Japan and World Trends [日本語] 日本では自分だけの殻にこもっているのが、一番心地いい。これが個人主義だと、我々は思っています。でも、日本には皆で議論するべきことがまだ沢山あります。そして日本、アジアの将来を、世界中の人々と話し合っていかなければなりません。このブログは、日本語、英語、中国語、ロシア語でディベートができる、世界で唯一のサイトです。世界中のオピニオン・メーカー達との議論をお楽しみください。
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世界文明

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2011年6月23日

菅騒ぎを乗り越えて 日本の症状と療法3

いい芽はたくさんある
地震の後、日本人は「やる気」になった。何か目標がある時ほど、日本人が強くなるときはない。福島原発事故への対応をめぐってあら探しを延々と続けるよりも、目標の実現に向けて邁進する方がよほど気持ちいい。

(以下のこと、「補正予算」の種にしないでいただきたい。今の政権が何を言っても、社会は奮い立たない。それにどうせ、負担を国民や企業に丸投げするのだろうから)

そして、そんなに悲観的になる必要はないのだ。一度稼いだ国富は、それほど簡単には目減りしない。藻谷浩介氏が言うように、勤労世代人口が減っていることなどが国内の消費を減らし、税収も減らしているが、富は国民の貯蓄という形で残っているのだから、国債を出してその金を借り上げ、足りない消費に代わって社会の中に回してやれば、GDPは増えるのだ。やり過ぎれば金利上昇やインフレを招きかねないが、要はバランスの問題で、財政黒字の実現にばかりこだわると経済はどんどん縮小していくだろう。

人口が減少するのだからGDPも下がっていいと思う人がいるだろうが、人口が減少する中で老年人口は大幅に増えるのだから、財政収入をかなり増やさないと医療を支えることもできない。つまり中国やベトナムに生産が流出していく中でも、国内の富は維持して年間1~2%程度は伸ばしていかないといけないのだ

そして富の規模を維持するためには円のレートを維持しなければならず、そのためには国際収支を大きな赤字にしない手立てが必要だ。今回の地震で明らかになったように、日本は「生産財」――生産設備や部品――の輸出で、国際収支をバランスさせていけるだろう。そして日本国内の雇用、社会保障費用の負担はサービス業に大きく期待するのである

日本では、国内の製造業について暗い見通しを言う者が多いが、エネルギーを中心に世界の技術体系が大きく変わろうとしている今は、製造業についても大きな夢を描くことのできる時代である。水素を安価に製造する技術を開発し、その水素を用いて発電する燃料電池を各事業所と家庭に普及させ、太陽電池、風力発電、地熱発電などとともにスマート・グリッドとして管理する。このような体系に必要な機器の製造のために、日本企業は体制を整えつつあり、膨大な需要をものにしようとしている。

外国語能力で劣る日本人は、金融等のサービスで世界を席巻することはできない。性能と価格で勝負できる製造業の地位を復活させよう。皆の生活を支えるものとしての製造業への関心を復活させ、大学・専門学校の理科系・工学系の地位をまた引きあげよう。

そして、1776年アメリカが独立した当時、ジェファーソンやアダムス達があらゆるシミュレーションを机上で行いながら共和制システムを作り上げ憲法に定着させた時のような議論を行い、統治のメカニズムを変えていくべきだ

戦後日本が築き上げた、自由で気配りのある社会を維持しながら、そして社会と政治の間のinterfaceをもっと実のあるものにしながら(今の代議制――つまり一票を投じて議員を選び、当選した議員にすべてを委ねてしまうというやり方――は、今の日本の若者たちには「うそ臭くて」信用できないものになっている)、迅速、ダイナミックなものに変えていかないといけない。そのための議論の場、決定へのメカニズムも考えないといけない。

そしてその前に、東京や大阪のような巨大都市を直下型地震が襲った場合への備えをしておいてもらいたい。自衛隊を総動員しても東日本大地震のあとに十分対応できなかったのだから、東京の場合には物流が何日も止まって飢死、渇死する者さえ出てきかねない。そして日本は災害のリスクに世界一弱いという評判が立てられるようでは、日本株の相場も下がるばかりだ。ムードを変え、ムードだけではなく実行しよう。マイナスからプラスへ。いや、マイナスをプラスに。

「一人の優れた政治家が何でもやってくれる」という幼稚な幻想はもう捨てて、広く興論を起こしていこう。   (了)

コメント

投稿者: 関 淑子 | 2011年6月29日 16:06

今の日本はアン・ランドが書いた「肩をすくめるアトラス(Atlas Shrugged)」という小説のように、「トップが決断しない社会」ですが、「災害ユートピア(A paradise built in hell)」のレベッカ・ソルニットによれば、何処の国でも大災害が起こると、「エリートはパニックに陥り、一般庶民は助け合う」のだそうです。

民主主義の原点に戻って、代理人である議員に政治を任せっぱなしにしないで、我々自身が自らの運命を決めないと駄目ですね。

しかし、一般人には複雑な問題を理解するのが難しい。経済的なことも含めて、我が家の危機管理から考えてみます。

投稿者: 吉田忠正 | 2011年7月 8日 09:25

注目した言葉
製造業の復活 統治のメカニズム 自由で気配りのある社会

日本の総理は、小泉氏のあと、どなたも短命でした。どんなことがあっても最低4年はやってよ。と願ってきました。そしてまた、今のような足の引っ張り合いの騒ぎ。とくにこの震災のときにです。日本の国会議員は、このような災害時に何をなすべきなのでしょうか?トップの足はひっぱっても、被災者のために、復興のために何かできないのでしょうか。こんな国会議員のために税金で給料を払っているなんて信じられない思いです。国会議員はいらないと思います。三権分立の統治システムを変えていかないとと思いますが、どうすればよいのでしょう?
またすべてを政府にまかせていても、政府は動きが鈍いし、所詮他人事としか見ていないでしょう。県や市町村が自分の郷土は自分たちで守るという強い意志のもとに、リーダーシップをとってやっていかないと。学校の復旧のために、魚市場をつくるために、これだけのお金がいるから、ここに募金してくれといったアドバルーンをどんどん揚げてほしいです。日本赤十字社への募金はやめて、具体的に目に見える形で支援をしていきたいです。原発の再開にしても、県レベルで独自の安全基準をつくってほしいし、保障についてもケースに応じた金額をきちんときめて、住民も納得したうえで、すすめてほしいですね。

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