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世界文明

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2012年3月21日

ロシアについて翻訳書出版

友人ドミートリー・トレーニンに頼まれた翻訳が作品社から出版されました。
「ロシア新戦略――ユーラシアの大変動を読み解く」と題するものです。以下のURLで是非ご購入ください。

前書きと後書きを、以下にアップしておきます。

(まえがき)
ロシアは変わるのか、変われるのか
 今、手に取られたこの本は、二〇年前に消滅したソ連、そしてその後に現れたロシア共和国と一四にものぼる新しい国々の運命を描いた書です。それは、今から約百年ほど前に崩壊していったオスマン・トルコ帝国、あるいはオーストリア・ハンガリー帝国のその後と同様、これから何十年にもわたって数々の紛争、そして人間のドラマを生み、やがて落ち着いていくのでしょう。この本は、ソ連崩壊とその後の世界を丁寧に説明することで、歴史とは何なのか、「国」とは何なのかについて私たちの理解を豊かにしてくれるものです。
 ソ連の崩壊とその後は、今の日本にとっても大きな教訓となるものです。「国」という人造物は、扱い方を誤れば他ならぬ国民を滅ぼしますが、ある時には国民が「国」という仕組みを破壊してしまうこともある――そういうことがソ連の例からうかがわれるからです。
そしてモノづくりをおろそかにし、これまで築き上げた財産を分配することだけに血道をあげると、社会全体が共倒れになるということも、ソ連の例は示しています。国防に主力をつぎ込み、普通のモノづくりをおろそかにしたソ連は、最後には財政赤字を膨張させ、食糧価格も年金も維持できなくなり、あげくには六千パーセントものインフレで、国を崩壊させたのです。

 一方ソ連、そしてロシアという国は、「日本から一時間で行けるヨーロッパ」でもあります。その文化ははかり知れず深く豊かで、人々は温かく感情に富み、青年たちは自由闊達、かつ豊かな想像力を持っています。このような国が民主主義、民営経済に移行し、日本との領土問題の解決にも応ずるならば、それは日本の外交だけでなく、私たちの心や生活をも豊かなものにしてくれるでしょう。大統領選前の数カ月、ロシアは民主主義を求めるデモで揺れていました。ロシアは変わるのか、変われるのか。この本は、そうした私たちの疑問に答えてくれるものでもあります。

著者のドミートリー・トレーニンは、今のロシアを代表する語り部の一人で、この本も欧米のマスコミでは既に広く取り上げられています。彼はソ連時代、アメリカとの核ミサイル削減交渉にも参加したため、ロシアの政府部内でものごとがどのように決まっていくかを知っています。それは西側で考えられているように、大統領の独断で決まるというような、単純なものではありません。そしてトレーニンの素晴らしいところは、ヨーロッパ、アメリカの研究機関にも合計数年間滞在して、西側内部の力学も心得ていることです。たとえばアメリカの外交政策は大統領の独断で決まるものではない、それは議会、国務省、国防省などとの複雑なゲームの末に決まるもので、一貫した戦略がそのまま実施されることは稀である――このようなこともトレーニンの頭の中では常識になっています。
彼には訪日経験もあるので、日ロ関係推進がロシアの極東開発、中国に対するロシアの立場強化にも資することを知っており、公言もしています。但し彼は領土問題について日本に媚びようとはせず、あくまでもロシア人としての節度を守っています。

あとがき                           冷戦が終わり、ソ連が崩壊して二〇年が過ぎた。ゴルバチョフのペレストロイカ、東欧諸国のソ連離れ、ベルリンの壁崩壊とドイツ統一、クーデターとその失敗、ソ連崩壊とそれに続く六〇〇〇%ものハイパー・インフレ――めくるめく疾風怒濤のあの十年も、今となっては忘れ去られた。そして時代は今、ヨーロッパ、そしてアメリカの凋落を喧伝している。戦後の世界の対立軸はアメリカとソ連、つまり欧米文明内のものであったのが、冷戦の終結と中国の台頭で植民地主義時代の終焉、つまり、この四〇〇年間世界を支配してきた欧米と、これに支配されてきたものの間の関係の清算、というテーマが前面に出てきたのだとも言えよう。

