パソコンは時代遅れになってそして。。。
歴史にはいくつかの転回点がある。情報伝達の分野でもそうで、グーテンベルクの活字印刷術が一つの転機だった。それまではラテン語のできる聖職者たちが筆写しては独占してきた聖書その他の知識は、皆のわかるドイツ語や英語で印刷されて、新中間層に広まったからだ。
そして、次の転機は戦後のテレビの普及だろうか。活字ものはあまり読まない大衆は、テレビで頭づくりをするようになった。「テレビ劇場型民主主義」の誕生だ。テレビはポピュリズムの申し子として、これまで50年余も君臨してきた。
そこにインターネットが新しい媒体として登場した。このブログのように、今や個人が新聞、ラジオ、テレビに相当するものをネットで流せるようになっている。これまで世界の論壇にあまり入れてもらえなかった日本人は、「自分たちの声を聞いてもらう」ために、ネットでの発言を盛んに始めた。
だがその夢は淡いものに終わる。ホームページやブログがやたら増えた今では、自分の声を聞いてもらうことはほぼ不可能だ。それにもともと社会では、国全体とか世界のことを考える者の数は限られている。「意見」など要らないのだ。それでもアメリカなら、いろいろなブログから毎日編集したネット新聞みたいなものが世論形成に力を持っているのだが、日本人はネットを身内の付き合いのために使いたがる。
それでも何とかこのブログを続けてきたが、I-PadとかI-Phoneで情報(ますます短く、浅いものになる)を仕入れる人が増えた昨今は、また一つの転回点なのかなとも思う。電車の中の立ち読みで、このブログのような七面倒な議論を2ページも3ページも読みたいという奇特な人は少ないだろう。
そして情報空間は、無数のプライベートなSNSコミュニティーによって分割されてしまった。みな、この日本とよばれる枠組みがなくなる可能性など考えたこともなく(僕はソ連という超大国が滅びていくのを目の前で見た)、身内の付き合いで時間はもういっぱいだ。自分の関心以外のものへの理解力が、この頃はもうないのではないかと思われる。
このような世界では、パソコンはこれから社会のせいぜい10-20%の、クリエイティブと言われる人たちが使うだけの、ワークステーション的なものになっていくのだろう。
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コメント
いつもブログを読ませていただいています。
これから世界(というより人間)はどこに進んでいくのでしょうか。時折、漠然的な不安に襲われることがあります。
いつもブログを読ませていただいています。
これから世界(というより人間)はどこに進んでいくのでしょうか。時折、漠然的な不安に襲われることがあります。