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日本歴史

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2015年6月 8日

淡路島 鳴門 徳島 紀行

もう1月前の話しになるが、淡路島と四国の徳島に初めて行く機会があったので、見聞したことを綴っておく。

「日本でいちばん最初にできた」?淡路島
淡路島というのは地図で見ると本土から隔絶しているので、いかにも違う文化があるのではないかと期待させるところがあるが、もちろんそんなことはなくて、明石海峡大橋を渡って淡路島に入っても特に変わったことはない。ただ思ったより山の多いところだ。
しかし調べてみると、随分面白い所ではある。まず古事記にあるイザナギとイザナミの命が初めて作った島、オノコロ島が淡路島の少し沖にあることになっているhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%8E%E3%82%B4%E3%83%AD%E5%B3%B6
実際、このあたり随分珍しい古い岩石が分布しているらしい。多分、「中央構造線断層帯」という地震帯の上に位置しているからだろう。因みにこの中央構造線断層帯は四国の北部を東西に横切って伊予灘にまで至るのだが、この四国北部にはいくつもの小さな死火山(小豆島、琴平山,石鎚山等)があって、これも地震帯のせいだろう。

次にいきなり現代に飛ぶと、この淡路の経済構造はずいぶんしっかりしているようだ。つまり洲本など、カネボウの企業城下町の様相を呈していたそうで(今では繊維から電子工業に移行)、その名残なのか、第2次産業がGDPの27、4%と、全国平均の20%内外より高い。要するに、阪神工業地帯がここまでspill overしているのである。
また淡路は、阪神の野菜供給地であるため、1次産業もGDPの6%と、全国平均の1、5%より高い。

そしてこの小さな島は、随分多彩な人材を輩出してきた。高田嘉兵衛、大内兵衛、阿久悠、山口崇、大地真央といったところである。

鳴門の渦潮

淡路島南端と対岸の四国の鳴門の間が鳴門海峡で、ここは一番狭くなっている。ここに太平洋の海水が満潮となって押し寄せ、干潮となって瀬戸内海の水を吸い取るのだから、音をたてて流れる潮流と渦潮を発生させる。淡路島の福良港から船に乗って見に行ったが、海は本当に音を立てて流れており、流れるからそこには渦が生ずる。そこは陸地の間が一番狭くなったところなので、ハイウェーの大鳴門橋もちょうど渦潮のほぼ真上にかかってしまっている。東京で言えば、荒川鉄橋のような感じ。若干興醒め。

しかし福良港から渦潮を見に行く船の1隻には「咸臨丸」(皆で一緒にやる、という意味らしい)という勇壮な名がついていて、ロマンがある。幕末の咸臨丸は全長が約50米。ここの咸臨丸もそれと同じに作ってある。本当に小さく見えて、こんな小さな船で太平洋を渡ったのかと思うと、苦労がしのばれる。

この狭い鳴門海峡には戦国時代、海賊「阿波水軍」の森家が陣取っていたが、江戸時代には徳島の蜂須賀家の大名行列が大阪まで船渡りをする時の海運を請け負って栄えたそうだ。海上の大名行列とは、さぞかし映えたことだろう。
更に時代を遡ると、源平合戦の際、一の谷で熊谷直実に首をかかれて死んだ笛の名手の美少年、平敦盛の首塚が、福良港の入口の煙島にある。もっとも、敦盛の首塚は神戸近くの須磨寺にもあるそうで、双頭の武士であったのかもしれない。

因みに福良港の近くには、第2次大戦で動員されて戦死した学徒20万(!)を慰霊する「戦没学徒記念若人の広場」http://www.sankei.com/west/news/150315/wst1503150040-n1.htmlがあり、丹下健三の設計した三角の塔がそびえている。今でこそ大学生は250万人もいるが、戦前の20万人とは大学生はもちろん、勤労動員中戦死した高校・中学生も含んでいるのだろう。

大塚国際美術館

淡路島から鳴門大橋で四国に渡ったあたりは鳴門市。このあたりの見ものは、大塚国際美術館http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%A1%9A%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E7%BE%8E%E8%A1%93%E9%A4%A8。ここはオロナイン、オロナミンの大塚製薬発祥の地で、ポカリスエット・スタジアムとかいろいろ夢を誘う名前がある。