 その中で旧ソ連圏、そしてロシアは、相変わらず帝国崩壊にも比すべきプロセスの中にあって、その方向は定まらない。オスマン帝国は一九二二年に崩壊したが、その核である現在のトルコが政治・経済面で新たなアイデンティティーをようやく確立し始めたのはつい最近のこと、つまり崩壊後八〇年以上も経ってからのことであるし、オスマン帝国の周縁部だった中近東は今でも不安定な状況にある。旧ソ連諸国もこれから何十年となく、自らのあり方を模索、試行錯誤していくことだろう。それは、北東アジアから中国新疆地方、アフガニスタンから中央アジア、黒海沿岸のコーカサス諸国から中近東、東欧から西欧、北欧から北極圏、要するにユーラシア大陸の北半分の周縁に沿う、広大な地域の安定と繁栄にかかわってくる問題である。そして旧ソ連圏の分解は、東欧では冷戦の後始末、中央アジア等においては帝政ロシアの植民地主義の清算という、冒頭で述べた戦後二つの対立軸の双方を内包している。

 この本は、そのような現在のロシア、そして旧ソ連圏諸国の状況を、政治・経済・社会・軍事・外交にわたって概観したものである。事実の羅列だけなら誰にでもできようが、著者トレーニンは事実の間を糸を結び付け、それらの底流を流れる意味を見つけて提示する。そしてそこには、彼独特の諧謔と、物事の本質を見抜く力、そして進歩への楽観主義がある。ここで彼は前作の「ユーラシアの終焉:地政学的外交とグローバリゼーションの狭間のロシア」(二〇〇二年)と合わせて、ギボンの「ローマ帝国衰亡史」にも比すべき、「ソ連崩壊後始末記」とでも称すべきものを書き上げたと言えよう。
 

「国のかたち」が問題 
この書物でトレーニンは、もっぱら「帝国」、「国民国家」の問題を論じている。ソ連とその崩壊は政治、経済から社会に至るまで実に豊富な研究テーマを提供しているのだが――いずれもまだ十分総括されていない――、トレーニンがここで共産主義でもなく計画経済でもなく、国家を問題にしたのはなぜか。それは、正に国家のあり方に現代ロシアの抱える問題、そして旧ソ連諸国との関係のあり方の根本があるからだろう。共産主義や計画経済も、歴史と地理が形成したロシア「国家」が存在していくための、一つの「装置」に過ぎなかったというわけだ。

トレーニンはこの書物で、実質的には多民族の帝国であったソ連とは異なり、ロシア人が国民の大多数を成す現代のロシア連邦は「国民国家」(NATION STATE)となる可能性を持つ、しかしロシア人は「ロシアの国民」としての一体性をまだ自ら感じていない、と言う。そのうえで第一章では、「法治主義、所有権の保証、市場メカニズム、社会的な結束、そして価値観といった仕掛けなしには、近代的民族国家は形成できない。痛ましいことだが、今のところロシアではこれらの要素は欠落している。参加型民主主義を実現できた時に初めて、『国民』というものが広範に成立したと言うことができるだろう」という悲痛な言葉を吐くのである。そしてそれは、彼が所々で披露する、ロシアの将来についての願望の混ざったいくつかの明るい予測とは見事に矛盾している。ここには帝政時代以来、ロシアのインテリが抱えてきた葛藤――願望と現実の狭間での――が如実に表れている。
だが、ロシア史をご存じでない読者にとっては、少々説明が必要だろう。ロシアは、どこが他の国と異なるのか、それは歴史上どういう経路をたどって形成されてきたものなのか。

