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世界はこう変わる

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2008年04月11日

08年3月のモスクワ(1)―-幸せになってしまったソ連

2月の終わりから3月10日まで2週間、モスクワに行っていた。
モスクワ大学のビジネス・スクールで毎日3時間づつ集中講義をしたので疲れ果て、帰国してからも年度末までの調査プロジェクトがあって、ブログからはすっかりご無沙汰。
やっと時間もできたので、今回モスクワでの印象を書き連ねてみる。

いつもの出張は高級ホテルと乗用車での移動で終わってしまうのだが、今回はモスクワ大学の建物に寝起きし、地下鉄と徒歩で市内を移動したので、印象はやはり随分違った。別にいつもより悪かったのではない。むしろ逆だ。底辺に近いところに至るまで、ロシア人の生活はましになってきたな、ということ。
ではその1は、モスクワの地下鉄について。

幸せになってしまったソ連
モスクワ大学も地下鉄も、僕が35年前に留学したソ連の頃と外見は違わないので、今回はノスタルジアに誘われることしきり。
今のモスクワに来て見回すと、新しい高層ビルや高速道路は確かにあるのだが、まるで35年前に去ったソ連がその後発展し、皆幸せになっていた、そこにいきなり飛び込んだ浦島太郎になったような不思議な気がする。
店は商品であふれている。モスクワ大学の売店も、35年前とかっこうは変わらないが、ポップのCDとかパソコンのマウス、リチウム電池、美麗に包装された菓子とかを売っているのは様変わり。
そして地下50メートルほどの深さを通っているはずの地下鉄では、走っている時も携帯ができるので、中年の男が画面のメッセージを見ていたりするのだ。

今回モスクワには、夜着いた。夜のモスクワは光の洪水だ。
シャレメチェヴォ空港の脇の家具チェーン、IKEAの大店舗の横には僅か半年見ないで居るうちに大型モールが2軒もできて光り輝いている。どこをどの方向に走っているのか、まるで見当もつかなくなってしまった。
ロシア外務省の前には昔ベオグラードと言ったわりと古い高層ホテルがあるのだが、これが何と上海でもヨーロッパでも見たことのないような、ビル全面にLEDか何かが張り巡らせてあって、四六時中幻想的なサイケデリックな図柄がうねるように変幻していく。
そしてその有様は、遠い遠い雀が丘の展望台から真正面に見えるのだ。

テレビを見ていると、安定感そのもの。日本と同じで歌謡番組、お笑い番組、バラエティー、それだけという感じだ。90年代、政治番組であふれていたダイナミックさはないが、ソ連末期のあのぬくぬくとした安定感がある。温かい。90年代の混乱期には、モスクワ市民も随分とげとげしい風情を見せる時が多かったが、今ではおとなしく優しい。

混乱と屈辱の時代には、お笑い芸人もどこか力を失い、疲れた風だったのが、今では幸せそうに笑っている中年、老年の聴衆に囲まれて、張りのある芸を披露している。
その聴衆・・・はて、25年前にも同じような人達がお笑いを聞いていたな、この人達は全然歳を取らずにこの歳月をどこかに隠れて過ごして来たのかな、と思う。

それに豊かさが加わっている。料理番組を見ていたら、マンゴーとかカニを、何の挨拶もなしに当然のことのように食材として使っている。香料もタバスコその他、当然のレパートリーに入っていた。
外は3月初めでも零下7度の寒さなのに、室内では暑くてやっていられない。地域暖房の発達しているモスクワは、ソ連時代からこうだったけれど。

だが大学の入り口を守っている警備員は、昔の警官と同じくシニカルで、投げやりだ。低賃金なのだろう。反面、人間的でどこか話しかけやすい気もする。

モスクワ大学の食堂も、外見は35年前と変わらないのだが(ただクレムリン前のキャンパスでは超モダンなカフェテリアができている)、食べ物は随分おいしくなった。昔のアルミでできた薄べったいフォークやナイフはもう少し厚いステンレスに代わったが、相変わらずひん曲がっているナイフを見つけたりすると、昔を思い出して嬉しくなる。

今回は、いくつかのなじみの日本レストランが消えているのに遭遇した。
平和大通りにあった日本食料品店も、もうなくなって、モスクワ在住の日本人ばかりか日本食好きのロシア人は皆、困っていた。
大体が、賃貸契約更改や、建物の持ち主が代わった時に法外な料金をつきつけられて撤退したのだそうだ。金の卵を産む鶏を、こうして殺してしまう貪欲さは、直っていない。
7年くらい小型店舗を出店して散々マーケティングをやった後、外務省の前に大型デパートを出店したフィンランドの「ストックマン」も、建物の大家が代わって法外な賃貸料を吹きかけられ、往生しているそうだ。

ある日、大学近くの古いホテルに行ってみたら、「エタージュナヤ・ダーマ」(ホテルの階毎に座っていて、キーを管理したり、外部からの来客を監視したりしていた婦人達。90年代の混乱期には次第に姿を消した。)がいるではないか。嬉しくなってしまった。

で、ちょうど3月2日の大統領選に当たったので、彼女に聞いてみる。
「明日、選挙に行きますか」
するともう70歳くらいでスカーフを被った老女は、馬鹿なことを聞く、といった風情でしばらく笑いをこらえて黙っていたが、こらえきれないように言い放つ。「この国じゃ、投票に行こうが行くまいが、何も変わりゃしないのよ。」。
おや、あなたの国でもそうなんですか。

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