大塚製薬が作った「大塚オーミ陶業」は、当初近くの鳴門の白砂を建材にして売ろうとしていたのが、景気変動で成り立たなくなり、目標を大型陶板の焼成、そして絵付けに据え、世界の名画を原寸大の陶板で再現する試みを始めた。それは現在1000点以上もの世界の名画の複製となって、ここの大塚国際美術館に陣取っているのである。圧巻はバチカンのシスティナ礼拝堂が原寸大で再現されていることだ。この美術館自体、広大なもので、ぶったまげること請け合い。その気持ちは、このブログをご覧いただきたいhttp://blog.goo.ne.jp/aratagami/e/7832a63bdcf6c9ee8a9aba50815f927e
僕が驚いたのは、これだけの名品の精密な写真をよく取れたな、そしていくつものタイルから成り立つ陶板はジグソー・パズルのようだったろうに、よく管理できたな、ということ。すごい企業家精神だ。

このあたりに大塚製薬が発祥したことを不思議に思うかもしれないが、徳島のあたりは江戸時代の経済の中心、大阪に至近の距離にある。当時大阪の道修町には日本一の薬種市場があって、薬品流通の中心になっていたので、このあたりに製薬産業が成立して不思議はない。大塚製薬の他にも、吉野川流域で採れる藍を商っていた犬伏家が敬震丹という薬を今でも発売している。この犬伏家というのは、名探偵コナンの犬伏城とは関係ないようなので念のため。

徳島
 徳島というのは、市内を流れる吉野川上流が山岳・森林地帯なので、昔から製紙や染料(藍)、たばこ産業が盛んだった。今でも製紙、そして製材産業は盛んである。
そしてベンチャー・ビジネスに結構縁がある。江戸時代、徳島藩の武士は、米穀を禄として支給されるのではなく、一定の土地を農民付きで支給され、収入はその経営次第ということになっていたことが、企業家精神を生んだのだろうか? もっとも、他の藩でも上級武士は土地・農民を差配していたし、徳島藩での実態もよくわからないので、何とも言えないが。

いくつかベンチャーの実例をあげよう。青色LEDの開発でノーベル賞を受賞した中村修二博士は愛媛生まれ、徳島大卒。これはベンチャーではないが、昨年、日立の社長になって話題を呼んだ東原敏昭氏も徳島大卒で、「どんな課題を与えても食らいつく男。修羅場でも豊かな人間性。顔を赤くして汗をかきながら話す姿に、人は『彼のためなら』という気になる。1989年にボストンに留学、2008年にドイツ子会社のトップに就き、欧州で発電設備を売り歩いた」とあるので(2014年1月9日付日経)、精神はベンチャーである。

またアメリカのポップ歌手リタ・クーリッジはカリフォルニア大学の日本人教授と再婚したが、この日本人は徳島出身。その人と思われる男性をインターネットで見ることができるが、精悍かつ聡明という感じで、これは婚活ベンチャーの好例。何でも飛行機で乗り合わせ、クーリッジが水をこぼしたところをゲットしたそうだ。今回調べたら、クーリッジはチェロキー・インディアンの末裔で、先夫はクリス・クリストファーソンの由。
鳴門市には「ナノミストテクノロジーズ」(元超音波醸造所有限会社)というベンチャーがあって、超音波で細かい霧を作る技術で99,5%の高純度エタノールを精製する技術を開発したりしている。蒸留法の8分の1のエネルギーしか使わない。

美波町にあるIT企業のサイファー・テックは、東京の自由が丘と岐阜の飛騨にもオフィスを持ち、社員は3カ所を自由に移動しながら勤務していいのだと言う(3月2日付日経)。

そしてクラウドで名刺を管理するサービス大手「SANSAN」社は徳島の神山町にラボを持つ。もともとここが発祥の地かもしれない。

もっとも、所得の伸びなど指標でいくと徳島の経済は最近ふるわないようで、特に65歳以上の介護認定者の人口比率が日本2位の21,1%(2012年)、人口に比しての介護施設定員数で日本トップというのは、経済にとって負担だろう。もっとも、それだけ暮らしやすいと言ったら言えるのかもしれないが。

徳島出身の有名人は、上記の経済人の他にも多岐にわたる。シンガーソングライターのアンジェラ・アキは安芸清イーオン(英語教室のイーオン)社長の娘で、四国生まれ。ゴルフの尾崎三兄弟、日刊スポーツ創立の川田源一、瀬戸内寂聴も徳島産。江戸幕府に弓を引いた大塩平八郎も徳島生まれ。他にいろいろ面白い方面に人材を輩出している。

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