「近代」の欠落
ロシアという国家のあり方、その基本はこの国が、一六世紀に始まったヨーロッパの重商主義的な植民地主義の流れの上に建設されたままの国である、ということである。つまりヨーロッパは暴力で植民地の金銀を収奪し、アフリカの奴隷を「取引」して富を築いたが、他方ルネサンス、宗教改革で人間を教会への従属から解放し、産業革命によって富を自ら生産できる社会を創った。世界の主流はゼロサムの重商主義からプラスサムの産業経済に移行したのである。

一方ロシアはルネサンス、宗教改革、国民国家、産業革命、民主主義体制の構築という過程を経ることがなく、武力で周囲を征服したあとは、その土地の資源(毛皮。後に石油・ガス)を利用するだけで止まった。トレーニンがこの本の結びで言う、「ロシアには前近代、ポスト・モダンはあるが、近代がない」というのは、その意味である。一六世紀には未だモンゴル帝国の支配下にあり、モスクワ周辺を版図とする公国でしかなかったロシアは、モンゴル帝国に反撃し、その帝国を反対側から攻めていくうちに大帝国を作り上げ、そしてそのままに止まったのだとも言えよう。

トレーニンが指摘するように、ソ連崩壊後のロシアも多くの少数民族を抱えているのだが、人口の大多数はロシア人なので、これをベースに「国民国家」を築くことも夢ではない。だが一九世紀半ばまで農奴制を続け、その後も工業化に基づく広汎な中産階級の形成を見なかったこの国では、多くの国民にとって国家は自分たちが参加して作ったものではない。この本の第五章で著者は、ナチス・ドイツに対する勝利だけがロシア国民意識を作る上で唯一前向きの要因だったと言っている。そしてソ連崩壊後の「改革」が生活窮乏化をもたらしたため、国民はいっそう自分の生活のなかに閉じこもってしまった、「国民国家」をロシアが形成できるかどうかはまだわからない、というのがトレーニンの本音であろう。

近代化を妨げる「広い国土」
ロシアの国のかたちは、「広い国土と豊かな資源」である。それは以前、小学校の教科書にも書かれていて、ロシア人の愛国主義の土台を成したものである。だが、昔ロシア人が征服した多数の少数民族がいる広大な土地――両端の時差は九時間もあり、二〇〇七年当時の首相ズブコフは、極東のために送金した予算が三カ月たっても現地に届いていないとして、下僚を叱責している――を、十分な雇用や消費財の供給なしに統治せよ、と言われたらどうする。それは、力に頼るしかない。軍隊にも似た上意下達の権威主義的行政組織と、密告、相互監視を駆使する諜報機関が必要になるのである。アメリカは、「働けば豊かになる」という信念と、皆が平等で政治に参加できる民主主義という内発的(・・・)な(・)要因で、あの広い国土の一体性を維持しているが、ロシアは「国土と資源」という所与の豊かさを力(・)で(・)維持する存在なのである。そこでは支配者は支配することに固執し、大衆は支配者から分け前をもらうことを期待する。

この「国土と資源」という、産業革命以前の重商主義モデルを現代でも維持していることが、ロシアの前進を妨げ、社会の閉塞感を高める。ロシアの富を独占するエリートたちは、米国に対する異常なまでの警戒感をあおって国内の統一を維持したが、そのために国富は軍備に浪費されて民需産業は育たなかった。そして現在では、投資資金は収益率の高い石油・ガス部門に集中し、製造業は忌避される。資源を差配する者の数は限られるから、中産階級は育たず、社会における格差は大きいままである。

一八世紀初頭、ピョートル大帝はヨーロッパにならって強い政府を作り上げた。それ以来、ロシアの社会は権力と富を握る貴族、村落共同体における自治と領主への奉仕の狭間に生きる農民大衆、そして一握りの知識階級から構成されるようになった。そして知識階級は体制に奉仕する者、教師・医師のように中立的な者、そして少数の反体制に分かれてまとまらない。ロシアの場合、大衆の多くはかつて農奴であり、一七世紀に強化されて一八六一年、アレクサンドル二世によって廃止されるまで実に二〇〇年強、農奴制はロシア人のメンタリティーを形成したのである。

