Japan and World Trends [日本語] 日本では自分だけの殻にこもっているのが、一番心地いい。これが個人主義だと、我々は思っています。でも、日本には皆で議論するべきことがまだ沢山あります。そして日本、アジアの将来を、世界中の人々と話し合っていかなければなりません。このブログは、日本語、英語、中国語、ロシア語でディベートができる、世界で唯一のサイトです。世界中のオピニオン・メーカー達との議論をお楽しみください。
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世界はこう変わる

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2007年05月30日

米中両大国の狭間で日本が生きる道

(北朝鮮ミサイル問題も喉元過ぎてということで一段落し、一時盛んだった日米同盟見直し論も一巡して鎮静しで、どうも無風状態に入ってしまったような国際関係です。
で、少し古いかもしれませんが、2週間ほど前に書いた文章を掲載します。二つの強国に東西から挟まれて無事に生き残った国の例をご存知の方は教えて下さい)

                   Japan-World Trends代表
                              河東哲夫

 日米双方で起きている安保条約論議
日米安保の必要性、利害得失、そして今後あるべき姿をめぐって、日本、米国双方で議論が起きている。日本では雑誌「SAPIO」の4月25日号掲載のマンガで、「イラク泥沼化、六ヵ国協議でのアメリカの裏切り~略~、拉致被害者放置~略~。日米同盟が何一つ日本の国益に結びつかないのだ! たとえ日本が核攻撃されても、アメリカは日本のために核による報復などするはずがないのだ! ~略~日米同盟が何をしてくれる? な―――んにもしてくれやしない。~略~日本はアメリカへの依存をやめよ! さっさと六ヵ国協議から離脱し、核武装について政治家が堂々と言及すべきである!」と書かれているのが一例だ。実際には多くの日本人が、日米同盟は相変わらず必要だし日本は核武装をするべきではないと考えていると思うのだが、出口の無いような現状に対する感情的な苛立ちは多くの人が感じているのだと思う。

  他方米国では、歴史問題等をめぐって東アジア諸国の間で摩擦が高まる中、「このままでは、安保条約ゆえに米国が日本と周辺諸国との紛争に必要以上に巻き込まれてしまうのではないか、という懸念が戦後はじめて関係者・識者の間に見られるようになった。日米安保に対する日本側の従来の懸念をちょうど裏返しにしたようなものだ」(トーマス・バーガー・ボストン大学教授)。日本そのもの、あるいは在日米軍基地が攻撃される場合には米国も日本を守らざるを得ないだろうが―――そうしなければ他の同盟国は米国に不信感を抱いて離反していくことになろうから―――、日本がナショナリズムの張り合いの末に周辺諸国と武力紛争に陥った場合には話は別だと、アメリカも考え始めたのである。

  米国にとってソ連は絶対の敵だったが、中国は将来軍事的脅威になるかもしれないものの、ソ連とは比較にならない大きな経済的利益を米国にもたらしているし、更には米国の意向を受けて北朝鮮に圧力をかけてくれるなど、政治的にも有用な存在なのである。そのため、アジアにおける米国の唯一最大のパートナーであった日本の地位が、以前より相対的になりつつある。軍事的にも豪州やインドなどの地位が高まるとともに、米海兵隊をグアムへ移す動きなど、在日米軍基地の意義を相対化するような現象さえ最近では起きている。小泉時代のように、「米国との関係さえうまくやっていれば、中国、韓国との関係もうまくいく」という時代ではなくなった。中国、韓国との関係もうまくやらないと、米国との関係もうまくいかないかもしれない時代になったのである

  日本はこうして、アメリカ、中国という二つの大国に挟まれていることの意味を次第にかみしめていくことになろう。東西から強大な大国に挟まれることは、日本史上初めてのことである。二つの大国に挟まれて無事に永らえた国は、ドイツとロシアの間で分割されてしまったポーランドを見ればわかるように、古来ないのではないか? 

  日本は海に囲まれていて陸上兵力の脅威を受けない国であることと、経済的に大きな力を有していることが決定的に異なると言ってはみても、在外資産は没収されればお終いだし、国内大企業も力を背景に外国企業と無理無体に合併させられてしまえば、そこの日本人社員はまるで奴隷労働をさせられるようなことになるのである。

日本はどうする?

