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世界文明

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2013年12月 7日

秋野豊ユーラシア基金解散について

以前、筑波大学に秋野豊という助教授がいたhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%8B%E9%87%8E%E8%B1%8A。豪快な人で、僕は彼がモスクワの日本大使館で専門調査員をしていた時に仲良くなったのだが、モスクワで真紅のハーレー・ダビッドソンか何かを乗り回し、本職の外交官顔負けの人脈開拓ですっかり名物になっていた。

気宇壮大な人で、東欧でも中央アジアでも何を研究してもそれをグローバルな文脈に移して意味を与え、独自の理論を考える。そしてそれを英語で書いて世界にも発信するということをやっていた。

彼は理論だけではない。その理論(荒削りで学界では批判されることもあったが)は、身の危険を冒してのフィールド・ワークで集めた知見に基づいていた。そしてフィールド・ワークと言っても、人懐こい性格を生かしてどんな人間の懐にも飛び込み、深い共感を作り上げた上での話だった。

その彼は1998年7月、タジキスタンの内戦後始末の国連政務官をしていた時、山地で武装集団に襲われて亡くなった。僕は当時、モスクワの日本大使館に勤務していたので、現地に飛んだのだが、ドシャンベの国連監視団の同僚たちは彼を心から慕い、悼んでいた。日本にとっても大きな損失だった。

秋野さんには何人かの弟子がいて、秋野氏のDNAを引き継いでいる。それは、現場重視、そして人とのかかわりを大事にし、知見をconceptualizeして、将来の紛争解決にできるだけ役に立てる、そしてそれを国際的に発信して日本を世界で見える化する。そういうDNAだ。

そうした秋野精神を大事にしようと、「秋野豊ユーラシア基金」が作られた。この基金は質素なものだったが、もう15年活動し、ユーラシア大陸の紛争解決に役立つような研究や活動をした若者たちに「秋野豊賞」を授与してきた。賞をもらった人たちは31名。秋野氏に会ったことのない若者たちも、授与される時代になっている。

こうした活動の結果、「紛争学」とでも名付けるべき分野ができた。その成果は今般、「平和構築へのアプローチ――ユーラシア紛争研究の最前線」として出版されている。

その「秋野豊ユーラシア基金」も資金を使い切って、来年3月には解散の予定なのだそうだ。その最後の催しだろうか。「秋野豊ユーラシア基金15周年記念シンポジウム」が昨日、市ヶ谷で開かれた。
DSCN1575[1].JPGパネリストはいずれも、秋野豊賞を受賞したことのある若手ばかり。若い女性が紛争現場で和解工作をしていたりして、圧倒される思いだった。

このまま秋野さんの名前、それよりも彼の名前に象徴される現場精神、世界に打って出る精神、ものごとの本質を考える精神が忘れられるのは惜しい。どこかの大学で、彼の名前を冠した講座を作ってはどうか。


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