そこでは、中央の権力によって守られた領主には表面上服従してみせる一方、村落の土地は自分たちで共同管理する「ミール」という伝統――つまり生産手段の集団所有――に基づく、自主管理(自由)への強い希求もあった。だがこれは、法と市民社会的秩序に基づく自由(ロシア語でスヴォボーダ)と言うよりも、民衆の自主的判断に基づく自由(ロシア語でヴォーリャ。「自由気まま」に近い)なのである。だからこそ、普段は忍耐強いと言われるロシアの農民は、一七世紀のステンカ・ラージンや一八世紀のプガチョーフの乱のように、一度立ち上がると手の付けられない残忍さを発揮して領主一家を殺害したのである。ロシアの支配層はこれを「ルースキー・ブント」(ロシア大衆の蜂起)と呼び、今でも極度に恐れている。ロシアでは、「エリート」と自らを呼ぶ者たちと、中流以下の大衆の間には深い裂け目があり、互いに「彼らこそいなければこの国はずっと良くなる」と思っているのである。

近代化を妨げる「豊かな資源」
「豊かな資源」は今ではロシアの近代化、つまり工業の近代化と民主化を妨げる要因となっている。腐敗、民主主義の欠如に目をつぶり、豊かな消費で自己満足していることへの自己嫌悪の念は、今日のロシア社会に腐臭となって漂っている。一九二九年のアメリカ大恐慌の時代には、ソ連経済は輝いていた。それはちょうど重化学工業化の時にあったし、電化を進めるため、海のようなダムが方々で建設された。こうしたものは、計画経済に適合してもいたのだ。だが、アメリカが戦争で(兵器生産で)二倍に膨れたGDPを、戦後、耐久消費財生産への転換で維持したのに対して、ソ連は軍需中心の経済を維持したままだった。それに、計画経済体制は消費財の生産には向かない。人間の需要と欲望は計画できないからだ。ソ連は「核ミサイルを持った開発途上国」と揶揄されるようになってしまった。

ロシアの製造業は、今でも窮状にある。トレーニンが序章で言うように、「ロシアは共産主義から資本主義に移行する過程で道を見失」ってしまった。資源輸出がもたらす貿易黒字が通貨ルーブルのレートを押し上げ、国内の製造業を不利なものとする。たとえ製造業を立ち上げようとしても、市場経済を前提にした消費財生産を経営できる人材が極度に少ない。そして彼らを支えるべき中間管理職層で、自主的、合目的的な動きができる者がさらに少ないため、組織を近代的に運営するのは至難の業になる。熟練労働者が少ないために、社内で研修して資質を高めると、給料の高い他社に転職していってしまう。
ビジネス・スクールの学生たちがアパレル製造のビジネス・プランを作ろうと思っても、適する糸も生地も染料もボタンもないという状況に直面する。サプライ・チェーンがないのである。著者トレーニンも、この本の終章で、「先進的技術を身に着け、イノベーションのための能力を構築することがなければ、ロシアは大国と見做されなくなるだろう。--ロシアは解体し始めるに違いない。――エネルギー資源がロシアを救うこともないだろう」と、彼にしては悲観的な予言をしている。

石油収入に支えられたポピュリズム――プーチン下のロシア
資源の生産・輸出と、それが生み出すサービス業だけに依存する経済は、広汎な中産階級を生み出せない。だから、昨年一二月いくつかの都市で盛り上がったかに見えた批判集会も、大衆の広い支持を得られないままにいるのである。大衆は一九八〇年代末、エリツィンにあおられて共産党たたきに加わったものの、「留学帰りの青二才」たちによる「改革」が六〇〇〇%のインフレで生活を破壊しただけで終わったために、一切の改革にアレルギーを示すようになっている。従って、本来なら民主化を担うべき中産階級はもとから層が薄いうえに、力で抑えつけようとする上層部と、恩恵を期待して指導者にすり寄る大衆の間に挟まれて窒息し、石油経済のもたらす安逸な生活に逃避してしまう。

