦しみつつも、権利が保証された便利な生活を楽しんでいる。戦前の家父長制、集団主義から完全には訣別できなかった団塊世代は社会の前面から退きつつあり、代わって豊かな日本しか知らない、かと言って甘やかされていない、この十五年間の不況で鍛えられた若い世代が、ごく自然な個人主義をひっさげて社会を闊歩するようになった。
日本には、多くのタブーや秘密が残っている。それでも、その社会や文化のあり方は外国でも好感を呼ぶようになった。恨み節と嘆き節の「クラい」世界だった演歌は姿を消して、ただひたすらアカルいJ-POPが電車のヘッドフォンの中でカシャカシャ音を立てている。六十年代のアメリカのポップ音楽と同じく、将来への希望を感じさせる明るい文化は、世界で好かれる。日本人の価値観は「和」だ「調和」だといくら叫んでも、そこに何か不自然なものを嗅ぎ付けられ、外国にそれほど好いてもらえなかった日本は今、アカルさと将来への希望というおそらく最高の「ソフト・パワー」を身に着けつつあるのだ。
東アジアにおいて日本は、日米同盟の堅持と、中国も巻き込んだ集団協力体制の構築を並立させていくべきだ。北朝鮮による核実験の直後、日米中の立場はそれまでになく接近したが、これは十月二十日ライス長官が北京で同行記者に述べたように、「将来の東アジアにおける協力体制を垣間見させる」ものだった。日本では米国が日本を捨て中国と組んでアジアを壟断することを恐れる者がいるが、米国は日中の接近を恐れ、中国は日米の結託を恐れている。日本だけが戦々恐々とする必要はないのであり、日米中はいずれの一国も他の二国なしではやっていけない、稀有なほど堅固な三角関係になりつつある。この三角関係は、これからのアジアの安定と発展を保障する土台となり得る。
日本はナイーヴであってもいけないが、理想を見失ってもいけない。戦後日本が得た自由と繁栄は、米国の核の傘と、米国が戦後六十年間守ってきた自由貿易体制の中で、初めて可能になったものである。日本が戦後六十年余、アジアのリーダー格でいることができたのは、冷戦で米国が中国と敵対するに至ったからである。自分の力を過信して米国の核の傘を捨てたり、日本一国で「独自外交」をやっていけると考えるべきではない。
戦後六十年、日本は自由で繁栄した社会を手に入れた。武器を振りかざしナショナリズムを叫べば、これを守ることができるわけではない。むしろ害になる。ユーラシア―――この大きな塊を御することのできる万能薬はない。ユーラシアにおけるキーワードは「バランス外交」、つまりある地域における力のバランスが日本に有利になるよういつも努めて行くことだ。
 日本をめぐる外交環境は確かに変わった。以前なら講道館柔道の如く日本はアジアでは一人勝ちだったが、今はワールド・カップのアジア予選と同じで各国の力が随分接近してきた。イノシシ年ではあるが猪突猛進を避けつつ地道にプレーしていくこと、そして脱欧入亜と言っても昔の家父長制的、集団主義的価値観に回帰するのではなく、他のアジアの諸国と肩を並べてアカルい社会を建設していくことでありたい。        (了)

コメント

投稿者: バトー | 2007年01月30日 17:09


「産業革命を経ているかどうかということが国や民族のメンタリティを大きく決定する」(p173),「ユーラシアの多くの国は,大地主制,奴隷制を基礎とした産業革命以前のモラルに生きている」(p173)という文章に河東氏の立場が現れている。

河東氏は近代化論に立脚し,ユーラシア社会において前近代的価値観が政治レベル・社会レベルに至るまで貫通していると考える。また、「ゼロサム世界」、「ゼロサム社会」は旧ソ連の遺制というよりはユーラシア一般の文化に根ざす現象として考えている。このように貴論文を理解しましたが、合ってますでしょうか。

「全体のパイが小さいから、利益を得るには他人から奪うしかない」(p173)。これについては、少ない利得を分け合うことによって生活している一般市民や地域共同体,そしてその国家との相互作用にも目を向ける必要があると思います。

長文ならびに乱文恐れ入ります。

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