少し先走りしすぎた。今のところ中国はまだ発展途上だし、日米安保という長年にわたって築いた磐石のような人脈とインフラが、日本の安全と国際的地位を支えている。日本は、よんどころなくロシアとの連帯や「東アジア共同体」にその活路を見出さなければならない、というところにまでは追い込まれていない。日本政府は、安保条約の片務性を解消し、日本の貢献度を高めることで、日米関係を一層強固なものにしようとしている。それが当面、最も現実的な政策だろう。

  だが日本は同時に、外交力をもっと磨いていく必要がある。戦後60年の国際的枠組みが大きく変化しつつある今、日本はその変化の方向を見極め、自ら新しい枠組みを提案し、自国周辺の力のバランスを能動的に操っていかなければならないからだ。そのためにはまず、我々自身がいったいどういう日本を作りたいと思っているのか、どうやってそのような日本を世界で押し立てていくかについて、せめて世論の60%程度のコンセンサスというか常識をなんとなく作り上げておきたい。

  日本の世論は、北朝鮮の核については米国の核の傘の有効性を疑うかと思えば、安倍総理訪米、2+2会合で日米安保協力強化が打ち出されれば今度は米国の思惑に「巻き込まれる」ことを恐れる(例えば5月6日放送のTBS「サンデーモーニング」)といった具合で、方向が定まっておらず、これでは外交はできないからだ。

  外交が世論に振られることは、民主主義社会の宿命である。北朝鮮など専制主義国の方が、機微な外交をやりやすい。米国のように力が強ければ、国内世論を他国に押し付けることもできるが、日本がそんなことをやれば国の外からも内からも「外交下手」と罵られるくらいならまだしも、悪くすると世界の中で孤立してしまう。孤立しても自分が義しければいいではないかと言う人もあるが、孤立するとこちらが一方的に悪者とされ如何に惨めなことになるかは極東裁判などの戦後処理を見ればわかるだろう。幼児が駄々をこねて地団太を踏めば親が面倒を見てくれるが、国際社会では見捨てられるだけだ。

  で、日本の今後の生き方を考える上では、まず次の諸点を考えなければならないと思う。第一は、国際関係はまだ当分、「国」という単位を前提に動いていくだろうということだ。今日の世界では、モノを自由に輸出・輸入できればそれで経済は伸びて生活は良くなるし、米国が世界中の悪に目を光らせてくれているようなので、「国」という人為的な装置を後生大事に奉じたてて、国境だとか国家の威信だとかわめき散らすことの意味はどこにあるのかと思う。しかし、入国管理がしっかりしていなければ日本にはあっという間に外国人が多数住み着き、英語や中国語とのトライリンガルでなければ生活することさえ覚束なくなるかもしれないことを考えれば、「国」はまだ必要なのだろう。

  第二に、複数の国家が存在する世界において平和と安定を維持するためには、力のバランスの確保が不可欠であるということだ。日本では世間での信用を得ることが生きる上での秘訣だから、世界でも品格を保ち平和愛好を宣言していれば大事にしてくれるだろうと思っている人もいるが、嘘を言ってずるく立ち回る国が大多数な国際社会においては、言葉だけの国はいいカモになるだけだ。外交においては品格も重要なポイントだが、「力のバランス」がそれ以上に重要なのだ。それは、軍事力だけを意味しているのではない。政治的にも経済的にも、日本がなんとなく居心地がいい、肩を持ってくれる国が多い感じがする、そういう国際環境を作ることを意味している。

  国際社会においては友好関係を強化しつつ軍備も強化するという、だまし合いのようなことも時には必要になる。軍人は万一の時に備えるから、軍備はどうしても増強される。すると相手国も軍備増強し、それだけ見ているとあたかも両国が戦争を準備しているように見えるのだ。もっとも戦争を防ぐことは可能だし、双方の軍事力が均衡に近づいたところで、軍縮・軍備管理交渉を始めることも可能なのである。欧州では、NATOとワルシャワ条約機構の間で、通常戦力の上限を定めていた。