大衆はエリツィン時代、「自分たちの富」を少数の寡占資本家たちが簒奪してしまったと思っており、これら資本家たちを力で押さえつけ、国内の治安を回復して、賃金・年金を上げてくれたプーチンを支持している。大衆にとっては、民主主義という言葉は混乱と犯罪の横行と同義語であり、改革や民主化を標榜する野党政治家は西側から資金を受けて自分のために運動している悪者と見ている。

このような状況で、近年のロシアの政治は民主主義を標榜しつつも、実はそれを嘲笑うという、シニカルな「政治工学」の極致を示した。新しい政党は当局の都合に合わせて「設計」され、政治家は政府提供の住居、公用車などに絡め取られる。そして選挙での投票、開票にも、当局による作為が加わる。それは近代国家としての体面を保ち、G8の一員として認められるだけの民主主義のうわべをつくろいつつも、トレーニンが第一章で言うように、「民主主義のいくつかの要素を、自分たちの行うことを正当化するために利用」しているに過ぎないのである。

プーチンは、「大資本家」に奪われた石油・ガスの利権を政府の手に戻したうえで、賃上げ(ロシアの労働力の三分の一は予算から賃金を得ている)、年金引き上げというばら撒き政策を行って、インテリ、大衆を納得させてきた。二〇〇〇年~〇七年のロシア経済は原油価格が急騰するなか、GDPが実に七倍強となる高成長を示し、ロシアは古い体質のまま、いわば「幸せになったソ連」とも言うべき状況を呈した。トレーニンが言うように、指導部は「ピョートル大帝(改革者)たらんとしながら、ゴルバチョフのような末路をたどる(改革がコントロールを外れて混乱をもたらす)ことを恐れ、さしあたってはブレジネフのようにふるまって(原油収入を社会に配分して当面を糊塗する)」(終章)いたのである。

新大統領の十字架
ブレジネフ時代の「心地よい停滞」(経済は停滞していても、暮らしはまあまあ)は、一九八五年の原油価格暴落で破られたが、今回の幸せも二〇〇八年世界金融危機で破られた。それまで石油輸出収入の一部を積み立てておいたおかげで経済が大きく崩れることはなかったが、今の国のあり方が前向きなものを生まないことが如実になったのである。ロシアの青年たちは西側とまったく変わらない自由さと能力を持っているが、今の社会では公務員、国営大企業の社員になる以外、安定した生活は送れないと思っている。そして政府、国営企業では自分の能力は発揮できないことも知っている。社会の流動性は極度に低下し、その中で与党「統一」の党員になった者たちがましなポストを侵食していく。従って、自己実現を欲する野心的な青年たちは、国外への移住を志向する。二〇一一年五月の「新時代」誌によれば、この三年で一二五万人のロシア人が国外に移住した(その全てが青年というわけではないが)。

新しい大統領は――それはおそらくプーチンだろうが――、このようなロシアを統治していくことになる。アメリカの経済が回復し、それがヨーロッパの経済(ロシアの輸出先首位はEUである)を支えると、ロシアの状況も改善するだろうが、そうなろうがなるまいが、新大統領が取ることのできる政策の幅は限られている。新大統領は経済「近代化」の政策を強化するだろうが、経済を金融・財政・税制などの間接的手段ではなく、企業に対する指令で動かす体質からは抜けだせず、かつ官僚が予算を流用・私用することによってあらゆる政策を台無しにしていくだろう。そして、大衆に対しては石油・ガス輸出収入のばら撒き政策を続けるしかない。

とは言え、原油価格、天然ガス価格はこれから当分上昇傾向を続けるだろうから、ロシアがドル・ベースでは世界四位から五位のGDPを築くことも十分あり得る。そうした中で、外交面では時々「ロシアの国益に基づいた」独自性を発揮して、アメリカの鼻を明かしては、社会の喝采を浴び(但し経済の近代化を難しくするほど西側の機嫌を損ねることはしない)、普段はばら撒き政策でしのいでいく、生きがいを求めるインテリは国外に移住していく――ロシアは当面、このような国であり続けよう。

日本はどうするのか

トレーニンは日本について、第二章でこう言う。
「日本は経済力をバックに強硬な領土要求に固執した。ロシアは当初、宥和的な姿勢を見せたものの、ナショナリズムの高まりが、日本の要求する南クリル諸島全体の割譲を阻んだ。―――外貨準備高を貯め込み、国力の回復を実感しているロシアは、日本の政治家や政府高官が『ロシアによる四島の占領』問題を提起するたびに目に見えて苛立ちを示している。―――矛盾したことに、ロシアは日本にとって、アジアの太平洋沿岸諸国のなかでおそらくもっとも友好的な国である。―――実際、ロシア人は日本人が好きなのだ。平和的で、発達した産業を持ち、洗練されていて、技術が進んでいて、文化を愛する人々。だが、日本人の目に映るロシア人のイメージはもっとずっとネガティブなものだ。

もちろんロシアは、近代化という大目標、特にロシア極東部とシベリアの開発を加速させるために、日本との関係拡大には非常な興味を持っている。―――モスクワが最近、中国やノルウェーなどとの領土問題を解決したのと同じアプローチを考慮することが、どこかの時点で可能となるだろう。だが、外交上の柔軟性と戦略的思考が日本の側になければ、それも不可能である」

トレーニンがここで言っていることは、日本を評価し、日本との関係強化を望みながらも、ロシアが領土問題で完全に譲ってまでそれを実現するほどの価値は、日本に認めていないということである。これはロシア指導部の本音にかなり近いだろう。それどころか、ロシア上層部には日本をアメリカの同盟国だとして完全に軽視したり、敵視する者も多い。そしてトレーニンは、アジア方面でロシアにとって最も重要なことは中国との関係維持だと言うが、これもまたロシア指導部の大勢であろう。彼は言う(第二章)。「中国との善隣および友好に代わるものはない。中国を敵に廻すなど、破滅以外の何ものでもない。ロシア側には疑う者も居るが、中国が態度を翻すと予想すべき理由は無い。―――中国はロシアではなく西側に対して譲歩を迫っているのであり、同国が抱える領土紛争は東と南の隣国(日本、ヴェトナム、インド)とのものであって北方には存在していない」。
そして他方、第四章では、極東ロシアやシベリアが経済的には中国の影響圏となってしまい、それがロシア領であり続けるにしても中国が政治的影響力を増すような事態も想定している。そしてこれと矛盾するかのように、終章では(彼にしては珍しく、高揚してはいるが実行可能性の薄いアイデアだが)、このように述べている。彼も、揺れているのである。

「ロシアはユーラシア国家というよりも、ヨーロッパ・太平洋国家である。ロシアの最重要地点、二一世紀のフロンティアは東方にある。―――もしもピョートル大帝がいま生きていたとしたら、彼は再びモスクワから遷都するだろう――ただし、今回はバルト海ではなく日本海に向けて。例えば、ロシアがウラジオストクを二一世紀の首都とすることを検討してみてもよい。―――東アジアの主要都市・・北京、香港、ソウル、そして東京・・へ容易にたどり着ける地の利は、ロシアを世界で今最もダイナミックな人々と直につなげてくれる。加えて、中ロ国境に近いウラジオストクの位置は、(ロシアの)平和と領土保全を確保するための究極的な担保として実際の役に立つだろう」
 
このようなロシアに、日本はどのように対していくべきか。まず、ロシアを引き込んで中国に共に対抗するというアプローチは成り立ちえない。トレーニンが言っているように、中国、ロシアは、協力してアメリカからの干渉をはねかえすことに、それぞれの外交の基軸を置いているからだ。中国はロシアにとって既に首位の貿易相手国であり、ロシア人が何かを輸入しようとする時は、ドイツでなければ中国製品を念頭に置く。日本の製品は技術的に優れていても、高値に過ぎる。その上日本企業は中国の企業に比べて敷居が高く、反応が遅いと思われている。
つまり、ロシアは日本との関係に死活の利益を見ていない。このような時に日本から領土問題の解決をしかけても、ロシアは譲歩するまい。中国は歴史問題を外交に使う。日本も当面は、自分の利益になる協力は進める一方、北方領土問題を解決しないとロシアにとってもマイナスであることを意識させる局面を、感情的にではなく落ち着いて作り、かつ維持していくことが得策だ。