  第三に、日本はどのような社会を築くことを目指すのか、別の言葉で言えばどのような価値観を社会の基礎におくべきなのか、議論を深めておくことが必要である。米国との関係が相対的になるからと言って、日本を戦前の家父長的・権威主義的社会に戻そうとしたりすれば、戦後教育を受けてきた世代からほぼ総スカンを食らうだろう。日本は以前のように相互依存的な濃密な人間関係の中での義理とか辛抱といういわば演歌の「クラ」い世界から、「個人」としてでも生きていける豊かな、J-POPに代表されるような「アカ」るい社会を作り上げた。こちらの行き方の方が、現在では社会の大半の支持を得ているのだろうと思う。我々は、戦後営々と築いてきた自由と民主主義の価値をもっと認識するべきである。

  第四に、アジアはアジアだけではやっていけないということだ。発展したとは言っても、日本を含めた東アジア諸国は米国やEUへの輸出にその経済成長のかなりを依存している。それに、紛争が起きればアジアだけでは解決しにくい。だから、現在少しづつ進められている東アジア共同体とか東アジア首脳会議の動きは、アメリカやEUを排外するものであってはならないのだ。

それでも20年先はわからない・・・
パックス・アメリカーナに安全保障と外交の根幹を委ね、自分は稼ぐことに夢中だった日本人が、右肩上がりの経済が終わった今、国のあり方を問い直し始めたのは自然なことだ。だから「国家の品格」とか自主防衛についての意識が高まっている。だが、自分の軍事力だけで安全保障を確保しようとしたら、中国、ロシアばかりか米国の軍事力に対抗することも考えざるを得なくなる

  戦後の日本では、平和愛好を宣言すれば他国も攻めてこないという幻想を持つ人達が多かったが、今この人達は「自主防衛」というバラ色の言葉が日本の問題をすべて解決してくれる、とでも思っているのではないか。だが実際には、そのような路線は日本をヒステリックな孤立に導き、際限のない軍備増強のための重税をもたらすばかりでなく、徴兵制をも復活させることになろう。

  イラク戦争のために、米国没落論が盛んになっている。しかし米国の力は、BRICsなどとは比較にならないしっかりしたものだ。米国が孤立主義に引きこもった場合、世界は政治的安定を保証してくれる存在を失い、モノ、カネの取り引き、移動、外国への直接投資は大きく限定され、大混乱するだろう。世界の多くの国は米国に「引き込まれる」ことを恐れるよりも、米国を「引き込む」ことに血眼なのが現実なのだ。日本は過早に日米安保を廃棄してはならない。日米安保がなければ日本は東アジアで「裸」となり、周辺諸国からばかりか米国からも数々の無理無体な要求をつきつけられることとなるだろう。

  ただ、今後20年もたって(もっと早いかもしれない)日米関係が相対化してしまったとしたら、その場合の行き方はわからない。米中双方が日本との関係を良くしようとして競争するような構図が理想的なのだが、どうしたらそんなことができるだろうか?

  そして米国への貢献を拡大することによって日米関係を強固なものにしていくという現在の路線も、英国がその貢献ゆえに潜水艦発射核ミサイル「トライデント」の提供を米国から受けていることや、ドイツが1万人もの兵力を海外に派遣し国際的発言力を高めているのを見ると納得できる気がするが、日本の世論の支持をどこまで得られるかは別の話だ。

  こうして現在も、そして20年先の世界でも、日本の安全保障とプライドの双方を満足できる解はなかなか見つかるまい。日本はその国力に見合った努力を目一杯行うことで、士気と矜持を維持して行くしかないだろう。ただ安全と安定さえ確保されれば、経済と文化、その両面で日本は大いに存在を誇示できる国であることを忘れてはならない

コメント

投稿者: 勝又 俊介 | 2007年06月01日 20:09

河東先生も引用なさってますが、「日米同盟が日本の国益に全く結びついていない」と断じる論調は、私も、あまりにも短絡的すぎると考えております。日米同盟が、「国家の主権への重大な侵害」に対して効力を発揮していないことは否定できませんし、それが国益の根幹を成す部分であることは間違いありませんが、だからといって、経済面含めて、国益を構成する各要素が軒並み阻害されているとは思えません。国家の主権への侵害は、極めて重大な問題でありますが、国益とは冷静に切り分けることも重要なのではないでしょうか。現在の外交交渉は、そうした冷静さを持って進められている感を
私はもっておりますし、むしろ、世論や世論をあおるメディア側のほうに、感情的な苛立ちが過ぎるような気がしております。