「帝国」は復活するのか?
この広いユーラシア大陸では古来、数々の帝国が現れては消えていった。アッシリア、ペルシャ、アレクサンドロス大王、中国に遊牧民族が建てた諸王朝、ローマ、オスマン、スペイン、英国、オーストリア、そしてアメリカの力と通貨ドルを背景に、WTO,IMFを核にして成り立つ現在のグローバル経済。どの帝国も、一度倒れてしまうと復活は難しい。新しい大国が、力の真空をすぐ埋めてしまうからである。旧ソ連の場合はどうだろう。
トレーニンは、ロシアが「帝国」を復活させることはないとし、それ故にこそこの書物も「ポスト帝国」をその英文タイトルで謳っている。「ロシアはどこかを征服したり、失った領土を再併合しようなどとは考えておらず」、「ロシア人の約八五%は、ロシアが大国だと信じている。だがそのほぼ同数が、ロシアは経済大国となって初めて世界で尊敬されるだろうと考えている」。確かに「エリートは帝国根性が抜け切れていないが、彼らは過去への郷愁に浸りたいがために、ロシアの限られた資源を傾注するようなことはしていない」(以上、終章より)。

このような認識に基づいて、彼は次のような緩い国際的結合を提案する。それはまず、「グローバル化された世界にあって、ロシアは先進諸国――と手を組む必要がある。ロシアはこれらの国々と、技術移転や―――近代化のための盟約を取り交わし」、「ソフトパワーを、ロシア対外政策の中心に据え」、「中央アジア方面ではカザフスタンと緊密に協働することで、CSTO[集団安全保障条約機構]を紛争の予防・管理・解決のための、より効果的な道具に変える」。「また、中国やその他の上海協力機構加盟国と協働し、アジア大陸の中心で安全保障をとりしきっていくための責任を引き受ける」。そしてこれらを合わせて、「ロシアは、CSTOの同盟諸国、NATOやEUのパートナー諸国、さらには中国、インド、日本、韓国といったアジアの隣国からなる、ユーラシアの軍事・安全保障協力メカニズムを確立する必要がある」、というのである。

経済面の長期的な目標は、「EUへの加盟ではなく、EUとともに共通ヨーロッパ経済空間を創設する―――。ロシアがWTOに加盟したあかつきには、トルコ、ウクライナ、カザフスタン、ベラルーシ、コーカサス諸国、その他の国々が加盟する汎ヨーロッパ自由貿易圏が、現実的目標―――。エネルギーがこの共通空間にとっての下支えとなる、物質的な共通基盤を作り上げる」、「ロシアはユーラシア国家というよりも、ヨーロッパ・太平洋国家である」ということになる。そして既に紹介した、「二一世紀のフロンティアは東にある」のでウラジオストクに遷都することを考えてもいいという、如何にもロシア人らしいスケールの大きな提案となるのである(そう言えば、ローマ帝国がその昔遷都したコンスタンティノープル[イスタンブール]にも似て、ウラジオストクには金角湾がある)。
 だがこれらの構想は実現が難しく、先進国と提携してもロシアが望むだけの技術・資金の移転は起こらないだろう。これらの構想は、アメリカ的価値観を広めることを目的としたカーネギー財団に勤務するトレーニンが、この書物に前向きなトーンを与えるために、あえて少々先走りしてみせた結果なのではないかと思える。現実には、プーチンが大統領となった場合には、次のことが起こるだろう。

第一にプーチンは、エリツィンがもたらした国の崩壊と混乱を収めることを自らの使命とし、「ソビラーチェリ・ゼムリー」(失われた土地を回復する者。これを揶揄して、「他人の土地を集める者」だと批判する者もいる)と呼ばれている。彼は、昨年一〇月新聞紙上で「ユーラシア連合」を創設すること、そのために「ユーラシア委員会」を作ってEU委員会のように超国家的権能を与えることを提案した。プーチンは、「ソ連の復活を考えているわけではない」として、このユーラシア連合の目的を経済に限っている。だが、旧ソ連諸国はロシア人がこの組織を牛耳ることを懸念しているのである。

つまり旧ソ連の崩壊は宇宙のビッグバンにも似て、その遠心運動はこれからも続いていくのだろうが、ロシアの国力が(石油収入によって)強くなる局面においては、一時的にもせよ求心力が働くこともあり得るということである。プーチン大統領の言う「経済的な連携強化」が、政治的な主従関係に変質する局面もあるだろう。例えばベラルーシは二〇一一年、ロシアから天然ガスを割引価格で購入する代わりに、自国ガス会社の所有権をロシアのガスプロムに譲渡させられている。

第二にロシアの軍備が再増強される可能性がある。ロシアはこの数年、国防予算を急増させている。二〇一一年の装備調達予算は七五〇〇億ルーブルで二〇一〇年の五〇%増であり、二〇一二年には八八〇〇億ルーブルが予定されている。その多くは兵器生産費の高騰に食われてしまうかもしれないが、軍事力が増強されればロシア周辺部に一定の政治的な効果が及ぶだろう。
だが一度崩壊した帝国が復活することは難しい。近隣に中国があり、アメリカ、EUの引力もなお強い今の旧ソ連地域では、なおさらである。ロシアが軍の近代化のみならず、経済の「近代化に失敗したとき、ロシアを待ち受けているのは周縁化であり、退化であり、衰退であることはまず間違いない。―――最悪のシナリオが行き着く先で、この国が物理的に解体する可能性は排除されていない」(終章)のである。例えば、一九二〇年~二二年、ソビエト政権が「極東共和国」なるものを分離独立させて、この地方に出兵してきた日本軍との直接対峙を避けようとしたことが想起される。つまり現代になぞらえて言えば、中国に国力で大差をつけられたロシアが、中国との緩衝地帯として極東地方の一部(一九世紀半ば、アヘン戦争後に中国はこの地方の土地一五〇万平米をロシアに割譲している)を分離独立させるようなものである。中央アジアにおいても、トレーニンが言うような「アジア大陸の中心で安全保障をとりしきっていくための責任を引き受ける」力はロシアにもはやないかもしれないし、他ならぬ中央アジア諸国がこれを望まないかもしれないのである。

このように、トレーニンのこの書物は一部には希望的観測も見られはするものの、ロシア、そして旧ソ連諸国の現状を記し、その意味を解明したものとして歴史に残るであろう。ロシアはなお、ユーラシア大陸の北辺を占める地理的・人口大国である。トレーニンは「ソフト・パワー」として短く言及しているが、ロシアの魅力はその人間と歴史のスケールの壮大さ、複雑な社会とそれを反映した文化にある。貴族から農民に至るまで、人間の聖と俗を万華鏡のように描いたロシア文学は世界に冠たるものがある。問題は、ソ連崩壊後のカネ万能の社会で、ロシア人特有のスケールの大きさ、温かさ、教養水準の高さが失われてきたことだろう。そして一九世紀末のロシア文学に写し取られた役人の不正・卑屈さ、インテリの閉塞感、専制政治は、その百年後もほぼそのまま残っている。

だが振り返ってみれば、この日本も数々の問題を抱え、その解決は容易ではない。日本の民主主義が多数決でものごとを決めるより、コンセンサスで決めようとするあまり、動脈硬化に陥っていること、政権が代わりすぎて国家として動けていないこと、ものごとを企業の負担で解決しようとする傾向が強く、新しい富を創るより今手元にあるものをすべて分配してしまおうとする傾向が強いことなどである。言ってみれば日本も、「帝国」はもう六五年も前に失ったにせよ、ロシアと同じポピュリズムの罠に落ちているのであり、ロシアは他山の石となる存在なのだ。

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