言葉としての強さやインパクトは、「日米安保解消」「自主防衛」などといったスローガンのほうが表面的には勇ましいですし、格好よくも映りますが、そのために国民がどれほどの覚悟をしなければならないのか、深みのある議論や、深みのある説明がなされているかといえば、全く成されていないのが現状かと思います。ここ数週間の政権の右往左往ぶりを目にすると、「年金問題でさえこれほどブレのある舵取りになってしまうのだとしたら・・・」と、
非常に不安な思いにかられてしまいます。
(横道にそれますが、年金問題についても、選挙が迫っているせいか、どんどんテーマが矮小化している気がします。私のような世代にとっては、年金は払ってはいながらも、将来、それが支給されるリアリティについてはほとんど期待していませんし、抜本的な構造改革の議論をもっとしていただきたいところです・・・・選挙の前は、ただでさえ近視眼的になりがちな議論が、それに輪をかけて近視眼的になるのだからいけません)。「これまで当たり前にあったものを失った時に、はじめてそのありがたみが分かる」などということは多々ありますが、日本にとっての安保条約・日米同盟が、国民への説明不足によってそうした結末を迎えてしまう日が来るとしたら、まさに悲劇です。

強国に東西を挟まれて生き残った国の例として、国内の戦国史を取り上げることがふさわしいかどうかは分かりませんが、三河の徳川氏や、常陸の佐竹氏、信濃の真田氏など、周囲の列強の圧力のなかを見事にくぐりぬけた例は、けっこうあるのではないかとも思います。徳川氏のブレのない忠誠心、真田氏の独立性、佐竹氏の累代の歴史・血筋など、個性は様々ですが、そこには、たとえ群を抜く強国ではなくとも、存在意義の圧倒的な主張があり、自国内領民に対する強烈な求心力があったことも特筆すべき点でしょう。その担保があれば、無理無体な合併があろうが、常に真っ先に危険にさらされる境遇であろうが、そこを生き延び、結果として、さらに強固な地盤を築き上げていくはずであり、いまの日本国の世界に対する位置付けを考えることも、それと同じなのではないでしょうか。他国との相関関係で見るべきは、「力(軍事力!?)のバランス」よりも「気持ち(想いの強さ)のバランス」がまず先なのだと思います。

ただひたすらに、目の前の坂を駆け上がればよかった時代は過ぎていますし、「国のカタチ」ひとつを取ってみても、選択肢は無数に広がり、広がりすぎているがゆえに、どれかひとつを選ぶことすらできなくなっている思考停止状態に日本が入ってしまっているようにも感じますが、こんな時代こそまさに、自由と民主主義の価値を最大限に発揮できる非常に大きなチャンスなのではないかと思います。

投稿者: 金子吉晴 | 2007年06月02日 09:24

 「雑誌『SAPIO』の4月25日号掲載のマンガ」とは、小林よしのり氏のマンガだと思いますが、最近、同氏や藤原正彦氏、関岡英之氏など反米保守を名乗る人士が大量に現れ、人心を惑わしているのが非常に気がかりです。気がかりな理由は、反米だからではなく、彼らが持っている既得権擁護的な主張が今の有権者に非常に受け入れられるので、彼らの言説が日米の離反を画策する勢力に利用されやすいからです。
 彼らの特徴は、その主張が既得権擁護的ですから極めて社会主義的であり、その関心の所在も経済のみにしかなく、本来の保守が最も関心を寄せる安全保障や歴史認識の問題にはほとんどないので(小林よしのり氏は必ずしもそうではありませんが)、左翼にも抵抗なく受け入れられるものです。したがって、基本的に私は彼らは新種の左翼だと思っており、一般の日本人が彼らが保守だと感じるなら、それは一般の日本人自体が余り保守ではないという証明でしかないと思います。
 日本の中には十万人を下らない反日工作員がいて、彼らの当面の目標は日米の離反なのですから、彼らと彼らをもてはやす勢力が本当に日本のために論じているのかどうかしっかり見極める必要があると思います。

(河東より: コメント、有難うございます。おっしゃられるように、まあ以前も反米と独自防衛は結びついていましたよね)

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